第19話 貴方の為に、私はここに(後編)


 目的地に着いたのは丁度お昼を回ったあたりだった。


 出発前、ダキニの服装をどうするかで少し迷ったが、代わりの服も無いので仕方なくいつもの格好で外に出た。よくよく考えればこいつの服も買ってあげないといけない。魔法少女試験の時はいいとしても、普段外出する時にこれではあまりに目立ちすぎる。


「今更だけれど、あんたもっと私に要求してもいいのよ」

「え? だいたいいつも突っぱねられるじゃないですか」

「変な事以外でよ」

 私は釘を刺しつつも、私の事以外ではほとんど無欲に近いこの使い魔に随分助けられたなと思う。傍にいてうっとうしいなと思ったことも一度や二度ではないが、それでもこいつがいてくれて良かった。


「たまには、私にマスターらしいことさせなさいよね」

「マスター、つかぬ事をお聞きしますが」

 山の入り口付近で、真面目な顔をしてダキニは立ち止まる。


「何か、悪いものでも食べましたか?」

「……人が下手に出ていれば」

 ダキニの返しに、私はイラッときてそっぽを向く。人が折角気を使ってやったらこれだ。


「ふふ、冗談ですよ。マスターのお心遣いはありがたいです。ですが私は、マスターの傍にいるだけで満足なのです」

「はあ、全く。謙虚なのもいきすぎると不気味に聞こえるわよ?」

「そういうのでしたら、もっと私にマスターの温もりを直に感じさせてくれると」

「あーはいはい聞こえない聞こえない」

 私はコントみたいに耳を塞いで大げさにかぶりを振った。ダキニには慣れたが、やはり同性であってもいき過ぎたスキンシップには慣れない。いや、逆に同性だからこそここまで抵抗を覚えるのかもしれない。


「……あんたが男なら良かったのよ」

「え?」

「何でもない。さっさと行くわよ」


 私はちょっと赤くなった顔を見られないように、そう言って小走りに先へ進んでいった。



「ここがお母様のお墓。というか、わが家の御先祖様は代々ここに祀られているみたいね」

 町から少し離れた郊外。山の裾野のひっそりとした所にそれはあった。小さな祠といくつかの立派な墓石。普段手入れをされているわけではないが、薄汚れていたり、落ち葉で隠れていたりという事も無い。


 その様子は、私の小さいころから変わらない。


「で、この山を試験で使うなら、この奥が試験場になるわけね」

 木々がうっそうと茂る山。といっても広さは大したものではない。山道も整備されているし、とりあえず危険は無いだろう。


 確かこの中で試験官を探す課題が出ると言っていたから、隠れられる場所に目星をつけておけば、試験当日はかなり有利に事を進められるはずだ。


 ううむ、順調すぎて怖いくらいだわ。


「おーし! いくわよダキニ!」

「あ、マスター、すみません。少々お待ちを」

 ダキニは流行る私の気持ちを他所に、その場でしゃがみこんでいた。


「マスターのお母様や御先祖様に挨拶をさせて頂きたいのですが」

 そう言ってダキニは御先祖様のお墓の前で手を合わせている。

「うん、いいけど……神様が祈るポーズを取るのって、なんか変な感じね」

 あれ、手の平を合わせるのって仏教? 神道? まあどっちでもいいか。


 ダキニは私の了解を得ると、お墓と向き合って目を閉じた。


 私もついでと思ってお母様に手を合わせる。というか娘がまず先に手を合わせるべきだったわね、こういうのは。


 私は、物心つく前に母親を失った。


 こんな事を言うと薄情に聞こえるかもしれないが、私にとってお母様は話の中だけの人だ。思い出があるわけじゃないから、お母様の話をされてもほとんどピンとこない。この間宗谷さんに話を聞いた時にちょっと親しみを覚えた程度だ。


 だから別段悲しいとは思わない。お母様がいない世界、私にとってはそれが普通だから。


 けれど寂しいと思う事はあったかもしれない。他の子供たちには当たり前にいて、私にはいない、と、そう思うだけで何か物足りなさを感じたのを覚えている。


 でも、それも昔の話だ。


 私は今沢山の人達に囲まれて暮らしている。義妹の装果、お父様、宗谷さんに薫さん、ジイヤや大勢のメイド達。寂しさを感じる暇もない。

 そして最近は私の使い魔として、時々腹黒く、時々イジワルで、時々変態な私の使い魔、ダキニがいつも傍にいる。


 これで寂しいなんて思うほうが罰当たりだろう。


 私はダキニを見た。


 彼女は私がちょっと考え込んでいる間もずっと手を合わせていたようだ。今も同じような姿勢でじっと何かを祈っている。

 何を思っているのだろう。


「お待たせしました。マスター」

「うん。じゃ、いこ……か?」

 立ち上がってこちらを振り向いたダキニを見て、私は驚く。


「どうしました? マスター」

「あんた、泣いてるの?」

「え?」


 私に言われて初めて気づいたようだ。ダキニは自分の頬を流れる涙を認めて、慌てるように拭った。


「す、すいません、何でしょうか。勝手に流れてきてしまって」

 照れるように、それ以上に焦るようにあたふたとするダキニ。その姿は普段の自信に満ちて、落ち着いてクールな彼女と対極のような感じだった。


 私は、ダキニの弱い部分を見てしまったような気がした。


「ダキニ……」

「お、お騒がせしました。目が乾燥していたのでしょうか」

 ダキニは笑ってそう言ったが、何処か無理をしているように見えた。


 ダキニが何を思って涙を流したのかは分からない。分からないが、何となくそのままにはしておきたくなかった。


「手」

「え?」

 きょとんとするダキニを他所に、彼女に向かって手を差し出した。


「手、繋いでいって。山道は危ないでしょ? 転ばないように手を繋いで」

「ま、マスター、それはあまりにも幼稚では?」

「文句言わない。さ、ほら」

 私が少々強引にダキニの手を取ると、ダキニは困惑しながらも、特に目立った抵抗はしなかった。


「ほら、あんたの仕事でしょ? 私を危険からしっかり守ってね」

「はあ……これでは幼子のお守をしているようです」

 ダキニは皮肉を言ったつもりだろうが、私がへこたれないのを見て、ちょっとだけ恥ずかしそうに目線を逸らした。


 私はそれを見ないふりをして、ダキニと共に山に入っていった。



――



 山の中を一通り歩き回って、木で見えにくい場所や起伏の陰になるところを確認していく。多少土地勘もあったからか思ったより早く済んだ。


「これで試験当日は今チェックした場所を優先的に確認すればいいわけね。楽勝よ」

「ですがマスター、あの者の話では飛行魔法を使える者が有利と言っていました。木の上に隠れられる事も十分あり得るのでは?」

「うっ、成程、そういう手もあるのね」

 かくれんぼではギリギリ反則になるかならないかというラインの建物の屋根や木の上。勿論魔法少女試験はかくれんぼではないのだから、当然そういったところもチェックしなければならない。


「でも、それって飛行魔法を使えることが前提だから、どっちみち私は」

「……ふむ、マスターには後々特訓してもらうとして」

「え? わっ!?」

 ダキニが私に近づいたかと思ったら、私の体はふわりと持ち上げられていた。膝の裏と背中の二か所で私を支えるような、所謂お姫様抱っこの格好で。


「ちょ、ちょっと何よ!?」

「試験は私も手を貸していいのですよね? でしたら、こういうのは如何でしょう」


 そのままダキニは地面を軽く蹴り、宙に浮きあがった。


「わっ、わっ!」

 私は体を持っていかれそうになる浮遊感に恐怖を覚えてダキニにしがみつく。そんな事をしなくても、ダキニは私を離しはしないだろうけど。


「す、すごい……」

 私は目の前の光景に、思わずため息を漏らす。


 地上から大体二十メートル以上離れただろうか。そこからは山の全景が見渡せた。空がまっすぐ、正面に見える高さだ。


 左も右も上も下も、触れられる物が何もなくて、たったそれだけで、どこまでも広々としたこの世界を実感する。いつもの、私の知っている世界じゃないみたい。


「空から見る景色って、こんななんだ」

 飛行魔法を習得していない私からすれば、本当はまだ見ることが出来ない世界。いや、ほとんどの人が至ることの出来ない別世界。


 科学は魔法無しでこの世界を見ることを可能にしたけれど、道具を使わず、生身で宙に浮かぶというのはやはり一味違う気がする。そういう意味では、これは魔法使いにだけ許された『特別』。


「改めて思うわ。魔法って凄い。魔法が使えない人が、どうして魔法に憧れるか分かるわ」

「マスター……」

「何、ダキニ?」

 私はお姫様抱っこされる姿勢のまま、微笑むダキニの顔をまじかに見る。近くで見るこいつはやっぱり美人で、切れ長の目がすっと細められるだけで、また少し心拍数が上がって……。


「申し上げにくいんですが」

「ん?」

「これ、思ったよりも魔力を消費するようです。もうしばらく飛んでいると、マスターもまた気持ち悪くなるかもしれません」


 一瞬、何を言われたか分からず、一呼吸おいてから意味を理解する。


「……えっ、ちょっと何それ!? 飛ぶだけでそんな魔力使うの!?」

「私一人で飛ぶには大した魔力は使いませんが、どうやらマスターを抱えて飛ぶとなると結構な消費になるようです。そろそろ気分が悪くなってきたりしてませんか?」

「そ、そういえば体から力が抜けてきたような……って、私で試さないでよ! 空中でゲロゲロなんてしたくないわよ! 降りて降りて!」

 そう言ってダキニと地上に降りる。折角ちょっといい雰囲気だったのに、台無しだ。


「うぷっ、ホントだ。結構気持ち悪くなってきたかも」

「少し休みましょうか」


 ダキニに連れられ、ちょっと大きめの木の根元に腰を下ろした。夏の日差しを抑えるのに十分な広さの木陰が出来ていて、風が吹くと、それだけで結構気持ちが良かった。


「あー涼しい。さっきまでほとんど風吹いてなかったのに……って、この風あんたの魔法?」

「ええ。マスターのように細かな操作は出来ませんが、一方向に吹かせるだけなら私にも出来ます。魔力はほとんど使わないので、お気になさらず」

「人の事気持ち悪くしておいてよく言うわ」

 そんな風に悪態をつくものの、試験でさっきの二人一緒に飛び上がるやつを試していたら間違いなくアウトだった。こうなると今確認出来ただけでももうけものだ。


「マスターの魔力は、午前中の特訓でかなり減っていましたから。満タンの状態からだと二人で飛んでいられる限界は五分ほどでしょうか」

「そのくらいかもね。というか、空から確認するだけならあんた一人に飛んで見てきてもらえばいいし」

「それか、マスターが飛べるようになれば、ですね」

「……出来るかなあ」

 私はため息をつく。先ほどは魔法の力に感動したりもしたが、やはりこの飛行魔法、難易度が高いことには変わりないのだ。


「大丈夫ですよ。意外と何とかなりますから」

「あんたは……楽勝でしょうけれど……」

「マスター?」


 私は重くなってきた瞼をしぱしぱさせながら、ダキニをちらりと見る。最近の疲れが出たのか、一気に魔力を消費したせいか、唐突な眠気に襲われたのだ。


「ごめん、ちょっと……」

「はい、分かりました。どうぞごゆっくり」

 ダキニが優しく微笑むのを見て、どこか安心感を覚えて私は眠りに落ちていった。



 夢の中で、会ったことも無いお母様と話をしたような気がした。

 不思議な感覚。知らない筈のその温もりが、確かに私を包んでいた。


 温かく、柔らかく、落ち着く匂い。


 そうして目を覚ますと、そこには確かにお母様がいて……。


「おはようございます、マスター」

 ダキニが、優しい笑みを浮かべて私を見ていた。


「ダキ……ニ……」

 目を開けた正面に彼女の顔が映る。私の顔を覗き込むようにして、目を細めていた。陽が落ちたのか、オレンジ色の光が彼女の顔の稜線を彩っている。


「あれ? 私、どうして……」

 頭の裏に柔らかい感触。木の根のような硬い感じじゃなくて、これは……。


「地べたでは硬いだろうと思いまして」

 ダキニのひざまくらだ。


「ご、ごめん。なんか気を使わせちゃったわね」

「いいえ。むしろ可愛らしい寝顔を眺めていられたので、私は満足ですよ」

 ふふふと怪しげに笑うダキニ。いつもならいやらしい目で私を見ないで、なんて言えたかもしれないけれど、この時は違った。


「マスター? どうかしましたか?」


 何だろう。気持ちが、ふわふわと揺れ動いていくこの感じ。


 今日は、思えば色々なことがあった。魔力ドリンクの成果を確認したり、お父様が娘自慢をするのを聞いたり、ダキニが何故か泣くのを見たり、そのダキニに抱えられて、空に浮かんだり、優しくひざまくらをしてもらったり。


 だから、この不思議な、温かいような切ないような、ダキニを見ていると心がざわめくような感じも、私がちょっと変になってしまっただけなのだ。疲れている、というやつなのだ。


 思えばこいつは、当たり前のように私の傍にいる。当たり前のように、私に尽くす。


 当たり前のように、その優しさで私を包みこんでくれる。


 私の使い魔だから。私が呼び出したから。そんな理由ではないことぐらい、私には分かる。


 では、一体何故……。


 その理由が、今無性に知りたくて、たまらない。


「ねえ、ダキニ」

 私はそんな事を考えながら、ダキニに言った。

「はぐらかさないで、答えてくれない?」

 私がそう言うと、ダキニは一瞬だけ真剣な表情を浮かべ、そして少し困ったように笑う。


「……どうしても、答えなければいけませんか?」

 ダキニは私に何を聞かれるのか察していたようだった。それは困る、と言わんばかりに先手を取って聞き返してきたのだ。


 違う。


 私はあんたにそんな顔をさせたかったわけじゃない。


「ううん。答えたくなかったら、答えなくてもいいわ」

 私の言葉に、ダキニは目を閉じ、何かを考えるように間を取った後、こう言った。

「一つ、だけなら」

「え?」

「一つだけなら、マスターの質問に、きちんと答えられると思います」

 ダキニは、申し訳なさそうにそう言った。


 私はそんなダキニを見て、聞くべきことを改めて頭の中で整理した。一つだけと制限を付けられたので、あやふやな質問ではなく、しっかりと聞かなければならなくなった。


「どうして……どうしてダキニ、あんたは」


 その先の言葉を口にするのに、ちょっとだけ勇気を出して、そして聞いた。


「最初から私の事を、好きでいてくれたの?」


 そう口にした途端、私の胸が、とくんとくんと音を立てて鳴りだした。


 その音は決して大きくなかったはずだが、恐らく耳のいいダキニには、聞こえただろう。


「……最初から、というのは少し違います」

「え?」

「初めてお会いした時に感じたのは、驚きです」

 ダキニは、ゆっくりとした口調で、話し始めた。


「初めてお会いした時には、ああ、似ている。本当にそっくりだと思いました。あの人の生まれ変わりだ。あの人に、また会えたのだと私は思いました」


 風が吹いた。


 恐らく、ダキニが魔法で起こした風ではないのだろう。夏の暑さを孕んだ、気持ちいいと表現していいのか迷う、そんな風だった。


「私は驚き、そして同時に決意しそうになりました。今度こそ、私はあの人を守り抜こうと。何があっても、あの人の傍にいようと。そして今度こそ、この愛を、あの人に告げようと」

 ダキニはそこまで言って、けれど、とかぶりを振った。


「そうはなりませんでした。貴方は……あの人ではなかった」

 ダキニが一瞬、ちょっとだけ悲しそうな表情を見せた。私はその表情にちくりと胸を針で突かれたようだった。


「貴方は私を前にして、怯えながらも装果さんを庇い、私に毅然として立ち向かおうとした。弱々しく、まるでなっていない構えで」

「……悪かったわね。カッコ悪くて」

「いいえ。最高に、格好良かったですよ」

 ダキニはそう言って笑った。


「貴方は、あの人ではなかった。あの人と同じような顔をして、けれども全く違う人で。それに気づかせてくれたことを、私は心の底から感謝しています」

 ダキニにそう言われて、私はダキニの顔を見つめた。

 その顔はどこか寂しそうで、どこか悲しそうで。


 複雑な感じだ。


 何となくだが、ダキニが私と他の誰かを重ねているんじゃないかとは思っていた。

 私は何度かダキニの予想を裏切ったことがあった。その度こいつは驚き、そして態度を少しずつ変えていった。


 まるで、こうじゃなかったとがっかりさせたようだった。


 初めはそんな事気にならなかったし、勝手な期待を抱いたこいつが悪いのだと思っていた。けれど今は、ちょっとだけ猫を被っていれば良かった、なんてことも思うのだ。もう少しいい子でいれば。ダキニの言う『あの人』のように見えていれば。


 そしてそんな事を思う私自身に、酷い嫌悪感を覚える。


「マスター……私は、マスターがマスターでいてくれて良かったと思いますよ」

「え?」

 私の心の中でも読んだのか、ダキニは私が一番欲しい台詞をくれた。


「私は、昔酷く後悔したことがあったんです。それで過去に何十年、何百年と囚われていました。やがて時が過去の出来事を想い出に変えても、その後悔だけは残り続けたんです。ですからマスターに呼び出されて、もしあの人の生まれ変わりとして貴方を見てしまっていたら、私はきっと間違いを犯したでしょう」

「間違い、って?」

「貴方をあの人の生まれ変わりとして、自分の後悔を消す為だけに、貴方を利用しようとしたと思います」


 ダキニは目を閉じ、少し怒ったような表情を浮かべる。


「私は結局、数百年経っても心は弱いままでした。貴方に何か危険が降りかかりそうになる度に、私は貴方を腫れ物のように扱おうとしました。もし本当に貴方が『あの人』だったなら、例えばあの台風の日に、私は貴方の手足をへし折ってでも止めていたでしょう」

「ず、随分物騒な止め方ね、それ」

「ええ。半分くらい、本気でした。私にとって大事なのは、貴方が生きている事で、貴方の気持ちなど微塵も考えることはなかったでしょう。本当に、馬鹿な女です」


 ダキニはそう、珍しく自虐的な台詞を口にする。


「幻滅したでしょう? こんな自分勝手で、貴方を過去の人間と勝手に重ねていた女など」

 ダキニは私の事を正面から見ていられなくなったのか、目線を逸らし、遠く夕日を眺めるように目を細めた。


 少しだけ、頭の裏から……ダキニの膝から震えが伝わってきた。


「……ううん、幻滅なんて、してないよ」


 だから私は、正直に答えた。


「あんたは実際には、私の手足を折らなかったもの。それって、あんたが私を私として見てくれてたってことでしょ?」


 その言葉でダキニが再び私の方を見た。またあの驚いた顔をしてる。


「私、あんたのそういう所嫌いじゃないよ。腹黒くてもさ、本当は寂しがり屋だったり、優しい気づかいが出来るところとかさ、ちゃんと知ってるもの。あんたの言う『あの人』がどんな人なのかは知らないけれどさ、あんたがその人の事、本気で好きだったっていうのは伝わったもの」

「ふっ、あ、ははっ……」


 私の言葉を聞いてダキニは、笑おうとして……笑えていなかった。


 感極まったように一度目をぎゅっと閉じ、震えながら、ゆっくり目を見開いて……。


「そ、んな貴方だから、わたし、は……貴方に、惚れてしまったので、しょうね」

 ダキニは途切れ途切れに、笑顔をはりつけたまま泣くなんて器用な真似をしながらそう言った。


「さっきの……質問ですが、いつから貴方の事が好きに、なったかは、私にも分かりません」

 ダキニはそう言って上を向き、私に顔を見せないようにして続ける。

「いつの間にか、貴方があの人と違うと、分かるたびに幻滅する気持ちが、いつしか、貴方を、尊敬する気持ちに、変わって……」

 ぽたぽたと、ダキニの涙が私の頬を濡らしていく。


「たまに馬鹿なことを、いいだしたり、喧嘩を、したりも、しましたが……呆れる気持ちも、腹が、立つ、気持ちも、ありましたが……貴方の皆を慕う優しさや、夢を追う、姿を、見て……そういう部分も、全部、好きに、なっていって……」


 喉を鳴らす動きが、妙にリアルに映る。


「初めは、貴方を、あの人に重ねてて、でも、違うって、分かって……それでも諦めきれなくて、従順に仕えるふりを、していた、だけだった、のに……」

 そうして言葉を切って、一度だけ大きく深呼吸して、告げた。


「いつの間にか、本気で……貴方に、惚れてしまいました」


 私の胸は、直に触れなくとも分かるくらいの熱を持っていた。


 心臓の鼓動が、どくどく、と力強く、心地よくリズムを刻んでいる。


「これが、答えで……宜しいでしょうか?」

「うん……ありがとう」

 私ももらい泣きしそうになりながら、何とか堪えてそう答えた。


「本当に、ありがとう。ダキニ」

「お礼を言うのは……こちらです、マスター」

 相変わらず上を向きながら、時折ひぐっ、えぐっ、と可愛く泣く声をあげるダキニ。そんな彼女が愛おしくて、ちょっとからかいたくなる。


「全く、泣き虫ね。こんなにぽろぽろ泣いちゃって」

「泣いて、ませんっ……泣いてなんか、いません、からっ」

「変な所で意地張るのね。さっきから、ぽたぽた私の頬に何か垂れてきているんだけれど?」


 私がそう言うと、ダキニはふふ、と笑っていた。


「……雨です。後生ですから、そういう事に、しておいて、下さい」

 成程、雨、ね。

「そっか。あんたが正面向いてくれたら、私もあんたに言いたいことがあったんだけれどな。その様子じゃ無理そうね」


 そうやってダキニを煽ると、ダキニは悔しそうに反論する。


「ひきょう、ですよ……マスター」

「卑怯じゃないわよ。だって今降っているのは雨だもの。夕焼け空の中で降ってくる雨。だから、あんたも私の顔を見て、きちんと私の気持ちも、受け止めてくれるわよね?」


 そうして私の愛しい使い魔は、雨でぐしょぐしょになった顔を見せてくれたので……。


 私もその雨に濡れながら、あなたが好き、と、正面を向いて伝えることが出来たのだった。

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