第17話 果実がとっても甘いワケ(後編)
八月も半ば。いよいよ魔法少女試験も迫り、私は最終調整に入っていた。
「よっ! ほっ!」
私は薫さんに教わった戦い方を一通り復習していく。火の玉を相手にぶつけるように動かし、躱されたところで追いかけ、隙を見せた所を火の槍で打ち抜く。
「それっ!」
一連の動きにはもうよどみは無い。ダキニとの特訓で体力がついたこともあり、息も上がっていない。仮に相手が思う通りに動かなくても、今ならちょっとした応用もこなせる。抜かりはない。
「ふうー……」
「お疲れ様です、マスター」
ダキニがタオルを持って駆け寄ってくる。体力がついたとはいえ、八月の気候の中での特訓なのだから、汗もそれなりにかく。
私は魔法で周囲に風を吹かせながらタオルを受け取った。
「身のこなしが様になってきましたね。無駄な動きも減ってきましたし」
「ありがとう、半分はあんたのおかげよ」
タオルで汗を拭きながらダキニに応える。体力トレーニングを始めてから、自分でも目に見えて魔法の扱いが上達しているのが分かる。
体を使わない魔法で体力が関係しているというのも不思議な話かもしれないが、魔法を扱う上でもやはり体が資本なのは変わらない。使う人間の健康状態や体調は魔法にもしっかりと影響を及ぼすのだ。
「こんな事なら、もっと早くからランニングを始めていればよかったわ」
「マスターの口からそんな言葉が聞けるとは。では、さらにトレーニング内容を強化して体力をつけてみますか?」
「ごめん、やっぱいい」
ニコニコ笑うダキニから目線を逸らす。確かに体力がついて良かったが、何事もほどほどが一番ともいう。
「マスター、きっとそのお体を鍛えぬけば、マスターならさらに上の次元に行けますよ。面倒くさがらずに、私に全て委ねてくだされば」
「却下! 前にも言ったでしょ、私は魔法少女になりたいの! あんたみたいなバリバリバトル漫画の住人になりたいんじゃないわよ!」
私はきっぱりと言い切った。
「ムキムキマッチョな魔法少女なんて、夢が壊れるじゃない」
「むきむきまっちょ? とは、一体何ですか?」
「こっちの話よ」
私はめんどくさくなって説明を省いたが、よく考えればそんなバトル漫画の住人のようなダキニだって、体つきは普通の人とそれほど変わらないように見える。腹筋が割れているわけではないし、その腕も細く、肌もやわらかくて女性らしい。プロポーションに至っては女としては完璧な部類だ。
「あんたその体でよくもまああれだけ動けるわよね。何か特別な魔法でも使ってるの?」
「いえ、魔法は使っていますが、この体に関していえば人とはいくらか違っているようで」
「人と違う?」
「これでも神ですから」
ダキニはさらりとそんな風に言った。
「神って……ああいや、確かにあんたはそうなのかもしれないけれど」
私はこめかみに手を置いて、しばし何と返事したものかと迷った。
今更ながら、私は自分の常識の物差しでこいつを測ろうとしていたことに気づいた。
そう、こんなのでもダキニは神なのだ。
本来なら規格外の力や、人々を崇拝させるだけのカリスマで恐れられ、同時に崇められるモノ。それが神格を持った使い魔だ。バトル漫画の住人であってもそれこそ何の不思議もない。
流石に薫さんと戦うまではにわかには信じられなかったが、あの戦いを見るに、実力は現代の最高クラスの魔法使いと比べても全く引けを取らないだろう。
「はあ、何だか複雑な気分ね。こういうのを『宝の持ち腐れ』って言うのよね」
「はい?」
私の言葉に疑問符を浮かべるダキニを他所に、私はため息をつく。
本来ならダキニにはこんな事をさせるべきではないのかもしれない。それこそ神として、もっと多くの人のためにその力を使わせてあげたり、或いは崇められる立場として相応しい場所に置いてやるのがいいのかもしれない。
私から汗を拭き終わったタオルを受け取る、まるで部活のマネージャーのようなダキニに一つ聞いた。
「ねえあんた、何かやりたい事とか、したい事って、ある?」
「え? マスターにお仕えする以外に、ですか?」
相変わらずの調子でそんな風に言ってから、少し悩んでこう答えた。
「そうですね、許されるならば……本が、読みたいですね」
「え? 本?」
「はい、今の世をよく知りたいのです。私の知らない魔法や道具の名、その使い方などを知ることが出来れば、と思います」
ダキニはそう言って無邪気にほほ笑んだ。特に腹黒い企みがあるわけではないのだろう。純粋に知識が欲しい。そう言っているのだ。
確かにダキニは何故か言語の知識が不足していたり、現代の常識が通じない事も多い。自分から勉強したいと思うのは自然なことかもしれない。
「何よ、それくらいならなんてことはないわ。お父様の書棚の本はうちの人間なら自由に見て構わないし、私の本だって貸してあげるわよ」
「勿体ないお言葉です。ですが、その……なぜ突然そのような事を仰るのですか?」
「えっ、あ、いや……何となく聞いてみただけよ」
私は何故か照れくさくなってダキニからそっぽを向いた。
素直に『自分に献身的に仕えてくれている礼がしたかった』と言えばいいのに、どうしてかその言葉が出なかったのだ。
「ふふっ、マスター……ありがとうございます」
何かを察したであろうダキニからそう言われ、私はますます意固地になってダキニの顔を見られなくなる。
このところ、私は変だ。ダキニに以前のように気軽に接する事が出来ない時がある。
こうなったきっかけは多分、この間のダキニとのキス……。
あいつは冗談交じりでやっただけかもしれない。私をからかうような気持ちでしただけかもしれない。でも、私にとってはあれが初めてで……。
「ふんっ、お礼を言われるほどじゃないわよ。あんたなんて魔法少女試験では役に立たないし、暴れては私を気持ち悪くするし、本当に神様かどうかも証明できないダメダメ使い魔なんだから。本でも読んで勉強しなさい」
「ふふ、では、仰せのとおり不勉強を直してまいります」
ダキニは笑みを浮かべてそう答える。こんな風に余裕綽々に構えられるのも、何か悔しい。
「あんた罵られて笑っているなんて、ちょっとMのケがあるんじゃないの?」
「いえ、そのような事は。私サドですし」
「なんでそんな知識だけ持ってるのよ?」
今しがた今の世の知識がどうのと言っていたくせに変な所は知っている。相変わらずこいつの常識の範囲はよく分からない。
「ま、まあいいわ。で、えーっと、そろそろ特訓の成果を薫さんにも見てもらおうかな」
私は気を取り直して話題を変える。
「この時間だと、薫さんどこにいるかな?」
「厨房では?」
「厨房にいればいいけれど、薫さんしょっちゅう抜け出すもの。仕込みや調理が終わっていればあとは他のメイド達に任せて外でタバコ吸ってたりするし」
うーん、と私は唸る。
「さて何処から探しに行くべきか。変なこと考えず、やっぱり厨房からがいいかな?」
「でしたらまずは外に出ているかを確認してから探しに行きましょう」
「外に出ているかを確認って、結局はそれ先に外を探すって事じゃ……え?」
私がそう言ってダキニに振り向くと、そこにダキニの姿は無かった。
もしやあの俊足で、既に駆けていってしまったのだろうか? 確かにダキニの足ならうちの敷地内を駆けずり回るのにもそんなに時間はかからないだろうが。
そこへ、お馴染みのあの視界が二重になる感覚。
何故かダキニからの視点は、半分は空を映していた。
「ああ、見えましたよ。私に気づいたみたいですね。こっちに手を振って歩いてきます」
「え、あんた何処から……」
ダキニの視点からは、こちらに手を振って歩いてくる薫さんが映っている。だが、どこかから見下ろしているのか、薫さんがはるか下に見えていた。
うちの屋敷の屋根にでも上っているのか、と思ったが、そうではなく……。
「え?」
薫さんが私の所に歩み寄ってくるのが見えた。ダキニの視界からも私と薫さんが見えている。丁度真下に。
私はダキニの視線を辿るような動きで空を見上げる。
「え、ええっ!?」
私は思わず叫んだ。
だってそこには……。
「あ、あんた飛べるのっ!?」
「え?」
悠々と空中に浮かぶダキニの姿。地上にいる時と同じようにまっすぐ立つ様な姿勢で空中に浮いている。そのままゆっくりと高度を下げて、危なげなくすとんと地面に足を付ける。
「……マスター、ひょっとして、飛べないのですか?」
「と、飛べるわけないでしょっ! そんな高等な魔法、まだ身につけていないわよっ!」
私がそう叫ぶと、ダキニは目を丸くしてからしばし呆気にとられたようになる。
そう、飛行魔法はかなり高度な魔法なのだ。
魔法使いの少女と言えばほうきにまたがって空を飛ぶモノ、なんてイメージがあるかもしれないが、あれは本当に極まれなケース。実際飛行魔法は恐ろしく難しくかつ危険なので、年少のうちに身につけられるモノの方が少ない。
勿論私も例外ではない。
「あの、マスター……マスターは本当に魔法使いなのですか?」
「魔法使いよ! あんたの基準で語らないでよ! というかあんた空も飛べるなんて……」
この飛行魔法、熟練の魔法使いなら使いこなせることが一つの基準となるのだが、向き不向きもあるらしく、どんなに他の魔法に秀でていても習得できなかったりする。国内でも使える人間は百人足らずだったはず。
「自分の体をモノを動かす魔法で持ち上げるような感じですよ。あとは移動のために風を利用したり、魔力で凧のように浮き続けられる工夫をしたり」
ダキニはそう言ってなんでもない事のようにアドバイスするが、それがとにかく難しい。私もモノを動かす魔法は得意だから、体を一定時間浮かせていることまでは出来る。だが、そこからスイスイ空を泳ぐように飛び回るというのは別の技術が必要になるのだ。
「う、うーん、浮かんでいる事は出来るんだけれど。何ていうか、自分で自分の体を持って動かすっていうのが難しくて」
どんなに力が強い人がいても、自分の体を掴んで投げ飛ばせないのと同じだ。自分を支点にしている以上そこに力をかけられないのだ。
「薫さんも飛べないのですか?」
「俺も一応は飛べるが、下手くそだから滅多に使わねえな。使う場面もそうそうないしな」
薫さんは謙遜してそんな風に言うが、これでも飛行魔法が使える国内の百人の中にしっかりと数えられるくらいの腕前はある。
「……やはり、マスターは魔法使いではないのでは?」
「魔法使いだっての! あなたたち二人と一緒にしないでよ!」
流石に神であるダキニと一流魔法使いの薫さんと比べられたら旗色が悪い。というか反則だ。
「全く! そりゃあ、私だって飛びたいけれどさ……そんな簡単に飛べたら苦労しないっていうか……」
ここまで特訓も上手くいって順風満帆な感じで魔法少女試験に臨める態勢でいたのに、何か一気にけちをつけられた気分だ。
「お教えしますよ、マスター。手とり足とり。それこそ空中ではお身体をお支えして……」
「ああそうそう薫さん。特訓の成果を見てくれない?」
「マスター、下心があるのは事実ですが無視しないでください」
下心があるなら文句言えないでしょ。
「おう、それはいいがなお嬢。俺もお嬢を探してたんだ」
薫さんは一呼吸おいて、にこりと笑った。美人なこの人はそれだけで絵になる。
「何? そんなご機嫌な感じで」
「出来たぜ、例のヤツ」
薫さんの言葉に、私は何の事か分からずきょとんとするしかなかった。
――
「ほう! これはまた上品な!」
ジイヤが感嘆の声をあげる。
「こんな素晴らしい果実酒は飲んだことがありません!」
珍しく興奮気味に声をあげるジイヤに、周りのメイド達も便乗する。
「本当ですよね。甘くとろけるようで、それでいて甘すぎず、味わう間もなくいくらでも喉を通ります」
「ああ、これだけしか飲めないのが辛いです。も、もう一杯だけお代わりを」
「勤務中だろ? また今度な」
薫さんはそう言って縋りつくメイド達を一蹴している。確かに仕事中にはいささか刺激が強い飲み物だが、そもそも過度な摂取は危険なのだ。何故かって?
「す、すごい人気ねこのお酒。というより……」
「ああ、さしずめ『魔力酒』って言ったところだろうな」
そう、今ジイヤやメイド達が飲んでいるのは、あの魔力梨から作られた果実酒だ。
薫さんが魔力梨の利用法を思いついたというので、折角だからうちで働く人達を集めて試飲会を開いてみたのだ。一人グラス一杯、それも安全を考慮し一杯というにも少ない量で配る。
それでもこの大盛況である。
「あー、流石お嬢様と薫さん! これ、お嬢様がお造りになった梨なんですよね?」
「え、ええ。そうよ」
メイドの一人にちょっと及び腰で応える。絶賛されるのは嬉しいのだが、その梨はほとんどダキニが作ったようなものだ。
ちなみに今回はあくまで『お酒』という事で装果は連れてきていない。またあんな風に酔われても困るし。仕事中の宗谷さんやメイド達には後で振舞う予定だ。
「いやあ、流石お嬢様! こんなに美味しい梨を作るなんて! 薫さんもナイス!」
「おうよ」
薫さんは半分酔っぱらったようなメイドに絡まれつつもクールな対応。私の梨はほぼダキニ製だが、この果実酒、もとい魔力酒を作り上げたのは薫さんである。
「薫さん、お見事」
「お嬢の梨のおかげだっての」
にこっ、と笑う薫さん。自分は飾らず相手を立てる。顔も美人で、お調子者な所はあるけれど基本的に優しくて。本当に、これで男っぽい格好してたら惚れてるわよ。
「マスター、私も梨作りに協力した身ですが、これは本当に美味しいです」
ダキニが頬を赤らめほうっ、とした顔でグラスの中の魔力酒を見つめている。うっとりした表情で、こんなに無防備なダキニを見るのも珍しい。
「ううむ、ダキニまであんなメロメロにするとは。魔力酒恐るべしね」
「ああ、予想以上だな」
「というか薫さん。私あんまり詳しくないんだけどさ、確かお酒って個人で作っちゃいけないんじゃなかったっけ?」
「はっはっは」
私がそう聞くと、薫さんは堂々と笑って誤魔化した。あれ、これホントはいけないやつ?
「よーし、全員配られた分は飲んだな?」
薫さんの声に、周りのメイド達数十人とジイヤが一斉にこちらを向く。
「まあ、堅苦しいことは俺もあんま言いたかないしな……もっと飲みたいかー?」
「おおー!!」
「飲みたい! 飲みたいです!」
「待ってましたー!!」
各々が嬉々としてはしゃいでいる。こういうのを普段なら止めるジイヤですら、苦笑いしつつも様子を見守るだけである。
「まあ、せっかくうちのお嬢が作ってくれた梨だからな、もう一杯だけサービスするか」
わあ、と歓声が上がる。ついで大きな拍手が起こり、メイド達の視線が私にも集中する。私は少々照れながらそれに応えて、薫さんに小声で話しかける。
「こんなに人気が出るなんて……ホントは結構危険なモノかも、なんて誰も思わないわ。お酒にするなんて考えたわね」
「もともと魔力酔いを引き起こすような代物だからな。酒だと言って振舞えば、魔力酔いなんだかアルコールの酔いなんだか分からねえだろ?」
ちょっとした悪だくみを告げるように、悪戯っぽく薫さんは言った。私も思わずつられて笑う。悪戯の共犯者みたいだ。
「それにしても、酸味が聞いてるのにどうしてこうも飲みやすいんでしょう」
「何言ってるのよ。底抜けに甘いのに、でしょう?」
「え? ちょっとピリッとした辛みがあって、それなのに独特の味っていうか……」
ん?
「え、ちょっと? 今のお酒の話をしているのよね?」
私がメイド達の話に割って入ると、皆はいそうですと答えてくれる。
「だから、とろっとろに甘くて喉を滑るように」
「違うでしょ? 酸っぱくて、でも飲みやすくて」
「いやいや、だから日本酒みたいな辛みがあってね」
メイド達の話は、瞬く間に広まり全体の疑問へと繋がった。皆が皆、自分が今しがた飲んでいた魔力酒を絶賛しつつも、何故か味に関しての見解が一致しない。
「これってどういうこと? 装果は初めてあの梨を食べた時、甘いって言ってたけれど」
「秘密は後で、な」
薫さんはそう呟いて、新しいグラスを持ってきたメイド達を見て全員に言った。
「おし、次はこっちでどっちのグラスを飲んでもらうか指定するから、その指示に従ってくれ」
そうして薫さんは皆を見て、ひとりひとりA、Bと振り分けていく。薫さんの不思議な指示に皆疑問を持ちながら、言われたとおりのグラスを受け取っていく。
「それじゃ、お嬢の作った梨に、乾杯」
乾杯ー、と皆口をそろえて再び魔力酒を飲み、さも当然のように至福の表情を浮かべる。
「いやあ、何度飲んでも素晴らしいですね」
「本当に、喉を滑るように通り抜けていってしまって、何だか惜しいですね」
ぽっと頬を赤く染め、きゃぴきゃぴとはしゃぐメイド達。
「いや! コレ! さっきより美味しいじゃないですか!」
「ホントホント! 味はそんなに変わっていないけれど、より美味しくなったって言うか」
と、ここでまた違った感想があげられ始めた。どうやら今度はさっき飲んだ魔力酒よりも美味しいのだという。
「あの子たち、Bの方のお酒を飲んだ子たちでしょ?」
「ああ、そうみたいだな」
薫さんにとっては予想通りだったらしく、特に驚いた素振りも見せない。
「あんたも確かBの方を貰って飲んでたわよね、ダキニ」
「はい、ですが私も同じ感想です。先ほどのお酒よりもまろやかで、コクがあって、同じ味なのですが断然こちらの方が美味しいです」
ダキニも不思議そうに自分が飲んだ魔力酒の感想を述べる。
「薫さん、何か仕込んだ?」
「大したことはしてねえよ。まあ概ね実験は成功みたいだな」
薫さんは一歩前に出て、皆の視線を受けながら全員の疑問への答えを出す。
「まああれだ、飲む人間によって味も感じ方も変わる、不思議な酒」
残ったグラスを取って、少しだけ芝居がかったように台詞を言う。
「これこそまさに、魔法使いの作る『魔法の酒』ってやつさ。お嬢と、それとお嬢の使い魔ダキニ、うちの菜園で働く全員に、拍手!」
その言葉に皆が大きな拍手で応える。魔法使いの私からすれば奇妙な感じだが、ここにいた皆はその言葉で全て納得がいったようだ。
不思議なものは、大抵魔法の仕業。この一言でまかり通ってしまうのだから。
一方魔法使いである私とダキニは互いに顔を見合わせて、けれど皆の温かい拍手に包まれて、不思議と笑ってしまった。
こうして大盛況のうちに、私の魔力梨を使った試飲会は終了したのだ。
――
その日の夜。
私は、みんなが寝静まった頃に寝間着姿のままベッドから抜け出し、誰もいない廊下を、杖の先に明かりを灯して進む。
夜のわが家はまるで別世界のようだ。人の多い昼間はどこへ行っても働くメイドの姿を見るし、私が近くまで行けば、皆私に挨拶をしてくる。
だがこの時間、私に話しかけてくれる誰かはいない。いつも傍に付き従うダキニもいない。夜のひんやりした空気と、皆寝静まった後の静寂。それが今ある全てだった。
私は皆を起こさないよう音を立てず、目当ての場所まで来た。暗く、ひっそりと静まり返っている。窓から僅かに月明かりがさすその部屋からは、様々な食べ物の匂い……。
「ようお嬢」
「ひゃっ!?」
突然声をかけられ、私はびくりとする。そこには、この場に一番ふさわしい人がいた。
「か、薫さん」
「お嬢なら、来るんじゃねえかと思ってな」
夜の厨房で我が家専属のコック、薫さんは一人佇んでいた。
「ばれてたのね」
ちょっとばつが悪くなって目を背けるが、ここまで来たのだから私もめげずに言った。
「その……ね? 梨を作った本人が味を知らないっていうのは、その……カッコつかないじゃない?」
「ってことは、やっぱりお目当てはこいつか?」
薫さんは手に持っていたビンを見せる。暗くてよくは見えないが、確かにあの魔力酒のビンに間違いない。
「あんなにみんなに美味しい美味しい言われたら、その、気になっちゃうじゃない? それにまだ不思議な味の秘密も聞かせてもらってないし、だからね……その……」
素直に白状しよう。要はつまみ食いに来たのだ。
昼間あれだけ絶賛された私の魔力酒。だが、酒という字が入っていては未成年の私は手が出せない。ジイヤもいたし、うちのメイドはお父様に私を甘やかさないようきつく言われている節がある。飲みたい、なんて言っても絶対に許してはくれないだろう。
だから夜中に厨房にこっそり忍び込むなんて行動に出たわけだが、薫さんにはお見通しだったようで。
「ね? 薫さん、いいでしょ? ちょっとだけ、ちょっとだけだから」
こうなればもう薫さんに頼るしかない。私は精一杯可愛く聞こえるようにおねだりする。にこっと笑って、上目づかいで。これで大抵の男は気分が良くなる……と、この間お父様に実践して散々な結果に終わったのだけれど。
果たして……。
「ま、仕方ねーな。ちょっとだけな」
「やぁんっ! 薫さん愛してるっ!」
嬉しくて今にも薫さんに飛びつきそうな衝動を抑え、私は叫んだ。今の私の目からは薫さんが数倍美人に見える。
「折角だから俺も飲ませてもらうぜ」
薫さんはそう言って二つのグラスにトポトポと魔力酒を注いでいく。月明かりに照らされ、グラスに注がれた液体が光を反射する湖面のようにきらきらと輝く。
「あら、今夜は酔った薫さんが見れるの? 楽しみね」
「お嬢こそ一杯で酔いつぶれるなよ」
薫さんから魔力酒を受け取り、静かにお互いのグラスを重ねる。薫さんの長くて綺麗な黒髪が揺れる。近くで見る薫さんはこの場の神秘的な雰囲気も相まって、まるでおとぎ話に出てくる王子様のようだった。
いや、見た目はお姫様なんだけれども。
「私が酔っぱらったら、介抱してくれる?」
「はは、酔いつぶれたら俺も何しでかすか分からねえぞ」
「まあ怖い」
ふふ、とお互い笑い合う。何だか自分が大人の階段を上っているような感覚。胸がちょっとだけトクントクンと鳴っている。
「じゃあ、薫さんが作ってくれた魔力酒に、乾杯」
「お嬢の美貌に、乾杯」
薫さんはお芝居の台詞みたいな事をさらりと言ってのける。薫さんのように美人じゃなきゃ絶対に似合わないような台詞を、でもこの上なくかっこよく。
薫さんの笑顔に向き合いながら、今日一日を振り返る。試飲会は大成功だった。魔力梨の利用法を見つけられたし、皆からは褒められっぱなし喜ばれっぱなし。すごくいい気分だ。
そしてご褒美だと言わんばかりに薫さんと過ごすロマンチックなひと時。これから飲むのは皆を唸らせた魔法のお酒。
もう本当に、いう事無しだ。
私は最高の気分で、上品にグラスに口をつけ、極上の美酒を流し込む。
そして口の中から喉の奥まで一気に広がる、この味……そう。
――まるでスポーツドリンクのような、素早く糖分を補給できそうな甘み。
「……ん?」
いや違う。例えを間違えたわ。
もう一度口をつけ、今度はゆっくり味わってみる。
「……え、何コレ?」
口の中に広がるのは、アミノ酸やらブドウ糖やら疲れた体でも吸収しやすそうな、スポーツドリンク独特の味わいというか、そんな甘さ。
「薫さん、これ、普通のスポーツドリンクと間違えてない?」
「……やっぱりお嬢には、この味が分からねえんだな」
反対に薫さんは頬をほんのり染めて、極上の味に浸っていると言わんばかりの満足げな表情。
「えっ、ちょっと、どういうこと? これ、お酒じゃないわよね? 皆に振舞ってたやつは?」
「いや、これがその『魔力酒』さ。お嬢の言う通り、正確には酒じゃないんだがな」
「お酒じゃ、ない?」
私は薫さんの言葉に疑問符を浮かべる。
「元々魔力で酔うんだから、酒でアルコールを入れる必要はないだろ。魔力で酔うっていうのに抵抗が無いように、酒だと言って誤魔化してたんだよ」
「ええっ、そうなの!? え、でも……みんなお酒だって信じてたじゃない。お酒って、酔うだけで味はこんなスポーツドリンクみたいな感じなの?」
「いいや。それに関しては、こいつのからくりを説明しないとな」
薫さんはその場から少し離れて、どこかからあの梨を持って帰ってきた。
「お嬢、こいつにどんな魔法がかけられてるか、ダキニから聞いたか?」
「え、うん。魔力で果実を膨らませたんだって。ダキニは確か、空気や水を温めて膨張させるようなモノだって言ってた」
水風船の例えも出してたっけ。
「それで、中身が魔力で充実した果実は、他の人が食べると魔力が反発して魔力酔いするんだって……」
「半分正解で、半分ハズレだ。それだと装果の嬢ちゃんがこの梨を食べて『美味い』って言った説明がつかないだろ?」
「あ、ああ。そう言えばそうね。魔力で酔うだけならまだしも、装果ってば大喜びで食べてたものね」
「たぶんこの梨、本来は熟していない梨の味しかしねえんだろうな。今お嬢が飲んでるソレが元々の味に一番近いと思うんだが」
私は自分のグラスに映る、キラキラした水面を作っている魔力酒、いや、酒じゃなくてスポーツドリンクのような何かを見つめる。
「お嬢の言う通り、そいつはスポーツドリンクにこの魔力梨の汁を混ぜ込んだだけだ」
「……はい? え!? それってただのゲテモノジュースじゃない!?」
ファミレスのドリンクバーで混ぜ込みジュースを作ったようなものだ。
「ど、どうしてそれで皆美味しい美味しい言ってたのよ!?」
「それがこいつのからくりさ。お嬢、この梨はただの魔力を溜めこんだ梨じゃねえ。かけられているのは『催眠の魔法』だ」
「え、嘘……催眠魔法って、気分を悪くさせたり五感を狂わせたりする、あの催眠魔法?」
催眠魔法。
読んで字のごとくではないが、ほとんどの人が想像する『催眠』であっているだろう。催眠術のように意識をぼんやりとさせ、暗示を受けやすくさせる魔法だ。
魔法と銘打ってはいるが、現代の基準でいえば『技術』である。人間の心理的、肉体的な構造を利用して行う催眠術を、魔力を使って執り行うのだ。
「どちらかと言えば、方向性を持たせた自白剤みたいなもんか。この梨を食べると、美味くもないのに『美味い』と錯覚させるんだよ。酒の味なんてしないのに、酒だと言って飲ませたら『酒の味』がする。けれどどんな味かは伝えていないから、それぞれが想像する『美味い』味がして、全員バラバラな感想が出てくるってわけだ。術を使ったダキニ本人も例外じゃない。ちなみに量を増やせばそれだけ効果が上がる。今日の実験で証明済みだ」
そうか、今日の最後にAとBに分けて飲んでもらったのは、魔力梨の濃度の違いで効果が違うか確かめる為か。
「でも、頭の方ではこれが美味くないものだって気づくわけだ。そうすると、その分だけ脳が混乱して酔っぱらう。これが魔力酔いって言われる症状の正体さ」
「そ、そんな仕組みになっていたなんて」
まさかダキニがそんな魔法を使っていたとは。
「じゃあこれ、結構危険なモノじゃない。アルコールで酔っぱらうなんて次元じゃないわ」
現実の催眠術も、医療のように繰り返し行う事で恐怖症を克服したりすることが出来るらしい。それはつまり良い悪いは別として、人の考え方や意識を変える力があるということ。
この梨を繰り返し食べれば、やがて美味しくない物を『美味しい』と錯覚してしまうのだ。
「その……大雑把に言えば、皆を洗脳しているって事よね? こんなの飲んでたら、舌が馬鹿になっちゃうかもしれないし」
私は不安な気持ちに包まれながら、薫さんに尋ねる。
「薫さん、どうしてこんな危険なものを皆に飲ませたのよ」
魔法は、魔力を持たない人間には決して手の届かないもの。手に入らない力、憧れ。
だからこそ悪用してはいけない。私利私欲のために使ったとしても、それで誰かに迷惑をかけてはいけない。
そんな事、薫さんは当然知っているはず。
私の戦闘魔法の先生で、尊敬する薫さんが、どうしてそんな事……。
「なあお嬢。この梨はどうやって作られたと思う?」
「え?」
私はその言葉で薫さんの顔をまじまじと見る。薫さんは、優しく笑っていた。
「俺も予測はしていたが、この梨にかけられていた魔法の正体までは確信が持てなかった。で、うちのやつらに飲んでもらって、その正体が分かった。言っておくがダキニは多分、洗脳目的で魔法を使ったんじゃないと思うぜ」
そう言って薫さんは持っていた梨をこちらに投げ、私はそれを危なげなくキャッチ。
月明かりに照らされて、その黄色い表面は淡く輝いている。
「どうして? だって、魔法を使う時は無意識で発動するわけじゃないわ。私達魔法使いの考えたこと……想いが魔法になるんだもの」
「ああ。だけど、ダキニが思ったのは何も特別な事じゃねえ。魔法が使えない奴らだって、いつも大切な誰かに料理を出す時は、同じことを考えてるさ」
料理?
「俺たち料理人が毎日かけている魔法と同じさ。だから一杯だけでも、この梨に込められた魔法をここのやつらに味わってもらいたいと思ってな」
「それって……」
「『美味しくなあれ』って魔法さ」
薫さんは、そう言って柔らかい笑みを浮かべた。
「ダキニは恐らく、自分の感じた『美味い』を頭の中で思い浮かべたんだろう。美味いものを食わせたい、食べてくれる人間を喜ばせたいって、料理を作る人間からすれば当たり前の事を考えながらな」
その言葉で、私は胸が熱くなった。
思い返せばあの梨を作るとき、ダキニは魔力で膨らませただけとしか言わなかった。ダキニにとっては確かに催眠魔法を使ったつもりはないのだろう。
だが心の中では、食べてくれる人の事を思っていた。無意識に、食べてくれる誰かの笑顔を想像してあの梨を作り上げたのだ。それが魔法として形になった。
言うなればそれは『愛情』を込めたという事。
この話が本当ならば、なんて素敵な魔法だろうか。
「お嬢の言うように繰り返し飲んでいれば味覚が狂うかもな。下手すりゃ味覚障害になって一生この酒以外の味が分からなくなることもありうる。文字通り禁断の酒だ」
だが、と薫さんは付け加える。
「それでもこいつは、誰かの腹の中に納まるのが一番だろう。誰かの舌を満足させて、美味い美味いと言ってもらえるのが、愛情込めて作られたこいつには相応しいだろ?」
「薫さん……」
「それに安心しろ。今日見た限りじゃ影響力は大したことはねえ。毎日飲んだりしなきゃ味覚が変わるなんてことは無いだろうよ。大事を取って、月に一度振舞うくらいなら問題ない」
そこまで聞いて、私は安心した。取り返しのつかないことをしたわけではないようだ。
「だが気を付けねえとな。この味に魅了される奴も多いだろう。誰かさんみたいにこっそり厨房に忍び込んでくるお転婆が、いないとも限らないしな」
「うぐっ」
からかうようにそう言われても、私は返す言葉が無かった。
「ま、たまにはこういうのもいいだろ? 不思議で危険な魔法の味を楽しむってのも」
「もう、薫さんってば。ちょっと内心ヒヤッとしちゃったわよ」
「お嬢は相変わらずいい子ちゃんだな」
「薫さんが不良すぎ。問題が起こったらどうするつもりだったのよ?」
私は口をとがらせるが、薫さんは特に懲りることもなく続ける。
「人間、魔法ですぐにどうこう考えが変わる程弱くはねえよ。それに俺たち魔法使いだってその人間の一人だ。気負いすぎはよくねえぜ、お嬢」
薫さんはそう言って笑う。美人が不敵に笑うとそれだけで説得力が増すが、それを抜きにしても薫さんの言葉は正論だ。魔法使いばかり特別な目で見ていては、そのうち足元を掬われるだろう。
「はあ、肝に銘じます」
私はなんだか気疲れしてしまい、脱力した体で再びグラスに口をつける。禁断の美酒はスポーツドリンクのように疲れた体を癒してくれる。いや、私にとってはまんまそうなのだけれど。
「というか、それって私だけダキニの『美味しくなあれ』を味わえないって事? そもそもどうして私だけ催眠魔法が効かないの?」
「これは推測なんだけれどな、この梨はお嬢の魔力を使って出来たわけだろ? だからお嬢の体に帰った時、すぐに魔法が解けて魔力として吸収されるんじゃねえかなと」
成程、理屈は一応通っている。元々は私の体で出来た魔力なのだから、一番安定する場所に帰るというのは自然な仕組みかもしれない。勿論こういった前例自体が無いので、本当かどうかは定かではないが。
「何だかなあ、それってすっごい損した気分」
私は手の中の魔力梨をぽんぽんとお手玉してため息をつく。月明かりを浴びて宝石のような輝きを見せるこの梨も、白く光る禁断の美酒も、私にとっては文字通り宝の持ち腐れだ。
「何言ってるんだよ。わざわざがっかりさせるために乾杯したんじゃねえんだぜ?」
薫さんはぐいっと自分の分の魔力酒、改め魔力梨のジュースを飲み干す。
「どういうこと? 私だけそのとおっても美味しいらしい美酒を味わえないし、魔力梨の利用法としては危険すぎるから、やっぱり商品化も無理だし。いいことなんてないわよ」
「おいおいお嬢、その魔力梨は、お嬢の体に入ったらどうなるんだっけか?」
「だから、催眠魔法にかからず吸収されて……」
そこまで言われて、私は自分の体の僅かな変化に気づいた。体の中にめぐる魔力。その力が、僅かに増している。
そうだ、吸収された魔力はどこに行く?
元々は私の体から作られた、私にこの上なくなじむその魔力は……。
「え、嘘……ひょっとして」
「魔法少女試験前に、とっておきの秘密兵器を手に入れたな、お嬢」
薫さんの悪戯っぽい笑みに、手に持っていた魔力梨と、グラスの中で白く光る魔力ジュースを見比べる。
そうして私は今度こそ、薫さんに同じようにふふふと笑い返すことが出来たのだった。
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