第二話(後半)女王様のご提案
/ 女王様のご提案
突如として響いた声。
凛と響くその声に振り向けば、いつの間に扉を開けたのだろうか、王子の居室の中、一人の女声がいた。
まるでエルを大きくしたような――という表現は適切ではないかもしれないが、そう言いたくなるほどに、エルに似ている女性。正確にはエルが彼女に似ているのだろう。
妖精族の特徴である金髪を長く伸ばし、青色の瞳には落ち着いた深い光を湛えている。ゆったりとした白いドレスの胸元には、青色で刺繍された世界樹の紋章。つまりはハイウインド王家の紋章が刺繍されている。
彼女こそは、誰よりもその紋章を背負う資格と義務を持つ人物――ハイウインド女王 レナス=ハイウインド陛下その人だった。
「陛下!?」
「あ、母上」
突然の陛下の出現に、俺は慌てて胸に手を当てて礼を取る。だが、そんな俺に陛下は「楽にして良い」と微笑んで片手を上げた。
「今はエルの友人として訪ねてきているのでしょう? なら私にもそんな畏まった態度は不要です」
「は、はい」
そう言われても、今度ばかりはそう簡単に態度を崩すわけにもいかない。
なにしろ相手は正真正銘の王様。この国の最高権力者だ。俺に竜舎の認可と、爵位を与えてくれた人でもある。流石に「楽にしろ」と言われて、「それでは」と即座に態度を崩すことは難しい。
そんな俺を尻目に、レナス陛下は部屋の奥、自身の息子であるエルにそっとその視線を移した。
「エル」
「はい、母上」
「あまりアルを困らせてはダメよ。それと随分とお行儀の良くない言葉を口にしていたようだけど、慎みなさい」
パタン、とメイド二人がドアを閉める音を背景に、レナス陛下がゆっくりとした口調でエルを諭す。
「盗み聞きとは母上こそ、行儀が良くないのではありませんか?」
「あなた達の声が大きいのよ。あれでは聞きたくなくても聞こえてしまうわ。ねえ、アル」
そういって微笑みかけてくださる陛下に、俺はひきつった笑みしか返せなかった。『聞きたくなくても聞こえてしまった』というのは、一体何が陛下の耳に入ってしまったのだろうか。
「……あの、陛下」
「何かしら、アル」
気安く俺を愛称で呼んでくださる陛下だが、こちらとしては気が気でない。
「聞きたくなくても聞こえてしまった」という言葉の意味と、先ほどの「本当ですか」という問いかけの意図。果たして陛下は、何を聞かれて、何を確認されているのか。それ次第では、俺の将来がどう転ぶかわからなくなる。
セフィは「懲役20年」なんていう冗談を言っていたけれど、最悪、冗談が冗談ではなくなる可能性すらあるのだ。
万一、エルの性癖に関する話を聞かれていたのだとしたら――どうなることか。
「その……大変、お聞きしづらいことなのですが」
「先ほどの質問の意図かしら? それならエルフリックがアルにしか性的興奮を覚えないのは本当ですかと、聞いているのですよ?」
……終わった。
色々と、もう終わった。
穏やかな口調で平然と返された陛下の言葉に、絶望が頭のなかを駆け巡る。バッチリと問題の箇所がお耳に入っている。が、しかし、その絶望をなんとか頭から追い出して、なんとかこの場を誤魔化そうと俺は口を開く。
「いえ、陛下。あれは殿下の冗談といいますか、お戯れといいますか」
「はい、その通りです母上。現状、僕はアルにしか興奮しません」
「本当にいい加減にしましょうか、王子?!」
母親に向かって、なんとういうカミングアウトをしているのか、この王子様は。
思い切りがいいにも程があるエルの言葉に、俺は頭を抱えたが――が、しかし。息子の衝撃告白をうけた、当の陛下はあまり衝撃を受けた様子を見せなかった。ただじっとエルの瞳を見つめ、そして沈黙すること数秒。
「……そうですか」
静かな溜息とともに陛下は一度目を伏せて、そして小さく頷いてから、言った。
「うすうすは、そんな気はしていたのです」
「いやいやいや、嘘ですよね?! 陛下?!」
なんだか事態を受け入れるかのような陛下に、流石に俺もツッコまざるを得なかった。
「ちょっとお待ち下さい、陛下。流石にエルに今まで、そんな兆候は―――」
「あったのですよ。アル」
「ありましたよね、アルフ様」
「随分とあからさまだったと思いますよ、アルフ様」
陛下だけでなく、メイド二人組までも、ごく当然のようにそんな台詞を言い放つ。
え?
いやいや、ちょっと待ってほしい。
今の話が本当なら、この場にいる俺以外の全員がエルの性癖や想いを知っていた、ということになるけれど……本当だろうか。
「アルは気づいていなかったのね。ふふ、仕方のない子」
「そうですね、母上。アルは鈍いから仕方ないです」
いや、ちょっと待って欲しい、そこの親子。
そんなちょっと優しげな眼を向けないで欲しい。すごく居たたまれなくなるから。
「私はね、アル。あなたが固辞していたハイウインドの爵位を、エルが強引に授与したあたりから予感はしていたの。流石に爵位があるのとないのとでは、王族との婚姻のハードルの高さは段違いですからね」
「ええええっ?!」
確かに去年、爵位を下賜されるにあたって大いに揉めたけど。
確かにその時、妙にエルが強引に話を進めているような気はしていたけれど。
まさか、その頃からエルは俺のことを……ということなのか? いや、それよりエルは、あの頃から俺の外堀を埋めに行っていた、ということなのか?!
「……エルフリック」
「はい、母上」
未だ混乱の中にある俺を尻目に、陛下とエルは視線を互いの方へと戻し、そして真剣な表情で向き合った。
「アルに話した、ということは本気なのですね?」
「はい、母上」
陛下の問いに、エルは母親の眼を見つめたまま。
「僕はアルと結ばれたいと思っています」
そう真っ直ぐに、自分の思いの丈を言い切った―――のだけど!
「そう……わかったわ」
「母上! では……っ!」
「ストップ! 待った! そこまで!」
「むー。なにさ、アル。今、大事な話をしているんだから邪魔しないで」
「大事な話なのはわかるけれど、俺の気持ちを置いてけぼりで話を進めるのを、まずは止めてもらおうか!」
何故かトントン拍子で進んでいこうとする事態に、俺は大慌てで待ったをかけた。このまま黙っていれば恐ろしいことに陛下がエルの決意を受け入れてしまいそうな雰囲気だったぞ、今。
「お、お恐れながら、陛下、お気は確かですか?!」
「勿論ですよ、アル。今のあなたほどには取り乱してはいません」
「取り乱しているのは、自覚しております。申し訳ありません―――が!」
すう、とそこで深呼吸して気持ちを落ち着かせてから、俺はエルを指差した。
「どうして陛下は、そこのエルの爆弾発言を受け入れようとされてるんですか?!」
「……アル」
俺の指摘に、陛下は少しさみしげに呟いてから、諭すように言葉を続けた。
「世の中には「背に腹は変えられない」、という言葉があるのを知っていますか?」
「知っていますけれど、この場合、何をどう選択しても腹は守れませんよ?」
俺とエルが結ばれたところで、王家としての最も優先すべき課題であるはずの「世継ぎ」は、何をどうしようが産まれない。要するになんの問題解決にもならないのだ。
そう諭す……というか当たり前のことを指摘すると、今度はエルが勢い良く割り込んできた。
「そんなこと無いよ! アル。僕にいい考えがあるんだ」
「……嫌な予感しかしないので、聞きたくない」
「いい考えがあるんだよ」
「だから聞きたくない。どうせ碌でもない内容だろ」
「ふふふー。そんな事言っていいのかな? 聞いたらびっくりするよ?」
どうあってもエルは「いい考え」とやらを披露したいらしい。ちらり、と陛下の方に視線を向けると「話させてあげて」とばかりに静かな頷きが帰ってきた。
「……わかった。じゃあ、エルの考えを聞かせてくれ」
「あのね、アル。この世の中には男性でも子供を埋めるようになる秘薬があるらしいんだよ。これならアルも子供を産めるように」
「そんな恐ろしい薬の話は聞いたこともないし、聞きたくない!」
やっぱり碌でもない内容だったじゃないか! いや、確かにびっくりはしたけれども!
しかも、俺に子供を生ませるつもりだったのか、この王子様は。
「えー、なんでー? アルが、僕の子供を産んでくれたらみんな幸せになれるのに」
「俺の幸せはどこにあるんですかね!」
「まあ、僕はアルの子供を生む方でもいいけど。本音を言えば、そっちの方が―――」
「そういう問題じゃない!」
「そうですね。どちらが産むかは二人でよく相談なさい」
「陛下まで何を言い出してるんですか!」
「はい、母上! 二人の将来ですから。きちんと話し合います」
「いい加減ツッコミに疲れてきたので開放してもらっていいですかね?!」
流石にそろそろ逃げ出したくなってきた。いや、元々逃げ出したくはあったけれど。
「そもそも性別を変えるなんて、そんな秘薬は本当にあるんですか?」
「正確にいうのなら秘薬、というより、秘術です。アルフ様」
と、そこでメイドのアリサが口を挟んできた。
俺と同じ黒い色の瞳で、じっとこちらを見つめて、そして落ち着いた声で続けた。
「王族方のこの種の問題を解決する方法として、性転換の秘術は実在しています。セントギア王国で二回、ハイウインド王国で一回の成功例が報告されています」
「そ、そうなのか……」
いつの間にか手にしていた分厚い書物のページを繰りながら、アリサはスラスラとそんな知識を披露してくれた。
「ちなみにアリサ。成功例は合わせて三回ということだけど、失敗はどれだけあるんだ?」
「……私からご報告できることは以上です」
「よし、まずはその本をこちらに渡してもらおうか!」
「ダメです。こちらは王家の極秘情報ですので」
本を奪おうとする俺から素早く距離をとると、アリサはレナス陛下の背後に隠れるように移動した。……陛下を盾に使うとは、相変わらず良い度胸だな、この娘。
「もう、アリサ。これ以上、アルをからかっては駄目よ」
「はい。申し訳ありません、陛下」
背後のアリサを軽くたしなめて、陛下は俺を安心させるかのように静かな微笑みを浮かべた。
「アル。その秘術に関しては、ハイウインド王家でも成功したこともあるし、もちろん、失敗したことがあるのは事実です。でも、失敗しても実害はないから、心配することはないわ」
「……本当ですか? 本当に実害ないんですか?」
「ええ…………多分」
「陛下、どうしてそこで言葉を濁すんですか?!」
どうしよう。何をどう聞いても不安材料しか無いんだけれども。
果たしてこの場からどうやって逃げ出そうか。俺がもうそんな事を考え始めると、それを見越したように。
「コホン」
と、陛下が少し大きな咳払いをし、そして口調を固いものに改めた。
「アルフ=クリムゲート卿」
「は、はい」
改まった陛下の口調に、思わす俺は再度胸に手を当てて直立の礼を取る。わざわざ俺のことを「卿」なんて呼んだからには、国王としての発言なのだろうから。その俺の態度に、軽く一度頷いてから、陛下はそのお言葉を続けた。
「あなたにお願いがあります」
「はい、陛下」
本当に、一体何をお願いされるのか。
不安が頭のなかを駆け巡るが、相手は「国王陛下」として話さている以上、今はこうして控えるしか無い。立ったまま礼を取り、次のお言葉を待つ俺に、レナス陛下はゆっくりとした口調でおっしゃった。
「エルの……エルフリックの元服までの間に、この子のお相手を見つけてあげて」
それは先程までの会話とは、全く別の口調と響きが込められた言葉で。王子の、そして我が子を想うような真摯な響きに満ちていた。
「……陛下」
「母上! それは」
「控えなさい、エルフリック。今、私はクリムゲート卿と話をしています」
「……はい」
陛下の提案に異議を唱えようとしたエルだったが、静かに窘められると、今度は素直に言葉を引いた。流石のエルも、国王として振る舞われている今の陛下には逆らえないのだろう。
「お願いを聞いてくれるかしら……アル」
改めて俺の方を見つめるレナス陛下。
アルフではなく、クリムゲートでもなく、あえてアル、と愛称で読んでくださったのは……本当は王としてではなく、母親として頼みたい、ということなのだろう。
もし、エルが好きになれる女の子を見つけることができれば、王位継承の問題も、跡継ぎの問題もなくなる。
なにより怪しげな秘術に俺や、何よりエルが身を晒す必要がなくなるのだ。
エルの気持ちを考えると、少し心苦しい部分もあるけれど……どの道、俺はエルに対して友情は感じていても、性愛的な感情は抱いていない。だから、陛下の提案が一番良いのだと思う。
「わかりました、陛下。微力ながら全力を尽くします」
「お願いします。期限は1年と考えなさい」
「はい」
エルは今16歳で、元服は18歳。元服の儀に関する準備を考えれば、一年前には相手を定めておきたい、というのは妥当なところだろう。
「ありがとう。期待していますよ、クリムゲート卿」
「はい」
陛下の言葉に、俺は今度こそ深々と頭をさげる。
「そしてエルフリック」
「……はい」
陛下の呼びかけに、エルは見るからに暗い表情で応えた。その表情に少し罪悪感が胸を突いたけれど……こればかりは、仕方ない。
少し感傷的な思いで目を伏せる俺の傍ら、陛下は王子に対して静かにこう告げた。
「あなたは元服までの間に……件の秘術の準備をしなさい」、と。
「! は、はい!」
「ちょ?! へ、陛下?!」
一体、何を言い出すのか、この人は!
予想外の言葉に、俺が思わず割って入ると、陛下は相変わらず穏やかに微笑んだ。
「慌てなくてもいいわ。これはあくまで、あなたが失敗した時に備えての処置だから」
「え、えーと。つまり」
つまり。
もし1年以内に俺がエルの気に入る女の子を見つけられなかったら。
「私は、エルの努力が無駄になることを切に願っていますよ? アル」
そう言って微笑むレナス陛下の瞳は、こう雄弁に告げていた。
「あなたが失敗したら、その秘術を使います」と。
王家にとって、ハイウインドの血筋を残すことは最優先される。
故に、俺に逃げ道がないことは、最早、明らかで。
「期待していますよ、アルフ=クリムゲート卿。私とハイウインドと、そしてなによりもあなたの心安らかな未来の為に」
はっきりいって脅迫以外の何物でもない、そのお言葉に。
「このアルフ、全身全霊を込めて王子のお相手を探してまいります!」
俺としては、最早、そう答えるしか道は残されていなかった。
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