第五話(前半) 天使の舞う空
/ ただいま捜索中。
「ねー、諦めて帰ろうよー」
「エル、うるさいぞ」
夜明け前のまだ薄暗い空の下。
雷火にまたがって飛ぶ破片地帯の空気は、まだ冷たくて吐く息を白く曇らせる。
そんな早朝の風の中、俺の背中にしがみつきながら、ハイウインドの王子様が気だるげな声を上げた。
「寒いよー、眠いよー、アルが冷たいよー」
「だから、おとなしく宿に居ろって言ったのに」
「やだ。アルから離れたくないもん」
「お前なあ」
いっその事、雷火から突き落としてやろうか、この我侭王子は。
そんな衝動に駆られつつ、背後で不平をこぼしているエルに、俺は首だけを振り向けた。
「一体、誰のためにここまで来たと思っているんだよ」
「そんなのアルの都合じゃないか」
「お前の嫁探しに来てるんだろうが!」
「そんなの別に頼んでませんー」
「こいつは……っ!」
ああ言えばこういう。
どうにもこの王子さまは、完全に嫁探しのやる気を無くしているらしい。
「というか、お嫁さんなんか探さなくても、僕はアルでいいのにー。というか、アルがいいのにー」
「だから、俺にはその気はないの」
「……本当に?」
「本当に」
「むー」
俺の返答に不満気な唸り声をあげると、エルはぐりぐりと背中に額を押し付けて来た。
「こら、くすぐったいから、止めろって」
「やだよー。アルが意地悪を言うからいけないんだ」
「……あのアルフ様、エル様」
言い争いをする俺とエルの更に背後。
「私も居るんですから、あまり二人だけでイチャつかないでくださいね」
エルの背中にこれまたしがみついているアリサが、すこし眠たげな声でそう言ったのだった。
/
『朝と夜が入れ替わる時間、天使たちが舞う空が、その輝きを放つ』
ノースエッジ領主の娘であるリアーナさんから、天使族の里に関するそんな情報を教えてもらって、はや3日。
これまで朝晩二回づつ、日の出と日の入りに雷火で探索に出かけたけれど、今のところ何も見つかっていない。
……割りとあっさりと見つかると思ったのだけど、完全に当てが外れてしまっていた。
ということで、今は三度目の朝の捜索中だ。
朝日に浮かび上がる破片群が、日に浮かび、世界樹の枝々に影を落とす光景は壮観ではあったけれど、感動してばかりもいられない。
それこそ目を皿にして、何かしらの異変を放つ「破片」を見つけないと行けないのだけど……
「だって、これでこの空を飛ぶのは五回目だよ? どうせ見つからないんだったらアルとイチャつくしか無いじゃないか」
わざわざ「竜使いとしての」俺に、天使族の里への輸送業務を依頼した王子様は、とっくにやる気を失っているようだった。
「なるほど、そういう訳でしたか。流石、エル様」
「今のエルの発言のどこに、「なるほど」と納得する要素があるのか俺にはさっぱりわからないが、少しはまじめに探してくれよ」
俺は少し雷火の手綱を引いて高度を上げながら、俺はエルとアリサの主従に軽く視線を向ける。
エルはブレザーにスカートといった女の子の格好。黙って微笑んでいれば良家の令嬢といった印象かもしれない。
アリサも相変わらず黒を基調にしたメイド服。これまた黙っていれば貴族の子女に仕えるメイドといった印象だろう。
二人共、飛竜で辺境地帯を旅するには全く向いていない服装であり、違和感があること甚だしい。
ちなみに、雷火の背中に乗れるのは成人男性なら二人が限度だけど、エルやアリサは軽いので、俺も含めて三人同時に雷火の背中に乗ることが出来ている。
ただ安全のために普段はつけない鞍をつけて、エルとアリサにはその鞍の上に座ってもらっている。鞍のおかけで姿勢は安定するから、別に俺にしがみつかなくても良いはずなのに、エルはずーっと俺の背中に張り付いている。
「エル、アリサ。雷火も疲れてくるんだから、少しは真面目に探してくれよ」
「はい、アルフ様。私は真面目に探しています」
「ねえ、アリサ。それって僕が真面目に探していないって言っていないかな?」
「今のエル様の姿勢ですとアルフ様の背中しか見えないと思います」
「……そんなことないよ?」
そう言いながらもエルはグリグリと俺の背中に額を押し付けるのを止めない。どうやらこの行為が、ちょっと気に入ったらしい。
「でも、大丈夫です。そう言えば、エル様はアルフ様とイチャつくのが大事な御役目でしたよね」
「うん。そうだよね」
「いやいや、「そうだよね」じゃない。何でそれが御役目なんだよ!」
「ふふー。内緒だよー」
俺のツッコミを含み笑いで流すと、エルは今度は、俺の前に腕を回してぎゅー、抱きついてくる。
当然、男の子だから胸があるわけではない。無いのだけれど、エルはあまり筋肉がついていないから、抱きつかれると少し柔らかさを感じてしまう。それが、あまり不快ではないのは、エルに毒されてきているのだろうか――って、いや、そんなはずはない。
「ふふふ。アル、興奮してきた?」
「誰がするか!」
「ですが、エル様。僭越ながら、申し上げてもよろしいでしょうか」
「何? アリサ」
「無い胸をいくら押し付けてもアルフ様は、あまり興奮なさらないかと思います」
「べ、別に胸で興奮させようとか思ってないもん!
「私なら多少は胸がありますから、エル様と私は順番を変わったほうが良いかと思います。そうですよね? アルフ様」
「それじゃ意味がないじゃないか。アリサがアルフを誘惑しても困るよね? アル」
「俺に妙な同意を求めるな!」
……我ながらそんな脳天気な会話を繰り返している間に、今日もまた朝日は平和に登ってしまったのだった。
/ 宿にて。
「でも、リアーナもケチだよね。『朝と夜が入れ替わる時間、天使たちが舞う空が、その輝きを放つ』なんて持って回った言い方なんてしないで、ズバリ入口の場所を教えてくれればいいのにさ」
日没後。
結局、夕方の探索でも天使族の里の手がかりを見つけることが出来なかった俺達は、連れ立って宿屋へと戻っていた。
宿屋の中にある酒場兼食堂。その隅っこに確保した席に突っ伏しながら、エルフリック王子様は大変ご不満そうな声を上げている。
「いっその事、僕がノースエッジ邸に乗り込もうかな? 流石にもっと情報をくれると思うんだけど」
「大事になるから止めなさい。一応、お忍びで、来ているんだろ?」
「むー。そうだけどさ」
そう言いながらも、まだ迷うようにエルは眉を曲げている。
「でも、アルフ様。そもそも「輝きを放つ」とはどういう意味なんでしょう?」
エルの傍ら、蜂蜜酒にチビチビと口をつけていたアリサが小首を傾げなら、そんな根本的な問を投げてきた。
「「破片」全体が光ったりするんでしょうか?」
「ああ、うん。そう思っているんだけど……」
そう思い続けて、3日。
輝く島なんてものは、どこにも見つかってはいない。俺を含めてエルもアリサも目は悪くないし、感覚は大分と鋭いはずなのだけど……見つけたものといえば、何匹かの野良の鱗竜ぐらいだ。それらは特に苦労することもなく世界樹の幹の方に追い払うことはできたけれど、ハイウインドの大陸部……世界樹から見ると上方部分に飛竜が彷徨ってくることは珍しい。やはりこの破片地帯は、何かが少し特殊らしい。
「まあ地道に探すしか無いかな」
考えてみれば領主の娘さんのリアーナさんや、天使族そのものであるセフィだってはっきりとした入り口の場所を、おそらくは知らないのだ。
そう簡単に見つかると思ったほうが間違いなのかもしれない。加えてリアーナさんの態度から考えると、天使族、というのは意外とデリケートな問題なのかもしれない。
ぬるいビールに口をつけながら、俺が長期戦を覚悟すると、エルが「えー」とまた露骨に不満気な声を上げた。
「やっぱり領主邸に行こうよー」
「だからお前が行ったら騒ぎになるだろ。それに」
「それに?」
「その内、王都からの調査隊が来ることだし、場合によっては探索を手伝ってもらえるかもしれないしさ」
「え」
「……お、王都からですか」
俺の言葉に、エルとアリサ、二人の顔を露骨に曇った。
……なんだろう、この反応。ものすごく嫌な予感がするんだけど。
「エル。アリサ。怖くて聞かなかったけど、お前ら勝手に王城を抜け出てきたわけじゃないよな?」
「……」
「……」
「なぜ、答えない」
顔を背ける二人に、俺は自体を把握する。どうやら、この二人、王都を勝手に抜け出してきたらしい。
アリサはエルの側にいるのが仕事だとしても、エルには王子としての公務がある。勝手に出てきたとなると、さぞや陛下もお困りだろう。
「いやいや、なんで勝手に抜け出してきたりしたんだよ!」
「むー。こっちにはこっちの事情があるの! アルにはわかりませんよー、だ」
「私はお止めしたんですけど」
「あ、ひどい! 自分だけは助かる気だね、アリサ!」
「お止めしたのは事実ですよ? 『勝手に外出されるのは控えたほうが良いような気がしなくもないですけれどエル様のご命令なら私は喜々として従います』って」
「言い訳が長い! というか、止めてないだろ、それは!」
と、俺達がテーブルを囲んで不毛な言い争いをしていると。
「おいおい、きーきー、煩い声がするかと思えば、これはこれは、随分と可愛い子が居るじゃないか!」
不躾な――あるいはこういう酒場ではお約束な――そんな声が投げかけられた。
野太い声に振り向けば、そこには、おそらくは妖精族だろうと思わしき男性が居た。
ハイウインドの妖精族、と聞くと、俺のような他国出身者は一様に、金髪碧眼・長身痩躯の美男美女を思い浮かべるけれど、体格というのはやはり個人の生活習慣に依存する部分も多いわけで。目の前の妖精族の男性は、でっぷりと太ったお腹を揺らしながら、赤ら顔でこちらへと近づいてきた。
片手にはビールがそそがれたジョッキ、口には火の着いた葉巻。典型的な酔っぱらい、といった風だが、体型にあわせて腕も相応に太い。巨人族の血もはいっているのかしれない。なんだか「おっちゃん」と呼びたくなる風体だ。
「最近、この店も辛気くせえ面子しか居ねえと思ってたがよ、どうだい、あんた、俺と一緒に飲まねえかい?」
そう言いながらこちらに歩み寄ってくるおっちゃんの視線の先に居るのは、アリサ――ではなく、エルだ。
……どうやらこのおっちゃん、エルのことを女の子と思ってしまっているらしかった。まあ、正直無理はないと思う。女の子のような顔をしているエルが、これまた女の子の格好をしているわけだし、彼の勘違いを責めるのは酷だろう。
だが――。
「うるさいなー」
俺とアリサが席を立つより早く、エルが不機嫌そのもの、といった視線と声をおっちゃんに向かって投げつけた。
「おいおい、そんなに連れないこと言わねえでくれよ。へへへ。そっちのナヨナヨした兄ちゃんより、俺のほうがよっぽど――」
酔いのためなのか、元々そういう性格なのかはわからないが、おっちゃんがへらへらと笑いながらエルを口説こうと口をひらいて、
「――へ?」
その言葉の途中で、止まった。
気の抜けたおっちゃんの言葉。それと呼応するように、彼が加えた葉巻の先端がぽとり、と床に落ちる。
しまった――という思いでエルの方に視線をむければ、そこには不機嫌そうなエルが、険のある視線でおっちゃんを見据えていた。
テーブルに座ったまま、手には何も持っていないが……おそらくさっきの一瞬で腰の短剣を引き抜いて振りぬいたのだろう。
察するにエルが腰に下げていた短剣で「座ったまま」、葉巻を切り落としたのだ。
どうやらエルが持ってきた短剣は、神剣と言わないまでも何かの魔剣なのだろう。おそらくは「不可視の剣」。
「あのさー。アル以外の男に興味を持たれても迷惑なんだよね。他をあたってくれるかな」
可愛らしい声で、穏やかに放たれる言葉。でも、その言葉を綴るエルの眼は笑ってはいない。いくらエルが気さくとはいえ、れっきとした王子である。酒によって絡むなんて真似は、お忍びで来ていなければ、手打ちにされていてもおかしくはない。
「大体、さっきの「ナヨナヨした兄ちゃん」って誰のこと? ねえ? もし、アルの事言ってるんだったら大変なことになるんだけど」
「え? いや、あの」
やばい。
どうやらエルの奴、酒が入っていることもあって、相当にお怒りのご様子だった。
周りは気づいていないとはいえ、酒場で抜刀した時点で相当にやばい。ここで騒ぎを起こしても碌なことはない。
ちらり、とアリサに目を向けると、彼女もそれとなく腰の細剣に手を添えている。仮に男がエルに触れようものなら、今度はアリサの細剣が男をなます切りにしかねない。
「いやいやいや! おっちゃん、俺の連れが失礼したな」
「お、おう……?」
切り落とされた葉巻と、エルの剣幕に、まだ混乱している様子のおっちゃんに、俺は努めて明るく言いながらその肩をたたいた。
可愛い女の子二人から向けられる険のある視線。それに怯んでいたおっちゃんだったが、おっちゃん曰く「ナヨナヨした男」から向けられる笑顔で現実に引き戻されたらしい。うろたえた表情から一転して、やや強気な表情になって俺の顔をジロジロと見回してから言った。
「なんだ、お前、余所者じゃねえか」
「おいおい、名高い港町ノースエッジだろ、ここは。余所者なんて珍しく無いだろうに」
よそ者、と来たか。俺が妖精族でないことを言っているのだろうけれど、どうやらこのおっちゃんは、この辺出身の人間なのだろうか。
そう当たりをつけながら、俺はわざとらしくおっちゃんの肩に手を回した。
「おい、なんだよ、お前。馴れ馴れしいな」
「それはお互い様だろ? ま、それよりも聞いてくれよ。俺も、その連れも変わり者でね」
俺の腕を振りほどこうとするおっちゃんだったが、俺は逆に腕に力を込めて、無理やりおっちゃんを屈ませる。そしてエルとアリサに聞こえないように、その耳元で囁いた。
「あんたが口説こうとしている俺のツレさ。確かに可愛いんだけど、あれ、ああ見えて男なんだ」
「……!」
その台詞に、ぴくり、とおっちゃんの肩が震えた。
「だから、悪いことは言わない、だから―――」
「だから、いいんだろうが!」
「はい?」
『だから、諦めて帰ってくれ』と、続けようとした俺の言葉は、おっちゃんの意外すぎる言葉に遮られて消えた。
え? いや、何言ってるの、このおっちゃんは。
「あれ? おっちゃん? あんた、俺の話、聞いてたか?」
「聞いてたさ、だからこそだ! 男の子が可愛いからこそ、ぐっとくるんじゃねえ、か!」
「いやいやいや、本当に何言ってんの?!」
おっちゃんの反応に逆に狼狽える俺の脳裏に、ふとフォーキオンの言葉が蘇った。
『ハイウインドでは同性愛は割りと広く認知されているんだよ』
そうフォーキオンは言っていたが――
「……おっちゃん、あんた、アレが男ってわかっていて声をかけたのか?」
「当たり前だろうが。何を言ってんだ、お前は」
お前こそ何を言ってるんだ。何を。
まさか「広く受け入れられている」その実例を、ここで見つけることになろうとは。
「なんだ、君。なかなか話がわかるんじゃないか」
おっちゃんの堂々とした発言に、俺が頭を抱えている傍で、今度はエルが機嫌を直したのか、おっちゃんに言葉をかけた。
「言ってやって! もっとアルに言ってやってよ。男同士は良い物だって」
「おお、任せとけ!」
「任せられるな! もう帰れよ、あんたは!」
「よし、マスター! この人にビールを」
「おおお、ありがてえ」
「だから、なんで急に意気投合してるんだよ、お前らは!」
/
「天使族ぅ~?」
胡散臭気な声をだして唸るおっちゃん―――もとい、ハンザさん。
女装しているエルをひと目で男だと見抜き、その上で声をかけてきたという業が深い人物である。
その彼はすっかりエルと意気投合したのか、俺達のテーブルにちゃっかりと座り、エルと酒を酌み交わしている。
時々、どさくさに紛れてエルに触ろうとしては、エルやアリサに葉巻を切り飛ばされて動きを止められていた。それでもエルにちょっかいを出そうとし続けるあたり、中々に肝の座った人物であるのかもしれない。
……あの葉巻の長さがなくなったとき、ハンザさんの命が潰える気がしなくもない。
それはともかく、ある程度、打ち解けた頃にエルがハンザさんに「天使族って知ってる?」と話を振った所、彼は先程の胡散臭げな声を出したのだった。
「そう、天使族。知らない?」
「いや、知ってるのは知ってるけどよ。最近はめっきり見かけねえなあ……」
エルの問いかけにハンザさんは眉を顰めながらそう答えると、今度は酒場のカウンターに向かって大きく声を上げた。
「おーい、誰か最近、天使族を見かけた奴は、いるかあ?」
呼びかけるハンザさんの声は、体型に合わせてか声量が多く良く響いた。そのよく通る呼びかけに、酒場のあちこちから返事が飛び交っていく。
「天使族? 久しぶりに聞いたな」
「見ねえなあ、そういや」
「俺、ガキの頃に見たことあるぜ?」
「いつの話だよ、そりゃあ。30年ぐらい前の話かよ」
「そんなに昔じゃねえよ! 20年ぐらい前だ」
「あんまり変わんねえじゃねえか!」
「大違いだろうが!」
一部、どつき漫才を始めた人達もいるようだが、ともあれ、最近見かけた人はいないらしい。
「なんだよ。役に立たねえ連中だな」
「お前よりはマシだよ、ハンザ」
有力な返事がなかったことに悪態をつくハンザさん。その彼を窘めたのは、ビールのおかわりを持ってきてくれた酒場のマスターだった。ハンザさんとは対照的にほっそりとした長身の男性で、こちらはいかにも「妖精族」といった外見。口元に蓄えている豊かな顎鬚が貫禄を与えている気がした。
「ほら、ビールお待ちどう」
「ありがとうございます」
俺にビールのジョッキを渡しながら、マスターはぐるり、と俺達の顔を見回す。
「しかし、あんたら天使族を探してたのか」
妙な三人組だとは思っていたけどな、と言いながらマスターが軽く肩を竦めて笑った。
妙な三人組。そう称された俺たちだけど、異邦の竜使い、女装している男の娘、細剣をぶら下げたメイド服の女の子、という構成は確かに「妙な」と言われても反論はできなかった。
「まあ、詮索はよそうか。どうにも訳ありのようだしな」
「……助かります」
マスターの言葉に頭を下げながら、俺は一応マスターにも「天使族について何か知りませんか」と聞いてみた。
いや、本当はあまりおおっぴらに聞いて回るつもりはなかったんだけど、ハンザさんがここまで大声で聞いてしまったのだ。聞きこみを躊躇う意味はもうないだろう。
「いや、俺も最近は見かけないなあ」
「そうですか」
「まあ、実際はこの街のどこかには居るんだと思うけどな」
「そうなんですか?」
「多分、だよ。なにせ連中、あまり妖精族と見分けがつかねえからな。」
マスターのその言葉に俺はなるほどと頷いた。
瞳の色を除くと天使族と妖精族は、あまり外見的な差がない。要するにセフィと同じように眼鏡なり魔法なりで瞳の色を隠して「妖精族」として街で生きている天使族がいるかもしれない、ということだろう。
……でも、それは何故だろう。
セフィは「商売上、若く見られると、損だから」といって顔を隠していたけれど、なにか「天使族」であることが露見すると不都合があるのだろうか。
そんな俺の疑問を表情から読み取ったのか、マスターがやや声の調子を落として囁くように答えてくれた。
「これもあくまで噂だがな。連中は……あまりこの世界が好きじゃないって聞いたことがある」
「好きじゃないの?」
「里の外の世界が嫌い、ということでしょうか」
マスターの台詞に、エルとアリサが一瞬顔を見合わせてから、首を傾げてそう言った。
里の外が嫌い。
もしそれが本当なら、セフィもそうだけど、そもそも彼女を外に連れ出したセフィの父親は相当の変わり者だったのだろう。
「さて、どうだろうな。連中、この世界の全てが嫌いなのかもしれないぜ」
「天使なのに?」
「天使だからだよ」
エルの言葉に、マスターはひどく皮肉な笑みを浮かべて笑った。
「『天の使い』なんだから、本当はこの世なんかじゃない、天に住んで、この世を見下ろしていたいんじゃないのかね、あいつらは」
/
カウンターへと戻っていくマスター。その背中を見つめながら、俺は彼の言葉を反芻していた。
「……そうか。天使は天に住んでいるのか」
「アル?」
どうかしたの? と訊くエルに頷いて、俺は残っていたビールを飲み干した。
天使族――と名前から、漠然とした印象しか抱けていなかったけれど、今のマスターの言葉で少しイメージが固まった気がする。
天使を「自称」する彼らは、確かにこの世界が嫌いなのかもしれない。
だから、天を創り、そこに篭もる。もし、本当にそうなら、ある意味でとても不遜で、そして尊大な行為。
そんな彼らなら――きっと。
「探し方が悪かったのかもしれない」
『朝と夜が入れ替わる時間、天使たちが舞う空が、その輝きを放つ』
「輝くのは「空」なんだよな」
そう。大地である「破片」が輝くとは言っていないのだ。
「どういうこと?」
「天を探すのに、飛竜で見下げながら探してもダメなんじゃないかってこと」
不思議そうに尋ねるエルに答えながら、俺は明日の飛行ルートを頭のなかで引き直すことにしたのだった。
空から見下ろすのではなく、空を見上げるための航路を決めるために。
/ 暁の空に。
「―――アルフ様、空が」
翌日。
昨日までと違って破片の「下」を飛び回り、空を見上げるように飛び回ること暫し。
『それ』を最初に見つけてくれたのは、アリサだった。
「あれか!」
「確かに……ちょっとだけ光ってるね」
世界樹の枝、空を漂う大地の欠片の向こう、そしてまだ夜に染まったままの空を背景にして。
ほんの僅か、陽炎のように揺らぎながら淡い光を放つ「何か」が見えた。
目を凝らさないと気付かない、あるいは、目を凝らしていても気づけないかもしれない、ほんの僅かな光の円。リアーナさんの言葉を借りるのなら、あれこそが天使の舞う空の入り口なんだろう。
「でも、あの辺りって昨日も探していたよね?」
「ああ、多分。でも「探し方」が悪かったんだ」
見下げるのではなくて、見上げる形でないと見つからない。そういう仕掛けがあの「門」にはあるのだろう。
だから、今日はわざわざ破片地帯の下を飛竜で飛んで、空を見上げるようにして探したのだ。ただ破片は大きさも高度もまちまちだし、下には世界樹の枝が張り出してきている部分もあるので、飛び回るのには非常に苦労する空間だった。
「ありがとうな、雷火。おかげで見つけられたみたいだよ」
「きゅー」
危ない領域を飛んでくれた雷火にねぎらいの言葉をかけると、俺の愛竜は嬉しそうな鳴き声で答えてくれた。
「天使族は魔法が得意とは聞いていていましたけれど、空に不可視の結界を貼っていたんですね」
「不可視、だけじゃないな。多分、物理的にも透過されている」
エルも言っていたけれどあの辺りは、昨日、あの辺りは雷火で飛んでいる。なのに、俺達はなんの手応えも感じることはできなかったのだ。
どうも天使族は、視ることも、触ることも叶わない、彼らだけの聖域を、空の彼方に作り上げているらしい。
「上からの干渉は全て透過して、下から見上げた時にほんの少しだけ見える。そういう風に結界の条件を設定しているのかもしれないな」
「天は見上げるものであって、見下げるものではない……ということでしょうか」
「ふーん。随分と高慢だね。セルフィーナの同族らしいといえば、らしいけれど」
俺とアリサの言葉に、エルは呆れたように息をついた。
「ねえ、アル。この時点で天使族に対する好感度下がってるんだけど、帰らない?」
「いや、待て。会ってみれば印象は変わるかもしれないだろ?」
不味い。
会う前からエルの天使族に対する好感度が下がっている。
「ほら、見上げないとダメとか、は俺達の勝手な解釈なわけで。実際の天使族の意図が違うかもしれないだろ?」
「そうかなー」
慌てて天使族の方々をフォローする俺に、エルは疑わしげな視線を向けてきたけれど、少しの間を置いてから「いいや」とはにかんだ。
「エル?」
「うん、会ってみようよ……少し、面白いしね」
そう言いながら、エルが少しだけ少年っぽい笑みを浮かべた。
「面白い?」
「うん。
ハイウインドは別に全ての民の隷属を求めたりはしないけれど、こんな強力な結界を主大陸の直ぐ側に打ち立てるなんてね。どんな人達なのか気になるでしょう?」
「お、ちょっと王子様っぽい発言だな」
「正真正銘の王子様だよ、僕は」
女の子の格好をしているけどな。
「じゃあ、行くぞ」
「うん」
「はい」
エルの気が変わらないうちに、と言うことでもないけれど、俺は二人の返事に頷いて直ぐに雷火の手綱を大きく引いて。
「――よし! 行くぞ、雷火!」
「キュー!」
愛竜が応える声を耳に、「天の国」への門へと飛び込んだのだった。
/ 天使の舞う空
その「門」を潜った瞬間、視界から光が消えた。
異界、と呼ばれる世界に入った時と類似の現象だ。
ただ、ここが異界を模している、とは聞いていたので俺は慌てることなく、視覚が戻るのを待つ。
時間とともにじわり、と明るくなる視界。
ただ光が目に戻るより先に感じたのは、体を刺すような冷たさと、何かがこすれるような音だった。
世界樹からこぼれ落ちた葉が風に揺れ、擦れて泣くような……そんな音に近かったように思う。
ざっ―――。
そしてもう一度、ひときわ大きな音がした、その刹那。俺達の視界に光が戻り、そして「天の国」の光景が飛び込んできた。
「―――え?」
「な、何? これは」
耳に届くのはアリサとエルの呆然としたつぶやき。それに応えるように俺の口から漏れた言葉もやっぱり呆然としたもので。
「なんだ、これ……?」
視界に飛び込んできた「天の国」。
雷火の背にまたがり見渡すその世界は、想像以上に広大な空と大地が広がっている……ようにみえるのだが。
「氷? いや、違う。これは」
その風景は、まるで、氷の世界のように―――「結晶」で覆われていた。
薄い赤のものもあれば、青に輝くものもあるその結晶は、おそらくは魔力を秘めたものだろう。
「これが……天使族が想い描く天国だというのでしょうか?」
「まさか。だって、これじゃ、まるで」
アリサの呟きを、エルが首をふって否定する。そのエルの言葉には、俺も賛成だった。
異界に似せて作られたと言われるその世界は、しかし、どうみても。
異界、そのもののようにしか見えなかったから。
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