第18話 貴方の為に、私はここに(前編)

 炎天下の空の下、私はスポーツドリンクの入ったボトルを片手に佇んでいる。


 足を開き、腰に手を当て、ちょうどお風呂屋さんで牛乳一気飲みをする時のポーズで、ボトルに口をつけて中身をぐびぐびと喉の奥に流し込んでいく。


「はああああああああああああああああああああああああ!!」

 目の前ではダキニが凄まじい速度で空に連続で拳を突き出し、それだけで突風を生み出している。薫さんとの戦いで見せた、魔力を膨大に消費するあの技だ。


 もはや常人の目にはダキニが何をやっているのかさえ定かではないだろう。時々パンチだけでなくキックも入れているのだが、私の目からは無茶苦茶に動いているようにしか見えない。


 うーん、本当にバトル漫画でもやっていけるんじゃないかしらダキニ。


「はあああああああああああああっ!! らぁっ!!」

 最後に気合の籠った烈迫の雄たけびで締めると、ダキニはその場で足を地面に滑らせるように回転。勢いを殺しきるまでずさささー、っと地面をスライドしていく。


 やがてその勢いも止まると、体から湯気のようなものを出しながら、ダキニは深く息を吐いた。


「ふうー……こんなものでしょうか?」

 おおー、とその場にいた装果と薫さんから拍手が起こる。暑苦しく湯気を立てながらもダキニの顔は涼しげである。もうこの辺りは流石としか言いようがない。


「どうですか? マスター」

「……うん、大丈夫。魔力はまだ全然残ってる!」

 私は自分の体に特に異常がない事を確認してほっと胸をなで下ろした。内心ひやひやしていたが、どうやらしっかりと機能しているようだ。


「実験成功ね。やっぱり凄いわ、この魔力ドリンク!」

 私はさっきまでぐびぐびと飲んでいたボトルを見て感嘆の声をあげる。

「予想通り、消費した魔力をしっかりと回復しているわ!」


 そう、このドリンクはあの魔力梨から作られている。ダキニの催眠魔法で飲んだ人間を誰彼かまわず酔わせる危険な代物だが、魔力の提供元になっている私にはその力は及ばない。


 その特性を利用して魔力の補充に使えないか試してみた所、これがドンピシャ。


「飲めば飲むほど魔力が溢れてくる。ダキニに使われた分をしっかり取り戻してるわ。気分も全然悪くないし、言う事無しよ!」

「やったな、お嬢」

「おめでとうございます! お嬢様!」

 二人の賞賛の声が耳に心地いい。実際、私は二人の賞賛に見合う以上の功績をあげたことになるのだ。


 魔力を回復する術で、現在確立されている方法は体を休める程度のモノしかない。これは魔法の歴史が始まって以来ずっと変わらないことだ。

 魔法使いの絶対数が少なく個性に依存するところが多いのもあるが、魔力は他人への受け渡しが出来ない、という事が大前提としてある。魔力を人工的に回復する術は無いと思われて当然だろう。


 結果魔力を回復するには『睡眠が一番』という結論に早々と達してしまったのだ。今まではそれが最適解であり、それ以上の方法は存在しなかったわけだが。


 まさに今、その歴史が塗り替えられたのだ。


「これ、発表するだけで魔法少女試験に合格出来たりはしないかしら?」

 私がそう言うのも分かるだろう。これは魔法世界の常識を一つ塗り替えてしまうほどの偉業なのだ。

「無理だな」

 そして余韻に浸るまでもなくそうばっさりと切り捨てる薫さん。


「魔法研究の分野からすりゃ大発見だろうが、現場が全ての魔法少女じゃ役に立たねえからな」

「うう、薫さん、少しくらい夢に浸らせてくれたっていいじゃない」

「はっは、悪い悪い」

 薫さんはそう言って笑うが、薫さんのいう事が正しい。ダキニを呼び出した時も『神格を持った使い魔を呼び出したのだから特例で合格出来ないだろうか』と調べてみたのだが、魔法少女試験はそういう例外を一切認めていないのだそうだ。


 考えてみれば当たり前だ。どんなに凄い医療器具を開発できたとしても医者になれるわけではない。研究職は研究職、現場は現場と求められる物が違うのだから。


「とはいえ、研究職としてなら引く手あまただろうな。大学でも企業の研究チームでも、好きな所を逆指名出来るぜ。向こうは喉から手が出る程お嬢の研究成果が欲しいだろうからな」

「それは、その、嬉しいんだけれども」

 自分の成功を認められるのはいいのだが、私が目指しているものとはやっぱり違うのだ。ついでに言えば、魔力梨の成功は九割方ダキニのおかげなのだし。


「私は、魔法少女になりたいのよね」

「お嬢もブレねえなあ。俺なら待遇のいい方を選ぶぜ?」

「よく言うわよ。お偉いさんのボディーガードとか魔法戦術指南とか儲かりそうな仕事を蹴ってうちでコックやっているのに」


 私がそうつっこむと、薫さんは笑ってこう答えた。


「何言ってんだよ。可愛い子だらけのメイド屋敷で働けるなんて、男冥利に尽きるだろ。おまけに宗谷も旦那も中々のイケメンとくりゃあな」

「……薫さん、どっちかにしない?」

 薫さんの趣味に慣れてはいるが、冷静に聞くとやはり何かおかしい。

「薫さんも、ブレないですね」

「本当に。この人が美人っていうのも中々の皮肉よね」

 私と装果はしみじみとそんな風に言い合う。


「でも、私もお嬢様を応援しますよ。お嬢様なら絶対に魔法少女になれますって!」

「うん、ありがとう装果」

 励ましてくれる装果にお礼を言って、私はまた一つ気を引き締める。


「マスター、私もマスターを信じていますよ」

 そう言って、私の使い魔のダキニは微笑む。その静かで自信に満ちた表情が、今は心強い。

「ありがとう。ダキニ、あんたの力も頼りにしてるわよ」

「はい。これからもマスターの為に誠心誠意尽くさせて頂きます」



――



「さて、と」

 一通り午前中の訓練を終えて、私は部屋へと続く廊下をダキニと進む。

「今日はこれからどうしようかな?」

 魔力ドリンクのおかげで魔力の消費を気にせず魔法の練習が出来るとはいえ、それでも多少は体力を使うし、その魔力ドリンクだって魔力梨から作るのだから、限りはある。休みを取ることは必要だ。

 かといっていつものようにへとへとになっているわけでもない。午後の訓練はもう少し日が傾いてからの方がいいし……。


「そういえば本物の梨の方も収穫が近いって言ってたけれど、それまではいつも通りで特別な作業があるわけじゃないのよね」

「そうですね」

「農業の手伝いも、当初思っていたよりは楽だったかな?」


 これはここ最近の梨の世話で私がたどり着いた結論だが、どうやら農作業というのは、基本的には植物の健康管理の仕事らしい。


 植物が病気になっていないかとか、成長を促すためにはどうすればいいのかとか、そういう事を気にかけながら世話をする。昔学校で朝顔を枯らせないように育てたのと基本は変わらないのだ。ただちょっと注意しなきゃいけないことが多くて、この間の木を食べる虫みたいに素人では対処しにくい事態も多い。


 けれど決して耐えられないほどの重労働というわけでもないし、専門的な知識が山ほど必要になるわけでもない。手間はかかるかもしれないが、植物を育てることに興味があるならそんなに気負わずに挑戦してみるのもいいのかも。


 私は興味が無いのでこれっきりにしたいのだが。


「そんな事を言っていては、また足元を掬われますよ?」

「何よ、私がいつ足元を掬われたのよ」

「台風の時です」

「……うん、まあ、その、すいませんでした」

 流石にこれは言い返せない。文字通り物理的にも足を掬われたし。


「っていうかあんた結構根に持つわよねそういうの」

 私がそう言ってダキニに苦笑いしていると、廊下の向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。上品なスーツに身を包んで、相変わらずぴっしりとした理性を感じさせる相貌。


 他の誰でもない、お父様だ。


「お父様、まだ平日のお昼なのに帰って来たのかしら?」

 お父様は誰か知らない人を一人連れてこちらへと近づいてくる。お父様より若く、ちょっと頼りなさそうな顔をしたスーツの男の人だ。お父様の仕事関係の人だろうか。


「お帰りなさいませ、お父様。そちらの方は?」

「ああ、ただいま亜琳。彼は、ちょっと仕事の関係でな、うちに寄ってもらったんだ」

 お父様にしては珍しく少々歯切れの悪い言い方でそう説明する。


「初めまして。娘の亜琳です」

「亜琳様に仕える、使い魔のダキニです」

 私は良家の令嬢らしく、そしてダキニはそんな私に仕える者として、丁寧に挨拶する。それを受けてお父様の仕事関係の人と呼ばれた彼は、申し訳程度に頭を下げた。


「どうも」

 こちらともほとんど目を合わせず、どこかよそよそしい感じを出している。人見知りするタイプだろうか。


 ダキニを見た時は、一瞬だけピクリと眉を動かしていた。私はもう見慣れたけれど、ダキニの格好はやはり他の人から見れば異様に映るのだろう。


「亜琳、私はこれから彼と仕事の大事な話があるから、私の部屋には入らないようにな」

「はい、分かりました」

 お父様はそう言って、彼を引きつれてお父様の部屋へと向かう。


「お父様の仕事関係の人、ねえ。お父様の部下なのかしら?」

「マスターの御父上に仕える人間なら、娘であるマスターに対してあの態度は無いでしょう」

 私たちは二人が見えなくなった後に、そんな風に言い合った。


「お父様がうちに人を呼ぶ、っていうのも珍しいのよね。お父様、接待される側の人だし」

「そうなのですか」

「そうそう。それに仕事の話って、どうしてわざわざうちでするんだろう? 仲がいいからうちに呼んだ、って感じには見えないわよね。一体、何の話をするのかしら?」


 私はこんな風に若干興味を惹かれつつも、確かめようのない事だとかぶりを振って歩き出そうとした。そして、ダキニの次の一言でぴたりと足を止めることになる。


「どうやら、魔法少女試験に関する話のようですね」

「え?」


 私がダキニに向き直ると、ダキニはしれっとこう言った。


「先ほど、通り過ぎた後でそう話すのが聞こえました」

「聞こえたって私には何も……ああ、確かにあんたの耳なら聞こえるわよね」

 私は改めてダキニの耳の良さを思い出しながら、魔法少女試験に関する話と聞いて胸がざわついた。


「ん? 魔法少女試験に関する話題って、一体何を……」

「詳しくは分かりませんでしたが、何やら『調整』や『危険』について話し合うようです」

 そこまで聞いて、私の中のイケナイ何かが鎌首をもたげ始めた。向きを変え、お父様が進んだ方へと歩み始めると、私の口から自然と笑い声が漏れた。


「……ダキニ、お父様の部屋の前まで行くわよ」

「はあ、マスター。一応お聞きしますが」

 ダキニは私に付き従いながら、瞳の奥に怪しい光を灯す。


「マスターの御父上は、『部屋に入るな』と仰っていませんでしたか?」

「ええ、お父様は『部屋に入るな』と言ったのよ。『部屋の外から聞き耳を立ててはいけない』とは言ってないわ」

「それは……全くその通りですね」

 私とダキニは、示し合わせたようににやりと怪しく笑うのだった。


 そうやってお父様の部屋の前まで静かに近づき、ごくりと喉を鳴らしてドアに耳をつける。


「……何も聞こえないわね」

 しばらく中の音を聞き逃さないように集中していたが、何か聞こえてくる様子もない。

「うちって、防音設備しっかりしてたのね」

 私はがっくりと肩を落とす。折角チャンスだと思ってやって来たのに、無駄足だった。


「さっきの話からすると、間違いなく魔法少女試験の内容に関する話題だと思うんだけれど」

 調整、危険。

 この単語が直接何を指しているかは断定出来ないが、魔法少女試験は魔法を使った試験である。それ故に試験内容によっては常に『危険』が付きまとい、その為の『調整』はしっかり必要になるはずだ。


「上手くすれば、今年の試験のポイントとか、実施される場所が分かったかも知れないのに」

「場所、ですか?」

「うん。第一の試験会場は決まっているんだけれど、実技の会場は途中で移動するのよね。去年は湖に連れていかれたっけ」


 魔法少女は、魔法使いの代表として矢面に立つ以上、あらゆる局面で危険にさらされる事を想定しなければならない。

 というわけで去年は戦闘に関する試験ではとある湖が舞台になり、飛行魔法が使えない受験者はそれだけでかなりのハンデを背負ったりしたのだ。


「今回の場所だけでも聞き出せれば、対策が練れるのになあ」

「どうやら試験場にはどこかの山を使用するらしいですよ」

「ふーん、今年は山ね……って、あんた聞こえるの!?」

 はい、としれっと答える私の使い魔。今日ほど彼女を頼もしいと思ったことは無い。


「ちょ、ちょっと! じゃあ私にも教えなさいよ! 感覚共有の魔法で!」

 私が興奮して催促すると、私の頼もしい使い魔は、にこりと笑ってこう言った。

「マスター、最近ではお風呂の時間も共有できるようになりましたが、まだ寝所には上がらせてもらえていませんよね? 今宵こそは、マスターと一夜を共にしたく思うのですが」


「……は?」


 突然、何か場違いな事を言いだしたのだ。


「毎晩賊が侵入してこないかと気が気でなりません。どうか今夜から私を貴方のお傍に……」

「ちょちょ、ちょっと待ちなさい!」

 頬を染めて何かうっとりとしだしたダキニを遮りながら、私は叫ぶ。

「いきなり何言いだすのよっ! そんなのダメに決まってるでしょ! それに今はそんな場合じゃなくて、いいから早く感覚共有の魔法を……」

「ああ、マスター、今日は感覚共有の魔法がどうにも調子が悪いみたいです」


 ダキニはそう言って明後日の方向を見ながら、はー、とわざとらしくため息をついた。


「気分が良くなれば、きっといつも通り上手くいくと思うのですが」

「な……なっ、この!」

 あろうことか、ダキニは堂々と私を脅しにかかってきた。


「ああ、マスターと夜のひと時を過ごせると分かれば、最高の気分で魔法を使えるのに」

「ちょ、ちょっと! ふざけないでよっ! そんなこと出来るわけがっ!」

「中では話がどんどん進んでいますね。はて、専門用語が多くて私では分からないことだらけですが、何やら重要な事を協議しているご様子」

「ふっ、ぐ、ぐうううううううっ!」

 ダキニは楽しそうににやりと笑う。今日ほどこいつを悪魔だと思ったことは無い。


「あ、あんたさっき外で私に誠心誠意仕えるとか何とか言ってたじゃないっ!」

「勿論です。マスターの為ならこの身も心も捧げる所存です。ですが……」

 ダキニは言葉を切って、自分のさらさらの髪をふわりとひと撫で。


「見返りも欲しいのです。愛しの我がマスター」

 この上なく色っぽく、とろんと目を蕩けさせて私を見る。その姿は完全に、恋する乙女のソレで……。


「だ、ダメよっ! ダメっ! 絶対ダメっ! あ、あんた絶対変な事企んでるでしょっ!? 一緒のベッドで寝るだけじゃ済まないでしょっ!?」

「それは……どうでしょう?」

 ふふふと笑って誤魔化すダキニ。


「それに宜しいのですか? こうしている間にも、話は進んでいるようですが」

「く、くぉおー……」


 私の心は揺れ動く。


 ここでダキニに屈してしまえば、夜はこいつを私の部屋に入れなきゃならなくなる。同性相手に何を慌てふためいているんだと思うかもしれないが、こいつの普段の言動や行動を見れば、身の危険を感じるのも当然だろう。


 あの時のように、ふっとキスされるようなことが……。


「ッ……!」

 思い出して私は赤面した。悔しいが、あの時の出来事は暫く忘れられそうにない。

「……今晩だけよ」

「はい」

「こ、今晩だけっ! 何か変なことしようとしたら、追い出すからねっ!」

「はい、承知しました」

 ダキニがそう言うと、私の視界が二重になる。ダキニの目からは、顔を真っ赤に染めた私が映っていた。


 気恥ずかしくて、思わずぷいっと目を逸らす。私が目を逸らしても、ダキニの視界からの映像なので関係ないのだが。


「とても、可愛いですよ。マスター」

「う、うるさいっ! こ、こんな散々からかってっ! これで何も収穫が無かったらただじゃおかないんだからっ!」

 私がそう怒鳴りたてた時、部屋の中から声が聞こえてきた。


「そういう事ですので、試験場の山は広くとります。今回はそこで隠れている試験官を探せるかどうかがカギとなるので、従来の試験同様飛行魔法が使える受験者が有利となります」

 はっとして中から聞こえる声に集中する。声の主はどうやらさっきの頼りなさそうな彼。


「山を使うので、受験者には炎や、その他自然に危害を加える魔法を禁止してもらう予定です。これでそう簡単には試験官を探し出せないと思います。万が一の事態も考慮して、魔法無効化の魔法を山全体にかけてもらおうと思うのですが」

「ああ、分かった。うちの人間を手配しよう」

 その声に答えるお父様。続いて何故かため息をつく。


「どうしました? 何か、ここまでの話で不備が……」

「いや、娘の事を考えていてね」

 その言葉に一瞬ドキリとする。まさかお父様もこうしてその娘が自分の話に聞き耳を立てているとは思わないだろうな。


「今回の受験者、ですよね?」

「ああ。まだ飛行魔法は使いこなせていないし、戦闘で教わったのは火の魔法だから、これは苦労するなと思ってね」

 続いて聞こえる微かな笑い声。お父様の苦笑いした顔が見えるようだった。


「……それは、心中お察しします」

「いや、これでいいんだよ。娘は魔法少女になることを夢見ているが、私は反対なのだから」

「あ、ああ、そうなのですか? それはまた、何故?」

「自分の娘に危険な目にあって欲しいと思う父親がいるかね?」

 お父様は、静かにそう言った。


「魔法少女と言えば華やかな一面ばかりが目立つが、結局は魔法使いのプロパガンダの為に矢面に立つのが仕事だ。向けられる感情は好意的な物だけとは限らん。前例は少ないが、要らぬ恨みを買って我々がもみ消した事態もある」


 お父様の言葉に私も少し驚く。魔法少女絡みのトラブル等、聞いたことが無かったから。


「だが、それでも娘の……亜琳の小さい頃からの夢らしくてね、魔法少女になるのは。だから今まで止めずにいたのだが」

 言葉に、規則的な足音が混じる。お父様が立ち上がったようだ。

「今回の試験で、諦めがつくだろうかね」

「……どうでしょう。今回は少々特殊な環境なので、結果が悪くても仕方がない、と思うかもしれませんね」

「ははっ、前回も同じような台詞を聞いたな。そうやって諦めの悪い所は一体誰に似たのだか」

 お父様がそう言うと足音が止まる。


「外の菜園を見たかね?」

「え、ええ。拝見しました。見事な庭園ですね」

「主な作業はうちの庭師が行っているのだが、亜琳にも手伝わせているんだよ。魔法の修行の一環としてね」

「魔法の……ですか?」

「ああ、半分は口実だがな」


 お父様の言葉に、私はちょっと虚を突かれる。


 半分が口実?


「魔法は、元々自然と共にあった。元来なら戦争の道具や、見世物の為に使用するようなものではないはずだ。それこそ自然の営みと共にあるべきだと思わんかね?」

「……そうですね」

「人に過ぎた力であるが故に、皆魔法に価値を見出しているようだが、それでは科学と変わらぬ。魔法の魅力とは、人と自然を結び付ける所にあるのだと私は思う。自然を操作することで、自分も自然の一部となり、大地を潤す雨や、吹き渡る風のようにあることを目指す。それこそ魔法使いのあり方だったはずだ。亜琳には少なくともそのことを知って欲しかった。あれはどうもまだ視野が狭い。身近な所の変化にさえ言われなければ気づかない程だからな」

 お父様に二度目のため息をつかれる。私はお父様に農業の手伝いをしろと言われた日の事を思い出していた。


 お父様は、そんな風に思っていたんだ。


「それは……立派な理由に聞こえますが。魔法使いが自然の一部、という所は特に」

 彼の言葉にお父様がはは、っと笑い声をあげる。

「魔法の修行として菜園の手伝いをさせたというのは口実でも何でもない。事実だろう。私が言いたかったのは、あの菜園自体に亜琳の手を入れさせてやりたかったという事だ」

「と、言いますと?」

「あの菜園は、亜琳の生まれるきっかけを作った場所だからな」

 お父様は、そう言った。


「私は正直言ってあの菜園に興味は無かった。昔一度潰そうとしたこともある。だが、あそこがあったからこそ亜琳が生まれた。そう考えると腐らせるのも少し惜しい気がしてね」


 お父様の話は、どれも初耳だった。


 あの菜園があったから私が生まれた?


 お父様とお母様は、あの菜園がきっかけで出会った、という事だろうか?


 その割にお父様はあまり菜園に興味を持っていなかったというし……。


「いずれあの菜園は亜琳の物になる。その時に私と同じようにあの菜園を無価値と思ってしまうのは、少々残念だと思ったわけだ。それが亜琳にあの菜園を手伝わせている本当の理由……と、少しお喋りが長くなってしまったな。娘の事になるとどうも歯止めが聞かなくてね」

 そう言ってお父様は笑った。娘の視点からこんな風に言うのはちょっと気恥ずかしい気もするが、その姿は子煩悩で娘に甘い父親そのものだった。


「いえいえ、娘さんの事を大事に思っておられるようで」

「ははは、娘は可愛いものだよ。君はまだ独身だったか」

 そんな風に大人の世間話が始まる。そこで楽しそうに話すお父様は、何だか私の知っているお父様ではないようだった。


 こんなに饒舌に、娘の事を話すなんて。


「普段のイメージと違うわねえ」

「何がですか?」

「何がって……んあ!?」


 私が驚いて振り返ると、そこにはお茶菓子を乗せたトレーを転がす装果の姿。庭作業のエプロン姿ではなく、メイド服を着て。


「しょ、装果!? ここで何してるの!?」

「何、って、旦那様のお客様が見えたという事で、おもてなしです。お嬢様こそ何を?」

「あー、いや、別に?」

 私は流石に装果にばれては不味いと冷汗をかきながらそう誤魔化す。装果もまさか聞き耳を立てていたとは思わなかったようで、不思議そうな顔をしつつもこう言った。


「えっと、あの、旦那様の部屋に入りたいのですが」

「あ、ああ! ちょ、ちょっとだけ待って!」

 私はもう少し何か情報を聞き出したいと思いそう言うが、中ではもう世間話のような試験とは関係のない話で花を咲かせている様子。


「う、うーん、どうしよう……」

「マスター、これ以上は難しいのでは?」

「あの、本当にどうしたのですか?」


 いぶかしがる装果に何と返事をしようかと考えていると、中からこんな話が聞こえる。


「そうそう、今回の試験場所も娘と何度か足を運んだことがあるんだよ。あれの母親の墓もその傍にあってね」

「ん? お母様のお墓?」


 私は、その場所に心当たりがあった。


「明日には人をやって、暫く立ち入れないようにしよう。この時期に行楽であそこを訪れる人間もいないだろうが、念のためにな。それでその時の亜琳はまだ六歳で……」

 お父様はそう言ってまた昔の私の可愛かったことと延々彼に話し始める。娘自慢ばかりされる彼が可愛そうなので、そろそろ茶菓子の差し入れを挟んであげるべきか。

 ついでに訂正すると、昔の私も可愛いが、今の私も可愛いのでお忘れなく。


「装果、もうお父様の部屋に入っていいわよ。それと私ちょっとこれから出かけるから」

「え、あ、はい。どちらへ?」

「んー……近くを散歩してくるだけよ。帰りはそんなに遅くならないわ」

「分かりました。お気をつけていってらっしゃいませ」

 丁寧に返事をする装果を残し、私はその場を後にする。


「マスター、開催場所がどこか分かったのですね」

「ええ。昔何度か行ったことがある場所よ」


 私ははやる気持ちを抑えながら、足早に廊下を進むのだった。

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