第22話 偽世界の怪物(前編)
「ちょ、ちょっとジイヤ! 車止めてっ!」
慌てて車から降りて、少し開けた場所まで移動。山を真正面から見据えた。
それは異様な光景だった。
広大な山を包むように、巨大な白い光が湧き上がっていたのだ。
「な、何よ、これ……」
私は圧倒的なスケールに驚愕したが、それは決して見知らぬ魔法などではなかった。
「マスター、これは」
「ええ、誰かがあそこで魔法を使ってる。恐らくは……召喚魔法!」
そう、あれは召喚魔法だ。私がダキニを呼んだ時と同じ、魔法の中でも神秘中の神秘と言われている魔法。
だが、あそこに込められている魔力の量は桁が違う。
召喚魔法は注ぎ込んだ魔力の量によって、呼び出される使い魔の質も変化する。実際は単純に魔力の量を増やせばいいというものでもないのだが、基本的にはダキニのような上位とされる使い魔を呼ぶためには、大量の魔力が必要となってくる。
あの山を覆えるほどとなると、どう考えても一人の人間の魔力ではない。複数の魔法使いが、同時に魔力を込めて何かを呼び出そうとしているのだ。
とはいえ魔法使い一人で賄える魔力の量でも、神格を持った使い魔を呼ぶこともできる。あそこまで大規模な魔力を集める必要はないはずだ。あれは軽く見積もってもダキニを呼び出した時の数十倍、下手をしたら数百倍近い魔力量。
「あれだけの魔力を集めて、一体何を呼び出そうっていうのよ?」
私も召喚魔法に関してはそれなりに詳しいほうだが、それでも何を呼び出すのか見当もつかない。
「あの山、今日の魔法少女試験の会場よね? じゃあ、その為の準備?」
私は知っている。あの山は今日の試験会場になるはずなのだ。普通の受験者には知らされていないが、あそこで魔法の実技試験が行われる予定だ。
「なら何もおかしいことは無いのかも知れないけれど、それにしたってあの魔力の量は……」
漠然と残るこの不安。
初めてダキニと相対した時のような、人が恐怖を感じる、絶対的な何かがあそこにあるような気がした。
あれだけの魔力量があれば大抵の魔法は使えるだろう。
そして、魔法というのは決して非力な術ではない。
やろうと思えば、それこそ……。
「杞憂であればよいのですが、少し、お時間を頂いても宜しいですか?」
「え?」
ダキニは真剣な表情で、私を見つめていた。
「音を拾ってみます」
「音って、え? あんた、あんな離れた所からの音も拾えるの?」
ぱっと見てもここからは数キロ単位で距離がある。音どころか、仮に人が立っていたとしても誰だか分からないような距離だ。
「集中しなければ難しいです。それに少し時間もかかります」
一度、確認を取るかのような口調でダキニは私にそう聞いた。今私たちは魔法少女試験の会場に向かっている最中だ。時間的に余裕を持って出てきているとはいえ、道草を食っているほど暇なわけでも無い。それをダキニも分かっているのだろう。
もっとも、これは見過ごせるほど些細な出来事というわけでも無い。
「いいわ、やってみて」
私はゴーサインを出した。ダキニはその言葉を受けて、集中するようにすぐに目を閉じ、手を耳の横に置いた。
「お、お嬢様! あれは一体」
「しっ!」
車を路肩に駐車してからやって来たジイヤがそう聞いてくるが、今はダキニが聞き耳を立てている最中だ。それに、説明したくても私だって何が起こっているか分からない。
ジイヤは私とダキニを見た後、山へと目を向けた。魔法を知らないジイヤからしても、この光景はどこか異様に映るようで、目を見開いて静かに息をのんでいた。
恐らく、漠然とした不安をジイヤも感じ取っているのだろう。
そんな事を考え始めていると、ダキニが目を開け、結果を告げた。
「マスター、かすかですが、聞こえました」
「うん、何が聞こえたの?」
「……鳴き声です」
鳴き声?
「鳴き声って、一体何の?」
「分かりません。獣の咆哮、と言えばよいのでしょうか。そんな声です。以前にも聞いたことのあるような声でした」
ダキニは耳に手を当てた姿勢を崩さず、目だけをこちらに動かして答える。
「あの、以前お屋敷でマスターを襲ったドラゴンと、同じような声です」
私は息をのんだ。
忘れもしない。わが家に一匹のドラゴンが迷い込んできた事件。
魔法使いによって呼び出された使い魔。その中でも、大戦期に開発され一般には召喚方法が知らされていない、特殊で危険なドラゴン。
「確証を持つには至りませんでしたが、それと同じような声だと思います」
「嘘……いや、だって、あれって獣型の中ではかなり危険で……」
獰猛で俊敏なだけではない、あいつは私の魔法を無力化したのだ。ダキニと薫さんがいたから何とかなったが、一人だったら確実に敗れていた。
いや、殺されていた。
そんな危険な使い魔を、試験で使うというのだろうか?
「あ、でも、何もあいつと全く同じとは限らないのか。魔法を無力化しなければ、私でもどうにかなったし」
それでも人より大きく、肉食恐竜のような外見は、かなり恐怖感を煽ってくる。事実あの時装果は震え上がっていた。私に抱き付いて、泣き出して……。
「試験のために、用意された使い魔……よね?」
私はダキニにそう言って同意を求めるが、ダキニは困惑したように、何と答えていいか分からずに目線を泳がせている。
何も知らなければ騒ぎ立てたかもしれないが、あそこは魔法少女試験の会場。ダキニだから聞き取れたが、本来なら鳴き声だって聞こえてくることは無いだろう。はたから見ればただ山が光っただけ。あそこの警備も完璧で、使い魔は山の外に出さず、一般人も立ち入り禁止で近づけず、安全安心、心配する事など一切ないのかもしれない。
けれども……。
「お嬢様、どういう事です? あの以前お屋敷に現れた大トカゲが、また現れたのですか?」
「う、うん。でも……危険は無いの。無いはずなのよ」
ジイヤには説明しづらい。あそこが魔法少女試験の会場だと知っているのは、お父様とお客様との会話を盗み聞きしたからだ。
「危険は、無い、のですか?」
「うん、そのはず」
半信半疑という感じではあったが、私の言葉にジイヤも一応納得はしてくれたようで、少しこわばった表情を緩めた。
「……いえ、マスター。どうやらそれ程穏やかな雰囲気ではなさそうです」
だが、そんな私とジイヤを他所に、さっきよりより深刻な表情を浮かべたダキニが振り返った。
「先ほど、今度ははっきりと、使い魔に指示を出す人の声が聞こえました」
「人の声って、使い魔を呼びだした人間ってこと?」
こくりと頷くダキニ。
「その者は叫んでいました。ただ一言『行け』と」
ダキニの言葉に、私もジイヤも息をのむ。
「もう彼らは動き出しています。バラバラに複数の音が鳴っているので、これ以上は何を言っているのかは聞き取れません」
「う、動き出した?」
「言葉通りに捉えるなら、どこかに移動するのでしょう。向かう先は恐らく、お屋敷です」
「ま、待って、ちょっと待って! ダキニ、あなたが警戒するのも分かるけれど飛躍しすぎよ! あそこは今日の試験場なのよ? 厳重な警戒をしているはずだし、変な事なんて起こりっこない。それにどうしてうちを襲いに来るなんて分かるのよ」
何かがおかしいのは私でももう分かっている。でもそれでどうしてうちが襲われることになるのだ。
「マスター、以前にもお屋敷はドラゴンの襲撃を受けました。マスターと装果さんが危険に晒され、犯人は未だ見つかっておらず、目的も不明。そんな中、再びお屋敷の近くであのドラゴンが召喚された……偶然にしてはあまりにも出来過ぎです」
ダキニの真剣なまなざし。危険を感じ取った時の、警戒モードの声。
「そしてあの襲撃で、私達はほとんど被害を出すことなくドラゴンを撃退しました。恐らく犯人の目的は何一つ達成されなかった筈です。ならば目的を達成するために、再び同じ行動を起こしても不思議ではありません」
「そ、それは……」
今ひとつ納得できないが、かといって否定も出来ない。最悪の事態を想定すれば、起こりえない事でもないのだろう。
魔法少女試験は毎年厳重な警戒を敷いているはずだが、お父様から盗み聞きした話でも、以前問題が起こり、それを世間には公表せずにもみ消した事があったという。
今回また何か問題が起こっていても、不思議じゃない。
「私の話が全て推測なのは分かっています。根拠に乏しいのも承知しています。ですが、今お屋敷には戦える人間は薫さんしかいません。装果さんに宗谷さん、他にも大勢のメイド達が庭で作業をしています。そこに、またあのドラゴンが現れれば」
ダキニは緊迫した表情で、一度言うのを躊躇うように目を閉じ、意を決して続きを口にした。
「今度こそ誰かが、犠牲になります」
「っ!」
ダキニのはっきりとした物言いに、私はぞくりとした。
「これが全て私の勘違いなら、どんな罰でも受けます。どんな償いでも致します。ですからどうか、マスター」
そう言ってダキニは、私の目の前まで進み出て、片膝を折る。
かしずくような格好で、全てを私に委ねるような目をして、静かに、はっきりと言った。
「私を、信じてください」
その瞳に吸い込まれそうになる。意識を持っていかれそうになる。
時に私と喧嘩して、時に毒を吐いて、けれどもどこまでも私に尽くし、私を信じてここまでついてきてくれたダキニ。
私の事を、好きになってくれたダキニ。
私は、無意識にポケットに手を突っ込んでいた。制服のスカートの、さっき確認した受験票が手に触れた。
私はそれを取り出して見つめる。魔法少女になるのが私の夢で、その為に今日の試験に備えて必死に頑張ってきた。この紙は、いわばその夢を叶えるためのチケット。
ダキニに魔力ジュース、そして試験会場の把握。ありとあらゆる条件が完璧にそろっている。今回ほど合格に近い試験は無いだろう。こんな恵まれたチャンスは、もう二度と巡っては来ない。
そして今ここで戻れば、確実に遅刻する。
「もう時間が無いわね」
私は一度目を閉じて、言った。
「……ジイヤ、車を出して」
「お、お嬢様!?」
耳にジイヤの驚く声が届く。
「聞いたでしょう? 早く」
私は胸の奥に溜まった空気を吐き出すように、長く息を吐いた。
目を開け、確かめる。
目の前には、私を真っ直ぐに見つめるダキニ。
その瞳は揺らがない。何処までも私を信頼しているように見えた。
ああ、やっぱり今回は最高のコンディションだった。
私の気持ちを理解してくれる、最高の相棒。
私はそんなダキニに、ゆっくりと笑いかけた。
ダキニも同じように、私に微笑み返す。
私は手の中の受験票を、ぐしゃりと握りつぶした。
「早くっ! 急いでうちに戻るわよっ!!」
「! は、はいっ!!」
ジイヤは私の言葉に頼もしい返事をくれた。それを聞いただけでも少し安心出来た。自分のしたことが、間違いではないと自信を持って言えそうだ。
私は空を見上げて、一度だけあーあ、と未練がましく呟いて、車へと乗り込んだ。
「はい、もしもし」
「あ、あれ? 装果?」
車の中から携帯でうちに電話をかけてみると、電話を取ったのは装果だった。
「あ、お嬢様。ふふ、私が出て意外でしたか?」
電話の向こうの装果はそう言って楽しそうに笑った。
「こんな事もあろうかと、電話の前で待機していたんです。それで、何をお忘れですか?」
成程、装果は私が忘れ物をした時のことまで想定していたのだろう。別に何も忘れていないというのに、奇しくも装果の予想通りに動いてしまっている。
「えっと、そうじゃなくて……装果、落ち着いてよく聞きなさい」
「え? どうしたんですかお嬢様? 何か……え!?」
「ん? しょ、装果?」
装果が突然言葉を切った。勿論私はまだ何も言っていない。電話の向こうで何かあったのか、がやがやと騒ぐ他のメイド達の声が聞こえている。
「お、お嬢様! 今、ラジオでここの一帯に緊急警報が流れているみたいです。お嬢様が言いたかったのはこの事ですか?」
「っ!!」
装果の言葉に、私は背筋がぞくりとする。やはり山で何かあったのだ。
「ら、ラジオでは何て!?」
「何でも熊が出たようです」
「……はぁっ!?」
熊ぁ!?
「えっ、あ、何? 熊!?」
「はい、山から熊が数頭下りてきたようで、暫くは絶対に外に出ないように、と。うちでも今外で作業をしている皆さんに知らせに行っている所です」
「マスター、お屋敷では何があったのですか?」
ダキニが確認を取るようにそう聞いてくる。
「うん、何でも山から熊が下りてきちゃったって知らせがあったんだって」
どういう事? ドラゴンの心配をしていたら、やって来たのは熊?
「お嬢様、あの山に熊はおりません!」
運転しているジイヤからそう声が上がる。
「お嬢様も昔あの近辺を散歩されたでしょう。大型の猟獣は一切生息していませんし、栃豊家に長年お仕えさせていただいているわたくしも、熊が出るという話は聞いたことがありません」
きっぱりとそう言い切るジイヤ。
「じゃ、じゃあ、嘘?」
「混乱させないための方便でしょう。ドラゴンよりも熊の方がなじみ深いですし、熊は最悪、死んだふりをすればやり過ごせるのですから」
「……ダキニ、死んだふりで助かるっていうのは迷信だからね?」
まあ、確かにドラゴンが現れた、なんて知らせるよりは現実味がある警報だろう。
「お嬢様も、まだ近くにおられるのでしたら気を付けてくださいね」
電話越しに私を心配する装果の声。だが違う、本当に心配されるべきは装果達だ。
「装果、よく聞いて。今外にいる皆を中に入れてるのなら急いで。あとは、このことを薫さんにも知らせて」
「薫さんに、ですか? 勿論お伝えしますが、そういえばさっき外で……」
そこで再び言葉を切る装果。私が続きをまくし立てようとしたところで、声色の変わった装果の声が、電話越しに響いた。
「おっ、お嬢様っ!? あ、あれ、あ、あの……」
「えっ、装果!? 何!? どうしたの!?」
装果は声を裏返し、電話越しにも分かるくらい怯えた様子で、私に伝えるべく、叫んだ。
「あの大トカゲがっ! ま、窓の外っ! うちの外にっ!!」
ダキニの予想通り、最悪の事態になったと。
「っ!! 装果っ、落ち着いて聞きなさいっ!!」
私は咄嗟に、装果の悲鳴に負けないくらい声を張り上げた。
「まず落ち着いてっ! 前も言ったようにそいつらに刺激を与えちゃダメっ! たぶんそいつらは窓を突き破ってまでは入ってこないからっ!」
携帯を握る手に力が入る。私こそ落ち着かなければと必死に冷静になる。
「万が一入ってきたらどこか窓の無い部屋にみんなで隠れてて! とにかくあなたが一番にしなくちゃいけないのは、薫さんにこの事を伝えるのっ! いいっ!? 出来るっ!?」
「あっ、は、はぃっ……」
小声で震えるような感じだったが、装果はしっかり返事をした。
「大丈夫、今からお姉ちゃんたちもそっちに行くからっ! それまで頑張ってっ!」
「はいっ、はいっ!」
私は装果が動けるように電話を切った。
大丈夫だ、装果は強い子だ。
不安で押しつぶされそうな胸を抑えて自分に言い聞かせる。助けにいく私が潰れてどうするのだ。
「ジイヤっ! もっとブッ飛ばしてっ!」
「はっ! かしこまりましたっ!!」
「うぐおっぅ!?」
私が命じた途端、車のスピードが体感で五倍くらい速くなった。いや、五倍は大げさなんだろうけれど。
「怖っ!? 速っ! ちょっ! ジイッ!」
「お嬢様っ! 黙っていないと舌を噛みますぞっ!!」
ジイヤにもう少しゆっくりと言いかけた所で先に釘を刺される。緊急事態だというのがはっきりしたので、ジイヤの言葉にも容赦がなくなっている。
「こちらはお気になさらずに。マスターは私がお守りしますから」
ダキニの頼もしいんだかそうじゃないんだか分からない言葉で、ジイヤは更にスピードを上げる。キャアアアアアッ、とレーシングカーみたいな音を立ててわが家のベンツが爆走する。
ああ、これだめだ。止められないわ。
いや、急ぐんだからこれでいいのだろうけれど。
そうしてうちにつくのが先か、私がジイヤの運転に根を上げるのが先かの勝負が始まるのだった。
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