出発準備する面々
少し時間は遡ってお父さんの真一が町田さんの家に釣りたての石鯛を持って行った時のことから。
「――いやー、いつもお世話になりっぱなしですからー、これ位で良ければいつでも釣ってきますよー」
町田さんの家の日本家屋らしい玄関の土間で町田さん夫婦にぺこぺこと頭を下げる真一。
「いやはや、芹沢さんありがとうございます。こんな立派な石鯛はをー、私は刺身には目が無いもんでなー! 寿子、今日の晩飯が楽しみだな!」
がはは、と笑う町田さんの旦那さんは恰幅がよく禿頭で、かつて柔道の師範だったこともあるという町内では有名な盟主である。柔和な感じで子供たちにも人気は高い。
「ほんと、いつもありがとうございますね」
「あの、芹沢様、ステファニーさんと奥様にも是非お礼を。あっ、私の服もいただいてしまったし」
ご夫婦の間にちょこんと顔を出す今日は女性らしいシルエットのアイレさんは少し真一を介して礼をしてもらうことにためらいつつも、遠慮がちにお願いする。そんな様子は真一も解ったようで、
「うん、言付かって置きますよー」
と笑顔で応じてもらうとほっとした息をついた。
少し世間話をし、京都の実家に帰省する話がでたところで、
「そういうわけで、明日の晩から十四日まで、家を空けるのでよろしくお願いしますね」
真一が町田さんのご主人に頭を下げる。
「あいわかった、いやー、芹沢さんのところは仕事が震災以降大変だったでしょうからねぇ、ゆっくりしてらしてください。うちのなんかは京都の土産話をもう心待ちにしてますがね。防犯の見回りをしてる連中にも連絡しておきます」
と、スチロールの箱に氷と入ってる石鯛から目を上げて、真一に大仰に任せとけと頷いた。奥さんも、
「金魚さんたちの世話は大丈夫なのかしらねぇ? 雨戸くらいは開けたり閉じたりしに行ってあげましょうか」
とまで言ってくれる親切ぶり。
「金魚は大丈夫です! 無人で世話をしてくれる道具を作ったんですよー、そこまで言ってくださってありがとうございます。お土産も買ってきますし! 楽しんできますー」
ぺこぺこ頭を下げながら、笑顔で応える。町田さんのご主人とは家にいるときは近所の旦那達で飲みに行く時も一緒だし、真一とは二回りほど年は離れているが、こんな感じで馴れ馴れしく楽しくやりとりできる相手だ。そんな様子を見ていたアイレはお父様のこんな笑顔はなかなか見ないなぁと、町田さんのご主人様の意外な一面を垣間見たのだった。
そして、その日の夜の芹沢家。
父は金魚の水槽を何やら大改造し始める工事をしていて、
兄は自室に籠もって友人達にお土産の要望を覗っているタイミングで、
たまたまリビングに女子だけになったとき。
「お母さん、私ほとんど準備終わったよ。服も入れたし、あーあと、浴衣と、一応おばあちゃんに見せる着物も入れたし」
花華は一息ついてテーブルに着いて向かいに座ってテレビを見ている早苗に言った。
「うん。順調ねー、あたしもほとんど大丈夫かなー、煮付けは調理中だしー」
キッチンからはことことと鳴る鍋から漂う醤油と魚のなんとも香ばしい香りが流れてきている。その日忠達が釣ってきた魚の残りは煮付けにして実家に持っていくのだ。
「うーん、いいにおいですね! 地球のお魚の料理はいろいろあってあんなに美味しいなんて、私知りませんでした。私もほとんど準備終わりましたよ。お母様からいただいた服で鞄が重くなったのは嬉しいですー」
椅子にひょいと乗るステファニーさんも、煮付けの匂いに顔を綻ばせつつ話に参加する。母星から出てくる時に持ってきた彼女の銀色の大きな鞄の中は、来るときは最低限の、この星で少しでも金銭的価値が付くような貴金属類や硬化類といった実際ほとんど使わなかったものとか、本と衣服と靴と保存食などだったが、今回持って行くのは大半がこちらに来てから早苗に作ってもらった衣服。夏祭りがあるからと、浴衣に忠に買ってもらった下駄等。地球の物で自分の鞄が膨らむのは彼女にとってはとても喜ばしいことだだった。
「ふふ、そう言っていただけると作った甲斐がありますわ。ステファニーちゃんの鞄大きいから重そうよねぇ、あ、魔法で軽いのかしら」
「実はそうなんですよ、後で持ってみますか? 羽みたいな感じでー、あ、そうだ、皆様の荷物にも魔法を掛けましょうか。旅が楽になるかなぁ」
郷に入ってはで、地球に来てからはなるべく魔法の利用はしていないが、楽をするためではなくて、恩返しのため、ならばそんなに相手の文化レベルを破壊する行為とまでは言えないだろう、王様は魔法の利用を禁じたりもしていなかったし、と考える。
「あら、ありがたい申し出ね。そうねぇ、こういうのは国際レベルの問題になることじゃないでしょうからお受けしちゃって大丈夫なのかしらね?」
「まぁ良いんじゃないのー? 好意は受けても。でもそう考えると魔法ってやっぱすごいわー」
花華は開かれた襖から覗くステファニーさんの銀のキラキラと輝く鞄をみて頷いた。
「そうだ、ステファニーちゃん、道が空いてるから出発するのは明日の真夜中なんだけど、なにかしておきたいことないかしら? ちょっと長旅だから忘れ物があると困るしねぇ。あ、花華は宿題ちゃんと持って行くこと。お兄ちゃんにも言ってよね」
「うんそれについてはもう。鞄にも入れてあるしー」
「そうですねぇ、しておきたいこと、忘れ物。……あ、そういえばステラ先生が仰っていた事が――」
と、国の要請で受けた健康診断のことを思い出し彼女が呟くと、早苗と花華も思い出したようで、
「ああ、かかりつけの婦人科かぁ。湘南記念病院がここら辺だと大病院だし、わたしがこの子達産んだときにもお世話になってるわねぇ、あと確か鎌倉駅の前にも女性用クリニックが新しくできたような~、おとうさーん、そういえば今朝の広告どうした~?」
早苗が大声で真一に問うと、金魚の全自動餌やり機を取り付ける工事の手を休めて真一が、階段下の収納から広告の束を取り出してくる。
「ごめーん、読んだと思ってしまっちゃったけどこれかな」
「ああ、これこれ、サンキュ。えーっと確かこの中にー」
真一はさっさと自分の作業に戻ってしまい、早苗はほどなくして目当ての広告を見つけ出した。
「あった、これこれ」
「なになに? ゴブリン族向け病院一覧かー」
上半分は地球の日本語で、下半分はゴブリン族の言葉で表記されている。
「あ、私もこれなら読めそうですー」
テーブルの上に半身を乗り出してステファニーさんも読み込むと、どうやら目当ての婦人科の話も載っていた。やはりゴブリンには女性が多いからだろうか。
「うん、日曜もやってるってあるから明日行ってみましょ。やっぱり近いのは湘南記念病院だしそこねー」
「はい、お願いしますー、保険証のカード持ってかなくちゃ、長旅ですしね、向こうで生理になって皆様にご迷惑掛けると困りますし。準備しておきたいんです」
「そうねぇ。まぁ診察とかは気軽に受けられると思うし、大丈夫よ、安心してー。花華もそのうちかかるんだからそんな顔しないの」
ちょっと複雑な顔をしていた花華は自分に話が回ってきて少しびっくりしつつも、
「ま、まぁ私その、あんまりひどい方じゃないし不順でもない方じゃない? だから病院とかもかかったこと無かったからちょっとその……」
ごにょごにょ言っている様子をみて、
「よし、では明日は女三人病院ツアーといきましょー」
と、早苗がバッサリ決断したのだった。
一応後ほど真一と忠にも事の次第を話したところ、大事かと心配されてしまったが、そうじゃないと早苗が説き伏せたところ納得がいったようだった。
釣りが無いので遅くまで寝られた翌朝の日曜日、
忠が起きてくるともう母と妹とステファニーさんの三人は出かけた後らしい。
「まぁ女性は大変だなー……」
と、寝ぼけ頭で呟き、携帯をチェックすると通知が何件か入っていて、
クラスの仲良しの面々からお土産はこれな! という要望が来ていた。
その要望に混じって、川瀬さんから「今日ちょっと会えない?」とメッセージが来てたので寝ぼけがすぐに吹っ飛んだ。
すぐに用意して自転車に乗って鎌高の正門前へ。
急な呼び出しにすこし胸をときめかせて焦った忠は、 10時頃とあって蝉の鳴き声とうだる暑さに面食らいながらも高校に来た。
正門から入ると、すぐに木陰が若干ある大きな木々が植わっている道がある。学校の敷地はわりと広々としており、すぐ校舎というわけでもない、右側に大グラウンドがあり、この暑さにもかかわらず野球部やらサッカー部なんかが練習している様子が見えた。左の階段を上れば校舎であるが、階段のところで私服の川瀬さんが待っていてくれた。
「あ、忠君おはよー、ごめんね、起こしちゃった?」
駆け寄る忠も私服。夏休みとあって先生に見つかってもとがめられることはないだろうし、校内には養護学校なんかもあるので私服でうろちょろしていても怒られる校風では無い。
「ううん、僕ももう起きてたからー」
ジーパンTシャツで自転車を押す忠と、白いブラウスに黄色のスカートの川瀬さん。
「しっかし、暑いね、あ、自転車置いてくるね。日陰行こう」
「うんそうだね、暑いのに呼んじゃってごめんね」
「ううんいいよー。」
忠が自転車を置いてきて、二人で校庭が眺められる木陰で、
「あのね、その、忠君にお土産のリクエストなんだけどー」
「ああ、みんなに聞いてたしね、何が良いかな?」
川瀬さんは遠慮がちに鞄から小さな手帖のような本をとりだす。
「ああ、これ、御朱印帳?」
「そうなの。まぁ女子の間で流行っているっていうわけでも無いんだけど。私興味あって集めてたんだー」
コレクター癖なんてのは大抵男子の趣味が多いからーなんて思っていた忠は意外だったが、けれど川瀬さんの話を聞くに、御朱印集めとかは目下女子に人気があるらしい。京都に忠が行くと聞いてさりげなくチャンスを覗っていたようだった。忠としては、すこしこんな秘めた趣味みたいな頼まれごとをされてしまうと嬉しくて、
「うん、いいよ。お父さんの実家からすぐ近くにもいろいろお寺とか神社があるからー、できる範囲で集めてくるね。ステファニーさんと一緒に回ってくるよ!」
と快活に答えた。
「わ、ほんとに! ありがとうー。あ、御朱印のお代は後でちゃんと払うからね。そっか、ステファニーさんは日本のお寺とか神社とかは~」
「こないだの鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りには来たけど、ちゃんと回った事は無いからねーかなり彼女も楽しみにしてるみたいだよ」
「そうなんだ、忠君も楽しんできてね」
「うん、僕もこういうスタンプラリーって言うか何か集めたりするの好きだからちょっと楽しみになってきたよ、ありがとう川瀬さん」
「えへへ、ありがと」
ふわりとした笑顔を浮かべた川瀬さんになんとも嬉しくなってしまう忠は、
「そうだ、暑いし帰りにジュースでも奢るよー高校で、私服で、図書館以外で会うなんてなかなかないから嬉しくてさ」
「えっ、私の方から呼び出したのに悪いよ」
言いつつも川瀬さんの方もこれでただいってらっしゃいというのは寂しいかなと思っていたので良かったような。
そのあと、前回の警察へ行った後の話なんかを少ししてから、
「じゃあ気をつけて行ってらっしゃい」
と背中を押すように声を掛けられた。
「はい。御朱印帳楽しみにしててね! あー、あと……」
ちょっと考え込んでしまい、どうしたの? と川瀬さんに顔を覗かれて慌ててしまうが、彼女には何かちょっと、ちょっとだけ特別なお土産を買ってきてあげようと思う忠だった。
「ううん、お土産も期待しておいてね! って言おうと思って」
「ふふふ、ありがとう、あんまり無理しないでね」
ふわっと木陰を通り抜けた夏の風にショートボブの内向きの毛先を揺らしながら彼女は笑顔で応える。
その後忠がご機嫌で家に帰宅する頃には、女三人衆も帰宅していて、夜の出発に向けた準備を皆で進めたのだった。
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