第三章

 

 翌朝、カレンが起きると部屋はおろか家全体が静まり返っていた。

 すぐに窓のカーテンを開け日の光を取り入れる。が、ここはもちろん倫敦、日が出ている日は数えるほど少ない。その日も鈍い光が窓から差し込んでいた。

 時計を見ると、丁度八時を回ったところ。いつもアールスが起きていてもおかしくない時間だが、なぜか静かだ。

 カレンは着替えを済ませると、部屋を移動した。真っ先に工房に向かうと、机に突っ伏して寝ているアールスがいた。工房の明かりはついたままだった。

 近寄ると、傍らになにやらメモがあった。そこには、依頼主に伝えるのであろう必要日数と金額、そして、メモの大半を修理箇所の推定に使われていた。

 それを見たカレンは、呆れた顔をしながらもどこか笑っているような顔をして、工房に備え付けてある蒸気機関の火を焚き始めた。少し冷えていた工房内は瞬く間に温まり、カレンはそのままアールスに持ってきた毛布をかけた。キッチンから紅茶を淹れて、サンドイッチと共に工房まで持ってくると、カレンはそのまま朝食をとった。

 その後は、アールスが寝ている間に代わりに依頼主に連絡を入れ、一通りのことをやっていた。

 ふと、アールスが目を覚ます。寝起きのぼけた頭で整理をする。

 夜中まで仕事をしていたところまでは覚えているが、その先が思い出せない。ふと、毛布がかけてある。後ろでは蒸気機関が、蒸気をもらしながら稼動していた。昨日まで書いていたメモはどこかへ行き、後ろの作業台にはサンドイッチの乗った皿が置かれていた。

 「あれ?」

 自分の記憶と合わない状況に、置いてきぼりになるアールス、そこへ

 「やっと起きたの? えらく重役ね」

 と、嫌味たっぷりカレンが声をかける。

 「まぁ、一応、主だからね。・・・・・・」

 どういう状況だと、表情でカレンに聞いてくる。

 「今、十一時。連絡だとか何だとかは全部やっといた。そこのサンドイッチ朝ごはん、食べないなら食べちゃうけど?」

 「あ、あぁ、ありがとう」

 淡々と説明するカレンに対し、一言しか口に出来ないアールスだった。そのままカレンは紅茶を淹れに行った。

 昼が近いと言うことで、戻ってきたときには昼の分の食べ物も紅茶と共に持ってきた。アールスは、頭を掻きながら昨日の作業の続きを頭の中でする。

 いつも機械や紙が乗っかる作業台は、今だけはダイニングテーブルと化していた。二人はそのまま昼食をとった。

 「で? どうするの?」

 食べているとき、ふとカレンが質問を飛ばす。

 「どうするって?」

 「連絡はメモ通り入れておいたけど、修理箇所の選定出来てるの? 原因も判ってないみたいだし、期日に間に合うの?」

 アールスが見積もった期間は、二週間。金額は最新の大型蒸気機関が買えるほど。並大抵の人は払えない金額だったが、依頼主の男性は快諾した。

 しかし、そうなったらしっかり修理をして無事に返さねばならない。難題はそこだ。今まで見たこともない機構を、手探りで直していかねばならない。

 「何とかするさ、いつもそうだもん」

 食べ終えたアールスは、早速、作業のために出かける準備を始めた。

 行き先は、倫敦中央部より少し郊外にある部品屋だ。アールスは、いつもここで歯車や天賦、ネジといった部品を調達している。

 「お、アールスじゃないか久しぶりだな」

 店の店主が、入ったと同時に声をかける。店は非常に狭く、壁や床に所狭しと歯車が並んでいる。

 アールスは細長い店内を、店主のいる奥まで分け入っていく。

 「おやっさん、相変わらず品揃え豊富だね」

 「奥にもっと細かくあるぞ? 最近いいのが入ったもんでね」

 店の店主は上機嫌に話すが、構わずアールスは本題に入る。

 「十六歯と二十三歯と二十歯、あと百六十二歯で真鍮のある?」

 「やけに細かいな、あるにはあると思うが、今回のはどんなのだ?」

 そういいながら店主は店の奥に向かい、壁に向かいながら引き出しをいじりに行った。その間にも、アールスは話を続ける。

 「計算機だと思うんだけど、中が特殊で困ってるんだよ」

 店主が戻ってくるのを見計らって、カレンの描いた分解図を出す。

 「ほう、ここは歯が欠けてるが・・・・・・わざとか? しかも、ベルトじゃなく紐を使ってる、それ以前に歯車の量が多いな」

 カウンターに歯車を並べながら意見を交わす。アールスは、ここの店主にたまに技術的な面でも世話になっている。

 「書面だと計算結果が乱れるって書いてあったんだが、中を見るとどこが悪いんだか予想も出来ないんだよ」

 「アールス、今大切なのは原因がどこかじゃない、どうしてこんな機構なのかを考察することだ。目的のための過程を忘れちゃいかんぞ」

 そういいながら部品をどんどん揃えていく。

 一通りの部品を買ったアールスは、その足で本屋へ向かう。そこで技術書を新たに買い揃え、工房へ戻ったのは夕暮れ時だった。

 「あら、結構な大荷物じゃない」

 「見てないで手伝ってくれない?」

 「女性に肉体労働させるの?」

 「助手は手助けするもんだろ?」

 ぶつくさ文句を言うカレンを、何とか言い聞かせて荷物整理に動員する。

 「そういえばカレン、帰らないの?」

 「ああ、お母さんに連絡したら『二週間そっちを手伝え』って」

 「へ?」

 その言葉を聴いて変な声が出てしまった。手伝うと言うことは、二週間泊まると言うことだ。その間、カレンのわがままにも付き合いつつ、頑ななこの機械ともにらめっこすることになる。

 「ああ、もう荷物は部屋に持ってきてるから、安心して」

 「安心できない、安心できない。部屋ってどこの部屋?」

 「アールスの」

 「は!?」

 「冗談、客室使わせてもらうよ?」

 「よかった・・・・・・」

 何とか自分の部屋は守れた。それだけで、うれし涙が出るアールスだった。

 何はともあれ、長いようで短い二週間が幕をあけたのだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る