第四話(前半) セルフィーナの店
/ セルフィーナの店
セルフィーナ。愛称はセフィ。
いつもフードと分厚い眼鏡で表情を隠している女性。職業は古物商を名乗っている。
父親から継いだという店は、下町の路地裏にある。落ち着いた雰囲気というべきか、薄暗く近寄りがたいと言うべきか、は意見が別れるだろうが、俺が彼女の店を訪れるときに、他の客の姿を見た記憶はあまりない。
ただ、商売が上手く言っていないわけではないらしい。時折、「旧世界の遺物」と称する怪しい品などを手に入れては売りさばいているようで、「それなりの利益を得ている」とはセフィの弁だ。
そんな彼女の店「枯山水」。仄明るい光に照らされたその店内で俺はセフィと向き合っていた。
「なるほど、ね。古来、王侯貴族にまつわる「その手の性癖」の話は枚挙に暇がないけれど。アル、まさか君が巻き込まれるとはね」
エルの嫁探し。それにまつわる顛末を俺が話し終わると、セフィは呆れたような、それでいて感心したような微妙な口調で、そう呟きを零した。
呟く彼女の出で立ちはいつもどおりのフード付きロープと、縁の太い眼鏡。
口元でピコピコと揺らしているのは細長い葉巻だった。ちなみに火はつけていない。ただ咥えるのが好きらしい。
いわゆる天使、という言葉から連想されるイメージとかけ離れた出で立ちの彼女だが、れっきとした天使族である。
どうやらダイナス達はその事実を知らなかったようだが、セフィ曰く「隠すようなことではないけれど、吹聴するようなことでもないからね」とのこと。
ちなみにセフィがフードをとると、長い金髪が姿を見せる。
ハイウインドに住む多くの人は、この時点で彼女のことを妖精族と誤解する。ダイナスたちがセフィを天使族と思っていなかったのも同じ誤解に基づくのだろう。
ただ、セフィの眼は紅いのだ。
妖精族のような青く澄んだ色ではなく、赤く燃えるような色。
『炎の天使の名残だよ、と、父は言っていたけれどね。本当かどうかは怪しいところかな』
かつて自分が天使族だと、俺に明かしてくれた時、彼女はそういって笑っていた。
「しかし、エルフリックも考えてみれば、不憫だね。王位継承権を放り出せば、好きなだけその手の放蕩にふけることもできるのに。救国の英雄だけに周りがそれを許さない、か」
「王位継承権があろうとなかろうと、王子が放蕩にふけってもらっては困るんだけど」
さらに言えば、現状、エルが放蕩にふける相手といえば俺という事になりかねないので、大変勘弁して欲しい。
「しかしそんなに男がいいのなら、いっそ巨人族から探してきたほうがいいんじゃない? 巨人族なら筋骨たくましい女性は結構多いだろうし」
「そっちはダイナスに頼んでるよ」
「なるほど。なかなか手際が良いね」
「ただ、あまり期待はできないかもしれない。どうも過度な筋肉もダメらしい」
一応、エルの好みは、お付のメイド達に、リサーチしてみた。
筋肉の付き過ぎはダメだが、かといって全くついていないのもダメらしい。適度に引き締まった体と、男性器がついていること、が今のところの条件になる。
……しかし、言葉にすると無茶苦茶な条件だな。
「それはまた、我侭なことね」
「そりゃ王子様だからね」
「なるほど」
それは納得、と彼女は軽く笑った。
「なら、騎士団の方が可能性はあるかもしれない、か。そちらの調査はフィオナに頼んだわけだね?」
「ご明察」
「なるほど、なるほど。貞操がかかっているだけに必死だね? アルフ」
そういって愉しげに笑う彼女に、俺は深々としたため息を返す。
「笑い事じゃないよ、セフィ。色んな意味で人生設計が崩壊しそうなんだから」
「それはまた随分と大げさな物言いだね。流石に気にし過ぎじゃないのかな? いくらあの王子と親バカ陛下とは言え、そこまでやるとは思えないけど」
「……君はあの時の陛下の目を見ていないからそんなことが言えるんだ」
「……大変だねえ。君も」
先ほどから俺の上をからかうような口調のセフィだったが、ようやく俺の本気度が伝わったのか、少し気の毒そうに言ってくれた。
「それでセフィ。本題なんだけど」
「まあ、天使族の集落には2つほど心あたりがある」
「本当か?!」
天使族の居場所を知っているか。
そう俺が切りだす前に、彼女は「知っている」と回答をくれ――そして、少し意地悪そうに口元を歪めた。
「それで、情報料としていくら出してくれるのかな?」
「うっ」
やっぱり金は取るよなあ……。
古物商セルフィーナ。若いながらも、中々に厳しい商売をするとの評判だった。
「相変わらずお人好しだね、アルフ。商人に向かって窮状を訴えるなんて。値段を釣り上げてくれと言わんばかりじゃないか」
ヤレヤレ、とため息を付くセリスは、しかし心底愉しげに見る。
「しかも、人生に関わるほど、なんて聞いてしまうとね」
「うう……お、お手柔らかに……」
「でも、まあ、貸しにしておいてあげるよ」
「へ?」
果たしていくら吹っ掛けられるのか。そう覚悟していた俺に、セフィは予想外の言葉を投げてきた。
思わず呆けた声を漏らしてしまう俺に、彼女は「心外だなあ」と軽く笑って肩をすくめる。
「そう驚くこともないだろう。私としても友人が女性になるのを見るのは忍びないしね。それに――」
「それに?」
「……いや、なんでもないよ」
何か理由を口にしようとして、セフィは止めた。その表情は、曇り眼鏡に隠されて読めないけれど……何かありそうな雰囲気だ。
「あのさ、セフィ。言ってくれれば金は用意するぞ。ほら、この間の依頼で、それなりの実入りはあったからさ」
「いや、いいよ。今回はタダでいい」
「でも、流石に無料というのは」
「いいから。貸しにしておいてあげる」
「いや、でも」
流石にタダ、というのは気前が良すぎないだろうか。
世界樹の崩壊というこの国の危機に際してですら、決してタダでは品物を供出しなかった彼女である。なので、その気前の良さに何か裏を感じずには居られないのだが――。
「貸・し・に、しておいてあげるね」
「……わかった」
頑なにそう言い続ける彼女に、俺はそう答えるしかなかったのだった。
まあ、元々、天使族の居場所を教えてもらえるのなら、それなりの対価は覚悟していたのだ。
セフィの言う「貸し」がどういった重さを持つのかは、今ひとつ測りきれないが……その時はその時で、こちらとしても「借り」をきちんと返せばいい。
と、俺が納得しかけた瞬間に。
「アル。商人のその手の台詞は信じちゃダメだよ」
聞き慣れた友人の声が、薄暗く狭い店内の中に響いたのだった。
/ 王子登場
「タダほど高いものはないっていうでしょ?」
「エル!」
突如としてセフィの店に姿を見せたのは、話題の主であるエルだった。王城で見たような純白のジャケットではなく、簡素な薄緑に染めた布のシャツと薄茶色のズボン。
この王子様、どうやらお忍びでまた王城を抜け出してきたらしい。そんなエルの姿を目にとめて、セフィはパチン、と胸の前で手を打ち合わせてから、一礼してみせた。
「これは、これは。噂の王子様じゃないか。こんにちわ」
「こんにちは、セルフィーナ」
店内に足を進めながらセフィに挨拶を返すエルだったが、その声色はあまり友好的な響を帯びていない。
セフィと、そして彼女が営む「枯山水」の店内。それらを胡散臭気な表情で見回してから、エルはどこか非難するような声色で言葉を続けた。
「相変わらず悪どい商売をしようとしているみたいだね?」
「悪どいとは何のことかわかりかねますね。それより盗み聞きとは、あまり行儀が良く無いんじゃないですか? 王族にしては、ね」
「そんなの知らないよ。今は王族として来ているわけじゃないからね」
エルとセフィ。
共にこの国の危機を救った仲間であるはずなのに、どうにも衝突することが多い。
性格の不一致、と言ってしまえばそれまでだけど、そもそもの原因は――。
「なあエル。ひょっとして昔騙されたのをまだ根に持ってる?」
「当たり前だよ!」
問いかける俺に、エルは憤然とした表情で答えを返す。
「そもそも昔ってまだ二年前だよ! 二年前! ボクのお小遣いを根こそぎもっていったんだからね! こいつは!」
「いやあ、その節はどうも。こちらとしては、大変に潤いました」
「この……っ!」
「はいはい、落ち着いて、落ち着いて、エル。セフィも煽らない」
二年前。
王城から外に出ることの少なかったエルは、まさに「世間知らず」といった少年だった。
どうにもその頃にエルはセルフィーナと出会い「旧世界の遺産」とやらを、非常に高額で売りつけられたことがあるらしい。
ちなみにどういう取引をして、何を売りつけられたのかは、俺も知らない。
何度か聞いたのだが、エルは「思い出したくもない」と言っては答えてはくれないので真相はわからない。
「まあまあ、そう怒らないで頂きたいですね。良い勉強代になったでしょう? 怪しい商人から怪しい品を買うなんて碌な事はないって」
「いけしゃあしゃあと……」
「だから、煽るな。セフィ」
飄々としたセフィの言葉に、エルは「ぐぬぬ」、と呻くような声を漏らして、不意にその視線を俺の方に向けた。
「アルはいい加減、このペテン師と縁を切るべきだって思うな!」
「ペテン師って」
「ペテン師とはひどい言い草ですね。心外ですよ。わたしは、古物商です、古物商」
「古びたガラクタを法外な値段で売りつける商売でしょう? ペテンとどこが違うのさ!」
「たまに本物も売ってますからね。そこが違いでしょうか」
「『たまに』?! 今、『たまに』って言ったね?!」
「いやあ、私もまだまだ若輩者ですから。『たまに』贋作が混じったりもするわけですよね。いやあ、お恥ずかしい、お恥ずかしい」
「だから、セフィ。煽るなっていうのに」
言い争い……というか、一方的にエルが煽られているのを見かねて、やや強めに俺は二人の間に割って入った。
その俺の仲裁を聞き入れてくれたのか、あるいはエルを言い負かして気が晴れたのか、セフィは小さく肩をすくめてから少し声の調子を改めた。
「それで、王子。今日はどんなご用向きで?」
「今日は王族としては来ていないって言ったでしょ」
「それは失礼。では、エルフリック、今日は何の用かな? 今日はあまり目新しい品は仕入れていないけれどね」
「……『あるもの』を手配したかったんだけどね」
過去に騙された経験がありながら、それでもなおエルがこの店を利用するのは、セフィが扱う商品の中に「本物」が潜んでいることを分かっているからだろう。
――例えば、かつて世界樹の崩壊を止めた「遺物」のように。
果たしてエルは、ここに何を調達しに来たのだろうか。
だが、エルはそれを口にすることなく、俺に向かって別の話題を投げかけた。
「それより、アル」
「うん?」
「天使族って何の話?」
……どうやらその辺りの話は、エルに聞かれていたらしい。
一瞬、誤魔化そうかとも考えたが、どのみちエル自身に関わることだ。そう判断して俺は隠さずに話すことにした。
「陛下のご命令の件だよ」
「母上の命令って……ああ、例の秘術の準備を手伝ってくれるんだね?!」
「お前のお見合い相手を探せって方だよ!」
「なーんだ。そっちか」
俺の返事に、途端にエルは失望したような表情を浮かべる。
いやいやいや、こいつは一体何をどう考えて、俺が秘術の方を手伝うと思ったんだろうか。
「ねえ、アル?」
「なんでしょう」
「そんなに……僕と結婚するのは、嫌?」
「嫌です」
「即答しないでよ!」
あざとく上目遣いで聞いてきたエルに、俺は即答した。
いや、まあ。実際、今の上目遣いの表情なども、その辺の女の子などより断然、可愛いかったのだけれど。
エルはれっきとした男の子であり、かつ、男性器がついていないと勃起しないなどとのたまう問題児でもあるのだ。騙されてはいけない。
と、俺が自分を戒めているのをエルはつまらなそうに見つめてから、ふう、と息をついた。
「つまんないなあ。でも、アルも色々考えるんだね。天使族か……なるほど、アルは僕の好みを一応考慮してくれようとしているんだね」
どうやら天使族に、両性具有が多い、ということはエルも知っているようだった。
さすが「お○んちん」がついていないと興奮しないと言ってのけた王子である。
「あ、でもダメかも知れないよ」
「ど、どうして?」
「だってボク、おっぱい付いている相手もあまり勃たないんだよね。とういかむしろ萎えるというか」
「お前、いい加減にしろよ! ほんと!」
ついてないと勃たないだの、ついていると勃たないだの、本当にこいつは!
「だって仕方ないじゃない。勃たないものは勃たないんだよね―」
「こいつ、開き直ったな」
「ふふーん」
何故か勝ち誇ったように胸を張るエルだった。
「……まあ、いい。エルが女性の胸に興味がないことはよくわかった」
「まあ、女性全般に興味が無いんだけどね」
「エルが女性の胸に興味がないことはよくわかった」
「……聞き流す気だね?」
「オホン」
エルのツッコミを、咳払いして流す。
女性全般に興味が無いなどということを受け入れてしまえば、最早、俺に明るい未来は来ないのだ。頑としてここは聞き流さないといけない。それにエルの言葉もどこまでが本当かはわからないわけだし。
……でも、まあ。天使族の中でも豊満な胸を持つ女性を紹介するのは止めておくことにしよう。
なにも天使族が全員、ふくよかな胸を持っているわけではないだろうし。
この王子が胸に拒否反応を持っているとしても まあ、その辺りは慎ましやかな体格の方を探せばいいだろう。
「ふふーん。貧乳の娘を探せばいいとか思ってるんでしょ? そのぐらいでボクの性癖を満足させられると思ってるのかな?」
「性癖とか言わない」
「でも、現実問題としてどうやって天使族を探す気なの?」
「え?」
「だから、どうやって天使族と接触するの? 彼らって「隠れて」住んでるんでしょ?」
「ああ、そのことか」
どうやらエルは、俺とセフィの会話すべてを断片的にしか聞いていなかったらしい。
先ほどの、「無料でいい」というのは、天使族のすみかに関する情報料のこと。
そう説明すると、エルは「なるほど」と頷きはしたものの、心底胡散臭そうな視線をセフィに向けた。
「ああ、そういえばセルフィーナも天使族なんだっけ。あまりに俗物過ぎてすっかり忘れてたよ」
「いやいや、俗物さにおいては、最近のエルフリックも中々のものですよ」
「僕のどこが俗物だっていうのかな」
「そうですね。お○んちんなどという単語を連呼するあたりでしょうかね」
「……」
「……」
エルとセフィ。
二人共、口元に薄い笑みを貼り付けたまま暫し無言で見つめ合う。
表情は笑顔のはずなのに、その目はちっとも笑っていないのは、どうにかして欲しい。
「ねえ、セルフィーナ。この件に関してはあまり首を突っ込まないほうが良いんじゃないかな。これは僕とアルの問題だからさ」
「そうは行きませんよ。「アルは」大切な友人ですからね。アルは」
「ひどいな。僕は友人じゃないんだ」
「勿論、エルフリックの事も友人と思っていますよ。アルの方が大事なだけで」
「……」
「……」
「それでも、部外者は引っ込んでおいて欲しいなあ。これは王宮内の話だからね」
「これは妙なことをおっしゃる。今日、この場に「王族」はいないはずでしたよね」
「セルフィーナは本音と建前を使い分けないの?」
「勿論、使い分けますよ。だから今は君の本音の方を無視しています」
「……」
「……」
「僕とアルの恋路を邪魔しないで欲しいと言っているんだけど」
「あくまで「君だけ」の恋路でしょう」
「その内、ちゃんと「僕達の」になるから心配しないでいいよ」
「それは無いですね。私としてはアルが不毛な道に引きづり込まれるのを傍観するつもりはないので」
「……」
「……」
相変わらず笑顔のまま。
しかし、見つめ合う二人の視線が、バチバチと火花を立ててぶつかり合っている様に見えるのは、俺の気のせいではないだろう。
なんだろう。
ものすごく、こう胃のあたりがキリキリと痛くなってきた気がする。
「えーと。エル? セフィ?」
「「アル」」
「は、はい?!」
俺の呼びかけに、二人は振り向くことなく同時に声を上げて。
「早くこのペテン師と縁を切って」
「早くこの色ボケ王子を天使の里にでも放り込んできて」
そしてそんな要求を俺に投げつけるのだった。
/
「やれやれ、結局、何をしに来たのかな。あの王子様は」
結局あの後、エルとセフィは互いに睨み合ったままチクチクとした言い合いを続け、エルは憤懣やるかたない、といった態度でセフィの店を後にした。肝心の「あるもの」とやらを説明することも手配することもないままで。
「君が喧嘩を吹っかけるからだろう」
王子相手にここまで正面切って喧嘩を吹っ掛けられるのはセフィぐらいだろう。
あのダイナスですら、少しばかりは遠慮をみせることがあるのに、セフィはいつも容赦がなかった。……今日はいつもにもまして容赦なかったし、大人気もなかったけれど。
だけど当の本人は、悪びれることもなく加えた葉巻をピコピコと揺らしながら笑った。
「まあ、タイミングが悪かったということにしておこう」
「タイミングは関係ないんじゃないか?」
「いや、関係あるよ。この場に君が居なかったら私もエルフリックの話ぐらいは聞いただろうからね」
「なるほど。何か済まないな」
要は俺の件に関して、セフィはエルに怒ってくれていたらしい。
そう思って頭を下げると「気にしないでいいよ」とセフィは片手を上げた。
「別に君が悪いわけじゃない。それに、あの王子との商談ならいくらでも機会はあるだろうしね。きっと」
「……そうなのか?」
「多分ね」
アレだけ盛大に喧嘩しておいて、まだ商談の機会はあるのだろうか。
そう俺が訝しんでいると、当のセフィは「大丈夫だよ」と自信満々に笑ってから告げるのだった。
「さて、では本題に入ろうか。商品は天使族の居場所。お題は、アルフ=クリムゲートのセルフィーナへの貸し一つ」、と。
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