第五話(後半) 結晶渓谷
/ 結晶渓谷
天使族の里。通称、天使の舞う空。
北端の町ノースエッジの更に北、大地の破片を縫って飛び、辿り着いたその空に、天使の姿はまだ見えなかった。
雷火の背にまたがって見下ろす光景は広大で、まるでハイウインド副大陸ほどはあるのではないかと思えるほどだ。
小高い山々に、それらの間を塗って流れる川。そして青々とした木々が生い茂っている―――のだが。
風光明媚であるはずの木々や岩々には、まるで氷のような硬質な光が張り付いている。
青く、あるいは赤く。仄かな輝きを放つ魔力結晶。
結晶竜の鱗と同種の輝きが、この世界には満ちていた。
/
「よ……っと」
パリン。
できるだけゆっくり下ろした足元から、薄い水晶の割れる音がした。靴越しに伝わるジャリジャリとした感触は、この結晶が幻覚ではなく、現実だと教えてくれていた。
暫く空を飛んだ後、俺達は大地の全てが結晶に覆われている訳ではなく、意外とその分布にムラがあることに気づいた。どうせなら――という訳ではないが、状況を把握するために俺たちは比較的結晶が多そうな谷間を見つけ、そこに雷火で飛んできたのだが……
「アル、大丈夫?」
「ああ、大丈夫……だと思う」
雷火に乗ったまま心配そうに声をかけてくれるエルに、俺はグリグリと足元の感触を確かめながら返事をした。
この辺りはびっしりと結晶に覆われているように見えたが、どうやら大地はごく薄く覆われているだけらしい。
両側にそびえる小山の山肌には、強い光を放つ結晶が見えたが、それもあまり大きくはなさそうだ。それでも人の頭ぐらいの大きさの結晶がいくつか見える。
「じゃあ、僕も降りて良いよね?」
「うーん……できれば、雷火の上に居て欲しいんだけどな」
正直、何があるかわからない。
だけど、俺の言葉に従うことなくエルは「えいっ」という掛け声とともに雷火の上から飛び降りた。……まあ、予想はしていたけど。
「わー、ジャリジャリしてる。面白いね、これ」
「こら遊ぶな。何があるかわからないんだから」
「大丈夫、大丈夫。アルと一緒にいるんだもん。大体のことはなんとかなるよ」
「お前なあ」
その根拠の無い信頼は止めて欲しい。プレッシャーになるから。
だが、真っ直ぐに俺を見つめて笑うエルの表情に、何も言えなくなってしまって俺は頭をかいた。
「あ、アルが照れてる」
「照れてない。アリサはどうする?」
「私も降りても構わないでしょうか。雷火さんの背中は気持ち良いのですが、エル様の護衛ができなくなりますので……」
なるほど。アリサの立場からすると最な言い分だった。
「じゃあ、手を貸すよ。足元、気をつけてな」
「はい。ありがとうございます」
「あー、アリサだけズルい!」
「ズルくないです。飛び降りたエル様が軽率なんです」
「むー。じゃあ、僕ももう一回、雷火に乗る」
「無意味な乗降は雷火に怒られるぞ」
「う……、じゃあ、止める」
雷火に嫌われたくはないのか、エルは素直に言うことを聞いてくれた。
「でも、アルの僕に対する扱いが軽いと思います」
「拗ねない、拗ねない」
唇を尖らせて不満を露わにする王子様。そのエルの頭を俺はグリグリとなでつける。
「もう、撫で方が雑だよ。アルったら」
「はいはい。悪かったよ、こんな感じか?」
「ん……そんな感じ。女の子は丁寧に扱わないとダメなんだからね?」
「そうだな」
でも、お前は男だからな。
心のなかでそう突っ込みつつ、俺は改めて周りの風景を確認した。その俺の視線にアリサも視線を重ねていた。
「これは幻覚……なのでしょうか」
「いや……やっぱり、違うと思う」
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。
五感全てを欺き騙す幻覚、というものは存在することには存在する。だけれど、そんな高難度の幻覚にはそうそうお目にかかれない。
なにより羽竜である雷火にはその種の幻覚には効きづらいし、雷火の周囲にいる俺達にも同様のはずだった。
だから目に入る風景は異様に映っても、現実なのだろう。
「幻覚でないとしたら、そちらの方が凄いんだけどな」
「そうですね」
俺のつぶやきに頷くアリサの声にも感嘆の響きがあった。
天使族。
旧世界の神話にある「天使」をその名に冠する種族。
妖精族に劣らず魔法を得意とするとは聞いていたが、「世界」を作り上げるほどとは思わなかった。世界樹に支えられる世界の中に、もう一つの世界を築きあげ、その光景を異様に染め上げる。
セフィは天使族が「異界を模している」といったが、俺にはもうここが異界にしか思えない。
「天使族にこれほど力があるのなら、ハイウインドの花嫁に遜色ないかもしれませんね」
「えー、そうかなー」
感心するアリサとは反対に、エルはひどく不満気な声を上げた。
「この結晶にどんな意味があるのか知らないけどさ。宝石だらけの世界なんて悪趣味じゃないかな」
「そうか? 神秘的できれいじゃないか」
最初はびっくりしたが、見慣れればそう思えなくもない。
「エル様は、天使族に対して攻撃態勢にはいっているんですね」
「そんなことないよーだ」
騒ぐ二人の声を耳にしながら、俺は改めて風景を見回しながら考える。
結晶に覆われた風景。
それに何の意図があるのだろうか。
この世界に断片的に残された「旧世界」の神話。その中で天使が語られるのは「聖書」という書物にあるとされるが、それに関する知識は俺にはそれほどないのだけれど。一応、ここに来る前にフォーキオンにいくつか知識は教えてもらったけれど、その中に宝石に関する記述はなかったように思う。
宝石、結晶。それらで覆われた世界。
結晶を氷と置き換えるのなら、氷漬けの世界に関する記述はあったような気がする。確か、悪魔を閉じ込めている世界で、その場所の名前は――
「……コキュートス?」
そう呟いた声に。
「この光景に驚かれるのは理解するが、地獄呼ばわりは少々行き過ぎではないのかな」
頭上からそんな女性の声が掛けられた。
/天使族
バサ――。
その羽音は、あるいは錯覚だったのかもしれない。
ただ、そんな音を想起させるほどに白く綺麗な翼が視界に映っていた。青空を背景にして、揺れる淡い白と青のコントラスト。その光景は神秘的で、一瞬、目と意識を奪われた。
「――天使、族?」
耳に届くエルの呟き。
その呟きに俺は意識を取り戻して、慌ててエルとアリサを庇うように前に立った。
おそらく小山の上から飛んできたのだろう。
ゆっくりと緩慢に翼を羽ばたかせながら、こちらへと降りてくる人影が2つ。陽のきらめきに照らされる金髪と、なによりその翼がその二人が天使族だと雄弁に告げていた。
二人共、銀色に輝く胸当て(ブレストプレート)と白のズボン、そして腰には短剣という姿で、手には弓を携えている。
腰にも背中にも矢筒を背負っているようには見えないので、魔力を矢として放つ魔弓なのかもしれない。
抜刀はしていないし、弓をこちらに向けて引き絞っているわけでもないので、敵意がある訳ではないのだろう。一瞬、腰の細剣に手をやろうとしたアリサを制して、俺は二人が地上に降り立つまでじっと見守った。
「外からの来客とは珍しい。ようこそ、と言うべきなのかな?」
ストン、と。
足元の結晶を踏み割る音すら鳴らさずに大地を踏んだ彼女たちは、俺達に目を向けながらそう言った。
「私はアルビナ。この里の住人だ」
そう名乗ってくれた女性の声は凛としていたが、でも、どこか優しげにも聞こえる。
身長は高め……俺と同じぐらいだろうか。年齢も同年代に見える。
僅かにウェーブのかかった金髪は肩まで伸ばされており、その瞳は紅い色に染まっている。
その彼女……アルビナさんの一歩後ろに控えているのは、やや小柄な少女。
アルビナさんより頭一つ分低く、そして彼女よりも短い金色の髪が、さらり、と風に流されて揺れている。
ついでに言うのなら、アルビナさんよりも随分と険のある視線をこちらに向けている。警戒、ひょっとしたら嫌悪だろうか。いずれにせよ俺達に対する否定的な感情を隠そうともしていない。
見た目も雰囲気も少し差がある二人だけれど、その背中には共通して白く大きな翼があった。
彼らが「天使」と呼ばれる、あるいは自称する、その大きな要因の一つだ。空を飛び天に至るためのその翼は、魔力で生み出されており自在に出し入れができるらしい。
セフィ曰く「疲れるから、私は出したりしないけどね」とのことだが。
「さて、あなた達は何者かな。迷い入られたのなら、外への道を案内しよう。望み入られたのなら、要件をお聞きするが」
落ち着いた声と態度で、アルビナさんは俺達に誰何の言葉を投げかける。
そんなアルビナさんの言葉に、アルがツンツン、と俺の脇をつついてから囁いてきた。
「要件だって、ほらアル。早く良いなよ、「アレが付いている」娘を探しにきましたって」
「言えるか!」
「でも事実ですよね?」
「言うな」
緊張感のないエルとアリサの囁きは、どうやらアルビナさんに聞こえてしまったらしい。彼女は不思議そうに小首を傾げて聞いてきた。
「付いている、とは……?」
「いえ、なんでもないです!」
「ふむ……?」
いけない。
アルビナさんの眼が徐々に不審者を見る目に変わっている気がする。ついでに言えば、背後の小柄な子が持つ弓がゆっくりと動いてる気がしなくもない。
「コホン、失礼しました」
これ以上怪しまれないうちに仕切り直しを、と俺は一つ咳払いしてから姿勢を正して一礼する。
「私はハイランドの竜使い、アルフ=クリムゲートと申します。ハイランド国王レナス=ハイウィンドの使者として、この里の長にお目にかかりたく」
「ハイランド国王の……?」
アレ?
いよいよもってアルビナさんの目つきが、訝しむものに変わっていくのは何故だろうか。ついでに言えば、背後の小柄な子が弓を構えようとしているのは気のせいだろうか。
「そりゃ、いきなり「国王の使い」とか言い出したら怪しむよね」
「アルフ様はあまり使者に向いていないのかもしれません」
言いたい放題だな、お前ら。
「あ、いや、本当なんですよ? えーと、ほら、陛下よりの書状もありますし、それと勅使の印章は、えーと、ほら、こちらに」
慌てながらそう言って、俺はポケットからハイウインドの印章が入ったペンダントを取り出してみせる。それを見てアルビナさんより、エルが先に反応した。
「アル、いつの間にそんなもの貰ってたの?」
「王都を出る前に、な。流石にこのぐらいの手回しはするさ」
王子の嫁探し、という任務に対して、陛下が俺に下賜下さった権限がこれだ。ハイウインドの紋章が刻まれたペンダント。国王勅使であることを示す紋章である。
なんの権限も証拠も持たずに王国のあちこちにいって『すみません。国王陛下の使いなんですけどね? あなた、王子様のお嫁さんになりませんか?』などと声をかけて回るわけには行かない。ただの変人と思わるか、悪くすれば詐欺師扱いされかねないからだ。現にアルビナさんに不審な目を向けられていたことだし。
「……確かにハイウインドの紋章に見える。だが、申し訳ないが私では真偽の判断がつきかねる」
しばらくじっと俺の提示したペンダントを見つめていたアルビナさんだったが、申し訳無さそうにそう言った。
「里長に判断を仰ぎたい。そちらの印章をお預かりしても構わないか」
「申し訳ありませんが、これを手放すわけにはいきません。書状も含めて、里長に直接お見せしたいのですが」
アルピナさんの気持ちはわかるが、この印章にはそれなりの権限がある。陛下から賜ったそれをそう軽々と渡す訳にはいかない。そう告げるとアルビナさんは「道理だな、失礼した」と頷いてくれた。
「まずは、里長に面会要望をお伝え願えませんか。私達はここで待ちますので」
「……承知した。それが妥当だろう。ただ、ここでお待ち頂く訳にはいかない。滞在いただく場所は用意しよう」
「お姉様!」
俺の提案に頷いてくれたアルビナさん。その彼女の台詞に、今まで黙って控えていた少女が非難するような声を上げる。
「まさか外の人間を里に入れるのですか?」
「聞き分けろ、クリティナ。他に選択肢はないだろう」
「ですが……っ!」
アルビナさんを「姉様」と呼んだところを見ると、彼女はアルビナさんの妹なのだろうか。
クリティナ、と呼ばれた彼女は、里に俺たちを入れることにいたく反対らしい。時折、険のある視線をこちらに向けながら、アルビナさんに反対の意志を告げている。
セフィや酒場のマスターから天使族が閉鎖的、という話を聞いていたけれど、実際に見せつけられると流石に居心地がわるい。
「ねえねえ、アル」
「……なんだ」
「どうしよう。天使族に対する僕の好感度がひたすらに下がっているんだけど。もう帰って良いんじゃないかな」
「待て、早まるな」
ぼそり、と怖いことを呟くエルをなだめて、俺は二人の天使族の会話に割って入った。
「あの……アルビナさん。問題があれば、ここで待ちますが」
これ以上エルの好感度が下がるのはマズい。だから、これ以上事態がこじれる前に話を進めたい。その思いから俺はアルビナさんにそう提案した。
まあ、この場所に丸一日放置される、という事でもないだろし、なにより物珍しい風景だ。時間を潰すのはそれほど苦にならないだろう。
「いや、ハイランドの使者にそのような非礼はできない」
「姉様。ですから、その確証は取れていないじゃないですか。使者にしては態度が不審です。アタフタしていましたし」
そう言ってクリティナさんが、じー、と向けてくる視線が痛い。
……アタフタしていて悪かったな。
西方のユーフォリアでも同じようなことを言われた記憶があるので、自覚はしているのだが。
「あの、やはりここで待たせていただきますよ?」
このままでは埒があかないので、とは言葉にしなかったが、アルビナさんもその意図は感じたのだろう。
少し考えるように言葉を切ってから、しかし、彼女はやはり首を横に降った。
「申し出はありがたいのだが、アルフ殿。恥ずかしながら、ここはあまり安全な場所ではないのだ」
「それは……この結晶のことですか?」
「部外者が余計な詮索をするな」
「クリティナ! いい加減にしないか」
「……っ」
流石に度が過ぎていると思ったのか、アルビナさんが語気を強めてクリティナさんを叱責した。クリティナさんはビク、と首をすぼめたが、それでも謝罪の言葉を口にすることはなかった。
「アルビナさん。彼女の言う通りかと思います。まずは里長へのご連絡を。我々は、ここではここの規律に従いますから」
我々が部外者なのはわかっています。そう告げると一瞬逡巡した後に、アルビナさんは頷いてくれた。
その彼女の頷きに、俺は内心、ホッとした。
ここは強硬に里に行くべきではないと思ったからだ。
クリティナさんの態度が、一般的な天使族の反応であった場合、ここで無理やり里に行くのはよしたほうが良いだろう。なにせこっちは嫁探しに来ているのだ。あまり悪い印象を持たれては困る。無駄な反感を買うべきではないのだ。
そして……アルビナさんが言った「ここは安全ではない」という言葉。
おそらくだが、この結晶の広がる光景は、彼女たち天使族にしても「異常」なのだろう。なら、もう少しその異常を探っておきたかった。
「重ね重ね申し訳ない。この非礼は必ず後で詫びる」
「お気になさらず。むしろ、こちらの言葉を尊重いただきありがとうございます」
「……優しい人だな、あなたは」
感謝する、と微笑んでくれたアルビナさんは、とても優しい顔をしてくれていた。
「では、クリティナ」
「はい、お姉さま。行きましょう」
「いや、お前はココに残るんだ」
「……え?」
ポカン、とした表情を浮かべるクリティナさん。
「あの、お姉さま? どうして私が」
「彼らだけを置き去りに出来るわけがないだろう」
「! なるほど、わかりました。こいつらを見張れ、ということですね」
「違う。何を言っているんだ、お前は」
クリティナさんの返事を、アルビナさんは深々と溜息をついて否定する。
「アルフ殿はお前の言を聞いて、ここに残って下さるんだ。なら、お前は彼らを護る義務がある」
「え、え?」
アルビナさんの命令に、クリティナさんは、どうやら混乱しているらしい。
……なんだろう。ちょっとクリティナさんが面白くなってきた。意外と天然なのかもしれないな、この子。
「あの、お姉さま? 本当に、私一人をここに残すおつもりですか?」
「だから、そう言っている」
縋るような妹さんの言葉をにべもなく切り捨てて、アルビナさんはこちらに向かって一礼した。
「アルフ殿。紹介が遅れたがこの娘はクリティナ。私の妹だ。思慮に欠ける部分はあるが、腕は確かだ。何か面倒が起きたら遠慮無く申し付けてやってくれ」
「お姉さま!」
「では、後を任せるぞ、クリティナ。しっかりと務めを果たせ」
「お、お姉さま――!」
そんな悲壮なクリティナさんの叫びも虚しく。
アルビナさんは、その翼を優雅に羽ばたかせると、一人天使の舞う空へと飛び立って行ったのだった。
/ 天使とお留守番
「お姉さま……本当に行ってしまわれるなんて」
呆然とアルビナさんが飛び去って行った空を見上げながら、クリティナさんはがっくりと肩を落としていた。
その気になれば、この子だって背中の翼でアルビナさんの後を追って飛び去っていけるだろうに、そうしない辺りは素直な娘なのだろう。
そんな落ち込んでいる彼女の背中を、エルはじー、と見つめ、そして「耐え切れない」とばかりに口元から笑いを零した。
「く、くくく」
「!」
それは小さな笑い声。
だけど、クリティナさんは敏感に反応して、ばっ、とエルの方に勢い良く振り向いた。
「お前! 今、私を笑ったな!」
「だ、だってだって、漫才みたいだったんだもん……!」
まだツボにはまっているのか、笑いに声を震わせながらエルが顔を伏せている。
「この無礼者め……っ!」
「ご、ゴメン、ゴメン。お姉さんに捨てられた可哀想な娘を笑っちゃダメだったよね」
「私は捨てられてなど居ない!」
キーっ、という擬音が聞こえてきそうな勢いでクリティナさんが、エルに噛み付いている。その二人の様子を眺めていると、クイクイ、とアリサが俺の袖を引いてきた。
「? どうした? アリサ?」
「アルフ様。あのお二人、中々お似合いのようにも思えますね」
「……なるほど。確かに」
エルとクリティナさん。
二人共やや小柄で同じぐらいの身長。綺麗な細い金髪もお揃いで、瞳の色こそ違うけれど青と赤の瞳はお似合いだって言ってもいいだろう。
言い争っている様子も、見方を変えれば、女の子二人が戯れているとみることもできる風景だった。
……いや、片方は男の子ではあるのだけど。
「……なあ、アリサ」
「はい、なんでしょう。アルフ様」
「クリティナさんは女の子だよな?」
「……」
「……」
仲良く黙りこむ俺たちだった。
なにせ目の前にエルという存在がいると、もう見た目だけで性別を判断する自信がなくなってきてしまうのだ。
「大体! お前たちは何者なんだ!」
と、俺とアリサの会話をよそにエルと言い争いを続けていたクリティナさんが、声を更に荒げていた。多分、エルに言い負かされたのだろう。
「もー。お姉さんとアルフの会話をちゃんと聞いていなかったの? 国王の勅使だってば」
「それは、あいつの事だろう! お前は何なんだ、偉そうに!」
いや、実際、その子は偉いんですよ? クリティナさん。
内心でそう突っ込んだものの、まさか正直に「あなたが喧嘩している相手はハイウインドの第一王子です」と言うわけにもいかない。
さて、エルはどう言い返すのか、と思ってみていると、エルはちらり、とこちらに視線を向けてから小さく笑った。
……どうしよう。嫌な予感しかしない。
「あの、クリティナさん! その子はですね――」
「僕は誰かと聞いたね? いいでしょう、答えてあげるね」
俺の言葉を遮って、エルが不敵な笑みを口元に湛えたまま朗々とした声で言った。
「僕はエル=クリムゲート! アルフ=クリムゲートの妻だよ!」
「……は?」
元気いっぱいのエルの宣言に、クリティナさんが呆けた声を上げる。
反応に困っているのだろうか――と俺が彼女の顔を伺っている隙に、アリサが一歩前に進み出て言った。
「私はアリサと申します。クリムゲート夫妻のメイドを努めさせていただいております」
「……は?」
エルの嘘に乗っかるアリサに、またもやクリティナさんが呆然とした声を零す。
しばらく、エルとアリサの間で視線を往復させていたクリティナさんは、キッ、と鋭い視線を何故か俺の方に向けてきた。
「アルフと言ったか、お前……!」
「あの? クリティナさん?」
「お前、お前はっ! こんな年端もいかない少女たちを、妻だ、メイドだのと手にかけて……っ!」
どうやら彼女は俺を年端もいかない少女に手をかける度し難い男だと認識してしまったようだった。
いまさら言うまでもないけれど、完膚なきまでに誤解である。
「いやいや、年端もないって……僕は、もう16歳だよ?」
「そうです、私も16歳ですから。アルフ様――旦那さまに手籠めにされていても何も問題ありません」
「問題しか無いわ! 誰が手籠めにしたんだ、誰が! というか、誤解を解くべきポイントはそこじゃないだろ! 妻だのメイドだのという天を取り消せよ!」
今ひとつポイントがずれているエルとアリサの抗弁を、クリティナは呆れた、とばかりに息をついて首を振った。
「何を言う。ハイウインドでは元服は18歳だろう? それまでは子どもと同じだ」
「そう言われると……そうだけど」
「ハイウインドのこと、よくご存知ですね?」
「そのくらいは知っている。私達だって完全に里に篭っていられる訳じゃないんだからな」
ふふん、とちょっとだけ自慢気に胸をはるクリティナさん。
エルとのやり取りでわかっていたけれど、彼女は随分単純な性格をお持ちのようだった。もうクリティナさんじゃなくて、クリティナちゃんと呼んでも良いかもしれない。
「そういう君は、何歳なのさ。僕と変わらないように見えるけど」
「……私は元服を済ませているからな! もう大人というわけだ」
「だから、何歳なのですか? 察するに天使族とハイウインドの妖精族では元服の年齢が違うのでしょう?」
「……16歳」
「僕と同じ年じゃないか!」
「でも私は大人だぞ! 元服を済ませているからな!」
「そんなの僕達(妖精族)には関係ないじゃないか。僕が子供なら、君も子供だよ」
「違う! そもそも妖精族と天使族ではれっきとした違いが――」
「あるんですか?」
「……あると、思う」
「知らないんじゃないか!」
「う、煩いな。そもそも今は私の年齢なんて関係ないだろう!」
ワイワイと言い争う三人の会話。その会話を聞き流しながら、俺は少し前のクリティナちゃんの言葉を考えていた。
『篭っていられる訳じゃない』、と彼女は言った。
それは篭っていられるのなら、篭っていたいということで、「外」へ彼女の感情を示す言葉であり。
そして篭っていられない何らかの事情が、この彼女たちの「世界」の中にある、ということを示している。
「……ふーむ」
考えながら、俺は足元に薄く広がる結晶に視線を落とした。
天使族が「作り上げた」と思われる大地と、それを覆う結晶。どちらも「外」から来た俺から見れば「異常」ではあるが、天使族にとっては後者が異常であるらしい。
ハイウインドの領域において異界が生じる場合、その殆どはハイウインドの大地を支える「世界樹」の力が関わっている。
世界を支え、維持するほどの力は、その方向性を変えてやることで別の世界を作り上げてしまうからだ。
この世界も世界樹の力をつかって「別世界」として構築しているのかと思ったのだけれど……果たしてどうだろうか。
「そもそも大人、大人っていうんなら、クリティナは経験があるの?」
「経験? もちろんあるとも。これでも姉様たちと共に結晶竜の討伐に参加したことが――」
「そうじゃなくて、大人の女のとして経験があるのか、って聞いてるの」
「大人の女としての? それはどういう――」
と、そこまで言ってから、エルが言わんとしていることに気づいたのか、クリティナちゃんの顔が見る間に真っ赤になっていく。
「お、お前、何を言って!」
「その様子ですと、まだ経験はないようですね」
「ふふーん。なんだ、やっぱり、まだ子供じゃないか」
「そ、そういうお前はどうなんだ!」
「ふふふ、僕の自己紹介を聞いていなかったのかな? 僕はアルの妻なんだよ? 当然、経験あるにきまって」
「こら、いい加減にしろ」
「痛っ?!」
調子の乗ってホラを吹きまくるエルの頭を、ぱし、と軽く叩いて黙らせた。そしてまだ顔を赤くしているクリティナちゃんに向き直る。
「こいつらの言っていることは冗談ですよ」
「じょ、冗談?」
「はい。ちなみに私も経験はありませんから、ご安心下さい」
「そ、そうなのか」
その発言でアリサが何を安心させようとしたのかは謎だが、とりあえずクリティナちゃんは納得したのか、安堵したように息をついた。
「なんだ、嘘だったのか」
「妻になるのは、これからだからね」
「手籠めにされるのも、これからですから」
「……こんな奴らなので。あまりまじめに付き合うと疲れるだけですよ」
「……大変そうだな、お前」
「は、はは……」
心底同情するような視線を投げてくるクリティナちゃんに、俺は乾いた笑いで応じるしかなかったのだった。
ものすごく同情されてしまったようだった。
/
そんな訳で、ようやく最初の天使族との接触に成功したわけだけれど。
「ところでどうして天使族って、そんなに偉そうなの?」
「お前の方がよっぽど偉そうだろうが!」
……果たして、この王子様相手にお嫁さんは来てくれるのだろうか。
アルビナさんが飛び立って行った空を眺めながら、俺は里長にせめて何をお願いしたらうまくいくだろうかと頭を巡らせていったのだった。
バリン、と足元で割れる結晶の音。
それがせめて不吉な未来を告げる音色でないことを祈りながら。
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