父と二人。男は釣りで語り合う

 早朝三時過ぎの江ノ島の東端にある湘南大堤防は、夏休みの真っ盛りと言うこともあり、朝の日の出前の時間にもかかわらず釣り人が散見され、それも結構な人数がその日も出ていた。

 その日は波も穏やかで、晴れて天気も良かったし、釣り客は狙っていた日よりだったと言うこともあるだろう。

 隣のヨットハーバーの為の大駐車場に車は置いて、二人もそこにやってきた。

 湘南大堤防はその名の通り堤防で、右側が防波堤で灯台も先にある他より数メートル高い壁になっており、海に突き出ている東側とヨットハーバーの内湾側の北側は海面から1,2メートルの高さのコンクリで出来た護岸で釣り客はもっぱら東側と北側の護岸で糸を垂れる。見た目は大きな100メートルトラックのほどの四角い空き地である。

 意外にも広いので、同じ大堤防の中でも何処で釣りをするかで獲物が微妙に違っていたりもするのだが、今日は東の突端の側に人が集まっていた。

 どれどれと釣り人が集まる東の突端に行くと、二人もすぐに人が集まっている理由が解った。

 空はまだ白み始める前の夜空なのに、遙か沖に見えるテラリアの頭にはもう陽が当たっているらしく雲の上に上弦の月のように美しく輝いているのが見えるからだった。

「なるほど、皆コレを見つつ釣りするのかー」

 魚を入れる保冷バッグと竿を二本持った真一はテラリアを仰ぎながら背中を反らせる。

「わー、ただの釣りスポットだったのに絶好の観光スポットにもなっちゃったんだねぇ大堤防」

 母から預かったお弁当のバスケットを抱えて忠も夜空の上に輝いている蒼い星を見る。

 釣り人達も溜め息を吐く様にしながら上を見ながらそれぞれ釣りをしている。

「お父さん、ここの端っこの方まだ空いてるみたいだからそこで釣りしよ」

「そうだな、そうするかー」

 灯台よりの一角で久しぶりの釣りの準備を始める。

 海風は穏やかで、潮の匂いは心地良いし、夏の日の出前とあって少し肌寒いくらいで、しっかり長袖の釣り用ジャケットにして正解だったと忠は思う。

 いつもはゴカイ等の生き餌を使うのだが、ステファニーさんが見たらびっくりするかな、と真一は前日に釣具店で上等な小エビの生き餌を用意していて、

「エビなんか用意して釣れないと悲惨だねぇ」

「まぁ雑魚ばっかってことはないだろー時期もいいしねー」

 等と笑い合いながら、二人で準備を済ませ糸を垂れる。


 暗闇だった空の高い位置の雲から光が当たり始め白く見えてきて、

 空も徐々に明るくなってくる。

「はい、お父さんコーヒー」

 弁当のバスケットのなかにあった水筒にはホットのコーヒーが入っていた。

 紙コップも入れてくれてあったので二人分を注いで忠が差し出した。

「お、サンキュー。そういえば忠ももうブラックでも飲めるのか?」

 コーヒーからは淹れ立ての香ばしい香りがしている。 

「うん。まぁ苦いのはあんまり得意じゃないけどね。花華はお砂糖たくさんないと飲めないみたいだけど」

「はは、そうか、二人とも大きくなったんだなぁ。いつも二人のことは早苗さんに任せっぱなしだからなー。そういえば釣りに来るのも久しぶりか」

「そうだねぇ、前回は裏磯の方だったかも知れないー」

 前回は恐らく数年、五年以上前だったように思う。

「震災からこっちは忙しくてなぁー、なかなか時間が取れなくてゴメンな」

「ううんいいよ、僕はお父さんが造船の仕事をしてるのはちょっと自慢だったしねー。それに忙しくて、儲かってるなら良いに越したことないよ。高校上がってからお小遣いも上がったし。お母さんも服とかすこーし綺麗になったしね」

「早苗さんが綺麗になったのはステファニーさんが来てからかと思ったけど、そんなところも影響してたのか」

「うん、それもあったみたいだけどねー。いやー若くて美人のお母さんって言うのはちょっと困ったもんだけどまぁ、お父さんの前でぐらいならいいんじゃない?」

「ははは、忠にそんなこと言われるとはなー、たまに戻ってくるもんだな、っと、忠、引いてるぞ! 糸!」

 会話しながら数口飲んでたブラックのコーヒーのカップを横に置いて、リールを巻き上げてみると、タコが付いてきて、ぴゅーと水を噴いていた。

 全長30センチ前後だろうか。まぁハズレでは無いので保冷バッグに入れる。

「タコかぁ」

「お昼はたこ焼きかなー、もうちょっと大物も欲しいな。よし、次は父さんの番だな!」

 第二投。徐々に朝っぽくなる江ノ島から見る太平洋、沖には船や鳥が舞うのが見えてくる。

「――で、忠、ステファニーさんとは実際どうなんだ?」

 されるだろうなーと思っていた話題の一つだった。が、父が言うどうというのは……。

「仲良く出来ているのか? 迷惑は掛けていないのか? っていうんじゃなくてだなぁ……、なんていうか、その、な、仮にも嫁入り前の娘さんを預かることになってしまったわけだからなぁ。悪漢から守ったのはでかしたと言えるがー」

 小心者の父は控えめだが忠の素行を心配しているのである。

「うーん、僕も高二だからね。あそこまで綺麗な人だし、優しい人だし、そりゃー仲良くなりたいんだけどね。まぁ。半分は友達として、もう半分は男性として、なのかなぁ。でも、お父さんの心配は解るし。うん。良いお姉さんだとは思ってるけど」

 忠は自分でも異性の事を自分の口から冷静に分析して父にこう喋るんだ、というのに意外性を感じた。まぁいままでそんなことしたことがなかったからだけれど。

「ふーむ」

 父は複雑な顔をして水面を見つめている。

「でも、僕は花華にお姉さんが出来たみたいな感覚かな? しかもとびきり素敵なお姉さんなのは少し羨ましいくらいかな」

 というと、ふっと息を吐いて父も難しく考えるのを辞めたようだった。

「そう言えば、話したことがあったか忘れちゃったけど、忠が産まれる前、

 一番目は男の子と女の子どっちが良いかって早苗さんと散々話し合った時があったっけなー。結局どっちでも二人目は違う性別が良いねって、もし男男だったら女の子が産まれるまで頑張らなきゃー! とかって、早苗さん嬉しそうだったな」

 そんな話は初耳だった。だが忠は妹がいてくれて良かったとずっと思っているし、

 今になって素敵なお姉さんが来てくれたことも良かったと思っている。

 身近な兄妹とは言え異性がいるのは、まぁ思春期はむずかしいけれど、良いのかも知れない。

「お母さんは一人っ子だったからかなー?」

「まぁ、それもあるかもなー、しかし、素敵なお姉さんかぁー、僕もお姉ちゃんが小さい頃は欲しかったもんさ、って来たな!」

 つつーっと海面を真一の竿から降りた仕掛けのウキが動いた。

 慌てて巻き上げているのでばらしてないかと心配になったが、海面近くまで獲物が上がってくると魚影は意外にも大きく、竿も大きくしなった。

「お、これは良いサイズかもな!」

「やったね、お父さん」

 引き上げてみると50センチに多少届かない程の黒鯛で、江ノ島では一番人気のある魚だった。

「おーコレなら皆喜ぶかなー、凄いねお父さん。僕も負けてらんないな!」

 忠は腕まくりして第三投。

 すると今度はすぐに当たりがあって、30センチほどの石鯛が釣れた。

 先程父が釣り上げた黒鯛は銀色の鱗のまさに鯛なのだが、石鯛は黒い縦縞がある観賞魚のような見た目である。ちなみに食べるとどちらも美味いけれど。

「石鯛かー、もうちょっと大きいサイズがいいなー、あ、そろそろ、お弁当でもたべながらにしようかー」

 早苗から預かった弁当のバスケットを開けると、綺麗にサンドイッチが包んであった。片手で釣りをしながらでもと配慮してくれたようで、一つづつラップに綺麗に包んである。父の分を渡すと、小さな紙切れが包みの中にあったのに気がつく。

「あ、なんだ、花華からだよ」

 と言ってその紙切れを忠が真一に渡す。

 そこには花華の可愛い文字で、

『お父さんお兄ちゃん頑張って! 大物たのみまーす! お弁当は私も作るの手伝ったからね!』と書いてあった。

「こりゃー花華様にも怒られないようにもっと釣らないとな~」

「だねっ!」


 それから二人は、美味しいサンドイッチを食べながら、

 テラリアの事やうちのこれからのこと、京都の里帰りの事などを話し合いつつ、

 数匹つり上げて、朝日が昇ってきた5時過ぎに帰宅することにした。

 その日の釣果はなかなかで、今日一番の大物は忠が釣った真鯛だった。

 男二人での久々の釣りは楽しく、今度は必ず近いうちに来ような! と帰り際に忠に約束する真一だった。

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