第14話 主のいない使い魔(前編)
使い魔の中には、本来この世界のどこにもいなかったはずの生き物がいるという。
魔法使いからしてみれば不思議な話だ。魔法使いはその生き物を呼び出すことが出来るのだから、この世界に存在しない、などという言葉はちぐはぐな感じがする。自分たちが呼び出せるのだから、それはつまり、使い魔もこの世界の生き物のはずだ、と。
だが、魔法使いの呼び出す使い魔の中には、例えばドラゴンがいる。巨大な体躯、爬虫類のような目玉。かつてこの星を支配した恐竜という生き物と非常によく似た特徴を持つ、けれど全く別の種類の生き物。
この世界には、かつてその恐竜がいたことは分かっている。生きていた証として化石が残っているからだ。だが、ドラゴンはその『生きていた証』が存在しないのだという。
正確に言えば化石が見つからないのではなく、繁栄していた痕跡が無いのだ。ドラゴンの骨が見つかるのは決まって人間の歴史が始まってから。太古から続く進化の系譜の中で生まれたのではない。突然、この星のどこにもいなかったはずの生き物が、人間の歴史の中にいつの間にか紛れていた。それがドラゴンなのだ。
この事実を極端に解釈すれば、こう言えるはずだ。
ドラゴンという使い魔は、この世界のどこにもいなかった。魔法使いが召喚魔法で呼び出すその時までは。
そう、魔法使いが生まれてから、この世界にドラゴンという生き物が生まれたのだ。
――
突然現れた危険な使い魔に、私と、そして装果も息をのむ。
赤と黄の警戒色の肌。
閉じた口からも覗ける牙。
ぎょろりとした、爬虫類独特の目玉。
「う、そ……?」
「え、あ……」
言葉らしい言葉も出てこない。私も装果も、かつてダキニを呼び出した時のように、圧倒的な力の前にただただ竦み上がるしかなかった。
二足歩行の巨大なトカゲのような、恐竜のような生き物が、そこにいた。
「お、おじょ、様……あ、あれ……」
「だ、大丈夫よ装果、動かないで」
私は今にもパニックを起こしそうな装果の手を握る。震える体を少しでも落ち着けようと大丈夫と言い聞かせて。
無論、震えているのは私も同じだ。
巨大なトカゲはじっとこちらを見つめている。こちらを恐れる様子もないが、すぐに襲ってくるような感じでもない。まるで値踏みでもされているかのようだ。
何故ここにこんな生き物がいるのか?
どうして私たちの目の前に現れたのか?
唐突で突拍子もない出来事に疑問は山ほどあるが、今は目の前の危機への対処だ。
「大きな声を出しちゃダメ。刺激しないようにして」
私はこういう危険な使い魔に出くわした時の対処法を思い出して、装果にそう言った。使い魔を召喚する魔法使いとして、いざ危険な使い魔を呼び出してしまった時に取るべき行動は、徹底して叩きこまれている。
そう、こういう相手には刺激するような行動が一番まずい。
前にも言ったが、魔法使いの呼び出す使い魔は、大まかに分けると3種類に分別される。こいつはそのうちのヒト型以外のタイプ、特に獣型と呼ばれる部類の使い魔だろう。
獣型は使い魔としてはそこそこ重宝されるが、欠点も当然存在する。主人を親のように慕ってくれる事もあり、基本的には扱いやすいのだが、所詮は獣。大した脳みそを持っていないのだ。
簡単な命令しかこなせないし、何より人間の意思を理解する知能を持ったものなど極まれで、大抵は言葉すら通じない。意思の疎通も叶わなければ、生き物としての常識だって違う。
ここまで言えばお分かりだろうか。
こいつはつまり『聞く耳』を持たないのだ。
だから考える前に本能で体が反応する。物音には敏感だし、激しい動きには攻撃する。
襲わせる『きっかけ』を作ってはいけない。
「だ、誰かの使い魔でしょうか?」
「そうね、こいつ雰囲気が人間慣れしてるし。けれど正式な許可を取った使い魔じゃなさそう。体のどこにもそれっぽい印が無い。無許可で飼っていて逃げ出したのか、手に負えなくなって手放したのか……」
ペットでも毒ヘビや毒グモ、大型肉食獣のライオンや虎なんかもそうだが、危険な種類は飼育に許可がいる。それは使い魔とて例外ではない。逃げ出したら危険なのは当然として、マスターですら、一歩間違えば死の恐れが付きまとうからだ。
見た目からも容易に想像がつくが、こいつはそこいらの肉食獣よりもはるかに危険な種類だろう。巨大な体躯、鋭い牙、俊敏そうな体つき。どれをとっても、人間を圧倒的に上回る強さを持っているはずだ。
多分噛みつかれたら痛いじゃ済まない。
「いい? 装果、よく聞いて」
出来るだけ私は機械的に行動しようとする。もし感情的になれば、私の方こそ何もかもを捨てて逃げ出してしまいそうだったから。
「音を立てないように、そっとここから離れて」
「……えっ!?」
装果は驚愕に目を見開く。
「大丈夫、お姉ちゃんがあいつをひきつけておくから」
私の言葉に、装果はぼろぼろと大粒の涙を零す。
「だっ、駄目ですっ! お、おじょ、お嬢様を、置いて……お姉ちゃんを置いて、一人で、逃げられないよっ! 一緒に逃げようよっ!」
ひしっ、と強く掴まれてしまう。何というか、逆に抱きしめ返したくなるような可愛さに、こんな時なのにずきゅんと心に来てしまう。
「あのね装果、何も今生の別れとかそういうシーンじゃないのよ? ここは私が何とかするから、装果はダキニか薫さんを連れてきて。あの二人ならたぶんこいつを抑えられるから」
私は装果に勤めて平静を装いそう言った。どの道これが最善の方法だろう。魔法使いである私は、本来ならこんなでかいだけのトカゲに後れを取るはずはないのだ。だから、時間を稼ぐだけなら一人でも大丈夫。
「一応私一人でもやっつけられるとは思うんだけれどね。ほら、私戦闘は苦手だし、下手に傷つけたらこいつの飼い主さんにも悪いじゃない?」
「あ……あっ、でも……」
装果は理論で武装された私の言葉にも、僅かな不安を感じ取ったのだろう。ぎゅっと掴んだその手をなかなか離してくれない。
「大丈夫、ほら早く。こいつとずっと睨めっこしててもしようがないから。なるべく静かに、急いで……お願い」
私がそこまで言うと、ようやく装果は手を離し、静かに、そして素早く私の背中から離れていった。
私は装果を振り向くことも出来ず、装果が離れたのにピクリと反応するこの巨大なトカゲの前に、すっ、と杖を出して立ちふさがった。
体からどっと冷汗が滲みだしてくる。
装果が離れた途端、我慢していた震えが止まらなくなる。
怖くない筈がないだろう。
相手は、魔法を抜きにすれば確実に自分より強い。生き物として、既に勝者と敗者は分かり切っているのだ。
気を抜けば殺されかねない。そう思うと、さっきまでの威勢が全部消し飛んで、竦んで動けなくなりそうだ。
我ながらよく装果の前で泣き叫ばなかったものだ。私って、やっぱりいいお姉ちゃんなのかもしれない。
「さ、さあ、どうする? 出来るなら、穏便に、済ませてあげても、いい、のよ?」
飼い主がいる使い魔なら多少なりとも人語に触れていただろうから、まずは話しかける。聞く耳を持たない、などと先ほどは言ったが、私が危害を加える敵じゃないことが分かれば、或いは立ち去ってくれることも……。
「シャアァー!!」
「わ、分かった分かった! 悪かったわ! 御免なさい!」
言葉の通じないトカゲに謝っても仕方がないのだが、弱気にもそんな態度で応えてしまう。
どうやら引いてくれるつもりはないようだ。
だが、襲い掛かってこない所を見ると、戦うつもりもないのか?
私が判断しかねていると、一歩、巨大なトカゲが前に足を踏み出す。私が思わずたじろいで後ろに下がると、また一歩と距離を詰められる。
ごくりと息をのむ。こいつ、さっきからこちらの動きを見て行動している。
襲おうと思えば、私のような生き物は簡単に仕留められるはず。それでもなかなか襲ってこない。けれど、引き下がりもしない。試している。
頭が悪いと言ったのは、訂正しなければならないかもしれない。
私は体を動かさず、そっとトカゲの足元に、火の魔法を放つ。
巨大なトカゲは一歩踏み出す手前で足元の変化に気づき、びくっ、と大げさに後ろに飛びのいた。
そして迷うことなく、私を見て声で威嚇する。
ああ、間違いない。
こいつ、私が魔法使いだと気付いているんだ。
足元が燃えたのも、私の仕業と知っているんだ。この反応、魔法使いと闘い慣れている。
「……じゃあ、もう、遠慮は要らないかな?」
飼い主に配慮、などと装果に言ったが、本気でそんな事を思っていたわけではない。こんな危険な使い魔を放し飼いにした方が悪いのだから。
私は一度だけ大きく息を吸い、覚悟を決める。震える体に喝を入れるように、自分に、そして目の前の危険な使い魔に向かって、叫ぶ。
「訓練の成果、試させてもらうからっ!」
私は巨大なトカゲが動くより早く火の玉を作り、それをトカゲ目がけて投げつける。トカゲはすぐに反応し、火の玉を避ける。続けて二発、三発と打ち込むも、機敏な動作であっさり躱される。
既に巨大なトカゲの目は火の玉ではなく私に向いている。隙をついて、襲い掛かってくる算段のはずだ。
だが、そうはいかない。
「それっ!」
さっき飛ばした火の玉を空中で操り、再び巨大なトカゲの背中を目がけて放つ。三つの火の玉はそれぞれが踊るように複雑な軌道を描きながら、トカゲへと迫る。攻撃系の魔法は苦手だけれど、こういう変化球は得意中の得意だ。
トカゲは背後に迫る危機にも、野生のカンなのかびくりと反応し、思いっきり横に跳び直前で回避する。火の玉は全て勢い余って地面にぶつかり、そのまま消滅。
トカゲは完全にこれを好機ととり、再び襲い掛かろうとする。強靭な足で地を蹴り、大股の一歩で一気にこちらへと近づき……。
「かかったわね!!」
私は渾身の力でため込んでいた魔力を爆発させる。私の手元には、さっきから隠していた炎の槍が出来上がっている。
薫さん直伝の、必殺コンボ!
「うりゃあああっ!!」
炎の槍を飛びかかってきたトカゲ目がけてうち放つ。流石にその体勢では回避する事も出来ず、トカゲは私の炎の槍を受けて甲高い悲鳴をあげた。炎が全身を包み地面にのたうち回る。
私は一歩距離を取って警戒する。油断はしない。けれど勝利を確信していた。
熟練した、闘い慣れている魔法使いほど魔法無効化ではなく回避の手段を持っている。そして、その回避のスキを突くのがさっきの一連の攻撃だ。火の玉で注意を逸らし、奇襲をかけ、そこでしまったと隙を見せておいて攻めてきた相手を必殺の槍で打ち抜く。戦闘の技術が低い私が勝てるように薫さんが教えてくれたとっておきだ。
「悪く思わないでね。人間相手ならすぐ火も消してあげるんだけれど」
私は地面を転げ回る巨大トカゲにそう言った。勿論こいつにそんな情けをかけるほど私は甘くない。可哀想だが、こいつは弱った体でも十分に人間を襲う力を持っているはずだから。
だからこのまま……。
「え?」
私はつい、そんな声を漏らす。
巨大なトカゲの体を覆っていた炎が、一瞬にして消えた。
跡形もなく。最初から何も無かったかのように。
「えっ!? ちょ、何で!?」
理由も分からず、私は困惑する。その間にも、巨大なトカゲは立ち上がろうとしていた。
「このっ!」
私は立ち上がらせまいと火の玉を続けて放つが、その火の玉もトカゲの体に触れた途端に次々消滅。跡形もなく消え去った。
「ま、魔法無効化!?」
私は驚愕した。それ以外に考えられない。
このトカゲにかけられた魔法が、魔法無効化の魔法で次々消滅しているのだ。恐らく人間の言葉も理解できないであろうトカゲが、魔法無効化の魔法を使う?
そんな事あり得ない。
「くっ、そんな、そんなの反則じゃないっ!」
私はそう叫んで休まずに火の玉を打ち続けるが、結果は全て無駄に終わる。トカゲの頭、腕、足、腹、尻尾に至るまで様々な場所に打ち込んだが、そのことごとくが弾けるようにして消えていった。
トカゲは完全に体勢を立て直し、こちらをぎろりとした目つきで睨んだ。
「ひっ!?」
先ほどと表情はほとんど変わらない筈なのに、明確に読み取れる怒気、殺意。私は蛇に睨まれたカエルよろしく、竦んで動けなくなる。
もう魔法は効かない。
私に残された術は無い。
ならばどうなるか……。
単純な論法が、私にどうしようもない結末を予見させる。体が震え、抑えていた汗が再び噴き出してくる。
トカゲは、一声甲高く鳴くと、私へと一気に飛びかかった。
私は思わず目を閉じた。もう、為す術など無いと。最後はせめて、痛みを感じなければいいな、と。
瞼の裏に、閉じたはずの目に、外の景色が映る。そこには私とあのトカゲがいて、まるで第三者から、私が今からトカゲに食べられるのを眺めさせられるかのような映像だった。
ああ、何だろう、この悪趣味な走馬灯は、なんてぼんやり考えていたら、私とそのトカゲがどんどん大きくなっていく。近づいているんだろうか?
そこまで考えて、この感じが……この視界が、誰の瞳から見た世界なのかを思い出した。
「はあああああああああっ!!」
自分の耳と彼女の耳を通して、二重に聞こえる音。
目を開けて振り返ると、やはりそこに、彼女はいた。
私が目を見開いたのと同時に、彼女は弾丸のように突っ込んできて、斜めに飛ぶ。そしてまた弾けるように地を蹴り、一瞬で私とあの巨大トカゲの前に出る。
私が何か言う前に、彼女の拳が巨大トカゲの顔面に突き刺さった。凄まじい衝撃。彼女の瞳からは、骨をひしゃげさせ、筋肉が引きちぎられるトカゲの顔が鮮明に捉えられていた。
そのまま振りぬくと、トカゲの巨大な体が衝撃に引っ張られ、首の方でもミチミチと嫌な音を立てながらぶっ飛んでいく。その先で、待っていたかのように舞う白い粉。トカゲがその中に突っ込んだ途端に爆発。立ち上る爆炎。
私の優秀な使い魔と、我が家専属の優秀なコックによって、あっさりと巨大トカゲは命を散らしたのだった。
「マスター!!」
叫ぶダキニ。私を振り返った顔は、血の気も引いてまるでこの世の終わりでも目にしたかのようだった。私の心配より、自分の心配をしたらどうなのよ、と頭の中で呟く。
実際に言葉にしなかったのは、出来なかったからだ。そう、今にも私は……。
「う……おえっ」
またやっちゃった。
ダキニが魔力をありったけ使ったせいだろう。私には堪える力も残されておらずそのまま意識が闇の中に沈んでいく。今回ばかりは私の危機を救ってくれたのだから、ダキニに文句は言えないけれども。
気を失う寸前、汚れた私に構うことなく抱きしめられて、誰かの腕に包まれているという安心感の中で気絶出来たのは、不幸中の幸いだった。
――
目が覚めると、いつもの天蓋付きのベッド。寝間着姿で私は自分の部屋のベッドに寝かせられていた。
ああ、このパターンも二度目ね。
「ッ! マスター!! 大丈夫ですか!? お怪我はっ!?」
「お嬢様っ!」
矢継ぎ早にまくし立てるように二人の声が聞こえる。ダキニと装果だ。全く、そんな声あげて。二人して心配性なんだから。
「大丈夫よ、大丈夫。どこにも怪我なんてないから」
私はそう言って起き上がる。実際倒れたのは魔力を急激に吸われたからで、外傷があるわけじゃない。体は至って健康そのものだ。
「あぁ……良かったぁ」
装果はそう言って安心したように息を吐く。緊張の糸が切れたようにそのまま椅子へとへたり込んだ。
装果とダキニは私の目が覚めるまでずっと待っていたのだろう。二人分の椅子がベッドの前に用意されていた。
装果は私が元気なようで心底安心したのだろう。顔に笑顔が浮かんでいる。
そして、それとは対照的に……。
「マスター、御無事なようで何よりです」
「な、何よ、怖い顔して」
こっちは一瞬安堵の表情を見せたものの、すぐにきっと目をとがらせてこちらを睨むように見つめてくる。何かあれば、今にも掴みかかってきそうな雰囲気だ。
その目は、真っ赤に充血していた。
「マスター、何故あのような凶暴な生き物と一騎打ちされようとしたのです?」
「したくてしたわけじゃないわよ。私だって怖かったんだから。でも仕方ないじゃない。誰かが足止めしないといけないんだから」
そうだ、あんな危険な使い魔がうちの菜園に入り込んだら。
それこそ取り返しのつかないことになるかもしれない。
「……マスター、貴方は馬鹿ですか?」
「なっ!? 何ですってっ!?」
突然の物言いに私は文句を言うも、ダキニの表情と声は反論を許さないかのように凄まじい怒気を放っている。
「何故、私をすぐに呼ばなかったのですか?」
「な、何言ってるのよ。あんたの助けを借りたかったから、装果に呼びに行かせたんじゃない」
「何を言っているんですっ! その場で呼べば、私は飛んで参ります! 私が装果さんに話を聞くまでどれだけ時間がかかったと思っているんですかっ!!」
ダキニはどうやら本気で怒っている。けれど、私には何故怒られているかが分からない。
「そ、その場で呼ぶって……む、無理よ。私そういう魔法は知らなくて……」
「魔法など必要ありません! 私の耳の良さをお忘れですかっ!?」
そう言われてはたと気づく。ああ、そういえばこいつの耳ってとんでもなく良いんだっけ。確か薫さんとの模擬戦の時は遠く離れたメイド達の声すら拾っていた。
「このお屋敷の敷地内なら、どこであろうと叫べば聞こえます! 一度声をあげていただければ、どんな時だろうと私ははせ参じます!」
「い、いや、そんな……叫ぶなんて。ちょっとみっともないって言うか……」
「ッ!! マスターッ!!」
「だ、ダキニさんっ!! お、落ち着いてっ!」
今にも掴みかかられそうな雰囲気だったが、とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、ダキニが私の襟首に掴みかかる。圧倒的な怒気に、私は全身が震え上がる。巨大トカゲに睨まれた時より怖いかもしれない。
「ふざけたこと言わないで下さいっ! わ、私がッ、私がどれだけっ!」
私に掴みかかってきた手は震えている。声も掠れている。
「私がどれだけっ、心配したかっ!」
ダキニは、泣いていた。
「もし、もしあなたに何かあったら……私は死んでも死に切れませんっ!」
堪えられなくなったのか、頭を垂れ、襟首を掴んだまま私の胸に頭を乗せる。
うっ、ううっ、と嗚咽を漏らすダキニの声が聞こえる。震える体が、力なく私に寄りかかっている。
ああ、そっか。
何で怒っているのかと思ったら。
「……ご、めん。ごめんな、さい」
私はダキニに謝った。
私はこいつの事を腹黒だなんだとよく罵るけれど、本人の前でソレを言ってもこいつはちっともへこたれないし、私に仕える姿勢をほとんど変えない。
私と出会ってからずっとこんなだから、ちょっと私もその姿勢に甘えていた。
こいつだって、嫌なことはあるんだろう。許せないことだって、あるんだろう。譲れない思いだって、あるんだろうに。当たり前の事を忘れていた。
そう、こいつは私を心配してくれていたのだ。
「も、もうっ……ううっ……」
流石に泣き出したら止まらないのか、呂律の回らない口で未だ顔をあげずにぐずるダキニ。こんなこいつの姿を見るのもレアな状況だが、私にはやることが出来てしまった。
「ねえ、ダキニ……」
私はそっとダキニの頬を両手で掴む。
そのまま泣いているダキニの顔をあげさせ、私は彼女の顔を、目を正面から見る。真っ赤に充血した目が、涙を流しながらこちらを見返した。
こいつが、恐らく本心で私を心配してくれたことが分かった。
だから私も、こいつに、もう少し正直にぶつかってみよう。
「あんた、その目はどうしたの?」
台風が過ぎた後、私がダキニに感じていた違和感。その正体が分かった。
「目、で、ですか?」
ダキニは少し虚を突かれたかのようにそう答えた。
「あんたの目、真っ赤に充血してるわよ」
「だ、誰のせいだと思っているんです! 貴方が心配で泣いてしまったからに決まっているじゃないですかっ!」
ダキニはまた怒ったようにそう反論する。でも、さっきまでの震え上がるような怒気じゃない。
「……そうね、確かに私のせいかもね。でも、その目、泣いたからそうなったわけじゃないわよね?」
私がそこまで言うと、ダキニは途端にばつが悪そうに目を逸らした。
「そうよね。台風が過ぎてからあんたずーっと私と目を合わせようとしなかったものね。その目が赤くなったのは泣く前よね?」
私がそこまで言っても目線を合わせようとしないダキニに、私の中にふつふつと湧き上がってくる気持ちがあった。
さっきまでのダキニも、たぶんこんな気持ちだったのだろう。
「バカ!! バカはあんたじゃないっ! 何よその目!! 台風の時からずっと痛かったの!? というか、あんたひょっとして瞬きもしなかったんじゃないのっ!?」
そうだ。こいつは私の代わりに目になって台風の風を読み取ってくれたのだ。あの吹きすさぶ突風の中、こいつはずっと目を開けつづけていたのだ。
「失明したらどうするのよっ!? こんなになるまで放っておいて!! 言いなさいよっ!! このバカっ!!」
「こ、このくらい……大したことはありませんので」
歯切れ悪そうにそう言うダキニ。さっきまで私に対して怒りを抱いていたのに、そっくりそのまま同じことを自分も言っていると気付いているのだろう。
だから私は、容赦なく言う。
「バカっ!! この大バカっ!! 心配するに決まってるでしょうがっ!! このドバカ!! 頭でっかちっ! 変態っ!! アホっ!! ダメダメ使い魔ーっ!!」
「ふぐぅー!?」
「お、お嬢様!?」
ありったけの、関係のない愚痴まで付け加えながら掴んでいた頬を引っ張る。いつかのお返しだ。
「何が心配した、よっ!! 自分が心配かけてるじゃないっ!! 確かにあんたが私を思ってくれてるよりかは小さいかもしれないけれど、私だってあんたの事心配するし、大切だって思ってんのよっ! この大うつけ! ばかちんっ! あほんだら! ごじゃっぺ!!」
「お、お嬢様……」
隣の県の方言まで織り交ぜながら罵る私に、装果が今度は困惑した声をあげる。私がそうやってヒートアップしていると、目の前のダキニも涙目なまま、きっと睨み返してきた。
「い、言わせておけばっ! こんなもの休んでいればどうにだってなりますっ! 私がした心配に比べれば、そんなものはふぎぅー!」
「黙らっしゃこのアンポンタン! そんなあほうな事を言うのはこの口か!? ええ!? この口かぁー!!」
「あふぉマスター!! あなふぁの方こそっ! いつも危なっかしい癖に!」
とうとうダキニからも反撃がくる。私の頬も容赦なく引っ張られ、血で血を洗う戦いの幕が切って落とされた。
「ふぎゃあああっー!! あ、あふなっかしくなんてないふぁよっ!! どっかの誰かさんが力を加減しないせいでいっつもこうなってるんだからっ!!」
「寝言は寝ていってくださいっ! 誰のために死ぬ気で駆けつけたと思ってるんですか!?」
「ああ感謝してるわよっ!! ありがとうねっ!! だけどだからってやりすぎなんじゃボケェー!! 毎度毎度ゲロ吐くまで魔力を持っていくなぁー!!」
「マスターが貧弱なのが悪いんでしょうがっ!! 悔しかったら吐かないように鍛えなおしてくださいこの貧弱! ゲロゲロマスター!!」
「言ってくれるわねっ! このハレンチ使い魔っ! 露出狂!! 胸そんなにさらけ出してて恥ずかしくないのかおのれはぁー!!」
「はっ!! マスターのような貧弱な方には羨ましく見えますか!? 肩がこるので分けてあげたいくらいですよっ!!」
「そんなムダ脂肪いるかぁー!!」
私たちがそんな事をやっていると、隣からふふふっ、あははと笑う声が聞こえる。
「どうやら、仲直り出来たみたいですね。お嬢様」
「これのどこが仲直りなのよ装果!?」
「お嬢様も、元気そうで良かったです」
装果はすっくと立ち上がり、そのまま部屋を出ようとする。私は慌ててその背中に呼びかける。
「ああ、装果、ありがとうねっ! ダキニと薫さん呼んできてくれて。あとで薫さんにもお礼言わなくちゃね」
「はい。お嬢様こそ、本当に、お疲れ様でした」
そうして一度振り返り、目を細めたこの上なく美しい天使の笑顔を浮かべて、こう言った。
「……私の事も守ってくれて、ありがとう……お姉ちゃん」
照れるようにそそくさと出ていく装果。ああ、なんて可愛い義妹なのだろう。
「愛してるわ、装果」
「マスター! また装果さんにばかりそのような事をっ!! わ、私にもー!!」
「だーれがあんたみたいなドロドロ年中発情期みたいな奴に言うかっ! 言われたかったらこの手を離せこの手をー!!」
「先にマスターが離してくださいっ!!」
「そっちが先よー!!」
装果がおかゆと目薬を持ってきてくれるまで、私達はこんな風にして互いの頬が真っ赤に腫れるまで罵り合っていた。
台風に挑んだり、巨大なトカゲと戦ったりと色々あったが、この日は、私とダキニがまたひとつ打ち解けた日になったのだった。
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