夏の月夜の歌声の

 その晩も冷蔵庫の中身を減らすレシピとプラス一品テラリア料理ということで、

 簡単なお漬け物のようなテラリア風の料理を早苗がステファニーさんの指導のもと作り、

 それも彼女には好評で皆満足していた。

 夜、明日は忠と父の真一が早い時間にドタバタするのも解っているから、

 花華はステファニーさんの部屋で寝ることにして一緒に寝室にいた。

 彼女の部屋は和室で、床に布団が敷かれている、

 彼女の布団のお隣に、花華も布団を敷いて、ぴったりくっつけて、花華はごろりと横になっている。

 ステファニーさんはすとんと布団に腰を下ろして、赤い綺麗な彼女の長い髪を櫛で梳かしている。

 さらさらと音が聞こえる彼女の髪。

 ステファニーさんはご機嫌で鼻唄を唄いながら櫛を入れている。

「ステファニーさん、髪とっても綺麗」

 うっとり眼で花華がそう言うと、花華の方に向き直って座り直して、

「花華さん、ありがとうございます。花華さんの髪だってとっても綺麗ですよ?

 そうだ、私が終わったら花華さんの髪も梳いてあげます~」

 笑顔のステファニーさんが使っている櫛は、きっとテラリアにいた頃から使っている貴重な物で、

 花華は私はコレで、と自前の櫛を出そうとするのだが、

「そのまま、そのまま、この櫛、貴重だったり大切だったりもするんですけどね、

 花華さんなら大丈夫です。ちょっと魔法も掛かってるので綺麗に髪が整うんですよ」

「そうですかぁ、……ならお願いします。

 魔法かぁ、それでいつもステファニーさんの髪は凄い綺麗なんですね」

「そんな大した物じゃないですけど、ありがとうございます。さ、私は終わり。

 花華さんちょっとこっちにきて、背中向きに座って?」

 彼女がやさしくぽんとパジャマの腿の部分を叩いて手招きするので、

 甘えさせて貰おうと、彼女の前に腰を下ろして背中を向ける。

 ステファニーは花華の髪を手で一束取って、

「花華さんはまっすぐで綺麗な黒髪ですねー、日本人の理想みたい。素敵な髪」

 座った花華の頭頂から髪を梳くには、ステファニーは膝立ちにならねばならず。

 花華は姿勢を低くしようかとしたが、

「大丈夫よ、そのままで。背中は伸ばして、胸を張ってて、そうした方が綺麗だわ」

 極めて優しい声音で耳の後ろでそう囁かれてしまうと、ドキリとする花華だったが、

 確かに無い胸でも上向きに張っておけば多少の山には見える。はず。

 ステファニーはまたご機嫌そうに花華の髪も魔法の白い櫛で梳いていく。

「ステファニーさん、今日はご機嫌ですねー」

「ふふ、そうね。鼻唄しちゃうくらいご機嫌かもしれないです」

「どうしてですかー?」

「もちろん、花華さんと皆さんのおかげで、テラリアの食事が久々に味わえたからかな。

 お味もとーっても美味しくて。

 そう、日本語ではお袋の味って言うんですよね? まさにそれでした」

 お袋の味かぁ、と、花華は長いこと親元を離れたことは無いから想像だに出来ない。

 母の味、国の味、星の味かぁと考える。

「テラリアは一年が日本の夏と同じような気候でしたからねぇ、ああいう味のものが多いんですよ」

 花華が昼と夜のテラリアの料理を思い浮かべているのを察して彼女が言う。

 夜に食べたテラリア風のお漬け物は変わった風味付けの香辛料が入っていた。

「そのうちテラリアの料理屋さんとかも出来たら美味しそうだから行ってみたいですね!」

 一足先にそこまで考えて呟くと、

「いいですね! それ! 皆さんと行けると良いなー」

 そう答えてから、また鼻唄混じりで花華の髪も梳かしてくれた。


「ステファニーさんありがとうございました。

 なんかすごい気持ちよくって! 私寝ちゃいそうでした」

 お布団の上で向き合って、

「いえいえ、お食事のほんのお礼です。魔法にリラックス効果みたいな物も掛かってるんですよねこれ」

「そうなんだぁー素敵な櫛ですね」

「見てみますか?」

「いえいえ、大切な物なんじゃ?」

「花華さんなら大丈夫ですよー」

 おっかなびっくり受け取ると、何かの動物の骨のような白い櫛に、

 太めの黒い筋が一本付いていて、その筋の中は星が輝くようにキラキラと光っていた。

「わ、すごい」

「その櫛、私の家に代々伝わっている家宝なんです」

「えっ!」

 慌てて取り落としたりしないようにしっかり掴まえる。

 彼女の家宝と言うことは王家の家宝ということだ。

「大丈夫です。魔法で壊れないようになっていますから。

 その櫛、私も本当かどうかは解らないんですけど、竜の鱗で出来ているって母には伝えられました」

 ステファニーさんは優しい金色の瞳で花華が大事に持っている櫛に眼を落とした。

「竜の鱗ですか!?」

「地球の方の想像するドラゴンとはちょっと違うのかも知れませんけどねー?

 最初の接触をした異星人達を埋葬した後、

 テラリアや周囲の四つの星には魔法が溢れた時期があったそうです。

 私達や周囲の星々の生命もその頃はまだ若い文明でしたから、魔法という力を手に入れたら、

 皆使いたがった時期があったそうなのです」

 不安そうな花華の顔を窺って、花華の持つ櫛にぽんと彼女も手を重ねて続ける、

「戦争かどうかは解りませんが、

 私達の先祖が大いなる魔力を使おうとした時、

 竜が現れたそうです。

『彼の者、時空を越えうる思いを遺し果てたり、ここに大いなる争いを禁ず』

 という先人の言葉を示した後、竜は争いを諫め、

 それからしばらくして、人々が平和の為に魔法を使い始めると、褒美として、

 その鱗を与え、それは金になり、銀になり、万病の薬になり、楽器になり、音楽になって

 人々を癒やしたそうです。

 そしてその今でも残っている残滓がこれというわけです。

 地球でもそうでしょうけれど、平和でなければ女が髪を梳くことなんて出来ませんからね、

 そういう言い伝えで残っている遺物なのかも知れませんね」

 重ねた彼女の手は小さいけれど温かく。

 やはりゴブリン族は争いを好まない種族、というより宇宙で隣り合って暮らしていける、

 環境を求めていた様にも思える。

 花華は櫛ごとそっとその手を握りかえして、

「きっとその竜もステファニーさんみたいな性格だったんでしょうね~。

 あったかくて、やさしくて、可愛くて。

 地球でゴブリンさんたちと争いが起きたりしないといいなぁホントに」

「そうですね、ありがとうございます」

「さ、寝ましょっか!」

「はい」


 部屋の電気を消して、二人で横になる。

 花華にとってはテラリアの貴重な歴史の一端を知った日になった。

 竜の事もだけれど、まだまだ地球人が知らないテラリアの歴史はたくさんあるだろう、

 5万年もの歳月を掛けて作り上げた文明の終焉がこの地球に流れ着く事だったなんて、

 彼らはどういう思いなんだろうか。

 一方私達の数千年に過ぎない文明の話もまた彼女たちにしなくてはならない。

 後半は哀れな戦争の話しか無いかも知れない。

 でも、伝えることで相互の理解に繋がるならば。

 窓からの月明かりだけの部屋で、花華がそんなことを考えながら、

 毛布の縁をもって天井を眺めていたら、ふと視線を感じ、ステファニーさんの方に首を向ける。

「花華さん、眠れませんか?」

 彼女は毛布を胸まで掛けて、長い赤い髪に顔を埋めるようにして花華を優しく見遣る。

「いえ、ちょっと考え事を……柄にも無いんですけど……」

「テラリアの歴史は、長いし、重いし、厄介なので、そんなに難しく捉えないで下さいね」

 意外にも彼女は気丈な笑みでそう言った。

 5万年もの織り重なった歴史だ、当事者からしたらそんな物なのかもと、

 思いつつも花華が眼を丸くすると。

 彼女が右手を天井に突き出して、人差し指をたてて円を描いた。

 円は月明かりにぼんやりと光り、天井に達すると、まるでそこが天への窓になったかのように、

 ここからじゃあんまり見えない綺麗な、天の河まで見られる星空が見えた。

 なんて素敵な魔法なのだろう。

「わー!」

「忠さんが、起きてたら、彼からも見えるように細工しちゃいました」

 花華は天に広がる星空に夢中だけど、ステファニーさんは可愛くウィンクした。

「さて、花華さんが眠れますように、もう一つ。私の星に伝わる、子守歌を歌いますねー。

 私も母にずーっと歌っていて貰った歌なのです。いつか聴いて貰いたかったし、丁度良いかな」


 星空の天井の下で、すっと彼女が息を吸い、

 優しい声で謳ってくれた。


 ――夜中に 邪星が光るころ 星屑の声が 聞こえる


 とめどなく流れてく、人たちや、思い出や、思いやり


 今出会い、明日が、もしも、来なくとも


 夢は醒め、星に帰る日が、来る


 大地の歌、海の母の声が、聞こえる


 いつかまた、出会えるときを、信じて


 手のひらに、満ちる涙を、星空の海が見つめる――


 とても優しい歌だった。歌詞は悲しいようにも思えたが、

 彼女の気持ちが伝わって、蕩けるように心に広がって。

 花華は眠りに落ちていった。


 花華の部屋の上の部屋で、急に天井が星空になってしまい慌てふためいていた忠も、

 彼女の歌声が網戸越しに開け放った窓からゆるりと聞こえてきて、

 なんとなく、そうか、と納得して彼女の歌声を聞いていた。

 明日は久しぶりの父との釣りなので、興奮してなかなか寝付けなかったのだが、

 そんな彼の心配をも一瞬で彼女の澄んだ歌声は拭い去り、優しい眠りへと誘った。


 次の日の朝三時。

 携帯のアラームで目が覚めた忠は、そっと自室の天井を確認するが、

 そこは昨日見た夜空では無く、ただの天井に戻っていた。

 彼女の歌声が余りにも綺麗で、寝ぼけていたんだろうか? と思いつつ、

 眠たい身体を布団から起こして、

 服を着替えて、釣り用のポケットが一杯付いているジャケットを着て、

 まだ寝てるだろう母と妹とステファニーさんを起こさないようにそーっと階段を降りる。

 が、ステファニーさんは起きていてくれたようだ。

 玄関でブーツの紐を結んでいる真一の後ろにパジャマ姿で立っていた。

「あ、お父さん、ステファニーさんおはよう、ございますー」

 母と妹に配慮して極力声は殺して挨拶した。

「忠おはよう! きちんと起きられたみたいだな、顔洗っといで、お父さんは車で待ってるね!」

「忠さんおはようございますー。お父様、これ、キッチンに作ってありました、

 お母様からお弁当です。忘れず持って行ってくださいね!」

 彼女は母が作ってくれてあったバスケットを忘れないように持ってきてくれていたのだ。

 わーありがとう、と父が受け取る。

「ステファニーさん朝早くにありがとうございます。

 ……あ、あと昨日のって夢だったんでしょうか?」

 寝ぼけた頭ではイマイチ的を射た問いを発せ無かったのだが、

 ステファニーさんはにっこり頷いてから。

 玄関からバスケットを抱えた真一が出て行くのを待ってから、

 忠の顔に頭を背伸びして近づけて。

「――魔法と、歌は、ほんの気持ちです――」

 とまるでちょっとした告白のように甘い声で言ってくれたので、

 顔を洗う前に完全に忠は眼が覚めた。

「あ、りがとうございますぅー」

 あ、だけが普通の大きさの声よりちょっと大きくなってしまったので、自分でも声にびっくりして

 あとは先程までのひそひそ声に戻して、あわてて顔を洗いに洗面所に向かった。


 そして出がけの忠に、

「忠さん、大物おねがいしますねー! 気をつけていってらっしゃい」

 とステファニーさんがその背中に優しく声を掛ける。

「はい、いってきまーす!」

 忠が元気に玄関を出て行くのを見送って、彼女はもうちょっとだけ眠ろうと、

 花華の眠る寝室に戻っていった。

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