第六話(前半) 黒曜の悪魔


 / ただいま待機中。


 穏やかな陽光と、爽やかな風。

 天使の舞う空と呼ばれる世界の中は、とても穏やかに時間が流れていくようだった。天使の里と呼ぶのに相応しく、ここは平和に満ちた場所なのかもしれない。


 ……怪しい結晶に所々が覆われていることに目をつぶれば、だが。


「でも、平和だねえ」

「平和ですねえ」

 エルとアリサの主従は、結晶がついていない木を探して、その木陰で休んでいる。

 里長の所に向かったアルビナさんの帰りを待つ間に、あの二人はすっかり緊張感を無くしてしまったようだった。待つのに飽きたとも言う。


 一方、この場に残ってくれた(あるいは残らされた)天使族のクリティナちゃんはと言えば、俺達から少し離れた場所で一人腕を組んで黙り込んでいる。さっきまでさんざんエルとアリサに絡まれていたので、相手をするのに疲れたのかもしれない。


 さて、残りの俺は、エルとアリサの休む木陰から少し離れた場所で、雷火を軽くブラッシングしてやっていた。


「雷火、大丈夫か?」

「キュー」

「そっか。いつも無理させてゴメンな。帰ったらカレンちゃんにも遊んでもらおうな」

「キュー!」

 撫でながらそう声をかけると雷火は嬉しそうに喉を鳴らした。相変わらず竜舎のカレンちゃんをお気に入りのようだ。


「しかし、アルビナさんは遅いな……」

「キュー?」

「何かに巻き込まれていたりしないといいけど」

 何しろ彼女は「ここは危ないから」とクリティナちゃんを残して行ったのだ。なら、ここから里までの道中もまた同様に危ないのではないだろうか。そんなことを考えながら雷火の首筋を撫でていると、ふと背中に視線を感じた。


「……クリティナさん?」

「っ!」

 振り向くと、こちらを見ていたらしいクリティナちゃんと目があった。


「どうかしましたか?」

「べ、別にどうもしていない」

「でもこっちを見ていましたよね?」

「別にお前を見ていた訳じゃない!」

 と、クリティナちゃんは、顔を赤くして声を荒げる。

 しかし、「見ていない」といっても確かに視線を感じた訳で――いや、そうか。


 彼女が見ていたもの、それに気づいて俺はクリティナちゃんの視線の先を追った。よくよく見れば彼女はチラチラとその視線を俺ではなく、傍らの雷火に向けている。


「キュー?」

 雷火も彼女の視線に気づいたのか、首を傾げるようにしてクリティナちゃんに鳴き声を向けた。


「!」

 その雷火の声に、クリティナちゃんがピクリ、と体を震わせる。そして、ウズウズ、という擬音がこちらまで聞こえてきそうな表情を浮かべて、じーと雷火を見つめるのだった。

 なるほど。どうやら彼女は雷火に興味津々らしい。ハイウインドでは羽竜はあまり見かけないので、珍しいのかもしれない。


「……触ってみますか?」

「え?」

「触っても大丈夫ですよ。雷火は優しい子ですから」

「いや、その……」

 俺の呼びかけに、クリティナちゃんは戸惑ったように視線を彷徨わせた。ただチラチラと雷火に視線を戻してしまう辺り、やっぱり雷火に触れてみたいのだろう。


「……いいのか? その、触っても」

「ええ。どうぞ」

 しばしの逡巡の果てに、おずおずと尋ねてきた彼女に、俺は笑って頷いた。


「そ、そうか。じゃあ、少しだけ……」

 俺の返事に少し安堵したように息をついてから彼女は恐る恐るとこちらに近づいてくる。そして雷火の傍まで来るとビタリと歩を止めて、じー、と俺の方に視線を向けてくる。多分、どう触れて良いのかわからないのだろう。


「そっと首のあたりを撫でてやると喜びます」

「そ、そうなのか。で、では少しだけ……」

 俺の助言に素直に頷くと、クリティナちゃんはそろそろと手を伸ばして、そしてそっと雷火に触れた。


「キュー」

「……!」

 置かれた彼女の手のひらに、雷火が気持ちよさそうな声を上げて、少し目を細める。それがわかったのか、クリティナちゃんは嬉しそうな表情で俺に振り向いた。


「ね? 大丈夫でしょう。ゆっくり撫でてやって下さい」

「う、うん!」

 それは硬い言葉ではなく、見かけ相応の少女のように柔らかい言葉で。喜色に目を輝かせながらクリティナちゃんは雷火の白い毛をその掌で撫で付けていく。


 最初は恐々といった様子の彼女だったが、それはやがてその緊張は解れたようで。


 ナデナデナデナデ……


 気がつけばそんな音が聞こえそうなほど、クリティナちゃんは雷火の首を撫で回していた。


「キュー」

「か、かわいい……」

 ニヘラ、と形容したくなる顔を浮かべてクリティナちゃんがそんな呟きを零した。

 それは無意識の呟きだったのだろう。零した後にクリティナちゃんがハッとした表情で俺の方を振り向いた。


「き、聞いたな!」

「聞いたよ」

「み、見たな!」

「見たよ」

「――!!」

 俺達の頷きに、顔を赤くするクリティナちゃん。いや、目の前であそこまで相好を崩しておいて「聞いたな」も「見たな」も何もないと思うけれど。


「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。雷火が可愛いのは確かなんだから」

「う、うるさい! 別に恥ずかしがってなんかいない!」

 顔を真赤にして全く説得力がないのだけども。


「そ、それより、雷火、というのかこの羽竜は」

「うん。そうだよ」

「お前の竜なのか? ハイウインドの竜使いなのに鱗竜じゃないのか」

「ハイウインドに羽竜が全く居ないわけじゃないよ。まあ、俺も雷火も出身はドラグスカイだけどね」

「そうか。あの竜の国から来たのか……」

「羽竜が好きなの?」

「ああ。鱗竜も嫌いではないが……」

「可愛さ、という意味ではやっぱり羽竜がいいよね」

「だから別に可愛いとか言っていない!」

「キュー?」

「ああ、いや、お前は可愛いんだぞ? それは間違いないんだぞ?」

 ……ホントに面白いな、この娘。エルやアリサだけでなく、雷火にも律儀に振り回されている彼女に、思わず笑みが溢れてしまう。


「……おい、お前。何か失礼なことを考えていないか?」

「いや、別に?」

「というか、お前、私に対する言葉遣いが随分と砕けていないか?」

「気のせい、気のせい」

「気のせいじゃないだろう!」

「ところでクリティナちゃん?」

「クリティナ「ちゃん」?! お前! それは気安いにもほどがあるだろ!」

「まあまあ、気にしない気にしない」

「なんなんだ、お前らは! これだから余所者は!」

 いや、多分余所者とか関係なく、クリティナちゃんがいじりやすい性質なのだと思う。俺も周りにいじられる側の人間はあまりいないから新鮮でついつい彼女をいじってしまった。


「それより本当に真面目な話なんだけどね」

 少し声と表情を改めて俺はクリティナちゃんに向き直る。


「この結晶、何なのか教えってくれないかな」

「……」

 その質問に、わかりやすいぐらいにクリティナちゃんが表情を強張らせた。


「少なくとも以前からあるものじゃないんだよね?」

「……余所者には関係ない話だ」

「そっか。気を悪くさせたならゴメンね」

「え? あ、うん」

 俺が素直に引いたのが意外だったのか、クリティナちゃんは戸惑ったような声を零す。


 まあ、最初から素直に答えてもらえるとは思っては居ない。ただ、彼女の態度からわかることもある。わかりきっていたことだけど、この光景に広がっている結晶は、天使族にとっても「異常」らしい。そしてそれを「余所者」には教えたくない事情がある――か。


 なら、俺としても態度を決めやすい。


 そう考えながら俺はしゃがみこんで、割れた結晶の破片を手にとった。

 薄く赤い光に染まる水晶の板。まるで薄氷のような薄さのそれは、指先に力を込めるだけでたやすく「パキ」とヒビ割れた。


 ……どう考えても脆すぎる。

 見た目だけなら結晶竜の鱗のようなにも見える。しかし、あの竜の鱗はこんなにも脆いものではない。そもそも魔力が結晶化したものなら、普通は相当な強度を持つ。


 なら、これは……何かの失敗作、だろうか? 余所者に知られたくない事情とは、ひょっとしたら天使族の誰かが「何かをやらかした」からかもしれない。


 そう考えながらもう少し大きめの水晶を拾おうと身をかがめた瞬間。


 ――バサ、バサ。


 そんな、翼が風を切る音が耳に届いた。


「お姉さま?」

「あ、やっと帰ってきてくれたんだ」

 クリティナちゃんの声と、待ちかねた言わんばかりのエルの声が重なった。


 しかし、そんな二人の声に答えたのは、アルビナさんの凛とした声ではなく、ドシャという重量物が大地をえぐる音と、バリンという結晶が踏み割れる音だった。

 どちらもアルビナさんなら決して立てないような音を立てて、大地に舞い降りたのは――


「……なに、アレ。石像?」

 エルが訝しげにいったように、まるで石の彫刻のような風貌の「魔物」だった。

 人の体に、獅子の頭。全身が灰色なのは、それが石で出来ているからだろうか。

 そして体のあちこちと背中にある翼が、この地面と同じように――そして結晶竜と同じように、紅く輝く結晶で覆われていた。


「ゴーレムでしょうか?」

「うーん……ガーゴイルみたいに見えるけど」

 俺とクリティナちゃんの方に小走りで駆け寄りながらアリサとエルが、現れた魔物について推測を交わしている。


 ゴーレムは魔力によって動く石像。対して、ガーゴイルは「石像に擬態する」魔物だ。どちらも知名度は高い。

 ゴーレムは普通石で出来ているのに対して、普段は石像として擬態して、獲物が近づくと石化を解除して動き出すのがガーゴイルの特徴だ。つまりガーゴイルは「生きている」魔物に属する。

 獅子などの猛獣の頭と人身を持つのもガーゴイルの特徴なので、目の前の相手はエルの言うようにガーゴイルに見える。

 ただ、石像状態のまま動いているようにも見えるので、ややこしいがガーゴイルの形を模したゴーレムなのかもしれない。……本当にややこしいな。


 動く石像なのか、翼を持つ悪魔なのか。

 表皮を覆う赤い結晶のせいもあって見た目での判断は難しいが、いずれにせよ、どちらもこんな外を徘徊しているような魔物じゃない。必ず彼らを「使役」する魔術師がどこかにいるはずだ。


 ……どうやら今この里に起きている事態は、あまり穏やかではないのかもしれない。


「下がれ、お前たち!」

 いきなりのガーゴイル(仮)の登場に、一瞬、硬直していたクリティナちゃんは、我を取り戻すと弓を構えて俺達に向かってそう叫んだ。


「ちょっと、クリティナ! ここ天使の里なんだよね? なんで悪魔なんか出てくるのさ! ゴーレムなのかもしれないけど!」

「うるさいな! 私達にも事情があるんだ!」

 エルのツッコミにそう言い放って、クリティナちゃんが石の悪魔に向かって矢をつがえる――ような仕草をした。

 矢をつがえることなく引き絞られる弓の弦。途端、白銀の光が矢の形になって現れる。やはり、クリティナちゃんが持っていたのは魔法の矢を生み出す魔弓だったようだ。


「……って、ちょっと待て! いきなり射つのか?! クリティナちゃん?!」

「当たり前だ!」

 俺のツッコミをクリティナちゃんは元気よく切って捨てて更に弓を引き絞る。


「この魔物は討つべきものだ! それにガーゴイル相手に何を会話するつもりだ、お前は!」

「いや、そりゃ、ガーゴイルとは話はできないけどさ」

 ただ、繰り返しになるがガーゴイルやゴーレムは魔術師に使役されることがほとんどだ。

 だからその魔術師が目の前の魔物を使って何らかの意志を伝えてくる可能性は十分にあるわけだけど――。


「去れ! 異形の命よ!」

 なんらの躊躇を見せることなく、クリティナちゃんは引き絞った弦から指を離す。それと同時、白銀の光が矢となって、石と結晶の異形に向かって放たれた。


 一挙動にして、放たれたのは三矢

 風をきる音すら残さずに、閃光の尾を引きながら。魔法の矢は狙い違わずに石のガーゴイルの眉間に突き刺さる。


 パリン――!


 そして、甲高い破裂音と共に、ガーゴイルの頭が砕けて散った。


「おお!」

「凄いです……!」

 その光景にエルとアリサが感嘆の歓声を上げ、クリティナちゃんが頬を僅かに紅潮させながら「ふふん」と笑った。


「見たか。これでも私は弓にかけてはお姉さまにつぐ名手になるって評判なんだぞ」

「おー、すごいすごい」

「お見事です」

「ふふん」

 パチパチと手をたたくエルとアリサに、クリティナちゃんが更に得意気に胸を張った。

 ちなみに「名手になるっていう評判」ということは、「今は名手ではない」という評価ということだと思うのだけど……まあ、突っ込むのは止そう。


「いやー、クリティナって凄いね。なんだか強そうな相手だったのに」

「宝石崩れのガーゴイルなど、私にかかれば物の数ではないんだ」


 宝石崩れ、ね。

 また知らない単語が出てきたが――その言い方だと「崩れていない」相手もいるのだろうか?


 だが――。


 エルとアリサがワイワイとクリティナちゃんを褒めそやしているのを横目に、俺は頭を貫かれた魔物に近寄った。

 肌を覆っていた薄赤色の結晶がボロボロと崩落して……そのまま消えていく。


 消えた結晶と石の下から覗いているのは、薄い灰色の石肌だ。

 ということは、やっぱりこれはガーゴイルの形を模した石像――ゴーレムだった、ということか? 砕かれた頭を見れば、そこからは血も体液も流れ出てはいない。やっぱり、ゴーレムだったと考えるべきか。


 そんなことをつらつらと考えながら、クリティナちゃんが「宝石崩れ」と呼んだ石のガーゴイルの残骸を眺めていると、再び頭上を影が横切ったことに気づいた。


「みんな! また来たぞ!」

「え?」

 俺の警告に、三人がおしゃべりを止めて一斉に空を振り仰ぐ。だが、その時には空をとぶ影は既に大地へと着地していた。

 

 ドシャリ、ドシャリ、ドシャリ。

 重たく響く着地音は3つ。先ほどのガーゴイルよりも更に重々しい音を響かせて舞い降りた石の悪魔は、三体に増えていた。


 一回り大きく、そして何よりその体を多く結晶は、薄い赤色ではなく、黒々とした艶をまとっていた。

 しかも、先ほどのガーゴイルのように部分的に結晶で覆われているのでは無く、全身くまなく黒い結晶で覆われている。その姿は、さながら黒い鱗に覆われたガーゴイル。

 先ほどが石の悪魔なら――今度は、黒曜の悪魔といったところだろうか。


「――っ!」

 その魔物の登場に、クリティナちゃんの顔がひきつった。だが、そんな彼女の様子に気づくことなく、エルとアリサが元気よく彼女に声援を投げかける。


「よし、やっちゃえ! クリティナ!」

「お願い致します。クリティナ様」

「お、おう。ま、任せておけ!」

 二人の声援に応えるクリティナちゃんだったが、先ほどとは打って変わって勢いがない。明らかに声もひきつっていて目が泳いでいる。


 その様子に俺はあの魔物の――正確にはあの魔物を覆っている結晶の正体に感づいた。


 黒い結晶。

 あれが結晶竜と同種の魔物なのだとしたら、アレは――抗魔の結晶なのかもしれない。


 結晶竜の亜種として黒い結晶で全身を覆われた黒曜竜がいるのだが、それらは魔力を糧とする存在なのに、魔力を遮蔽する鱗を身にまとう。

 そのため魔力の摂取は、経口――つまりは、食事に頼ることになる。要するに飢えた結晶竜と同じく「生き物を襲って食べる」魔物だ。ただ、その存在は本当に稀(レア)だ。

 竜の国といわれるドラグスカイにおいてでさえ、多くの竜使いが一度も遭遇することなく、その生涯を終えると言われるほどに。


「ええい! 喰らえ!」

 やけくそ気味に放たれた矢は、しかし、黒い悪魔の表皮にあたって飛散した。

 儚く散る白い煌きは、いっそ綺麗ではあったのだが、魔物に対しては全くダメージが与えられているようには見えなかった。


「……クリティナ?」

「……あまり効いていないようですけれど」

「う、煩いな! あの黒い連中には私の弓は効きにくいんだよ!」

「だったら最初からそう言ってよ!」

「うるさい、うるさい!」

 エルとクリティナちゃんが言い争いを始める。その二人を尻目にアリサが俺の傍に駆け寄ってきた。


「アルフ様」

「アリサ。エルと一緒に雷火の方に。いざとなったら雷火に乗ってくれ」

「はい」

 言いながら俺は背中の槍を外して両手で構えた。その俺の様子に気づいてエルもまたこちらに駆け寄ってくる。

 

「もー。アルが戦う気なら僕も戦うってば」

「お前にそんな真似はさせられないよ」

 女の子のなりをしているが、エルはれっきとしたハイウインドの王子さまである。正体不明の魔物と戦わせる訳にはいかない。


「アリサ、エルを頼むな」

「はい。アルフ様」

「むー。アリサは僕のメイドなんだけど、わかってる?」

「わかっています。ですからエル様の安全を再優先にしていますよ?」

「む、その言い方はズルいなあ」

 腰の短剣に手を這わせながらも、エルはしぶしぶといったよう様子でアリサの後ろに引き下がる。と、そんな俺達のやり取りをみてクリティナちゃんが焦った様子で声を上げた。


「バ、バカ! お前達は何をする気だ!」

「何をって、勿論、ガーゴイルを退治するんだよ? アルが」

「ですからクリティナ様も、どうぞこちらに。巻き込まれてしまいますと危ないです」

「何を呑気な! 今のを見ていなかったのか! 私の弓でさえ通じない相手なんだぞ! いいから下がれ、お前たち!」

 見ていたからの判断なんだけど、それでも彼女は黒いガーゴイルを前に退こうとはしない。


「いいからクリティナちゃんは、下がって」

「何を言っている! お姉さまは、お前たちを護れとおっしゃった。それを違える訳にはいかない」

「……そっか」

 俺達のことを余所者だとか冷たくあしらうくせに、まだ護ってくれようとしているのか。口は悪いけど、やっぱり悪い子じゃないのだろう。


「でも、クリティナちゃんの武器は相性が悪いみたいだよ?」

「そんなものは気合と根性でなんとかなる!」

 ならないから顔が引きつってたんだと思うんだけど……多分、言い合っていても埒が明かないだろう。


「ともかく、私は――」

「はいはい、我侭言わない。というか、アルの邪魔をしないの」

「大人しく下がっていてくださいね」

「なんだ、おい、放せ、お前ら――って、力、強?!」

 エルとアリサの二人にそれぞれ右腕、左腕をつかまれて、クリティナちゃんはズルズルと引きずられていく。


「雷火! クリティナちゃんのことも頼むな」

「キュー」

「キュー、って、もう可愛いな……じゃなくて! 余所者にそんなことさせるわけには行かないんだ!」

 雷火の声に一瞬相好を崩しながらも、クリティナちゃんはなおも抗議の声を張り上げる。

 そんな彼女の抗議に俺は小さく笑ってから背を向けた。


 ――余所者、ね。


 確かにそれはそうなのだろう。

 でも、それは君たちの都合。こちらにはこちらの都合がある。


 天使族の里が、ハイウインドの王政から隠れている場所だとしても。

 世界樹に支えられる大陸ではなく、切り離され漂う破片の中に形作られた場所だとしても。


 ここはハイウインドの空の下にある場所。

 それならば、俺にはそれを護る義務がある。


 / 黒曜の悪魔


 さて、どうしたものか。

 背中から外した槍を両手に握りながら、改めて俺は目の前の三体の黒いガーゴイルたちに視線を向ける。


 黒曜の艶を全身にまとった獣頭人身の魔物。

 両手には武器は持っていないが、鋭い爪がむき出しになっており、何より獅子の頭が獰猛な牙をむき出しにしていた。


 ……アレに噛まれたら堪ったものじゃないだろうなあ。


 そう薄ら寒いものを感じながら、俺は手にした愛槍に一瞬だけ視線を落とす。

 白銀色の柄に、金色で稲妻の刺繍が施された槍。「雷槍」の二つ名で呼ばれる業物だ。


 長さは1m強。槍としては短い部類だが、実は長さは調節できる。

 普段は短槍として、雷火に乗るときは長槍して使用できるので大変便利だ。対人戦では間合いを変えながら戦えるのだが、果たしてガーゴイル(のように見えるゴーレム)にその手の目眩ましが通じるだろうか。


 目の前の相手は三体。

 一対多の戦いで単純な斬り合いはやりたくない。いつもなら雷槍の切り札「雷」を放って一掃するところだけど……本当にあの表皮が抗魔の結晶からできているのなら、半端な魔法は遮蔽されてしまう。

 なら魔法の類には頼らずに穂先で突いたほうが効果的かもしれない。


 ……だけど、そもそもこちらから攻撃したほうが良いのだろうか。


 今のところ、三体とも降り立った場所から動かずにその視線を俺に集中させている。

 結構な間、クリティナちゃんと揉めていたと思うけれど、その間動かずに、待っていてくれた事になる。それはどういう意図からだろうか。


「えーと、ひょっとして話は通じたりするのかな?」

「――ギィ!」

 ダメで元々と話しかけた瞬間、三体のうち一体がいきなりひび割れた結晶の大地を蹴った。


「ば、馬鹿! 石のガーゴイル相手に話しかける奴がいるか!」

 後ろからクリティナちゃんの怒声が聞こえてくる。

 それを聞き流しながら、他の二体の動きを目の端で追うと……何故か、微動すらしていない。


 様子見?

 だけど、なんのために?


「おい、余所見をするな!」

「ギイ――っ!」

 クリティナちゃんの声に、ガーゴイルの咆哮が重なった。

 黒い魔物はあっという間に俺の目の前にまで距離を詰めると、その巨体に似合った太い腕を後ろに引き絞り、そして解き放った。


 放たれたのは握った拳ではなく、むき出しにした爪――でもなく、掌底?


 なんだ――?


 ガーゴイルの攻撃に違和感を感じながら、俺は一歩後ろに身を引いた。


 魔物の攻撃は速い。

 だけど、捌けない速度ではない。


 迫ってくる掌底突きから身をかわして、俺は槍の後ろ――石突の部分で胸を突いた。


「ギッ!」

 小さい悲鳴を一緒に、黒い鱗が薄皮一枚砕けて破片が宙に散らばった。陽の光を受けてキラキラと光る黒い欠片。それを撒きながらガーゴイルが元いた位置まで吹き飛んでいく。

 どうやら単純な物理的な攻撃が通じない、という訳ではないらしい。ただ――硬い。手に残る軽いしびれに黒い鱗の硬さを推し量る。雷槍の石突を受けても、割れただけで済むということは、石よりも随分硬い。


「気をつけろ、まだ来るぞ!」

 クリティナちゃんの言うように、胸を突かれて弾き飛ばされたガーゴイルは怯むことなく再度の突進の構えを見せている。胸の傷も鱗一枚剥いだ程度であり、彼にしてみればかすり傷なのかもしれない。


 ただ攻撃の構えを見せる黒い影の後ろ、二体の魔物は相変わらずじっとこちらを伺っているだけだ。

 目の前で仲間が一体吹き飛ばされたのに、どうして二体とも動かないのか。

 それに――どうしてさっきは爪でなく掌で攻撃してきたのか。


 ――どうにも、やりにくい。


 明確な殺意を感じない。

 目の前のガーゴイルからも、そして、その後ろ側に居るであろう「使役者」からも。


「一応、警告はしておくけれど」

 今度はおそらく無駄にはならない、と感じながら俺は再び黒い石像たちに呼びかける。


「退いてくれるなら追いかけたりはしない。荒事はできれば避けたいんだ」

「バカ! だからどうしてお前は、ガーゴイルに話しかけたりなんか――」

 再度の呼びかけに、再度クリティナちゃんの怒声が重なった時。


『――これは、これは。随分と余裕じゃないか、ハイウインドの竜使い』

 

 ひび割れた声が、奥から見守る黒い悪魔の一体から響いた。


 /


「な? え? え?」

「おおー、凄いね! ガーゴイルが喋った!」

「私、しゃべるガーゴイルを初めて見ました」

 動揺するクリティナちゃんに比べて、著しく緊張感がないエルとアリサの感想だった。


「な、なんだ? ガーゴイルって喋れるのか?」

「そうみたいだねー。賢いガーゴイルって居るんだね」

 ……いや、ガーゴイルが喋っているわけじゃなく、それを使役している魔術師の声を伝えているだけだろう。


「通話機をガーゴイルに仕込んでいるのか。そういう仕掛けは珍しいね」

『ふん。通話機は見たことがあるか。意外とモノを知っているな、竜使い』

 半分カマをかけたのだが、どうやら通話機をガーゴイルに仕込んでいるのは本当らしい。

 離れた場所どうしでの通話を可能にする装置は、高度な魔法装置だ。それを動く石像に仕込むのはかなり高度な技になる。


 どうやら相手は、相当高位の魔法使いと見ていいだろう。

 正直相手にしたくはないが――しかし、こうして話が通じるのはありがたい。


「おい、ちょっとお前ら! 勝手に話をすすめるな! どういうことかちゃんと説明しろ!」

「いやいや、話を効いていたらわかるじゃないか。通話機だよ、通話機」

「つまりあの魔物が直接喋っているのではなく、作った魔法使いが喋っているんです」

「……? 作った魔法使いが――?」

 エルたちの説明に、まだ頭の上に疑問符を浮かべていたクリティナちゃんだったが、数瞬の後、事情がわかったのか勢い良くその指先を黒いガーゴイルに突き付けて言った。


「じゃあ、カミーラ! お前、カミーラか! 私の里を結晶まみれにした所為でそんな黒尽くめになっちゃったのか?!」

『アホか! 私がガーゴイルになる訳がないだろう!』

「でも、そこで喋っているのはお前だろう! カミーラ!」

『だから、これは通話機だって言っているだろう!』

「通話機、通話機ってうるさいな! そんなもの見たことも聞いたこともないぞ、私は!」

「……」

『……』

「……な、なんで黙りこむんだお前たち」

 いや、まあ。

 確かに通話機は珍しい。ある意味で機密事項でもあるからクリティナちゃんが知らないとして無理はない。


「……一応確認するけれど、本当にその中にいるって事はないよな?」

『当たり前だ! ガーゴイルの中に入る意味がどこにある!』

 ごもっとも。防御が目的なら鎧を着れば良いわけだし。


『まったく相変わらずお前は! 少しは魔術書を学ぼうと言う気はないのか、クリティナ!』

「私は戦士だぞ。魔術などに手を染める謂れはない!」

 と、なんだか口喧嘩を始めたガーゴイルとクリティナちゃん。

 緊張感を削ぐこと甚だしいが、それでも二人の会話から見えてくるものがある。


 このガーゴイル(正しくはガーゴイルの形をしたゴーレムだろう)を作り上げたのがカミーラという名前の魔術師であること。

 クリティナちゃんと、魔術師カミーラは面識があること。

 そして――この結晶だらけの光景は、カミーラが引き起こしたものであること。


「えーと、カミーラ……さん?」

 通話機越しの声は、ヒビ割れたおり、老若男女の判別がつかないので、俺はとりあえずカミーラ相手に敬語で話すことにした。


『なんだ、竜使い。しばらく待っておけ。もう少しでクリティナを言い負かして泣かせてみせるから』

「誰が泣くか!」

 言いながら既に半泣きのクリティナちゃんだった。いや、もう本当にいじられキャラだな、この子。ちょっと守ってあげたくなる。


「できればそれは後にして欲しい」

『そうか? もうちょっとなんだが……』

 なんだか凄く残念そうに応える魔術師だった。いや、年頃の女の子をそこまで本気で言い負かして泣かそうとしないで欲しい。多分、いい年をした魔術師なんだろうから。


「それより貴方と話をしたいんだけれど、構わないかな」

『話? ふん、命乞い、が正解ではないのか』

「平和に解決したい、ということだよ。俺たちを襲うのは止めにしてくれないか」

『タダでは無理だな』

 そうそっけなく応えるカミーラだが、反応としては悪く無い。

 タダでは無理――ということは、条件次第では応じるということだ。つまり無条件に俺たちを害するつもりもないのだろう。


「俺達には攻撃される謂れはないよ。別に、あなたに危害を加えてはいないだろう」

「さっき、クリティナが赤いガーゴイルをやっつけてたけど」

「頭の部分粉々でしたよね」

「あ、あれは正当防衛だろ!」

「それにアルもヤリでガーゴイルにヒビを入れたよね」

「お見事でした。アルフ様」

「いや、アレも正当防衛だから」

『……危害を加えていない?』

「コホン」

「コホン」

 カミーラの言葉に、同時に咳払いする俺とクリティナちゃんだった。


『……ともあれ、争いを望まないなら構わない。こちらが提示する条件は2つだ』

 言いながら黒いガーゴイルが、指を二本立てて見せた。


『一つは、そこの天使族の娘を置いていくこと。もう一つは、そこの羽竜を置いていくこと』

「話にならないな」

『だろうな』

 通話機越しのヒビ割れた声でも、はっきりとカミーラが笑ったのがわかった。


『なら――せめて』

 その言葉を契機に、二体の黒曜の悪魔が、俺に向かって大地を駆けた。


『お前の本気を見せてみろ、ハイウインドの竜使い』

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