第21話 今と昔で違うもの
八月も終わりの頃。
夏の気配はまだまだ抜けず、暑い日が続いていた。この分では月が替わっても当分クーラーのお世話になることだろう。
そんな中で私は試験前日の最終調整を行っていた。
「マスター、そうです。そのままの姿勢を保って」
「うん。よっ、っと……」
私はダキニの指示に従い、バランスを取るように手を広げて姿勢を維持する。
「お嬢様! 記録更新ですよっ!」
下からは装果の喜ぶ声が聞こえる。ん? 何故下から聞こえるかって?
それは私が飛んでいるからだ。
魔法使いかそうでないかを問わず多くの人の憧れであり、最も向き不向きの差が激しい魔法、それが空を飛ぶ魔法である。
熟練の魔法使いでも扱いが難しく、扱える人間はこの国でも百人程度しかいない。そんな魔法だ。
「ふー……結構、様になってきたかな?」
「ええ。初めの頃に比べて、だいぶ上達しましたね」
ダキニと会話を交わすくらいの余裕を見せつつ、私はちょっと体勢を変えてみる。手を前にかざしたり、杖を軽く振ってみたり。地上から大体二十メートルくらいの高さで、多少自由に動けるようにはなった。
「でも、あんたを見てるとなんだか上達したって気がしないわ。まだまだ、自由に空を飛んだりは無理そう」
目の前の、全く力むことなくすいすいと宙を滑るように、泳ぐように飛び回れるダキニを見ていると、少し自信を失いそうにもなる。
残念ながら、私には飛行魔法の適正はなかった。
だから今宙に浮いているのだって、その通り、浮かんでいるので精いっぱいだった。自分で高さの調整も出来ず、ここまではダキニに引き上げてもらい、そこからただずっとその場に浮かんでいるだけなのだ。
それでも気を抜くと落ちてしまう。この状態でも他の魔法を使うくらいの余裕は出来たが、せいぜいそれが精いっぱいだ。
「仕方がありませんよ。試験日に間に合わなかったのは残念ですが、これからも地道に努力を重ねて習得していけばいいではないですか」
「焦ること無いって? まあ、そうだけれどね」
飛行魔法の習得には、適性が無ければ数年かかると言われている。感覚を掴めなければ一生身につけられないことだってあり得るので、ここまで来ただけでも結構な進歩なのだ。
だからダキニの言う通り、悲観する事も無いのだが……。
「うっ!? わっ!? とっ、わぁぁっ!?」
突然足元がふらつきバランスを崩す。必死で持ちこたえようとするが、まるで足場を失ってしまったかのように、為す術もなく体が重力に従い落下し始める。
「きゃあっ!? あっ、あ……」
「今日はここまでのようですね」
落下したところをダキニにキャッチされ、私はゆっくり地上まで降ろされる。ダキニは私をお姫様抱っこしたまま、すとん、と何事もなかったかのように着地した。
「だ、大丈夫ですか、お嬢様?」
「毎回毎回、心臓に悪いわ、これ」
ありがと、とダキニに一言言ってから、私は大きくため息をついた。
飛行魔法の習得が難しいとされる理由はいくつかあるが、今のもその一つだ。
それまで普通に飛んでいたのに、突然バランスが崩れて為すすべなく落下してしまうというもの。これはどうやら魔力の量が関係しているらしく、一定量減ると飛ぶための感覚ががらりと変わってしまうためだ。
だからその感覚を掴みなおせなければ、ああして落下してしまう。飛行魔法を扱う上で非常に注意を払わなければならない部分だ。
「うーん、今のをどうにかしないと、危なっかしくて一人では使えないわよね」
「そうですね。まあマスターのお傍には常に私がいますから、万が一はありませんけれど」
「そういう問題じゃないでしょ」
こんな風にダキニにツッコミしつつも、心の中ではダキニに感謝していた。私がここまで飛行魔法を習得できたのも、ダキニが常に傍で見守ってくれたおかげだ。
本当に、私は優秀な使い魔を持った。
「で、えっと、記録更新って聞こえたけれど、今のは何分もった?」
「あ、はい。記録は二分五十秒です。前回の時より三十秒近く更新しましたね」
「三分台も見えてきたか。順調ね」
よし、と私はここまでの成果に納得しつつ、このタイムを一つの目安にして考える。
「一応、一通り辺りを見回して魔法をちょっと使う分には問題ないってレベルかな? 明日の試験ではいざという時に役に立てられるかしら」
「飛び続けることが出来ませんから、よく考えて使うようにしないといけませんね。私がマスターを抱いたまま飛び続けた場合でも、マスターの魔力を考えれば五分が限度ですし」
飛行魔法だけの試験なら、五分も飛び続ければ結構な点数が入るのだけれど。尤も、それで魔力が尽きてしまっては他で点数がとれない。いざという時の切り札と言ったところか。
「じゃあ今日の訓練はこれでおしまい。明日の為に休まないと。魔力を補充する梨も、今からまた作って薫さんの所にもっていかないといけないし」
魔力を補充する私のとっておきの裏技、魔力梨。誰にも真似できない私だけの強みだが、食品故に実は地味な制約もある。
当たり前だが、魔力を補充するためには、食品として口に入れなければならないのだ。
これがなかなか厄介で、それはつまり、魔力を摂取するために、単純に沢山の魔力ジュースを飲まなければならない、という事なのだ。
勿論これは市販の果汁ジュースで試してみても分かると思うが、果汁ジュースというのはそんなにぐびぐびと量を飲めるものではない。というか、糖度から考えても恒常的に大量摂取していたら確実に病気になる。
では薄味にすればいいではないかと思うだろう。だが薄味にしたら今度は魔力を摂取できる量が減るという、本末転倒な事が起こってしまうのだ。
というわけで、この問題を解決するべくわが家専属コックの薫さんに全面協力してもらった。魔力を摂取できる量を極力増やし、なおかつ味もよく、ぐびぐび飲んでも大丈夫な魔力ジュースを研究し、作ってもらったのだ。
そこで出された条件が、なるべく新鮮な取れたてで美味しい梨を確保する事。
「うちが梨を育てていて良かったわよね。梨農家じゃなきゃ採れたての美味しい梨なんか大量に確保できないもの」
味の方もそうだが、やはり鮮度がいいほうが魔力の吸収率もいいらしい。ついでに美味しいほうが飲む側としても嬉しいし。
「あ、お嬢様。その梨なんですが」
装果は嬉しそうに告げる。
「折角なので、この機会に美味しい梨の見分け方を宗谷さんが説明してくれるとのことです」
「あら、それはありがたいわね」
宗谷さん直々に美味しい梨の見分け方を教えてくれるとは。今まで私の梨作り体験をお伝えしてきたが、食べる側の人にとってはここにきて一番有用そうな話が聞けそうだ。
「そういえば、収穫の時期も近いのよね?」
「はい、来週には恐らく収穫を始めます。私もお嬢様も夏休みが終わってしまいますから、あまり手伝えないかもしれませんね」
装果は残念そうにするが、私からすれば手間が一つ省けてラッキー……。
「そうね。最後くらい、ちゃんと手伝えればよかったわ」
とは、流石にもう思わなくなっていた。
ここまで結構サボり気味でいたが、何だかんだこうして農業の手伝いをしてみて面白かったし。ここまで付き合ったのだから最後の作業くらいは私も汗を流してもいいかなと思えた。
「うん、もし学校で手伝えなかったらダキニを残していくから。その時は、私と装果の分までお願いしてもいい?」
「はい、承知しました。少しくらいは、マスターと装果さんがもぐ分を残しておきますので」
「あのね、梨狩りの子供じゃないんだから」
そんな風に冗談を言い合いながら、私達は梨園へと足を向けた。
――
「あ、お嬢様。お待ちしておりました」
宗谷さんは梨から袋を外しながら、私達を迎えた。私と同じ三白眼を緩ませた笑顔で。
「お待たせ、宗谷さん。美味しい梨の見分け方を教えてくれるって装果から聞いたけれど、お願いしていい?」
「はい、勿論です。明日の試験に必要だと聞いたので、簡単にですが、説明させて頂きます」
宗谷さんはそんな丁寧な切り出しから、話し始めた。
「まず形がいいものを探しましょう。梨は下側が張っていて丸みがあるものが良いとされています。梨の糖分は下側、特に皮の方に寄っていくので」
「ふうん、甘いのは枝の近くじゃないのね」
「梨は水分が多い果物ですから。水が下に溜まっていくようなものだと思ってください」
ふむ、成程。分かりやすい。
「それと皮はざらざらしたものよりつるつるしたものを選びましょう。このざらざらは熟すにつれて減っていきますので、つるつるしているほうが甘いです。収穫する時も手触りを一つの目安にするといいと思います」
「それって、装果が前にきこうとかなんとか言ってたやつ?」
「はい。植物が呼吸するための穴ですね。正確には成長と共に気孔が壊れてしまった後、中の水分が抜けないように栓が出来ます。その栓が平らになる頃が丁度食べごろになるのです」
宗谷さんの説明を聞きながら、私は袋を取られた梨を見る。
「えっと、その梨はもうつるつるなの?」
「いえ、まだですね。収穫にはもう少しです。触ってみてください」
宗谷さんに言われて梨を触ってみると、確かにまだざらざらしていた。
「どうです? ちょっとまだざらついていますよね」
「ホントだ。なんかこれだと硬い皮を被ってるみたい」
触れば分かるくらいにざらついている。ぶつぶつが手に当たってちょっと痛い。
「日本の梨は追熟することがないので、収穫の時は梨の状態を見極めないといけません。ですから、すぐ食べるのでしたらこの手触りがつるつるになる時を見逃さないようにしてください」
「つ、ついじゅくって?」
「収穫した後も熟していくことです。西洋ナシは収穫の後も熟していくのですが、日本の梨は基本そのようなことは無いので、収穫したてが一番おいしい、という事になります」
それで重さなのですが、と宗谷さんは止まることなく話し続けていく。
改めて思うが、植物の話をしている時の宗谷さんは普段とは別人だ。
いつもはニコニコしているだけで自分の意見を言わない引っ込み思案な所が見られるのだが、今の宗谷さんを見ているとそれが信じられない。実に楽しそうに梨について語っている。
無邪気な子供のように笑う姿が、ちょっと眩しい。
「と、いう事なのですが……お嬢様?」
「あっ!? え、あ!? う、うん、そうね」
宗谷さんに突然話を振られて、私は思わず取り乱してしまった。そんな私の怪しげな挙動にも関わらず宗谷さんはニコニコしてまた説明を続ける。
人がいい、というより、ここまで来ると確かにお母様ではないが鈍感だと思ってしまう。いや、そんな所も可愛いんだけれどさ。
私は宗谷さんが夢中で話している途中で、こっそりと装果に話しかける。
「ねえ、宗谷さんって、いつもこんな感じ?」
「えっと、話に夢中になって周りが見えなくなることは、たまにありますね」
こんな風に、とちょっと可笑しそうに笑う装果。
「……宗谷さんのどこを好きになったの?」
「えっ!? あ、いや、その……わ、分かっちゃいます?」
「分かっちゃいますね」
私がそう言うと装果は顔を真っ赤にするが、照れ笑いを浮かべるだけで否定はしなかった。
まあ、よく考えればバレバレだ。装果は私に仕える仕事以外では決まって庭の手伝いをしている。植物の世話が好きというのもあるのだろうが、装果の話の中には事あるごとに宗谷さんにこう言われた、ああ言っていた、という一言が入る。宗谷さんを語るときは、いつも嬉しそうな笑顔を浮かべて話す。立派に恋する乙女だ。
毎日宗谷さんに会うために菜園に通っていたお母様も、こんな感じだったのかしら?
「あの……その、初めは、凄いなあっていう、憧れだったんです」
俯きながらも、装果は話し始めた。
「植物の事を何でも知っていて、剪定も上手くて、果実の選別から苗木の選び方、土の作り方までどんなことでも出来て。そんな姿を追っているうちに、沢山たくさん宗谷さんのいい所に気が付いて。楽しそうに植物の話をする時や、あどけない顔で笑う姿。無防備に、無邪気に、なのに時々大人びた男の人の顔も覗かせて。そんな姿に、その……惹かれて」
言い回しなんかはとても小学生とは思えないのだが、顔は恋心に胸いっぱいの、年相応の少女といった風に目をキラキラと輝かせ、バラ色の頬を緩ませている。
知ってはいたが、もうぞっこんね。
「告白はしないの?」
「いえ、しませんよ。私みたいな子供に言い寄られても、きっと困ると思いますし」
本当にこの子は小学生だろうか?
「それに、怖いですよ。もしこの気持ちを受け止めてもらえなかったらって考えると」
「そうねー。恋愛って、告白する時が一番勇気いるものね」
でも、と私は続ける。
「気持ちを伝えなきゃ、何にも始まらないわよ? それをせずに後悔する人だっていっぱいいるしね。それに、装果は怖がることないと思う」
「え?」
「たぶん装果、脈ありよ。告白したら、すんなり受け入れてもらえるって」
私が笑顔でそう言うと、装果はもう一段階顔を赤くして、不安そうに目をぱちぱちさせた。
「そ、そうでしょうか?」
「絶対そうよ。お姉ちゃんが保証してあげるから」
私は自信たっぷりにそう告げるが、装果は、今度は困ったような笑顔を浮かべて私を見た。
「でも宗谷さんがこんなに夢中になって話すのって、お嬢様の前だから、ですよ?」
「……へ?」
私は装果の意外な言葉に、思わず間抜けな声をあげてしまう。
「最近こんな宗谷さんをよく見ます。いつから、と思い返してみれば、お嬢様が菜園の手伝いを始めた頃からでした。私と話す時より、どこかいきいきしていますし」
「いやいや、そんなまさか。私といる時にだけってことは無いでしょう?」
私はそう言いつつも、いつも宗谷さんを見ているであろう装果のことだ、多少色眼鏡を使っていたとしても的外れな事は言わないだろうと思った。
では一体……。
そこまで考えて、私には思い当たる節があった。
お母様だ。
この間宗谷さんは私を見て、まるでお母様のようだったと言った。そう、私を今は亡きお母様と重ねていたのだ。
そのお母様は、恐らく宗谷さんに思いを寄せていた。宗谷さんはそのことを気づかずにいたようで、二人の恋は実ることは無かったのだけれど。
では、肝心の宗谷さんはお母様の事をどう思っていたのか。
お母様を語るときの楽しそうな口ぶり。植物の事を話す時と同じような、無邪気で屈託のない笑みを浮かべて想い出を語っていた。
あれは、やはり……そういう事なのではないだろうか?
ひょっとしたら、今でもお母様の事を想って……。
「……考えすぎよ、装果」
私は、かぶりを振って否定した。私の中で勝手にめぐらせた妄想と一緒に。
「ほら、植物を育てるのに私が初心者だから、沢山話をしようとして何かスイッチが入っちゃっただけだって」
宗谷さんにとって、私はお母様の面影を感じさせる人物なのかもしれない。だから宗谷さんも、昔を思い出して饒舌になっているのだろう。私の事が好きだとか、そういう話ではない。
けれどそれは、宗谷さんが今でもお母様を想っているという事。同じく宗谷さんに想いを寄せる装果に言うべきことではない。
「私はただの……雇い主の娘ってだけよ。今饒舌に語っているのだって、私が初心者だから張り切ってるだけで」
そこでふと、宗谷さんを見ようと視線を動かした。動かした先で、宗谷さんと目が合った。
「……え?」
そこには、困ったような顔で笑う宗谷さん。
「す、すいません。何か真面目な話をしていたようでしたが、中断させてしまって」
私は目を見開いて、飛び上がりそうになるのを抑えながら装果を見る。こっちは顔をまっかっかに染めて固まってしまっていた。
「いっ、いやっ! そ、宗谷さんっ! い、今のは違くて……」
私が慌てて取り繕おうとしたとき、ダキニから目線で『NO』と送られてくる。
「いえ、何のお話かは分かりませんが、装果に大事な話をされようとしていたのですよね? 続けてもらって構いませんよ」
そう言っていつものニコニコした笑みを浮かべている。
え、何その反応?
私がダキニの方を向くと、こくこくと頷かれた。
「え!? 聞いてなかったの!?」
「ああ、はい、途中から聞いたので、何の話かは分かりませんでした」
え、素なの!?
これ、私達を欺く演技とかじゃなくて!? 気を使って聞いてなかったふりをしたとかじゃなくて!?
「ど、どこからお聞きに?」
「お嬢様が、何か保証されたところからです」
悪びれることなく、笑顔を浮かべたまま答える宗谷さん。
これ、鈍感なんてレベルじゃないわよね?
「……装果、告白する時ははっきり伝えなさい。いいわね? じゃないとこれ、絶対に伝わらないから」
「……はい、そうします」
装果はなおも顔が赤いまま、はあー、と大きく息をついた。
――
「あれは本当に苦労しそうだわ、装果」
「ええ、そうでしょうね」
私とダキニは数個の魔力梨を手に、薫さんの所へと向かう。
「あー、でも、実際どうなのかな、宗谷さんは」
宗谷さんは、以前装果が魔力梨を食べてしまった時に、装果の気持ちを聞いている。
あの時はまんざらでもなさそうな感じだったのだが。
「宗谷さんも大人です。きちんとした返事をするなら、装果さんが大きくなるまで待つのでは?」
「恋に性別も年齢も関係ないって言った人の台詞とは思えないわね、それ」
私がダキニにそう言い返すと、ダキニもふふ、と笑い返す。
「私が装果さんの立場だったら、迷わずに想いを告げますよ。例え子供であることが理由で断られるとしても」
「はー、相変わらず度胸あるわね」
「度胸ではありません。例え断られたとしても意地でも食い下がろうと思うだけです」
それはちょっとどうなの?
「……告白、ねえ」
私は、自分で言った言葉を思い返していた。
「ねえ、あんたは告白する時、勇気が必要だった?」
ダキニは、目を細めて笑みを浮かべる。
「必要でしたね。聞かれる前に答えておきますが、返事を聞く時も死ぬほど恐ろしかったですよ。正確にはまだそちらは保留されていますが」
ダキニはそう言って空を見上げた。どこまでも広がる青空に思いを馳せるように、じっと見つめている。
「ですが、マスターも仰る通り、想いを伝えなければ何も始まりません。言わずに後悔するくらいなら、言って潔く散ったほうがいくらかましでしょう」
気負うことなくさらりとそう言ってのけるダキニは格好良かった。吸い込まれそうな空を背景に、その横顔は死ぬほど綺麗で、思わず見とれた。
「……散ってもいいの?」
「散りたくないと言ったら、いい返事を頂けますか?」
お互いにそう言った後、ふふ、ははは、と笑いあった。
「もし断ってもあんた、絶対に食い下がりそうよね」
「流石私のマスター。よく分かってらっしゃるじゃないですか」
「心が通じ合ったってこと? それはよかったわ。何せ明日は魔法少女試験本番だもの。パートナーであるあんたと息があっているのは何よりね」
私は梨を片手で抱え、空いた手でグーを作ってダキニに突き出す。
「明日はよろしく、ダキニ」
「はい。マスターの期待に全力でお応えしましょう」
お互いに拳を合わせて、示し合わせたわけでも無く不敵に笑うのだった。
もう何も恐れるものは無い。明日は、全力を出し切ってやろう。
――
試験当日。
私は車に揺られながら、目的地である試験会場を目指す。車内はクーラーが聞いていて涼しいが、ローブは脱いでいる。試験なので今日は学校の魔法使用時の制服姿だ。
会場まではここから車で一時間弱。家を出てからまだ十分も経っていない。道のりは長い。
「……忘れ物、してないかしら?」
「お嬢様、そのセリフを今日だけで5回は聞きましたよ」
運転席のジイヤからため息交じりの声がかけられる。
「だって、こういうのって心配になるっていうか、不安になるっていうか」
「はあ、マスター。こういう時はどっしりと構えていればいいのです。この言葉を言うのももう3度目ですが」
「そ、そんなこと言ったって」
ダキニの言うとおりである。我ながらこういう所は妙に小心者で困る。
「あー、受験票は持ったわよね? ポケットに入れたし。うん、入ってる入ってる」
私は取り出した受験票を見つめてから、再び大事にポケットへとしまう。これが私の夢へのチケットになるのだ。
「一応実技しかないけれど筆記用具もあるし……あ! 魔力ジュース、もう飲んでおいたほうがいいかな?」
「薫さんに直前に飲めって言われたじゃないですか」
あきれ顔のダキニに反論する事も出来ず、私はうう、と不安に押しつぶされそうになる。
「あー、もう、どうしよう。大丈夫かな? 試験でいきなり私の使えない魔法を使え、なんて言われたりしないかな?」
「お嬢様、そういう時は掌に人という字を三回書いて飲み込むと良いですよ」
「ごめんジイヤ、それもううちを出る前から十回くらいやってる」
効果があったかどうかは、今の私を見てもらえれば分かるだろう。
「マスター、でしたら他の人間に抱き付かれながら胸を揉まれる、という方法は試しましたか? 本で読んだのですが、これでかなり落ち着けるとありました」
「ほ、本当!? やってやって!」
「……お嬢様、騙されていますよ?」
ジイヤの冷静な指摘で我に返り、いやらしい手つきで迫ろうとしていた使い魔に一撃。
「いやいや、お嬢様がこれまで頑張ってこられたのはこのジイヤもよく知っております。ですから、恐れるものなど何もありませんよ。本番を楽しむくらいな気持ちで挑めば宜しいのでは?」
「う、うーん。そう、なんだけれどさ」
「気を紛らわせたい、という事でしたらしりとりなどどうですか? 私は運転中なので、お二人でどうぞ。初めはしりとりの『り』……いえ、『リラックス』の『ス』からでどうぞ」
おお、なかなか気の利いた言い回しね。
「えーっと、すあま?」
「!? マスター!」
この場合、『た』で返すのでいいのよね? たまにローカルルールだと伸ばす音は母音扱いになったりするのだけれど。
「たこやき」
「違います! あれを見てくださいっ!」
ダキニに突如しりとりを遮られ、私はダキニの視線の先を追う。窓の外、恐らく今回の試験場の一つとなるはずの、あの山だった。
「え? あ、えっ!?」
「ど、どうされました?」
運転中のジイヤは見ることが出来ないだろう。車の真横に映る山の様子は。
今回の試験場となるあの山は、確か出入りを禁止されているはずだ。だから一般人が出入りすることは無い。
悪戯なんかじゃない。誰かが、明確に何かの意図を持って、魔法を使っている。ちょっとやそっとじゃ出来ない、大魔法を。
山中が、巨大な召喚円の光で満ち満ちていたのだった。
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