第15話 主のいない使い魔(後編)
「おはようございます、お嬢様」
「……ん? 装果?」
柔らかく、そして子供らしい快活さを併せ持った声で私は目を覚ます。懐かしい響きに、一瞬夢でも見ているのかと目を凝らす。
ベッドから上体を起こすと、にこやかに笑う装果と目が合った。
「どうぞ、モーニングコーヒーです」
「ああ、ありがとう」
装果からコーヒーを受け取り、一杯口にする。苦味と温かさで体の中が生気を取り戻していく。懐かしい朝の恒例行事。
そしてカーテンの引かれる音と、入り込んでくる朝の陽ざし。
私が目を細めながらそちらを向くと、見慣れぬ姿をした美女が佇んでいた。
「おはようございます、マスター」
「え、あ、ダキニ?」
眩しさに慣れると、そこには私の使い魔であるダキニが微笑を浮かべているのが見えた。いつものように陽の光を浴びて輝く長い白髪と、整った美しい顔立ち。そして……。
「どうしたの、その格好?」
「いえ、深い理由は無いのですが……心境の変化といいますか」
ダキニはうちのお屋敷のメイド服を身にまとっていた。
「私も装果さんのように、マスターに頼られるメイド使い魔を目指そうと思いまして」
何よメイド使い魔って、というツッコミを入れかけたが、そんな事がどうでもよくなるくらいにダキニのメイド服姿は様になっていた。
黒を基調とした、クラシックスタイルのメイド服。
長いスカートを象徴する真っ直ぐなライン。本人のスタイルの良さもあってまるでモデルに着せているかのような着こなし具合。清楚な印象なのに、ダキニの妖艶な美も相まってどこか色っぽいのも好ポイント。
「どうです? 似合いますか?」
「え、ああ、うん、すごく良く似合ってるわよ」
月並みな言葉しか浮かばなかったが、心の中ではこれの十倍は褒めている。その気持ちが伝わったのか、ダキニはにこりと爽やかな笑みを返してくれる。
「装果さんと相談して、夏休みの間、朝は私達二人でマスターにご奉仕させていただくことにしましたので」
「はい。また改めてよろしくお願いしますね、お嬢様」
振り返ると天使の笑みを浮かべる可愛らしい装果。その隣に歩み寄る完璧な美貌を誇るダキニ。二人のメイドが微笑みながら私に仕えてくれる。
あれ、何コレ? 今更だけれど死ぬほど贅沢じゃない?
「お嬢様、コーヒーの方はどうですか?」
「うん、最高」
「マスター、お召し替えをお持ちしました」
「うん、いやらしい所触らないでね」
まだ幼く可愛らしい私の天使、義妹メイドの装果。私に忠誠を誓う、色っぽくてスタイル抜群超絶美女のダキニ。その二人が朝起こしに来てくれて、甲斐甲斐しく世話してくれる。
私は今日ほどお嬢様やってて良かったと思ったことは無い。
「心境の変化、ねえ。おかげで朝からご馳走様だわ」
「マスター? どういう意味です?」
「こっちの話」
装果とダキニの二人は顔を見合わせる。私は緩んでしまう口元を隠そうとカップに口をつけた。
「やはりマスターは、朝はその黒い茶の方がいいですか?」
「いや、そういう意味じゃないわよ。まあ装果が淹れてくれる朝のコーヒーは格別だけれど」
「お粗末様です」
「装果さん、今度私にも『こうひい』とやらの淹れ方を教えてくれませんか?」
「はい、いいですよ。とっておきの淹れ方を教えてあげます」
装果のちょっと先輩風を吹かすような、可愛く子供らしい姿にほう、と感心する。
「装果、ダキニに随分慣れたのね」
「慣れた、だなんて。仲良しになったと言ってください」
「ええ。私と装果さんはもうお友達ですから」
ふふふ、と二人して笑う。何だか突然のこの二人の仲良しっぷりに、思わず頬が緩む。
心境の変化というのは、どうやらこれのようだ。
薫さんの時もこんな感じだったが、ダキニは認めた人間には屈託のない笑顔を見せる。以前装果に向けられていた表向きの笑顔ではなく、きっと本心からの笑みだろう。
恐らく昨日の一件で、ダキニは装果を信頼できる人間と判断したのだろう。他のメイドから聞いた話では、二人を呼びに行った装果はダキニと薫さんに私の危機を必死で訴えたらしい。そんな様子を見て、装果が本当にいい子だとダキニにも伝わったのだ。
そして装果も昨日ダキニの本心を垣間見たからか、ダキニを恐れなくなっている。二人して見ているこっちが妬けちゃう位に仲睦まじい。
どうやらまた一つ、ダキニの世界が広がったようだ。
「良きかな良きかな」
「どうしたんですか? お嬢様、今日は御機嫌ですね」
「いやいや、ちょっと嬉しくなっちゃってね。あとダキニ、いい加減胸触るのやめなさい」
「機嫌がいいので大丈夫かと思いまして」
コブにならない程度に思いっきりダキニの頭にげんこつを喰らわせ、私は思いをはせる。
ああ、失った日常は取り戻せないなんて思ったものだけれども、そんなことは無かったのね。
私の素敵な日常は形を変えて、今もちゃんとここにあるみたいだ。
「ではお嬢様、本日はどうなされますか?」
「あ、うん、そうね……」
さて、では現実に思考を戻して。
「昨日のあの使い魔について、色々調べておきたいわ」
――
ダキニを引きつれて、私はお目当ての人物を探す。確かこっちにいるはずなんだけれど。
「あ、いたいた! 薫さーん!」
薫さんは昨日あの巨大トカゲと出くわした場所で、一人静かに佇んでいた。こちらを振り向く動きで長い黒髪がかすかに揺れる。夏の日差しの中、相変わらずの美人がそこにいた。
「おう、お嬢。おはよう」
「おはよう。昨日はありがとうね」
「俺は大したことはしてねえよ。礼ならそっちのダキニに言ってやりな」
駆け寄る私達に薫さんはなんでもない事のように言った。相変わらず自分を飾らない人だ。
「あらかたここら辺は見回ったが、もうあのトカゲもどきはいねえよ。どうやら紛れ込んだのはあの一匹だけみたいだな」
薫さんは焼けた地面に視線を落とし、ため息をつく。
「悪かったなお嬢、怖い思いさせちまっただろ?」
「えっ、いいのよそんな。薫さんのせいじゃないもの。今の薫さんは、うちのボディーガードじゃなくて専属コックなんだし。それに……」
私はちらと隣にいるダキニを見る。
「今の私には頼もしい使い魔がいてくれるしね」
「マスター……」
私は自慢げに薫さんにそう言った。事実、ダキニは私の自慢の使い魔なのだ。
「おーおー、朝から見せつけるなあ」
「見せつけてないんてないわよ。それより、あの巨大トカゲの事でちょっと聞きたいんだけれど」
私は気を取り直して本題に入る。
「あの巨大トカゲ、途中から私の魔法を無効化してたみたいなの。あんな脳味噌足らずの使い魔が魔法を使えるなんて思えないし。薫さん、何か知らない?」
私はあの奇妙な使い魔について知りたかった。
魔法を使える知能なんて無さそうなのに、あいつは魔法に慣れた動きで私を翻弄し、平然と私の魔法を無力化した。
一体、何がどうなっていたのか。
「ああ、そういう使い魔はいるぜ。俺も実際に見たのは昨日が初めてだけどな」
「あ……えっ!? そんな使い魔もいるの!?」
私は少々面喰った。今までにない摩訶不思議な使い魔に出くわしたのだと思っていた。
「私、初めて知ったわ。そんな使い魔がいるなんてこと」
「そりゃあ、おいそれと呼べるものじゃないからな。魔法の研究が兵器に転用されてた大戦期の使い魔だ。普通の魔法使いじゃ呼べないし知らないのも無理はない」
大戦期の使い魔……。
「そ、それってどういう事? あの使い魔、違法で飼ってたペットが逃げ出した、とかじゃないの?」
「そこら辺はまだ分からねえな。たまたま偶然そういう使い魔を呼んじまうことも、無いわけじゃない。確率的には準備なしで神格持ちを呼ぶようなものだけれどな」
そう言ってちらっと横目でダキニを見る薫さん。確かに私自身が偶然神格のある使い魔を呼びだしている以上、偶然を無いとは言えないけれども。
「じゃあ、あのトカゲのマスターって……」
「魔法無効化の魔法が使える使い魔を呼びだしちまったんだから、まともに飼いならすのは無理だったろうな。何にせよ、飼い主が名乗り出ることはねえだろうよ」
自分の実力以上で、なおかつ凶暴な使い魔を呼び出してしまった魔法使い。その末路はあまり想像したくない。あんな目にあったけれど、出来れば生きていて欲しいと思う。
現在、あのトカゲの正体と呼び出した魔法使いは警察が捜査しているらしい。私が意識を失っている間に色々と事態が進展してしまったのだ。
「旦那の所も、今回の件を公にしようかどうか迷っているみたいだな。何せ襲われたのが自分の娘だしな」
「ああ、お父様は今きっと大変よね」
お父様は魔法使いのお偉いさん。こういう事件では対応の判断を迫られたりするのだろう。
「あの使い魔の詳しい資料なら旦那の書斎にあるだろうから、調べたいならそこで調べな」
「うん、ありがとう薫さん」
私は薫さんにお礼を言って、お父様の書斎へと向かう。
――
「ふむ、何々……『大戦期に完成した魔法無効化の魔法を備えた使い魔』これね」
私は目当ての本を見つけ、該当するページをめくる。
「『元々が凶暴な肉食獣の姿をしたドラゴンに、魔法への耐性をつけることに成功した本種は、陸戦で大きな戦力となる』か。というかあいつドラゴンだったのね」
私はあのトカゲのような恐竜のような姿を思い出す。
「昔から思ってたけれど、爬虫類みたいな見た目でドラゴンって名前がついているのって、ホントややこしいわよね」
「マスター、あれは竜種ではないのですか?」
ダキニはそんな風に疑問を口にする。
「竜種、って言い方は逆に私は聞いたことないんだけれど……あの見た目の使い魔には爬虫類のトカゲと、昔実際にこの地球にいた恐竜と、今回のドラゴンって種類がいるのよ。あいつは見た目はトカゲか恐竜なんだけれど、分類の上ではドラゴンってことになるみたい」
「何が違うのですか?」
「うーん、分かんない」
実は私もよく理解していない。
この世界に存在しなかった生き物ですら呼び出すことが出来る召喚術だが、その『この世界のどこにもいなかった』というのは、要するに有史以前の化石が発見されているかどうかで決まる。
だから昨日までドラゴンだといわれていた種類が、化石が見つかったことで恐竜と呼ばれることもある。そこまでならまだ分かるのだが、化石が見つかっているのに逆にドラゴンだといわれ続けている種類もいるのだ。
「今回のやつ、骨格自体は『ヴェロキラプトル』って名前の恐竜と同じみたい。だったら恐竜でいいじゃないのよ。何でドラゴンなのよ」
そう、今回の使い魔は有史以前の化石が見つかっている。だから本来は恐竜と呼ばれるはずなのだ。
だが実際にはそうではない。今回私を襲ったあのトカゲ、名前は『ハプトドラゴン』というらしい。
「わけわかんないわよ」
「それは、魔法を無効にする力と関係があるのでは?」
「ん? ああ、成程。そう言えばそれを調べていたのよね」
私は再び本に目を落とす。
「ええと『本種は大戦期に召喚する術を確立され、多くの戦場に送り出された。航空機の発達前までは主力として活躍するなど戦果を残している。予め召喚する際に込められた魔力で無効化できる魔力の総量が決まり、込めた分だけ本種の意思で魔法無効化の魔法を行使する事が出来る。近代兵器の発達前は脅威となっていた敵の魔法使いからの攻撃をある程度無効に出来る為、戦術兵器として優秀であった。基本的に魔力を再装填する術は無く、使い捨ての兵器として活用される』最後だけはちょっと可愛そうね」
大戦期では、それまで緩やかな進化しかしてこなかった魔法の技術が飛躍的に向上した。火の玉を撃ち出すような魔法合戦から、近代兵器を相手にする戦術的な魔法というのが数多く生み出される。召喚術も例外ではない。
「本で見る限りだと、あいつは魔法使いが予め術を施していたから、魔法を無効に出来たってことね。だからドラゴンなんて名前がついているのかしら?」
確かに太古の世界の恐竜には、魔法耐性なんてものはないだろう。
「でも、獣型の使い魔にも魔法無効化の魔法をかけられるなんて。今はその召喚方法を伝えていないのね。安全上の理由かしら?」
「何にせよあの竜種……いえ、あのドラゴンとは普通にしていたら出会う機会などほぼ無いという事でしょうか」
「そうね。誰かが狙って呼び出したりしない限り、ね」
召喚方法が一度確立されているのなら、腕のいい魔法使いがいればいくらでも量産出来る。そして狙って呼び出したのだとしたら、その目的は……。
「うちもお父様がえらい立場の人だし、ひょっとしたら狙われたのかしらね?」
はあ、とため息をついて私はソファーに沈み込む。考えたくないことだが、かつて我が家では薫さんをボディーガードに雇っていた経緯もある。誰かが悪意を持って我が家を襲撃する、というのも現実味のある話なのだ。
「私はお父様の仕事はよく知らないけれど、無関係なはずの装果やうちのメイド達にも危害を加えようとしたんだから、やっぱり許せないわよね」
「マスターは、首謀者を調べようというおつもりですか?」
ダキニの言葉に、私は首を振る。
「そんなつもりはないわよ。そういうのは警察の仕事よ。犯人捜しなんて面倒なことするのは嫌いだし、出来っこないだろうし、ついでに怖いもの。ただ……」
私はまたため息をつく。
面倒な事は嫌いだし、正直苦手分野だし気が進まないのだが……。
「ねえダキニ。あんた、体力つけるには何が一番いいと思う?」
「体力、ですか? そうですね、山中を駆け回るというのはどうでしょう? 古来より修験者は山で修行を行ってきましたし」
「私は別に修験者なんか目指してないわよ」
いきなりハードルの高いことを言われて気勢を削がれるが、ダキニの言葉を現代的に言い換えると、つまりは走り込みが必要という事だろう。
「うーん、まずはランニングからかな?」
「らん……? 何ですか? それは」
不思議そうにするダキニに、私は説明する。
「走り込みよ、走り込み。要は体力をつけるために、ちょっと特訓でもしようかなってね」
私の言葉にダキニは一瞬目を見開き、不敵とも取れるような笑みを浮かべた。
「それは素晴らしい思いつきですね。マスターが強くなるには、一番必要な事でしょう」
ダキニは自虐のような私をからかうような、何とも言えないあんばいで語る。私の事を体力が無いと罵りこそすれ、魔力を奪ってしまう事にも責任を感じている、といった具合か。
「ですがマスター、それはご自分の為というより、この家に仕える皆の為、なのでしょう?」
「ん? あ、いや……まあ、そうだけれどさ」
確かに自分の為ではなく、昨日みたいに危険にさらされた時に装果や皆を守れるようにと考えての事だ。
今の私が強くなるには、自分の魔法技術を磨くより、ダキニに安心して頼れる方法を探すのが賢明だと分かったから。
「マスターは、自分の事では面倒だとよく口にしますが、その割には人の事になると進んで面倒を買う性格のようですね」
ふふ、とほほ笑むダキニ。
「何よ。別にそんないい子ちゃんな理由じゃないわよ。魔法使いなのにいざという時に役に立てなかったら格好悪いでしょう?」
「ええ、そうですね。そんなマスターが私のマスターで、私は嬉しいですよ」
何がそんなに嬉しいのか、ダキニはにやにやと笑みを浮かべてこちらを見る。
「相変わらずへんてこりんな奴ね、あんたも」
私はそう言って誤魔化そうとするが、本当は分かっている。
こいつは私が誇れる主人であることを喜んでいるのだ。自分が仕える主が、自分の家の使用人をよく気に掛ける優しい人間だ、とでも思って笑みを浮かべているのだろう。
私を気遣い、その身を犠牲にして守り、時に文句を言いつつも付き従ってくれるダキニ。腹黒だろうと暴力的だろうと変態だろうと、こいつは私の誇れる使い魔だ。
私は何気なく開いていた本に視線を落とす。
そこには、凶暴で兵器としての側面しか書かれていない使い魔としてのドラゴンの絵。
「何が、違うのかしらね……」
「え?」
私はふっと、ため息をつくように言った。
「あのトカゲも、もう少し話の通じるやつなら良かったのに」
あいつには誇れる主人はいたのだろうか?
使い捨ての駒として呼び出されたのだとしたら、主人からの命令を、どんな気持ちで聞いたのだろうか?
あいつは自分の主人を、好きになることはあったのだろうか?
「あの、マスター……どうしました?」
「ん、何でもない」
ダキニに微笑みかけながら、私はかぶりを振った。
本を閉じ、知りたいことは全て調べたと、お父様の書斎を後にするのだった。
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