第12話 夏の野分と君の瞳に映る世界(後編1)


 魔法で風向を逸らす特訓で、私の一週間はあっという間に過ぎてしまった。


 分かっていたことだが、形の無い風を操るというのは相当難しい。原理を理解しているのと、それを実行に移すのとでは天と地ほどの差があった。


「はー、はー……」

 曇り空の下、私は疲労のあまり芝生の地面に膝をついてしまう。魔力切れだ。

 菜園での手伝いを終わらせた後、風向を逸らす魔法の特訓に入って大体一時間程でへばってしまった。その間ずっと魔力を使い続けていたわけだけれど、うまく風を操作できているかと言えば、正直まだまだだ。


「マスター、お疲れ様です」

 ダキニが屈んでタオルを差し出してくる。優しい笑みと気遣いに溢れたような仕草、こいつの美貌も相まってなかなか絵になる。運動部のマネージャーにしたらさぞ人気が出ることだろう。


「だいぶ使いこなせるようになってきましたね」

「うん。だけどまだ、満足のいく仕上がりには程遠いわ」

 私は受け取ったタオルで顔の汗を拭いながら、ダキニに応える。


「風向は多少好きな方向に逸らせるようになったから、あとはどうやったら一番効率よく風の勢いを殺せるか考えて、もう少し動かせる風の量を増やしていって……」

「マスター、マスターは本当に素晴らしい才能の持ち主ですね」

 ダキニは突然改まったようにそう言った。


「何よ、いきなり持ち上げたりして」

「いえ。本当にマスターの才能には感服します。こんな繊細な魔法、私にはどうやっても真似出来ませんから。ですがマスター、改めて申しますが」

 言葉を一旦切ったダキニは、芝生に正座するように姿勢を直して、まっすぐに私の目を見つめてこう言った。


「やはり私は反対です。このような方法で野分を克服しようなどと……無茶が過ぎます」

「またその話? いい加減にしてよ」

 私は何度目かも分からないため息を漏らす。ここ最近、こいつにずっと同じことを言われ続けてきたのだ。


「台風が危険だっていうのは分かってるから。危なくなったら避難するし、駄目だと思ったら諦めるって」

「ですが、気付いた時には手遅れという事もあります。凄まじい速度で飛んでくる石つぶても、尖った木の破片も、体をなぎ倒す強風も、全て一瞬の油断が命とりなのです」

「だから、十分気を付けるって。それにいざとなったら守ってくれるんでしょ? あんた散々言ってたものね」

 私は少しイライラしながらこんな言葉を返す。何度言っても私を止めようとするダキニに、ここの所鬱憤が溜まりっぱなしだ。


 近頃はあの意地の悪い態度も鳴りを潜め、ただひたすらに下手に出て私を説得しようとしている。根負けしそうになりながらも、何とか今日までダキニの提案を跳ねのけ続けてきた。


「マスター、私にも限界があります。マスターを襲う刀なら打ち砕きましょう。槍もねじ伏せましょう。飛んでくる矢からは盾にもなりましょう。マスターを襲う輩は全て撃ち滅ぼします。ですが、形のない野分は叩きのめしようがありません」

 ダキニは目を閉じ、右手を自分の胸にあてながら話を続ける。


「例え私の全てをもってしてもマスターを守り切れるか、自信がないのです」

「ふーん。あんだけでかい口叩いておいて、いざとなったら守る自信が無い、だなんてね。とんだ優秀な使い魔だこと」

「……返す言葉も御座いません。申し訳ありません」

 そう言ってそのまま深々と頭を下げる。私の皮肉にもこんな風に徹底して低姿勢。本当に調子が狂う。


「ですからマスター、どうか野分の中に立たなければならないこの方法だけはお止めいただきたく……」

「あー! もういいっ! 聞きたくないっ!」

 私は乱暴にダキニの言葉の先を遮る。

「あれも駄目これも駄目って、いつもあんたはそうやって文句ばっかり言って! 今回は別に魔法に問題があるわけじゃないでしょ!?」

「で、ですが……」

「こうでもしないと、うちの菜園を守れないじゃないっ! それとも何? 何か代案があるわけ?」

 私はきつめの口調でダキニを問い詰める。そうだ、今回はうちの菜園の未来もかかっているのだ。無事に台風を乗り切れれば、きちんと収穫を迎えられる野菜も沢山あるだろう。私だって、魔法使いとして菜園を守り切ることが出来れば面目躍如になるというもの。


「でしたら、私がマスターの代わりに野分の中に立ち、風向を操作しますので」

「あんた、さっき自分で言ってたじゃない。私みたいに繊細な魔法は真似できないって。あんたじゃ無理よ」

 そもそもこいつは薫さんとの戦闘を見る限り、凄まじい力を発揮する大味な魔法が得意みたいだ。ならその真逆の繊細な使い方を要求される魔法は苦手なはず。


 こればかりはいかにこいつが神だろうと何だろうと不可能だ。


「それにダキニ、あんたが魔法を使い続ければその分の魔力、誰が負担することになるんだっけ?」

「っ!」

「あんたが私の代わりに魔法を使って菜園を守るから、私にはそこらへんでゲロゲロやってろって言うの?」

「け、決してそのような……」

 ダキニは消え入りそうな声でそう言った。ダキニは下を向いていて顔は見えないが……ああ、ちょっと言い過ぎたわね。


「もういいわ。この話はここでおしまい」

「あっ、マス……」

「夕飯までしばらく一人になりたいから、それまであんたは自由にしていなさい」

 そう言って私は立ち上がると、ダキニを振り返ることなく歩き出す。


 食ってかかられるかと思ったけれど、意外にもダキニは反論ひとつせずその場に留まった。


 その日は久しぶりに、ダキニが傍にいない休日を過ごした。



――



 そして幾日かが過ぎて、私は夏休みを迎えていた。


「お嬢様、ダキニさんと喧嘩でもしたんですか?」

「ん? いや、そんなんじゃないけれども」

 装果の言葉に、私は何となく後ろめたさを感じて言葉を濁す。喧嘩、ではないのは確かだけれど。


 ちなみに夏休みに入ってから、装果は毎日菜園で働いている。なのでダキニがいなければ私は基本一人だ。


「最近ダキニさんと一緒にいないみたいですし、ダキニさん元気ないですし。何かあったんですか?」

「……うーん、実は、ちょっとね」

 私は装果の言葉に耐えかねて、事情を話すことにした。


「そうですか、そんな事が」

「もー、あいつもしつこいっていうか、過保護っていうか。ちょっと面倒になっちゃって」

「お嬢様、それは流石に可愛そうですよ」

 装果が困ったように言う。

「ダキニさんだって、悪気があるわけじゃないんですし」

「でも装果、毎日毎日それだけはお止めくださいそれだけはお止めくださいって言われ続けるのよ? 流石のジイヤでももう少しお説教少ないわよ」

 私はため息交じりに愚痴を漏らす。


「大体、本気で私に止めさせるためなのか何なのか知らないけれど、あいつ口調がまた堅苦しいのに戻ってるのよ。あー、なんかこう、腹立つでしょ?」

「ああ、成程」

 装果は私の言葉を一通り聞いてから、ふっと空を見上げるようにして何か考え込むように、んーと唸り、ゆっくりと口を開いた。


「お嬢様は、ダキニさんの事が好きですか?」

「えっと、危ない意味じゃなくて、よね?」

「え?」

「ああいやこっちの話」

 ダキニを好き、って言うと、あいつに合わせてどうにもライクじゃなくてラブの方にとられかねないかなと思って。


「んー、まあ、嫌いじゃないかな。腹黒くてめんどくさくて時々視線が危ないし、しつこいしスタイルいいし嫌味言うしマスターである私に時々暴力を振るうけれども」

「……お嬢様も結構溜めこんでいたんですね」

「そう考えると、短い間だけれどいろいろあったわね」

 改めて思い返してみると、短い期間には違いないが朝起きてから寝るまでずっと顔を合わせて生活し続けてきたのだ。


 私の日常にあの奇妙な使い魔が存在するのが当たり前のようになっていた。


「では、もしダキニさんがお嬢様の目の前で危ない目にあっていたら、どうしますか?」

「唐突ね。まあ、助ける、かな? 危ない目にあっているっていうのがどういう状況か分からないけれど」

「ダキニさんもきっと、そうしますよ」

 そう笑顔で告げる装果。


「何よそれ。そりゃあまあ、あいつはそうするでしょうね。私が不甲斐なかったらなんか嫌味交じりに文句を言ってきそうではあるけれど。それが何?」

「大事な人だから、助けるんですよ」

 装果は笑顔でそう言ってきた。爽やかで優しい笑みだ。


「当たり前に聞こえるってことは、お嬢様にとってはそれだけダキニさんが大事な人になったってことです」

「私にとって大事な人、ねえ」

 少し腑に落ちないし、照れくさい所もあったが、装果の言わんとしていることは何となく伝わる。


「ダキニさんにとってもそうなんだと思います。だからダキニさんは心配なんでしょう」

「でもちょっとしつこいわよ」

「それはまあ、きっとお嬢様とダキニさんの境遇の違いですよ」

「私とあいつの?」

 私が首をかしげると、装果は一度私から視線を外して遠くを見つめるようにして話した。


「お嬢様には、大事な人と呼べる方がダキニさんの他にもいますよね。私にも、大切な人は何人かいます。でも、こちらに来てから日が浅いダキニさんにとっては、そう呼べる人はお嬢様しかいないのかもしれません」

 成程。言われてみれば、あいつはここに来てからほとんど私の傍を離れていない。私以外の誰かと言葉を交わしたことも少なければ、その相手だってうちのメイド達や装果たちくらい。親密といえる間柄になった相手などいないだろう。


「だから余計にお嬢様が心配なんですよ。大切な人が危ない目に合うと分かっていたら、何が何でも止めたいって思うのが普通です」

「私が危ない目に合うっていう前提なのがちょっと気に食わないけれども……まあ、気持ちは分かる、かな」


 私はまたため息をついて、装果と同じように遠くを見つめる。


 初夏の力強い日差しが入道雲の陰になって、丁度いい塩梅で地面に降り注いでいる。空の透き通る青と、入道雲の白、そして菜園の緑が、ここから見渡せる世界の全て。


 そうか、あいつは……ダキニはまだここに来てからこの景色しか知らないのか。神として何をしていたか、どこにいたかなど知らないが、少なくとも今の彼女にとっては、こことここにいる人々だけが全てなのだ。


 そしてその中で、彼女が頻繁に話しかける相手というのは私しかいない。人見知り、というわけでもないのだろうけれど、私に『仕える』と……私を『守る』と宣言した彼女にとっては、恐らく私だけが……。


「あーもー、分かった。あいつにもうちょっと優しくしてみる」

「ふふっ、仲直り出来るといいですね」

 そう言って装果はお日様と同じ位、いや、入道雲で陰ってしまったお天道様より眩しく笑った。その笑顔に、私は今度は苦笑いを浮かべながらため息をつくのだった。


 そして、ついにその日はやって来た。



――



 外はびゅうびゅうと風が吹きすさび、横殴りに近い雨が吹き付けている。うちの中にいてもその激しさが伝わってくるほどだ。


 七月も終わりに近づいた頃、ようやく予測されていた台風がやって来たのだ。


「お嬢様、本当に大丈夫ですか?」

 宗谷さんにそんな風に声をかけられた。宗谷さんをはじめ、菜園で働いているメイド達も今日は全員うちの中で待機している。

「大丈夫よ。魔法の力でしっかり被害を抑えてくるから」

 作業着の上からレインコートを羽織る。うちの備品として何着もある黄色い薄手のやつだ。機能性を重視しておりデザインはお世辞にも可愛いとは言えないが、流石の私でもこの台風の中魔法使いのローブを着ていこうとは思わない。


「ダキニさん、お嬢様のこと、頼みます」

「はい。この身に代えましても必ずお守りいたします」

 宗谷さんは隣にいるダキニに神妙な顔つきでそう頼み、頼まれたダキニも真剣な表情でそれに応える。今から戦場にでも行くつもりなのだろうか?


 ちなみにダキニはレインコートを羽織らず、いつものあの異形の装束を身にまとっている。こっちの方が動きやすい、といつもの台詞。たまにはこいつの違う格好も見てみたい気もする。


「お嬢様、本当に気を付けてくださいね? ダキニさんも、危なくなったらお嬢様を引っ張ってきていいですから」

「ちょっと装果、大丈夫だってば。ちゃんとやり遂げてみせるって」

 装果は宗谷さんやダキニとは違いまだ落ち着いている。何となくダキニの味方みたいな物言いをしたのは、この間私の愚痴を聞いての装果なりの気遣いなのだろう。


「いざとなったらマスターを担いでここに放り込みに来ますから」

 そんな装果ににこりと笑いかけるダキニ。顔つきは穏やかだが、言葉に若干腹黒さの片鱗を感じる。何だかんだいつもの調子を取り戻しつつあるのかもしれない。


「担いで放り込むって、私を荷物みたいに扱わないでよ」

「申し訳ありません。ですがいざという時は、その……手段は選べませんので」

 何となく歯切れ悪そうに言葉を切るダキニ。私も特にそれ以上の追求なんてしないのだけれど。


 私とダキニとの間には、未だぎくしゃくした空気が流れたままだ。あれから衝突らしい衝突はしていないのだけれど、何となく前のようにも打ち解けづらい。


 私は台風をどうにかしたいのだし、ダキニは私に危ない目にあって欲しくない。この決定的な対立がある限りは、仕方ないのだと思う。


 うん、今はそれよりも目の前の台風をどうにかしないと。


「じゃあ行ってくるから」

 宗谷さんと装果、そして数名のメイド達が見守る中、私は玄関へと颯爽と進み出る。レインコート羽織ってテルテル坊主みたいになっているのに、カッコつけるも何もないのだけれど。


 そしてドアに手をかけ、いざ……。


「ん? んっ」


 いざ……。


「んっ! あ、あれっ!? んっ!! このっ!!」

「どうしました、マスター?」

 皆が見守る中、私は一人ドアと格闘する。

「いや、この、これ、んっ!! あ、開かないっ! 風でっ! くっ!」

 どうやら風が強くて、ドアを開けることが出来なくなっているみたいだ。力を入れて僅かに開いては、また強烈な風で押し戻される。


「……マスター、やはり、お止めになられたほうがいいのでは?」

「ちょっ!? い、いやっ! 止めないわよっ! こ、このくらいっ! ふんっ!!」

 私は呆れた顔でこちらを見ている皆の視線を感じながら、精一杯力を振り絞る。が、か細い美少女の力ではそもそも無理な様子。


「だっ、ダキニっ! ちょっと手伝ってっ!!」

「マスター、やはり無謀なのではないでしょうか?」

「大丈夫だってっ! そ、外に出れさえすれば風はどうにか出来るんだものっ!!」

 私は若干恥ずかしくなりながらもそう言い切った。そうだ。うん、外に出れさえすれば。


「はあ、まあ、それでマスターが満足されるのでしたら」

 ダキニは先ほどの緊張した様子を解き、僅かに笑みを浮かべている。肩の力が抜けたかのように表情にも余裕が出てきた様子。


 こいつ、私がすぐに根を上げると高を括っている。


「な、なによっ! 外に出れさえすれば本当に大丈夫なんだってっ!」

「ええ。マスター、下がってください」

 ダキニは私をドアの前から退かせると、特に苦戦する様子もなくドアを開ききった。相変わらずの怪力だ。


 外からは容赦無く強風が吹きつける。小さい子供ならこの風だけで吹き飛ばされてしまいそうだ。


「開けましたよ、マスター」

「よしっ、じゃあみんな、行ってくるから」

 私は早速風向操作の魔法を駆使しながら、ドアの外へと駈け出した。


「うわっ、本当に凄い風」

 外はいつもの菜園の様子とうって変わって、木やツタが強風にびゅうびゅうとなびいている。これ以上ないというくらいしなっている木は、そのまま折れてしまいそうだ。比較的小さい野菜は、根っこから風に持っていかれてしまうのではないかと思える。


「マスター、ご注意ください。言うまでもなくかなりの強風です」

「分かってる。というかあんたは大丈夫?」

「私の方はご心配なく。マスターはご自身の身の安全を最優先にお考えください」

 堅苦しい言い回しでそう告げるダキニ。私の身の安全を憂いてくれるのはもういつもの事なので気にしない。


 ダキニを見るに、特に無理をしているわけでもやせ我慢しているわけでもないようだ。この使い魔は台風の中に放り出されても平気でやっていけるほど丈夫な体をしているらしい。


 本当に規格外ね。


「じゃあ、まずはもっと先に進むわ。菜園の端まで」

 私はそう言ってダキニと一緒に移動する。風をうまく操作出来たので、特に問題なく菜園の端までたどり着くことが出来た。


「ここからが本番ね。装果や宗谷さんが言っていたように木が暴風堤になってくれてるみたいだけれど、まだ勢いを殺しきれてないわね」

 防風林は確かに風の勢いをかなり削いでいるようだが、それでも小さい子供なら立っていられないくらいの強風だ。


「じゃあ、この菜園を覆えるくらいの規模で魔法を使うから。ダキニは何か飛んできたりしたら対処をお願い」

「分かりました。ご武運を、マスター」

 私は私の前方5メートル、そこから横幅をありったけ広げて、その範囲で魔法を行使する。


 風向操作の魔法は、原理を説明すれば光の屈折に似ている。


 理科で習ったことは無いだろうか? 私もかつて勉強したのだが、光は水面などに入るとそこでカクンと曲がるのだ。これは光が水に入るときにスピードが僅かに遅くなることで起きる現象で、水に入った光から遅くなるので、後から来た光がどんどん距離を縮めてしまい、最終的に光全体が曲がってしまうという事が起こる。


 これを風で同じようにやるのが、今回使う風向操作の魔法だ。


 もちろん、風に水をぶつけるのではない。風を瞬間的に掴むようにして、他の風と速度を変えて風の向きを操ろうというのが、この魔法の仕組みだ。


 一部の風を掴んで遅くすれば、他の流れがそこに入り込み、一定だった流れに乱れが生じる。その乱れが他の風に影響を与え、風全体の動きが変わる。これを利用して風の向きを上に下にと変えていくことが出来るのだ。


「よっと!!」

 私は魔力を込めてえいっ、と風を掴む。そうして変化した風の流れを読んでまた離し、すぐ掴む。これの繰り返しだ。

 自在に操るためには繊細な操作が必要になるし、素早い切り替えも重要になってくる。おいそれと身につけられる魔法ではないのだ。


 それでも私は何とか一方向に動かせるだけの技術はモノにしたし、やれると自負していた。


「ぐっ!? ふううぅっ!」


 はずだった。


「な、にっ! コレっ!? うまく、操作出来ない!?」

 予想以上に風が強いからか、それとも範囲を広く設定しすぎたせいか、一部に乱れが生じる。その乱れが引き金になるようにして、あっという間に全体のバランスが崩れる。


「風の動きが複雑すぎる!? 形、整えないとっ!」

 風は全ての場所で均等に吹いているわけではない。地形などでも変化するし、風がぶつかり合わさって勢いを増すこともある。その点もきちんと計算していたはずなのに、風が強すぎて思うように調整が効かない。


「このっ! くっ!」

 土壇場で今までの感覚を捨てて再調整をしなければならなくなった。あそこから吹く風はもっと強くて、ここにかかる風の力は、予想以上に防風林に抑えられてて……。


「ああもうっ! 見えないっ!」

 風と雨に翻弄されて視界も悪い。ただでさえ無色透明な風を掴もうというのだ。木の揺れる様子や雑草のなびき方などを見てその動きや力を見るしかないというのに、それすらも難しい。目をあけて前を見るのもやっとなのだ。


「マスター! 予想よりもずっと風が強いです! これではもう……」

「駄目よっ! まだやれるっ! もうちょっと、もうちょっとなのっ!!」

 ダキニに叫び返して、私はまた魔力を込める。風の一部を掴んで、流れを変えて……。


「えっ!?」


 不意に風の勢いが強まった。


 風の操作を誤り、上向きに吹くはずだった風をこちらに流してしまう。それが下から吹いてくる風と相殺されることなく混じり合い、瞬間的に凄まじいパワーとなって吹き付ける。


 柔らかい壁に勢いよくぶつかったような衝撃を受け、体がよろけ……。


 気が付けば、私の足は宙に浮いていた。


 私の体はあっさりと突風に持ち上げられ、そしてその勢いが失われた直後に、重力に従って体が落ちる。

 あまりに突然の出来事に、私は着地の姿勢どころか受け身を取るなんて発想も浮かばず、ただただ迫りくる地面との激突の瞬間を、スローモーションになった世界で待つしか出来なかった。


 あ、やばい、これ。


 心の中でそう思うも、どうする事も出来ない。私が地面につくであろう瞬間、襲ってくる痛みを思って目をつぶる。

 ばしゃあ、と地面に溜まった水が弾ける音。柔らかい感触。あれ、地面ってこんなに触り心地良かったっけ?


「大丈夫ですか? マスター」

「……え、あ、えっ!? ダキニ!?」


 私の背中から聞こえる声に、驚いて振り返る。


 衝突の瞬間、私と地面との間に割って入り込んだダキニのおかげで、私は衝撃から守られていたのだ。


 だが、私が受けるはずだった痛みを代わりに受けたのは……。


「だ、ダキニっ! 大丈夫!?」

 私は思わず叫んだ。

「大丈夫です。それよりもマスターの方こそ、お怪我は?」

 優しく微笑んでくる私の使い魔。その顔には泥が撥ねたのか、土で僅かに汚れていた。


 服もそうだ。レインコートを羽織らなかったダキニは、あの異形の装束をびしょ濡れにさせて、泥まみれになって地面に横たわっている。綺麗な髪も風にあおられて乱れ、その顔に笑顔さえ浮かんでいなければ、痛々しくて見ていられない様な格好だった。


 それでも、私の使い魔はそれが当然というように笑っている。


 私はようやく、目が覚めた。


「……帰ろう」

 私はぽつりと、それだけ言った。

 ダキニは私の言葉にただ、はい、とだけ答えて、帰りも私を庇うようにしてその身を盾にして守ってくれた。


 こうして私の台風対策一回目は、失敗に終わったのだ。

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