第四話(後半) 北端「ノースエッジ」



 天使の舞う空。別名を、エンジェルスカイ。

 世界樹の上に座す大陸の、更に北の果てにある場所。


 それがセフィの教えてくれた天使族の住む場所の名前だった。



「おおおお……これは、また凄いな」

「キュー」

 真っ白な翼をゆっくりと上下させて大空を舞う雷火。その背中の上で俺は眼下に広がる光景に息を飲んだ。

 方々に伸びた世界樹の枝。その上に茂る青々とした葉が、本来、あるべき空と海を遮り生い茂っている。そしてその枝々の更に上、大小様々な形の「大地の破片」が無数に漂っている光景は、壮観の一言だった


 ハイウインドの空中大陸の北側に、「破片」と呼ばれる大陸群があることは知っていたけれど……今、視界に映る「破片」の数は、10や20じゃ済まない。ここから数えるだけでも100以上はあるんじゃないだろうか。


 一言で「破片」といっても、一軒家程度の大きさのものもあればちょっとした街ぐらいの大きさまで様々だ。破片が漂っている高度も、高いものから低いものまでまちまちに見える。

 王都のある主大陸とは異なり「破片」は世界樹に直接支えられていない。そのため世界樹からの魔力が揺らぐと比較的簡単に崩落を起こすらしい。いわゆる「異界」と呼ばれる領域ほどではないが、旅をするにはそれなりに危険を伴う領域である。


 その不安定さから、基本的に居住には適さないとされているが、それ故に「隠れるにはうってつけ」の場所、とのことだ。セフィからの情報では、この中のどこかに天使の隠れ里があるらしいのだが……


「……この中から、探すのか」

「……キュー」

 頭上に、眼下に。

 無数に浮かぶ「破片」を前にして、俺と雷火はやや呆然とした声を漏らすのだった。


/破片地帯(フラグメント)


 ハイウインドの国は、世界樹に支えられた空中大陸だ。

 王都を含めた主大陸が世界樹の幹に支えられており、大小様々な副大陸が世界樹の枝に支えられている。当然のことながら支えられる枝によって大陸間には大きな高低差が生まれる。そのため、小さな副大陸への移動手段としては飛行船や飛竜が使われることが多い。

 比較的大きな副大陸同士であれば橋が掛けられていることもあり、馬車や列車での移動も可能になっているが、現状、橋の数は限られている。


 さてそんなハイウインドの構造ではあるが、主大陸の北側には、副大陸よりも更に小さな「破片(フラグメント)」と呼ばれる小大陸群が広がる領域がある。

 世界樹の枝にすら支えられておらず、世界樹からの魔力だけで維持されている大地だ。当然、主大陸や副大陸からの橋は架かっておらず、しかも大陸の崩落が多いこともあって、移動には小回りのきく飛竜が特に好まれる。最も、この場所を好んで訪れる人自体が稀、ということになるらしい。

 辺境、とまでは言わないが、人の寄り付かない場所。そんな場所を雷火は、羽竜の本領発揮とばかりに、空を漂う大陸の欠片と、時折舞い散る世界樹の葉の中を踊るように軽快に飛び回っている。


「でも、見分けがつかないなあ」

 雷火にまたがりながら無数の破片を見回して、俺はそんな言葉を漏らしてしまう。大小様々は大陸の欠片は、どれもが無機質な岩石片――というわけではない。

 隠れ里がある、というぐらいなので、木々が生い茂っているものもあれば、青々とした水面を(おそらくは湖だろう)のぞかせているものもある。世界樹の枝の上に浮かんでいるものもあれば、枝の中に隠れるようにして浮いているものも見受けられる。

 つまりそれぞれの「破片」は、外見、大きさ、その浮かんでいる場所は高さも様々なのだが――そのいずれにも人の住む気配が感じられない。


「本当に住んでるのかなあ? なあ、雷火」

「キュー」

 セフィに言わせると、天使族は「異界に近いが異界の中には住んでいない」らしい。だから、居場所さえわかれば、雷火で飛んでいって訪問できるはずなのだが。


「セフィは「一番大きい破片を探すと良い」と言っていたけど……」

 正直、同じような大きさの大陸片が結構あるので、どれが一番大きいのか判断つかない。最悪、虱潰しに探していくしかないのかもしれないが……。


「どれが一番、大きいかな?」

 少し雷火に高度をとってもらい、視界の中に浮かぶ破片に目を凝らすこと暫し。


「――?」

 陽光の下、キラリ、と何かが白く反射したのが視界の端で見えた。


「なんだ? 空竜、か――?」

 竜の国と呼ばれるドラグスカイほどではないが、ハイウインドでも時々「野良の」竜が目撃される。その殆どは世界樹の幹や枝の近くに住むため、人の住む大陸部分に降りてくることは殆ど無い。


 ただ時折、ふらり、と人里付近を飛ぶ飛竜が目撃されることがある。そういった野良の飛竜を捉えて竜使いに売り渡すことを生業にするものもいるぐらいだ。

 これは結構な実入りになるのだが、いかんせん、野良の飛竜を手懐けることは相当に難しいため、一朝一夕で真似できるものではない。と、閑話休題。


 相変わらず人の居る気配のない破片群ではあるが、セフィの言葉を信じるのなら天使族が隠れて澄んでいる領域だ。気性の荒い竜なら、追い払っておく必要があるだろう。だから、飛竜の姿をちゃんと確認しようと、雷火に進路を変えるように命令しようとした――その刹那。


 再度、視界に入った白い煌きの強さに、瞬間、血の気が引くのを自覚する。


「――まさか」

 その煌きは、鱗によるものでも、羽毛によるものでもない。まるで水晶のような硬質さをまとった輝き。それが意味することに気づいて、俺は思わず声を上げた。


「まさか、結晶竜(クリスタル・ドラゴン)?!」

 鱗でも、羽でもない。

 全身を水晶のような破片で覆った竜。あまりにきらびやかな姿から「宝石竜」と呼ばれることもある。全身をまとう水晶の正体は、濃い魔力が結晶化したものと言われる。鱗種の鱗より固く、羽毛種の羽よりも魔法に強い。純粋な強さで比較するのなら、文句なく上位に位置する「魔竜」だ。

 もしも都市部の近くで目撃されたのなら、まず間違いなく討伐隊が組織されるだろう。


 ただ、幸いなことに都市部の人間が魔竜と対峙することはほぼない。なぜなら彼らは通常、異界の「中」にのみ生息するからだ。表皮が結晶化した魔力で覆われていることからもわかるように、結晶竜は魔力をその生命活動の源泉としており、彼らの生命を維持できるほどの魔力は異界の中にしかないとされる。

 故に結晶竜としても好き好んで異界の「外」に出てくる理由はないはずなのだが――。


「あまり理由を考えているヒマはない、か」

 視界に入った白い竜。 目を凝らせば、その全身を覆うのはごく薄い青色に光る水晶だ。鱗竜の見間違いであってくれと思った願いは、その威容にあっさりと砕かれた。

 俺と雷火との距離は、500mぐらいか。大きさからみて「成竜」と呼ばれる大人の竜だろう。


「このままやり過ごす――のは、無理、か」

 呟いて俺は背中に背負った自身の武器を確かめる。まさかエルの嫁探しに来て、結晶竜と対峙する羽目になるとは思わなかったけれど、おそらくあの竜は俺たちを見逃してはくれないだろう。

 異界の中なら、結晶竜は人間を襲うことは稀だとされる。周囲からの魔力を吸収することで存在を維持できるからだ。だが「異界に近い」とされる破片地帯とはいえ、ここは異界の「外」だ。しかも、あのサイズの結晶竜、このまま異界の外にいるのなら、遠からず存在を維持できずに朽ち果てるだろう。


 なら、あの結晶竜の行動として考えられる選択肢は、2つ。

 1.このまま魔力を失い朽ちていく。

 2.魔力の高い「何か」を取り込もうとする。


 まあ1は論外だろう。なら、問題は2の方法だ。

 異界の外で手っ取り早く大量の魔力を摂取する手段として世界樹の花や実を食べる、という方法がある。だた、そういった花や実を世界樹がつけることは滅多になく、実際、この周辺には見当たらない。

 なら他にあの竜にとって魔力を手っ取り早く吸収する方法は――人を食べること。


 荒唐無稽な話だが、結晶竜の中には、実際に人を捕食して魔力化するものがおり、そのために「魔竜」なんて呼び方もされるわけだが――。


 俺の不安を形にするかのように、結晶竜の甲高い鳴き声が、空気を震わせた。


「来るぞ! 雷火!」

「キュー!」

 咆哮からは、一瞬、薄い青色をまとった結晶の翼を一度羽ばたかせただけで、水晶の竜は、俺と雷火の頭上へとあっというまに距離を詰める。そして、俺達の頭上で再度大きく羽ばたき――勢い良く、その翼を振り下ろした。


「雷火っ!」

「キュー!」

 俺の声に答えるように雷火が一度大きく鳴くと、急加速して結晶竜の下から抜けだした。時間にして数瞬後、つい先程まで俺と雷火がいた空間を、結晶竜の翼から放たれた「水晶の羽」が、雨霰と降り注ぎ切り裂いていく。

 

 結晶竜の水晶刃。

 結晶竜は、体毛だけではなく、羽の一枚一枚までも魔力を帯びた水晶から構成されている。故に、その羽の一枚は、鋭いナイフのようなものであり、大きな羽ばたきと共に放たれる羽毛の嵐は、凶刃の雨に他ならない。


 間一髪で、その凶刃をかい潜った俺と雷火は、そのまま上昇を続けて、今度は結晶竜の頭上に位置を占めた。そして、そんな俺達に魔竜がその双眸を向ける。


 赤い宝石のような双眸に、煌々と滾るのは燃えるような殺意の光。

 どうやら、完全に俺と雷火をエサとして認識しているようだ。


「恨みはないけれど……仕留めるしかないな」

 電光石火とも呼べる結晶竜の飛行速度だったが、それでもまだ雷火の方が速い。

 その気になれば逃げ切ることもできるだろうけれど……流石に、ハイウインドの領空で、自我を失った結晶竜を放置することはできない。自棄になられて「竜の息」であたりを破壊されたら目も当てられない。


「いくよ。雷火」

「キュー!」

 雷火に突撃を命じると同時、俺は背中から自分の愛槍を引き抜いた。


/ 北の港町(ノースエッジ)


 ハイウインド主大陸の北の果てにある港町ノースエッジ。

 数多くの飛行船や飛竜が集まる交易都市でもある。季節にもよるが西の国ユーフォリアに旅する場合は、ここから風に乗る航路が一番はやいとされる。飛行船なら1日。空竜なら半日の距離だ。


 ということで、つい先日、ユーフォリアへの旅に使った港にまた舞い戻ってきたわけだけど……酷い目にあった。

 ノースエッジの港に入る前に、軽く破片地帯を見ておこうと思っただけなのだが、まさか竜に襲われるとは思わなかった。


「この間は、ユーフォリアに行かれたばかりですのに。今度は破片地帯(フラグメントエリア)ですか。アルフ様も、なかなか苦労が絶えませんね。お疲れ様です」

 そんな俺にねぎらいの言葉をかけてくれるのは、ノースエッジ領主ヘーズファルト=ノースエッジ――その人ではなく。その娘さんで、リアーナ=ノースエッジさんだ。

 年齢は俺と同じくらいで、妖精族の特徴である繊細な金髪を三つ編みにして背中に垂らしている。青と黒を基調とした落ち着きのあるドレス姿は、彼女の気品を引き立ているように見えた。

 今回のノースエッジ訪問の趣旨――王子の嫁探し、への協力依頼をしにノースエッジ邸を訪れたものの、ヘーズファルトさんはご不在とのことで、代わりに彼女がこうして俺の相手をしてくれている。


「どうにも日頃の行いが悪いようでして」

「ふふ、ご謙遜を」

 そういって柔らかく笑うリアーナさんだった。が、不意に彼女は、その表情を引き締めた。


「でも、破片地帯に行かれるのは延期された方がよいでしょう。なにしろ結晶竜の目撃情報が上がっていますから」

「……」

 彼女の言葉に、俺は内心でため息をついた。

 急いで破片地帯を見に行くのではなく、先に、ここに情報収集に来るべきだったようだ。前もって結晶竜の出現がわかっていれば、あそこまで慌てる必要はなかったのに。


「リアーナさん。結晶竜の目撃情報はいくつですか?」

「10件ほどです。先週あたりから報告が入り始めました。最初はみんな鱗竜の見間違いだろうと思っていたのですが……」

 それは無理も無いかもしれない。

 結晶竜が異界の外で暴れるなんていうことは、本当に稀だ。そもそも、結晶竜の気質として彼らは異界の外を好まないのだから。


「竜の特徴などはわかっていますか?」

「はい。青白い色の結晶が見えた――と言うのが共通した内容ですね。みんな怖がって近づかないので、詳細なことはわかりません」

 なるほど。それなら、その目撃された竜というのは、さっき俺と雷火を襲った結晶竜と考えていいだろう。特徴は一致しているし、なにより結晶竜が何匹も異界の外に漏れているという事態は、聞いたことがない。


「父が王都に調査隊の派遣を依頼しています。それまでは破片地帯の探索はお控え下さった方が……お急ぎのこととは思うのですけれど」

「ああ、それなら大丈夫です」

 気遣わしげに表情を曇らせるリアーナさんに、俺は懐に入れていたこぶし大の宝石を取り出してみせた。


「アルフ様、それは……?」

 深い青色の光沢を纏う宝石。

 結晶竜の頭部に存在する彼らの魔力、そして生命力の源だ。これが宝石として流通することもあるので、宝石竜とも言われるとかなんとか。


「先ほど撃ち落とした結晶竜の石です」

 そう言いながら俺は、青い竜石をテーブルの上に置いた。


「お話を聞く限り、コイツが目撃されていた結晶竜かと思います」

「……」

「……リアーナさん?」

「あ、は、はいっ?!」

 テーブル上の竜石に、呆然と視線を落として固まっていたリアーナさんは、俺の呼びかけに弾かれたように顔をあげた。が、その表情には未だ困惑と驚きが張り付いたままだ。


「あ、あの……アルフ様」

「はい」

「これは、件の結晶竜の竜石とおっしゃいました……ね?」

「? ええ」

「あの、アルフ様。決して疑うわけではないのですけれど」

「はい」

「あの……結晶竜を……お一人、で?」

「え? ああ、はい。そうです」

 なるほど。

 彼女は俺が一人で結晶竜を倒してきたことに驚いたのか。というか、それを信じられずにいる、ということなのだろう。


「申し訳ありません。このような質問は大変失礼だとわかっているのですが……」

「いえ、構いませんよ。そうですね、通常、結晶竜を一人で討伐することはありませんからね」

「そ、そうですよね?! ……結晶竜とはそんなに簡単に討伐できるものでは……」

「ただ、簡単ではありませんけれど、不可能でもありません」

「そ、そうなのですか?!」

「はい。なにせ私の飛竜は優秀ですから」

 水晶刃の羽に、鉄を切り裂く爪、そして「光の槍」とも称される竜の息吹。

 熾烈、といってもよい結晶竜の攻撃ではあるけれど、雷火の速度があれば、それらをかい潜るのは難しくない。

 攻撃を避けることができるのなら、あとは隙をついて、槍の一突きを眉間か喉元に突き立てることができれば、結晶竜とは言え討伐することは可能なのだ。

 ……最も、あの結晶竜の「竜石」が頭部ではなく、体内にあったなら話は簡単ではなかっただろうけど。


「大型の鱗竜(スケイルドラゴン)は頑強ですが、結晶竜の攻撃をかわし切るだけの速度は出せません。そのために、まず「防ぐ」ための手段を構築する必要があります。ただ雷火のような羽竜なら単独で攻撃をかい潜るほうが方法でも、勝算は高いんです」

「……そう、なのですね」

 まだ信じられない、とばかりに俺と竜石の間で視線を行き来させるリアーナさん。

 まあ、この辺りは実際に討伐を目の当たりにしないと無理かもしれない。実際、俺が一人での討伐を決断したのも、イレギュラーではある。余裕が有るのなら複数の飛竜で隊を組むのが正攻法だろう。


「それに、あの結晶竜は、人を襲わなくてはいけないほどに消耗していましたからね。一人で討伐できたのは、そういった事情もあります」

「な、なるほど……」

 果たしてどこまで納得してくれたのかはわからないが、一応、リアーナさんは事情を飲み込んではくれたらしい。


「ただ、いずれにせよ、調査隊の派遣は王都に要請いただいた方がいいでしょうね」

「? どうしてでしょう。アルフ様が討伐してくださったのなら――」

「あれが本当に目撃されていた竜なのかは確認が必要でしょう。それに」

「それに……?」

 小首をかしげる彼女に、俺は調査隊を派遣して欲しい理由をいくつか説明した。


 繰り返しになるが結晶竜は本来、異界の中に生息する竜であり、そもそも異界の外を「好まない」。


 ならどうしてあの竜は、あんな場所を彷徨っていたのか。

 異界に戻るだけの力が残っていなかったのか。あるいは、異界には戻れない別の理由があったのか。それを突き止めておく必要はあるだろう。

 もし後者ならその対策をしておかないと、次々と結晶竜が現れる、なんていう事態になりかねない。


「――わかりました。アルフ様の仰るとおりですね」

 俺の説明に今度は納得してくれたらしい。リアーナさんは王都への調査隊の依頼を約束してくれた。


「よかった。では、その件はよろしくお願いしますね」

「はい、お任せ下さい。それとアルフ様」

 と、俺の名前を呼ぶと同時に、リアーナさんはソファーから腰を上げ、そして深々と体をおってお辞儀をしてくれた。


「結晶竜の討伐。本当に、ありがとうございます。あなたのご尽力を疑うような発言も合わせてお詫びさせて下さいませ」

「いえ、あの、頭を上げて下さい、リアーナさん。そんな畏まってお礼を言われることでは……」

「いいえ。ノースエッジ領主代行として、この地の民の代表として言わせて下さい。アルフ様」

 深々と頭を下げたまま、なおもリアーナさんは謝意を投げてくれる。


「この御礼は、必ず」

「いえいえいえ、お礼は結構ですから!」

 謝礼を申し出てくれたリアーナさんだったが、俺は慌ててその申し出を断った。

 ノースエッジのために討伐した、という側面が全く無いわけではないけれど、どのみち天使族の里を探索するには、討伐は避けられなかっただろう。要するに、俺の都合で勝手に討伐した、といっても過言ではない。それに対して謝礼を出されても申し訳ない。

 加えているのなら、あまり自覚はないけれど、俺も一応、爵位をもつ貴族の一員、ということになっている。なら、この程度は貴族の責務の一つ、として思っても良いんじゃないだろうか。


「ですが、アルフ様……」

 だが、そんな俺の説明に、リアーナさんは納得出来ないようで、なおも俺に食い下がてくる。どうも今度は簡単に納得してくれる様子が見えない。


「結晶竜の討伐という功に対して、何も報いがないのでは――」

「では、代わりに教えていただきたいことがあるのですが」

「! はい! なんなりとお聞き下さい。ちなみに私は20歳で独身です」

 いや、そんなことは聞いてません。

 思わず口をつきそうになったそのツッコミの言葉を飲み込んで、俺は元々、この屋敷を訪れた目的を口にした。


「天使族の里、というものをご存知ありませんか? 天使の舞う空……とも呼ぶらしいですが」




「……なんとかなりそうだな」

 ノースエッジ領主邸から宿に向かう道すがら、俺はリアーナさんとの会話を思い出して、そんな呟きをこぼしていた。


 天使の舞う空。

 その言葉を聞いてリアーナさんの顔色は明らかに、一瞬、固くなった。どうやらあまり気軽に口にして良い言葉ではなかったらしい。……街中で迂闊に情報収集しなくて良かった、と今更ながら胸をなでおろす。

 そんな本来、軽々に教えて良い内容を、リアーナさんは「竜討伐の報奨」として、色々と教えてくれた。


 天使の舞う空。そこは、異界ではないが、その性質は極めて異界に近いらしい。

 おそらく天使族が意図的に「異界に似せている」のだろうとは、リアーナさんの言葉だ。都市サイズの大きめな「破片」を丸々、結界で覆って人目につかないようにしているらしい。まさに隠れている、という訳だ。


 そのために「いくら飛竜で探しまわったところで、肉眼で見つけ出すのは難しいでしょう」とリアーナさんは言った。物理的にも、魔法的も隠された場所。それが天使族の隠れ里らしい。

 ただ、一部の者に知られている目印があり、それもリアーナさんは「あなたは街の恩人ですから」と言いながら教えてくれた。曰く、朝日か夕日に照らされると、天使族の住む破片全体の一部が、ぼんやりと光って見えるらしい。

 

 明けの空に、あるいは夕暮れの空に。

 朝と夜が入れ替わる時間、天使たちが舞う空が、その輝きを放つ――

 

 そう言ってリアーナさんは「お父様には内緒ですよ」と、少しはにかむように笑ってくれたのだった。


「セフィも教えてくれたら良いのに」

 と王都の友人の顔を思い出して愚痴をこぼしてみた。しかし、そもそも彼女はタダで情報をくれたのだ。文句をいうのも筋違いというものだろう。それに天使族の里には小さい時から帰っていないらしいから、この辺りの細かい情報はセフィ自身も知らなかったのかもしれない。


「とりあえず今日は早めに休んで、明日の朝、夜明け前に飛び立とう」

 隠れ里の場所さえ把握してしまえば、あとはいつでも訪ねることが出来るだろう。そんな事を考えながら、俺は足早に竜舎のある宿へと向かっていた。

 ちなみにリアーナさんはノースエッジ邸への逗留を勧めてくれたが、俺は丁重に断った。すでに雷火は宿の竜舎に預けてしまっているし、ノースエッジ伯不在の領主邸に泊まる度胸は俺にはなかった。

 ……いや、別にやましい事があるわけではないのだけれど。なんだかリアーナさんの視線が熱っぽい気がしてきたのは、気のせいであって欲しかった。


「そこの竜使いのお兄さん」

「え?」

 と、そんな埒もないことを考えていた俺の背中に、不意に呼び止める声があった。


「良かったら、仕事を頼まれてくれませんか?」

「仕事って、この声は――」

 聞き覚えのある声に振り向けば、そこにいたのは――


「こんばんは、アル……なんだか、鼻の下が伸びてないかな?」

「こんばんは、アルフ様」

「エル! アリサも!」

 金髪と黒髪の二人組。

 一人は問題のエルフリック王子その人であり、もう一人はお付のメイドの一人アリサだった。


「ど、どうしてお前らがここに――?」

 天使族の居場所。それは俺がセフィから教えてもらった情報なので、エルが知っているとは思えない。そんな俺の驚きに、エルは不敵な笑みを口元にたたえた。


「ふふふ。セルフィーナに頼らなくたって、アルの行動を把握する手段ぐらいいくらでもあるんだよ」

「竜舎のカレン嬢が教えてくれただけなんですけどね」

「あ、こら、アリサ! バラしちゃダメじゃないか!」

 あっさりと種をバラしたアリサに、エルが唇を尖らせた。


「なるほど。確かにカレンちゃんにはノースエッジに行くとは言ったな。それで、アリサ」

「はい?」

「相棒はどうしたんだ?」

「アイリーンはお留守番です。彼女は護衛には向きませんから」

 淡々とそう答えるアリサの腰には、細剣が下げられていた。いつものメイド服に細剣を下げているのが似合っているのか、異様なのか今ひとつ判断がつきかねる。


「……もっともエル様に護衛が必要なのかは、わかりかねますけど」

「ああ、それは俺も思う」

「もー! なにさ、二人して。僕はか弱いのに」

 確かに見た目はか弱いエルだけど、その剣技の腕前は既にして比肩するものがないとか言われている。正直、俺も正面から戦ったら勝てないだろう。


「それより、エル。俺の行動を把握して、って言ったけど、どうしてお前がついてくるんだよ」

「そんなの当たり前じゃないか」

 当然すぎる俺の指摘に、対するエルは何故か自慢気に胸をはった。


「アルは、僕のお嫁さんを探しに行くんでしょう? だったら、僕がこの目で相手を確かめた方が効率いいよね?」

「……む」

「つまり僕はアルの任務に協力してあげるんだよ? アルとしても断る理由はないよね?」

「むむむ」

 確かに、俺が花嫁候補を王都に連れて帰るより、エルに来てもらってその場で好みの女の子を探してもらったほうが効率は良い。

 確かに、エルの言うとおりなのだが――。


「エル。まずは、一つ、質問していいかな」

「どうぞ?」

「……その格好は何のつもりなのかな」

「何って……変装だよ?」

 ノースエッジの路地に立つエルは、いつぞやのドレス姿でこそないものの、何故かズボンではなくスカート姿を履いている。白と青を基調とした清楚な出で立ちは、まるで良家のお嬢様といった雰囲気を醸し出していた。


「少なことも「王子様」には見えないでしょ?」

 そういってクルリ、と回ってみせる王子は、どうみても可憐な女の子だった。


「……って、いやいや。お前、これが嫁探しってわかっているのか?」

「勿論わかっているよ。でも、会って話すだけなら王子様の格好は必要ないでしょ?」

「女の子の格好をする必要はもっと無いだろう!」

「いえ、アルフ様。そうとばかりは言えません」

 と、エルへのツッコミに、アリサが落ち着いた声で割り込んだ。


「同姓として会話するほうが、その女性の本質に近づける、ということもあります」

「そ、そうなのか?」

「はい」

 俺の問いかけに、間違いありません、とアリサは妙に強い口調で首を縦に振った。


「異性の前ではどうしても、自分をよく見せようとしてしまうでしょう?」

「そう言われると……そうかな」

「そうです。例えば、あのフィオナ様だってアルフ様の前では純情そうですが、私と二人で話すときには、それはもうエゲツない――」

「聞きたくない、聞きたくない!」

 果たしてどこまでが本当なのかわからないけれど、アリサの言葉に妙に凄みを感じて俺は思わず耳を手で塞いだ。


「ということで、エル様が女の子として振る舞われることには、大変に大切な意味があるのです」

「うぬぬ」

 どこか勝ち誇るようなアリサに、俺は反論の言葉を返せなかった。

 ……いや、アリサがこちらを屁理屈で言いくるめようとしているのはわかっているんだけど。一応、それなりにそれっぽいことを言ってくるものだから、こちらとしては上手い反論が思いつかない。


「じゃあ決まりだね、アル。僕も一緒について行っていいよね?」

「あ、やっぱりダメだ」

「どうして?!」

「いやー、ほら、結晶竜が目撃されているから。そんな危ない場所には――」

「そんなのどうせアルがもう討伐したんでしょ?」

 俺の言葉を途中で遮って、何故か断言するエル。その自信満々というか、至極当たり前のことのように話す王子に、俺は首をかしげて問いかけた。


「……どうして言い切れる?」

「アルがこうして落ち着いてしゃべってくれているから。結晶竜がその辺りで野放しになっているのなら、アルがここでじっとしている訳がないじゃない」

「アルフ様はお仕事熱心の上、お人好――もとい、お優しいですから」

「そこのメイド。今、何を言いかけた」


 お人好し、とか言ったな、こいつは。


「それにアルなら、結晶竜なんて物の数じゃないだろうし」

「そうですね。アルフ様ならお一人でも倒してしまわれるのでしょう」

「いくらなんでも買いかぶり過ぎだ、それは」

「そうかなー?」

 言いながら、エルはどこか嬉しそうに笑った。


「あ、でも、結晶竜がまだ残っているのなら、僕も討伐するのを手伝えるよ?」

「手伝うって……まさか宝剣を持ち出してきてるんじゃないだろうな」

「本当は、持ってきたかったんだけどね。クリフォード爺に止められちゃった」

「当たり前だ。あんなものをポンポンと持ちだそうとするんじゃない」

 俺とエルの言う宝剣とは、ハイウインドの宝剣こと神剣グラムのことだ。世界樹の幹すら切り裂く魔剣であり、エルをして英雄に押し上げた要因の一つだ。そんなもの気軽に持ちだされて振るわれては堪ったものではない。

 そう諌める俺に、しかし、エルは不満気に頬を膨らませた。


「いいじゃないか、別に持ちだしても。アルだって、似たようなものを背中にぶら下げている癖にー」

「これは俺の商売道具だからいいの」

「神話級の武器が商売道具だなんて聞いたことないよ」

 そう言いながらも咎める様子はエルにはない。やはりどこか嬉しげに笑いながら俺の周りをぐるぐると歩きはじめた……まるで、じゃれつく子犬のように。


「ねーねーアルフ。ついて行ってもいいでしょう?」

「こら、グルグル回るなって。落ち着きのない」

「アルフ様」

「なんだ、アリサ」

「このままエル様のお願いを聞いてくださらない場合、ずっとエル様がアルフ様の周りを回り続けてしまいますよ」

「もうちょっとマシな脅迫の仕方はないのか」

「私としては見ていて癒やされるのでこのまま放置しても構わないのですが」

「そこは構えよ!」

 王子を放置しておく、という発言がでるあたり、このアリサはやっぱり変なメイドだった。


「……ちなみに、エル」

「何?」

 ぐるぐると俺の周りを回りながら、エルが顔をあげる。


「どうやってノースエッジまで来たんだ?」

「んー。それは勿論、カレンちゃん家の飛竜で送ってもらったんだよ」

「じゃあ、俺がエルを天使族のところに連れて行かないって言ったら?」

「その飛竜でアルの後ろを追いかけることになるねー」

「……なるほど」

 どうやっても素直に帰るつもりは無いらしい。


 エルが急に嫁探しに協力するわけはないし、俺についてくるには別の理由はあるのだろうけれど……正直、この王子様を野放しにしている方が心配になる。


 しばらくの黙考の末、俺は結局、


「――わかった。仕事を頼まれることにしますよ。お客さん」

 

 そう答えるしかなかったのだった。

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