第20話 三人の決意


「おはようございます、お嬢さ、まっ!?」


 私の一日は、私の可愛いメイドの淹れてくれる一杯のコーヒーから始まる。ほろ苦さと拡張高い香り。体の中から温まり、私の意識を覚醒させてくれる一杯。そのコーヒー同様温かい心を持つ私の天使が静かにほほ笑む。


 続いてカーテンを引く絶世の美女。暗い部屋に光が差し、その完璧に整ったシルエットをさらけ出す。優美で隙の無い、見る者を見とれさせずにはいられない私の女神。


 陽の光に照らされる中二人がそろって微笑を浮かべ、おはようございますと挨拶をする。


 それが私に約束された最高の朝の目覚め。


 ……だったはずだ。


「ん? おはよう。しょう、か?」

 何故か目を見開いて口をあんぐり開けている装果に、私は何事かと起き上がりながら目を向け……。


「おはようございます、装果さん。そして、マスター」


 私の隣から聞こえる、優しく、そしてどこか色っぽい声。


「おはようダキ、ニ……」

 振り向くと、そこには寝起きらしく少しだけ寝ぼけ眼のダキニがいた。


 彼女の姿を見て、装果が固まってしまっていた理由が分かった。


「こうして二人でいるところを装果さんに起こされるのも、ちょっと気恥ずかしいですね、マスター」

 肩から覗く白い肌。近くで見るとよりきめ細やかな感じが分かる。柔らかそうで、それでいてほっそりとしたモデルみたいな体。

 その肌をほんのりと桃色に染め、珍しく照れくさそうな表情を浮かべてダキニは言う。


 シーツで胸元を隠しながら、全裸で。


「あ……あっ!? ちょっ!? あああああっ!! ち、ちがっ! 違うのよ装果っ!!」

 朝のコーヒーを待たずして、私の意識は一気に覚醒する。私が記憶している限り最高にハイテンションな朝の迎え方だ。


「こ、これは違うのっ! 装果が想像しているようなのじゃないからっ!! 絶対に違うからっ!!」

「マスター、そんなに照れなくても」

「や、ややこしくなるから黙っててっ!!」

 ダキニに瞬時に釘を刺し、頭の中をフル回転させ現在の状況を把握する。


 ベッドの上には私、そして全裸のダキニ。装果の目からすれば……いや、誰の目からしてもあれだ。


「お、落ち着いて装果。まずは説明させて? 私はね、その……そう、昨日はパジャマパーティーを開いたの。年頃の女の子がやるあれよ。ダキニと仲良くおしゃべりして、話に花を咲かせたのよ。うん、そう、それでダキニが疲れて寝ちゃって……で、今のこの状況になっただけだから、ね? うん、それだけ。とても楽しかったわ。うん、ああ、そう、装果を招かなかったのは私のミスだったわ。今度は一緒にやりましょう?」

「だ、大丈夫です……私、分かってます。分かってますから」


 ダメだ、これ分かっていないやつだ。


「お願い装果、聞いて。私には、その……やましい気持ちなんて一点もないの。ホントよ、ホント。ダキニは大切な私の使い魔だけれどね、その、こういう事がしたいってわけじゃなくて、ああいや、実際には本当に何もしてないのよ。うん、その、最後の一線は越えてないから。うん、守り抜いたから。だから……」

「わ、私……その……すいませんっ!」

「ちょっ!? 装果っ!!」

 脱兎のごとく逃げ出す装果。私はベッドから跳ね起き、瞬時に追いかける。


「まっ、待ちなさい装果っ! 誤解をっ! 誤解を解かせてっ!!」

「だい、大丈夫ですっ! ちょっと旦那様にこれから報告に行くだけですからっ!」

「それアカンっ! 一番あかんやつや装果っ!」

 思わず関西弁が飛び出すほどの衝撃。私は死ぬ気で装果を追いかけて、何とか捕まえる。


「ホントにっ! ホントに信じてっ! 何も、何も無かったのっ!」

 そう、何もなかったのだ。


 ……いや、何もなかった、と言うのは嘘なんだけれども。


 とにかく私の話を聞いて欲しい。あれは昨日、ダキニと試験場と思われる山に行き、帰ってきた日の夜の出来事。



――



「マスター、今日は本当に、ありがとうございました」

 寝る間際、私の部屋の扉の前で、ダキニはそう言った。


「何よ改まって」

「私は、貴方がマスターで、本当に良かったと思っています」

 ダキニは頬を染め、穏やかな笑みを浮かべる。


「何百年も囚われていた想いから、私はようやく解放されました。これからは過去を生きるのではなく、今を生きたいと……本気でそう思えるようになりました」

 ダキニの言葉ひとつひとつから思いが伝わってくる。ダキニにとっては、今日が本当に人生の転換点になったのだろう。私にとってもダキニの気持ちを知って、より一層ダキニを好きになれた日でもある。


 それにしても何百年とは。本当に、あなたは神様なのね、ダキニ。


「だからマスター。これからもよろしくお願いします」

「……うん。こっちこそ、よろしくね」

 私もダキニに笑みを向け、心穏やかなまま、おやすみと言うつもりだった。


「じゃあダキニ、おやす……」

「不束者ですが」

 ドアを開け、まさに今おやすみと言おうとして、何故かそれをダキニが遮り……。


「今夜は、ささやかながらお返しをさせて頂きたいと思います」


 何故か、いつの間にか、ドアの内側に入られていた。


「……え?」


 私は状況を把握するのに数秒の時間を要した。

 いつもなら私の部屋の前でおやすみを言って別れる。それが何故か今日は部屋の中にまでダキニが入ってきた。私を部屋の内側にして、ダキニが後ろ手でぱたんとドアを締める。


 ついでにかちゃり、と鍵をかける音も聞こえてきた。


「あの、ダキニ?」

 すっと、ダキニがひざを折り久しぶりに土下座のような格好を見せる。ような、と言ったのは正確には土下座じゃなくて、指を三本だけ出して丁寧に礼をしたからだ。所謂三つ指をつく、というやつだ。ほら、新婚初夜に女性の側がするやつ。


 ……ん?


「さあ、マスター。参りましょうか」

「あの、ダキニ? わっ」

 ダキニは私をひょいと持ち上げた。足と背中を丁寧に持つ、所謂お姫様抱っこの格好。


「ちょ、ちょっとダキニ? 何? え?」

「マスター……」

 ダキニは私の名前を呼ぶだけ。目をとろんとさせて、頬を染めて、私があらまあ乙女の顔ねとぼんやり思っていると、優しくベッドの上に押し倒されて……。


「ああ、マスター」


 ダキニは、服を脱ぎ始めた。


「……ん、んんっ!? え、ちょっ!? 何っ!? 何してんのあんたっ!?」

「何って」

 私が声を荒げている間に、あっさりと全裸になったダキニ。ベッドの上で、そのスタイルのいい体を惜しげもなく披露する。


「ナニ、ですよ、マスター」

「はああっ!? ちょっ、えええっ!? まっ、うむぅ!?」

 そのまま私に覆いかぶさるようにして、自然な動作でキスされた。ちゅ、と軽く唇に。ダキニの体から熱が伝わる。柔らかい胸が押し当てられ、ダキニの蕩けた顔が間近に映り、そのまま二回目をしようと……。


「待ったっ! ちょっ、ちょっと待ったああああああぁっ!!」

 私はびくりと今更ながら身を震わせ、両手でダキニの肩を押し上げるようにして引き離す。


「な、何してんのよあんたぁっ!?」

「マスター、その質問は二度目ですよ」

「冷静に返してんじゃないわよっ! な、なん、何てことしてくれるのよっ!?」

「ああ、すいません。明るいままでしたね。私としたことが。今電気を消しますので」

「ちがああああうっ!!」

 律儀に魔法で部屋の電気を消すダキニにそう叫んで、私は一気に火照った体を震わせながら、力任せにダキニを押し上げる。


「い、今、き、キスっ!? あんた私にキスしてっ!?」

「はい、マスター……愛してます」

「ぎゃああああああっ! ちょ、待ったっ! 待ったあああああああっ!!」

 私が全力で押し返しているにも関わらず、ダキニは眉ひとつ動かさずに迫ってくる。子供と大人の力比べのようだ。


「まて、待ってっ! ダキニっ! あっ!?」

 ちゅ、と今度は唇ではなく首筋に優しくキスされる。耳元で、愛しています、と囁かれ、それが頭の中でエコーがかかったように響く。甘い言葉に全身が麻痺したように、抵抗できなくなっていって……。


 いやいや! これ本当にダメなやつだから!


「止まって! ダキニっ! お、願いだからっ! ホント! ちょ、ちょっと待ってっ!!」

「ああ、マスター。好きです。愛してます」

「やっ、やめっ! やめんかああああああああっ!!」


 私はありったけの勇気と根性を振り絞り、ダキニの誘惑をはねのける。


「まず落ち着きなさいっ! 離れてっ! そこに正座っ! 正座しなさいっ!!」

 怒鳴るように声を荒げて抵抗すると、流石にダキニも無理やりに押し通すことはせず、一旦私から体を離し、ちょっと離れて正座した。


 電気が消え、暗くなった部屋のベッドの上。正座で全裸のダキニと向かい合う。


「はー、はー、い、いきなり、本当に、な、何を、してるのよ」

 私は荒く息をつきながら、ばくばく鳴る心臓を抑えるように胸に手を当てる。

「い、いい? こ、こういうのはね? や、やっちゃ、いけないことなの。わ、分かる?」

 私は内心動揺しながら、どうにかたどたどしくも言葉を繋ぐ。


「そ、その……だ、ダキニの気持ちは、う、嬉しいけれどね? こ、これは、その……私達女同士でしょ? そ、それに私、未成年だし……」

「マスター、大丈夫です」


 興奮した私をなだめるかのような落ち着いた、優しい声。


「愛に性別も、歳の差も関係ありません」

「だから……ちょ、待てえええっ!」

 再び私に抱き付こうとするダキニを先手を取って止め、再び距離を取って座る。


「い、いいっ!? て、手を出さないでっ!!」

 私はびしっと両手を前に出し、これ以上近づかないでとアピールする。

「そ、そのっ! こ、心の準備とかっ! ぜ、全然出来てないからっ!! だ、だから待ってっ! お、お願いだからっ!!」

「はい、マスターのお心が決まるまで、ここで待ちます。すみません、私もはやる心を抑えられなかったのです」

 ダキニと言葉を交わしているのに、どこか内容がズレている。その場で大人しく私を見つめているダキニは、よしと言えばそのままさっきの続きをしてきそうな雰囲気だった。


「い、いや、今この場で決意するとかじゃなくて……」

「マスターが今晩私を寝所に入ることを許してくれたのではないですか。ですから、私は心を決めてここにいるのです。貴方が良しと言ってくだされば、この身も心もマスターに」

「いやいやいやっ! 誰も許してないでしょっ!! あんたが勝手に部屋に入ってきて」

「お忘れですか? 今晩私を寝所に入れてくれると約束したのはマスターですよ? 御父上の話を盗み聞くための対価として」


 しまった、完全に忘れていた。


 お父様から魔法少女試験の内容を盗み聞くために、ダキニと感覚を共有したのだ。そしてそのための条件として今晩私と寝ることを許可して……。


「あ、いや、それは……そうだったんだけれど」


 私は逃げ場を失った気分になる。


 そう、確かに私が許可したのだ。


「で、でもっ! そ、それはいやらしいことをしないって条件付きじゃないっ! 今晩私と寝ることは許したけれど、変なことしたら承知しないってちゃんとっ」

「マスター。私は……こんなに胸を焦がされたのは、生まれて初めてでした」

 ダキニは私の言葉を遮り、落ち着いた声でそう言った。


「マスターが私に向けてくれた言葉で、私は本当に救われました。貴方に心を見抜かれて、私は素直に自分と向き合う事が出来たのです。長年私を捕らえていた呪縛から、解放されたのです。一生をかけて、貴方に恩を返していきたいと思えました。貴方を、心の底から好きになりました」


 とくん、と私の胸が高鳴る。


「愛しています、マスター。何より、誰より……貴方が愛おしい」

「あっ……」

 暗闇に慣れてきた目が、ダキニの顔を映しだす。目を細め、本当にいい笑顔で、私を真っ直ぐに見つめている。


 その瞳に吸い込まれそうになる。ダキニの温かな気持ちが、私にも伝わってきたのだ。


 偽りなどではない。演技ではない。本当に、好き、という気持ちが。


「マスター……」

 ダメ押しとばかりに、甘くとろけるような声が私を誘惑する。胸が高鳴る。その気持ちに身を委ねてしまえば、きっと……。

「……っ! わ、私……その……」


 自分の胸に手を当てて、ありったけの勇気を振り絞って、叫んだ。


「ごっ、ごめんなさいっ!!」


 私は、思わずそう叫んで、土下座した。


「ま、マスター……」

「ごめんっ! ごめんなさいダキニっ! ごめんっ!」

 傷ついたようなダキニの声に、私は何度も謝る。


「こ、これだけは許してっ! こ、怖いのっ! 本当に、ま、まだ心の準備が出来ないのっ! お、女同士とか、歳とか、そ、そういうのもあるけれど、と、とにかくまだ無理っ!!」

 私は心の中を吐露するように、言葉を重ねる。


「だ、だから今夜は勘弁してっ! あ、あんたの気持ちには、ぜ、絶対ちゃんと返事して、応えるからっ! だ、だから……」


 自分でも思う。なんというヘタレなのだろう、と。ダキニにここまでさせて、私は何をやっているのだろうか、と。


 でも、経験のない私にはこれが精いっぱいだった。いや、きっとダキニの事だから、私をしっかりとフォローしてくれただろう。あまりこういうのも恥ずかしいが、気持ちよくもしてくれただろう。


 けれど問題はそこではなくて、心の方で。


 結局の所、心の準備が出来ていない、というのが全てだった。


 今日ダキニの口から、ダキニにとっての大切な人……『あの人』と自分が重ねられていたのを知った。

 そう聞かされて、私の心は沈んだ。

 今までは無意識だったが、私はダキニの特別でいたかったのだと、その時思い知ったのだ。


 私もダキニを、好きになっていたのだ。


 でもそれは、例えば装果を好きなような、家族としての愛なのか。

 それとも本当に、性別を超えた、恋人としての愛なのか。

 それが分からないままダキニを受け入れるのを、無意識に避けた。

 このまま身も心も委ねてしまっていいのかと、待ったをかけた。


 要は、臆病になったのだ。


「……マスター、お顔をあげてください」

 ダキニの声に、私は恐る恐る顔をあげる。

 目の前には、ちょっと困った顔で笑う、ダキニ。


「マスターにそこまでされては、私ももう手は出せません。悔しいですが、今晩は私の負けです」

「ご、ごめん……」

 ひどく傷ついているだろうに。それをほとんど顔に出さずに笑顔で話すダキニに、申し訳ない気持ちがしてくる。


「全く、純粋で清いのは何よりですが、ここまで頑なに拒まれると……流石にこたえますね」

 はあ、とため息をつくダキニ。やれやれと、本当は文句を言いたいのだろう。

「ですがまあいいでしょう。惚れた私の負けです。いずれマスターをその気にさせてみせますから」


 そう言って、すっと私に近づいて……。


「あっ……」


 私の唇を、再び奪っていった。


「では、おやすみなさい。マスター」

 それだけ言うと、ダキニは体を離し、ベッドに潜り込む。目を閉じて何事も無かったかのように、そのまま寝る気だ。


「あ、あの……ダキニ、さん?」

 私はばくばくと鳴る心臓を抑えながら声をかける。

「お、怒ってます?」

「怒ってなどいませんよ? 私の愛しのへたれマスター」


 ふふふ、と笑うダキニ。これまで見た中で、一番凄まじい笑顔だった。


「あ、あの……本当に申し訳ないって思うっていうか、その……」

 何と言ったらいいのか。こういう時、経験豊富な方がいたらアドバイス願いたいくらいだ。

「だ、ダキニさん? ちょっとあの……こんなんじゃ私、寝られないっていうか……」

「早く寝てください? 明日も魔法少女試験に向けて特訓するのでしょう?」


 私の心中を察してなおそんな風に言うダキニ。勿論こんな心臓ばくばくの火照り切った体で眠れる訳がない。


「そ、その……いや、ちょっと、それ無理、かなーって」

「寝ないならさっきの続きをしますよ?」

「寝ますっ!!」


 そうしてダキニに脅され、結局私はダキニの隣で寝ることになった。


 心臓はずっとばくばくと鳴り続けていたけれど、その反動なのか体は本当に睡眠を欲していたようで、意外なことに眠りにつくことが出来た。我ながら図太い神経していると思う。


 意識がなくなる前にダキニが何やら魔法を使っていたようだから、十中八九何かされたおかげで眠れたのだろうけれど。



――



「と、いうわけだから」


 一通り説明を終え、私は装果の反応を窺う。


 装果は顔を真っ赤にして、でも興味津々といった風にずっと私の話に聞き入っていた。勿論私の顔も真っ赤だ。


「そ、そうでしたか……そうでしたか」

 装果も何と答えていいのか分からないのだろう。こくこくと深く頷いて、私と目を合わせる。

「わ、分かりました。私、このことは誰にも言いませんから」

「うん、その、そうしてください。お願いします」

 私は私の専属メイドにして魔法の弟子にして義妹でもある装果に深々と頭を下げた。もうここまで来たらプライドも見栄もかなぐり捨ててしまおう。


「そ、その……ダキニさんも、凄いですね」

「うん……凄かったです」

 装果も私もこくこくと頷き合う。言葉では言い表せないが、気持ちは通じ合ったと思う。


「そ、それでお嬢様……お嬢様はダキニさんの事を、その、こ、恋人として……好き、なのですか?」

「それは、その……」

「誤解とやらは解けましたか?」

「ひゃいっ!?」

 突然後ろから声をかけられて、私と、そして装果までもがびくりと身を震わせる。後ろに立っていたのは、言うまでもなくダキニだ。勿論服を着ている。


「ダメですよ装果さん。その答えは、私が一番最初にマスターから聞かせてもらうのですから」

「は、はい。そ、その……頑張ってください!」

「装果、その応援はどうなの?」

 ダキニにエールを送る装果にツッコミを入れる。


「さ、装果さんにも認めてもらえた事ですし、早く戻らないとコーヒーが冷めてしまいますよ?」

「ぐ……」

 クールに振舞うダキニを何となく直視できない。昨日の今日だもの、どうやったって意識してしまう。何か悔しいので、ささやかな抵抗として無言で部屋に戻ろうと足を向けた。


「あ、えっと……今からお部屋に戻られるのですよね、お嬢様」

 そんな時、装果は突然そう言って、部屋に戻ろうとした私とダキニを呼び止めた。

「え? うんまあ、着替えも済んでないし、目は醒めたけれどコーヒーは飲みたいし」

「こんなタイミングでアレですが、お嬢様。お伝えしたいことがあります」


 装果は今までの浮ついた雰囲気を一旦引っ込め、仕事モードの口調で話し出す。


「旦那様から預かっているものがあります。これからお部屋に持っていくので、待っていて下さい」

「お父様から? うん、分かった。着替えて待ってるから」


 はて、何だろうか。



 そうして私とダキニは装果より一足先に部屋に戻って、コーヒーを飲みつつ待っていた。二人っきりになると、またちょっとだけダキニを意識してしまう。

「ふふ。初々しいですね、マスター」

「この……一人だけ余裕ぶって」


 ダキニに弄ばれつつも、私は心地よい空気に満足感を覚えていた。ダキニの見守るような温かい雰囲気。昨日の情熱的に迫るような感じではなく、気持ちを落ち着かせてくれるような、それでいて適度にとくとくと心臓の音を鳴らしてくれるこの感じ。


「大体ね、あんたが秘密主義すぎるのがいけないのよ。昔のこと全然話してくれないから、あんなにやきもきする想いさせられたんだし」

「それはご容赦ください。私にも、秘密にしておきたい過去のひとつふたつあるのです」

 分かっているわよ、そんな事。


「ですが、今はその昔の事も想い出として見ることが出来ます。忘れることは出来ませんが」

 一瞬寂しそうな顔をした後、再び私を見るダキニ。

「今、この瞳には貴方しか映りません」

「……五十点。口説き文句としては使い古されてるわ、それ」

「これは手厳しい」

 ふふふと笑うダキニに、顔を真っ赤にしてそれを直視できない私。ううむ、実力の差がありすぎる。年季の差というやつだろうか。


「そういえばあんた、数百年過去に縛られてたって言ってたけれど、今いくつなの?」

「はて、五百年から先は数えていません。千年は経っていないと思うのですが」

「……勝てない訳ね」

 私はため息をつく。どうやらとんでもないやつに惚れられてしまったらしい。


 ダキニの笑顔を眩しく感じる。ダキニといるだけで、心臓が高鳴る。ダキニが嬉しそうにすると、私も嬉しくなる。


 もうこの気持ちに、答えは出ているような気もした。


「……魔法少女試験が終わったら、さ」

 私はダキニの方を向き、彼女の目を見て、はっきりと言った。

「昨日の、ちゃんとした返事……聞いてくれない?」


 私の言葉に、ダキニは目を細め、はい、とただ一言答えた。


 私は残っていたコーヒーを飲み干す。バクバクと跳ねる心臓に身を焦がされながら、ふー、と長く息を吐く。


 うん、よし。普段の調子を取り戻そう。

 少なくとも魔法少女試験が終わるまでは猶予を得たのだ。

 だから、じっくり、少し時間をかけて、この気持ちと向き合おう。


 そして今度は逃げずに、ちゃんと……。


 と、そんな所で部屋がノックされる。装果が来たのだ。


「お嬢様、お待たせしました」

 装果は、少し紺色がかった細長い箱を抱えていた。私は気持ちを切り替えて装果に応える。

「それがお父様からの預かりもの?」

「はい。お嬢様にお渡しするように言われています」

 私は装果からその箱を受け取る。そんなに重量はなく、賞状入れよりちょっと重いくらいだろうか。


「中身は何?」

「ふふ、開けてみてください」

 装果の楽しそうな反応。はて、一体何なのか。


 私が箱を慎重に開けると……。


「……嘘、これ」

 部屋に差し込む陽の光を受けて、鈍色に光る、重厚な金属質の表面。一点の曇りもない光沢。丁寧な掘りの文様。指揮者のタクトよりちょっと大きいくらいの銀色の棒。


 それは紛れもなく……。


「あ、新しい杖っ!」

 嬉しくて思わず飛び上がりそうになる。以前お父様におねだりしようとして失敗した、魔法使い用の杖だった。


「嘘っ、これ、ドイツの一番いいところのやつじゃないっ! うわっすごっ! 軽いっ!」

 早速箱から取り出して持ってみるが、これまで使っていた杖と同じ大きさで、さらに軽い。手にしっくりと馴染むこの感覚も流石だ。


「旦那様から、頑張っているお嬢様にプレゼントだそうです」

「わっ、わっ! 後でお父様にお礼を言わなきゃっ!」

 私は興奮しっぱなしで杖を振る。試しに軽く魔力を込めてみると、今までのより通りが良く、すっと伸びるように杖の先端にいきわたるのが分かった。


「杖、ですか。ずっと思っていましたが、杖があると魔法が使いやすくなるのですか?」

「ああ、ダキニは杖を持ってなかったわね。いいわ、軽く講義してあげる」


 魔法の杖。


 こう聞いて、一般的には何をイメージするだろうか?

 老齢な魔法使いが持っている背の丈ほどもある木の杖か。あるいは私の持っているような、タクト状の金属棒や木製棒だろうか。


 実は魔法使いの杖というのは無数に種類が存在する。扱いとしては魔法補助器具という名前で分類されるためだ。

 だから今私が持っているのも魔法使いの杖ならば、占いで使うような水晶玉や、呪術的なイメージのお札だって広義では魔法の杖、という事になる。


 そう、魔法使いにはこれ、といった決まった形の杖は存在しないのだ。


「私はタクト状の金属杖を使うけれど、人によって合う合わないの差が大きいわ。昔重くて大きい杖を扱ったことがあるけれど、全然うまくいかなかったし」

 ちなみに、杖は魔法使いの必須アイテムだと思っている人もいるかもしれないが、そんなことは無い。知っての通りダキニや薫さん、それに装果やお父様だって魔法に杖を使わない魔法使いなのだ。


 魔法補助器具、という名前が付けられている事からも分かる通り、杖はあくまで魔法を使いやすくするための器具なのだ。


「これが種類によって結構クセがあって、例えばこの金属棒タイプは精密で鋭い魔法を使いやすくするし、木製のやつはもっとおおらかで、広い範囲にかける魔法を使いやすくしたりするわ。杖が大きくなればなるほど広範囲向きだけれど、そうなると今度は逆に繊細な魔法が使いにくくなったりしてね」


 だから杖をもつ魔法使いというのは、私のように何かしらに特化した魔法使い、と見ることもできる。逆に言えば杖の種類を限定してしまっているので、不得意な魔法も出てきてしまう事になる。


 これを避ける意味で杖を使わない派の魔法使いも結構多い。杖が高価な事もあり、魔法使いでも杖の扱いを知らない人もいるくらいだ。


「はあ、成程。それで、これまでマスターが使っていた杖と比べて、その杖は『より良い杖』という事になるのですか?」

「勿論よ。というか段違いね。私が今まで使ってたのは中級者用の杖だけれど、これは……なんて言えばいいのかしらね? 上級者用、というより、『最高級品』って感じ?」

 杖にも良し悪しがあり、中級者用といえばとりあえず『普通に魔法を使う分には問題が無い』という感じなのだが、最高級品のこいつは恐らく『扱えない魔法は無い』というレベルの仕上がりになっているはずだ。


 製法や使う素材に大きな違いがあるらしく、中級者用も決して手抜きで作られている訳ではないが、言ってみれば量産品なのだ。それに比べて、最高級品は当たり前のようにオーダーメイド。


「ほら、杖に私の名前まで彫ってある。製造番号も記されてるし」

 例えるなら時計のようなものだ。中級者用はデパートで買える一番値段が高くてしっかりしたやつ。こいつは一流専門店の特注品。素人には分からなくても、使い勝手などの細かな点で相当な差が出てくる。


 ちなみに今の例えで分かるように、値段もびっくりするほど違う。


「これ、いくらするのかしら? 私も生まれてこの方お嬢様やってきたけれど、カタログ以外で本物なんて見たことないし。実物がこんなに綺麗で洗練されてるなんてね」

 私は杖を掲げて下から仰ぎ見る。洗練された、何処から見ても隙の無い輝きと上品な掘り込みは、もはや芸術品だ。


「本当に綺麗ですね。旦那様も取り寄せるのに時間がかかったと言っていましたよ」

「でしょうね。本場ドイツの一級品だもの」

 魔法といえばイギリスと連想する人もいるだろうが、金属杖といえば一番はドイツだ。木製杖だとやっぱりイギリス製に軍配が上がるんだけれど。


「何はともあれ、魔法少女試験前に最高の杖を手に入れられたわ」

 杖を使う魔法使いにとって、杖は全ての魔法に影響する。試験前にこれ程心強い強化は無い。


「ああ、お父様に本当に感謝しないと。というかお父様は?」

「しばらく出張で戻られないそうです。ですから本番前にお嬢様に渡す様にと」

 お忙しい身分だから、こればかりは仕方がない。というか今いないなら、さっき必死に装果を止める必要も無かったのかもしれないわね。


 昨日お父様の話を盗み聞きして、お父様は、本当は魔法少女試験を受けることに……私が魔法少女になることに反対だと知ってしまった。ショックだったけれど、お父様はその言葉とは裏腹に私に杖を買ってくれて、応援してくれている。本当は反対だという事を私に告げずに。


 そうだ。私が応えなきゃいけない思いは一つじゃない。応援してくれる装果、特訓に付き合ってくれた薫さん。そして、いつも私に付き従ってくれるダキニ。


 皆の思いを背負って、私は魔法少女になるんだ。


 だから出張で戻られないお父様には、合格という形で応えよう。そして今は無理でも、いつかは私の選んだ道を、胸を張ってお父様に自慢できるようになりたい。


「……ちゃんと合格して、認められる魔法少女にならなきゃね」

「お嬢様?」

「ん、何でもない。あ、そうだ」

 一旦私は杖を箱の中に収め、机の上に置きに行く。そして代わりに、いつもの私の愛用の杖をとり、それを装果の前に差し出した。


「え、お嬢様?」

「ちょっと早いかもしれないけれど。装果、あなたに私の杖を引き継いで欲しいわ」

 私の言葉に、装果は目を丸くしてしばらく固まり、そして驚きの声をあげる。


「えっ、ええっ!? そ、そんなっ! お嬢様の杖を頂くなんて!」

「何言ってるの。師匠として弟子に杖を譲るのは当然でしょ? というかそんな難しく考えなくても、義妹にお古を譲るだけよ。あ、でもやっぱり新品をお父様に買ってもらったほうがいい?」

「いっ、いえ! そんな……」

 装果はあたふたと慌てながら困り始めてしまった。まあ、装果の立場からすれば、御主人様である私からモノを貰うというのに負い目があるのだろう。今まで私が愛用してきた杖だって、決して安いものではないのだ。勿論そんな事気にしなくてもいいのだけれど。


「装果さん、ここは受け取るべきですよ」

「ダキニさん……」

 私がどうしたものかと思っていると、ダキニからそんな言葉が聞こえてきた。


「魔法の杖に関してはいまいち理解出来ていませんが、師から弟子へ、持ち物を引き継ぐというのは一種の儀式です。弟子へ己の大切な物を贈り、その心や思いを託すのです。だから受け取るべきです。それは、実力を認められたという証でもあるのですから」

 ダキニは何やら厳かな雰囲気を醸し出している。ダキニの言うように、師から弟子へ杖を継承する儀式の立会人のようだ。ここら辺は流石に神様である。


「こほん。そういうわけよ。装果、あなたにはこれを受け取る資格があるわ。勿論実力も。お古を渡すみたいで悪いけれど、私の杖も使われずに錆びつくより、装果に使ってもらったほうがずっといいわ」

「お嬢様……」

「だから、この杖……あなたに託すわ」


 厳かな雰囲気に則って、ちょっと格好つけてみる。


 この間の防鳥ネット張りの時にちゃんと装果の実力は認めている。だから師匠から弟子へ、形だけでも、きちんとした杖の継承の儀式として渡す。


「は、はいっ! ありがとうございますっ!」

 そうして今度こそ私から杖を受け取った装果を見て、私はほっと胸をなで下ろした。


 今にして思えば、私とダキニ、そして装果はこの日新しいスタートを切ったのだ。それぞれが異なる想いを抱いて、これまでとは少し違う、何かを決意した日だった。


 そしていよいよ、魔法少女試験の本番が迫る。

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