第2話 夢と果実と田の神と(前編)


 朝の始まりはメイドの淹れてくれたコーヒー。


 私こと栃豊亜琳は比較的裕福な生まれから、こんなちょっとした贅沢を許される身である。

 天蓋付きのベッドで朝を迎えながら、義理の妹であり私専属のメイドでもある栃豊装果とちとみしょうかが入れてくれる一杯のコーヒーを、眠気覚ましに優雅に味わう。


 カーテンから漏れる日の光が意識をクリアにしていく。今日もいい天気のようだ。


「お嬢様、御機嫌はいかがですか?」

 眩しい日差しに彩を添えるかのように佇む私の可愛い義妹であり、私の専属メイドであり、私の魔法の弟子であり、そしてこの屋敷の庭と菜園を手入れする庭師の見習いである彼女。

 ここまで自分で言っておいて何だが、肩書の多い少女である。

 ついでにまだランドセルを背負って学校へ行く歳でもある。

「うん、いう事無しだわ装果。でも悪いわね、折角の休みにこんなことさせちゃって」

 私が装果に向かってそう言うと、彼女は相変わらずの柔らかな笑みを浮かべて、綺麗な黒髪のショートカットをほんの少し揺らすようにして応える。

「いいえ、普段は学校で朝のお仕事が出来ませんから。お休みの日はご奉仕させてください」

 まるでメイドの鏡とも言えるような台詞に、思わず私はぐっとくる。彼女の大きめでぱっちりとした瞳が、まるで宝石のように輝いて見えた。

 今手にコーヒーカップを持っていなければ、メイド服に包まれたその華奢な体を抱きしめてしまっていただろう。


 彼女の言う通り、今日は土曜日。私も装果も共に学校に行かなくてもいい日だ。


 こんな日はもう少し寝坊してみたい気もするのだが、装果がこんな風に張り切るのでそれに合わせて起きてしまう。そして起きなければ起きないで執事のジイヤにみっともないと叱られる。メイドのご主人様といえども何かと制約が多いのだ。


 それに今日は、別の意味でも早起きしなければならない理由がある。


「お父様は、今はどこ?」

「旦那様でしたら今は朝食を召し上がっている所かと」

 自分の雇い主である戸籍上の父親を旦那様と言う装果。そういう身分でありそういう教育を受けているとはいえ、少しだけ世間の世知辛さを感じてしまう。


「お父様は食事も早いのね。今日はお休みじゃなかったかしら。うかうかしてられないわね」

 私は飲み終わったコーヒーカップを装果に返し、着替えるべくベッドから立ち上がる。あまりのんびりしていると、お父様はすぐに席を立ってしまうだろう。


 いそいそとパジャマのボタンに手をかけて着替えを始める。パジャマを脱ぐと、素肌に朝の気温がしみ込んでくる。柔肌を撫でられるような感覚が何とも心地いい。洗面所で顔を洗うと、意識がはっきりと覚醒した。


 装果が持ってきてくれた私のお気に入りの白いワンピースに袖を通し、肩までで切りそろえた髪をちょっと整えたら、はい、いつも通り可愛い私の出来上がり。


 鏡の向こうでは、三白眼がアクセントの可愛らしい細身の少女が天使のような微笑みを浮かべている。世の男どもが放っておかない美貌だ。お父様といえども、こんなに可愛い娘の頼みを断るなんてことはしないだろう。


 そう、私はお父様に直に会って話をしなければならない案件があるのだ。



――



「おはようございます、お父様」

「ああ、おはよう亜琳」

 朝食を持って食堂へ行くと、お父様はもう食事をほとんど終えていた。細身の体に似合ったすらりとした顔にきりっとした眉、自宅だというのにしわの無い白いワイシャツにぴしっと身を包んだ姿が、お父様の性格をよく表していた。お休みの日でも相変わらずキリキリと動く人だ。


「お父様、今日はお休みですよね?」

「ああ、そうだが」

 緊急で仕事が入った、という可能性を探ってみたが、それもないらしい。私と話す時間くらいはとれるという事で、ひとまず安心する。

「私も朝食ご一緒します」

 そう言って私も席に着く。にこやかにほほ笑む。可愛らしく清楚な娘を演じて。

 今日の朝食はハムエッグにパンにポテトサラダ。シンプルだが、我が家の自慢のシェフが作っただけあって、味は保証つきだ。


「そういえばお父様、今年もお母様の残した菜園で綺麗な花が咲いていますね。またお野菜や果物が沢山取れるかしら」

 最初は差しさわりの無いような、お父様の機嫌が良くなりそうな話題で攻める。

「ああ……うん、そうだな」

「私、お母様の残してくれた菜園が変わらず綺麗だと嬉しくなります。学校へ行く前、いつもそれを眺めていくんですよ」

「……」


 よし、前振りはこのくらいでいいだろう。お父様の機嫌が良くなったであろうところへ、本題を切り出す。


「ところでお父様、私の杖なんですが……」

 お父様の表情を見ると、何やら考え事をしているような、少し難しい顔をしていた。はて、今の一言でもう娘に新しい杖を買ってやるか否か迷い始めたのだろうか?


「実は、もうすぐ魔法少女試験があるので、それに合わせて新調したいんです。試験では難しい魔法も使わなければなりませんし、今の杖ではちょっと……」

 控え目な要素も混ぜつつ、かつ言葉を慎重に選びながらお父様の顔色をうかがう。

 上目づかいに甘えるように下からのぞき込むのだ。世の男たちはこういう仕草が大好きだと聞いている。自分の父親にも効果があるかは流石に自信がないが、さて……。


「亜琳よ」

「は、はい」

 少し緊張しながら答える。お父様の答えは是か非か。


「お前、本当に毎日あの菜園を眺めているのか?」

「え?」

 だが、返って来たのは予想外の質問。お父様は食堂の窓から向こう、丁度菜園が広がっているあたりを見て言った。


「庭師の宗谷そうやから話を聞いた。なんでも今年は病気と悪天候のせいで、菜園の植物はあまり花をつけてくれなかったそうだな」

「……え!?」

 私は思わず固まってしまう。


「最近の流行病と近頃の不安定な気候のせいで相当苦労しているそうだ。あの菜園の植物は昔からの方針で、出来るだけ農薬を使わないよう育てられてきたが、病気を運んでくる害虫の駆除に使用を検討しているらしい」

 私は全身から冷汗が出ていく感覚を覚える。血の気が引く、というのはこういうものかと初めて味わった。思わずお父様の顔から目を逸らしてしまう。


「私も昨日見たが、あまり綺麗なものでもなかったな。近年まれに見るくらいの不作の年になりそうだ」

 ああ、なんという最悪のタイミングだろうか。まさかうちの菜園が今そんなことになっているなんて。


 自分の家の庭だからこそ、毎日それ程気にかけているわけではない。そんな変化に気づかなかったのも無理からぬこと……と自分では思うのだが。


「そ、そう……ですか」

 私はこの上なく気まずい空気の中、お父様にから返事をしている。ああ、いい子ぶってこんな話題出すんじゃなかった。


 神様恨むよこの仕打ち。


「ところで亜琳、その菜園についてなんだが」

「え、あ、はい」

 そんな私の心境を察してか、お父様は穏やかな口調で話し始めた。ただ単に自分の娘に呆れているだけかもしれないが。


「お前、しばらく手伝ってみろ」

「あ……はい?」


 お父様の前で取り繕っていた品のいい態度にぼろが出るほどの一言だった。


 私は何を言われたのか今一飲み込めない状況で、改めて聞き返す。


「お、お手伝い、ですか?」

 お父様はそうだと一言置いた後、説明を始めた。

「うちに限らず近頃の農家は天候の変化に苦労しているらしい。私も仕事でそんな話を耳にした」

 ちなみにお父様の仕事は魔法業界の管理と統括。つまりかなりのお偉いさんだ。


「そこでだ。お前も魔法少女を志す身だ。うちの菜園で修行がてら、収穫の手伝いをしてきなさい」

「あ、あの……お父様、意味が分からないのですけれど」

 魔法少女を志すことと、菜園での手伝い、つまり畑仕事をすることと何の関連があるのだろう?


「近いうちに、農業の分野にも魔法の力が必要になる時代が来る。お前はその先方として知識と技術を今のうちに磨いておけ」

「ち、知識と技術?」

 勝手に進んでいく話。私はオウム返しのようにお父様の言葉を繰り返すが、実感などひとつも湧かない。


 だって私は……。


「そうすれば、将来魔法使いとして立派にやっていけるだろう。農業は不安定な仕事だからこそ、それをサポートする魔法使いなら、きっと世の中に貢献できる」

「……えっ!? ちょ、ちょっと待ってお父様!」

 私は今度こそお父様の話にきちんと待ったをかける。


「わ、私は魔法少女試験を受けるんです! 今他に手伝いなんてしている時間はないし、それに私は、魔法少女になりたいんです!」

 私ははっきりと宣言した。


 これは自分の夢だ。


 幼いころから夢見ていた憧れだ。なのにどうしてそれが魔法で農業を助ける仕事につけ、なんて話になるのだ。


 自分の将来くらい自分で選ぶ。なりたいものを目指す。


 これは誰にも文句なんて言わせない。


「い、いくらお父様の話でもそれは受けられません! それに農業だなんて、私これっぽっちも知りませんし」

「そうだ、だからだ」

 お父様は今にも激昂しそうな私を短い言葉でさえぎり、続きを話す。


「お前はあの菜園の事も何も知らないのだろう?」

「そ、それはあの……さっきは、適当なことを言ってしまいましたけれど」

 これには返す言葉がない。亡き私のお母様が残してくれた菜園だ。

 お父様の御機嫌を取るためだけにぺらぺらと嘘をついてしまったのは、流石の私もばつが悪かった。


「で、でも、それとこれとは話が違うじゃないですか!」

「いや、適当に言ったとか言わないとか、そういう事じゃない」

 お父様は立ち上がり、窓の傍まで歩み寄る。そこからはお母様の菜園が一望できるはずだ。


「亜琳、魔法とは何だ?」

「ま、魔法とは?」

 突然の問いかけに私は思わずたじろぐ。まるで面接試験でも受けさせられているような気分だ。


「ま、魔法とは、私達魔法使いが扱う神秘の術です。自然界の一部の力を利用して、様々な結果を行使する事が出来ます。基本的には無いものを生み出すことが出来ず、必ずあるものを動かすことでしか行使できない術、ですが……」

 私はたどたどしくも何とか答える。答えはこれで良かったのかと恐る恐るお父様の方を向く。お父様は変わらず窓の外を見ながら話す。


「そうだ。魔法は自然界ではありえない結果をもたらすことが出来るが、決して自然の枠組みから外れた術ではない。何もない所から何かを生み出すわけではないのだからな」

 一応お父様の想定していた答えだったことに私はほっと胸をなでおろす。


「それで亜琳、最近のお前の成績を見たが、自然魔法学の点数が随分と悪いようだな」

「うぐっ!?」

 お父様の前だというのに正直に声に出してしまった。いや、成績を知られているのなら隠しようがないことなのだけれど。


 ちなみに自然魔法学とは、その名前の通り自然の仕組みを理解して魔法に活かそうという科目である。


 内容は社会や理科で習うような季節による風の吹き方、地域での温度の違いや、溶岩の種類だとかを暗記するのに魔法の解釈を加えただけである。要するに普通の学校の勉強に毛が生えたようなものだ。


 ついでに私は、その社会と理科が苦手である。


「魔法は自然界の一部の力を利用して、様々な結果を行使する事、ではなかったか?」

「その……その通りですが」

 自分の言った事で追いつめられる私。確かに頭では自然魔法学も大切だとは理解しているのだ。が、どうしても日程が近いこともあって魔法少女試験ばかり優先して準備していたら、結局一番興味の薄い自然魔法学で点数が悪くなってしまった。


「今一度、基本に立ち返って農業という自然から魔法を見つめなおしてこい。これは必要な修行だ。それにこの機会に少しはあの菜園にも興味を持て。あれはお前の……」

 そこまで言いかけて、お父様は黙ってしまう。何を言いかけたのか分からないが、それよりももっと大きな問題を抱えてしまった今の私には気にかける余裕もなかった。


「とにかく、夏休み中はあの菜園でつきっきりで手伝いをしろ。私からも宗谷に言っておく。何か具体的な成果を挙げられなければ、新しい杖どころか魔法少女試験も無しだ」

「そ、そんなお父様……」

 言うだけ言って部屋を後にするお父様の背中に、私は力なく声をかけるしか出来なかった。


 こうして私の、ひと夏の農業生活が始まったのだ。

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