第7話 続・コーヒースタンド

 不思議なことなんか起こったりしない。時間が経つ。物事が順番に、あるべき場所に、あるべき形で収まる。それだけの事だ。これは、順序が少し逆になるけれど、わたしが夫と入籍して北京に発つその少し前に父が教えてくれたこと。結果的にわたしの人生のメインテーマみたいになった。

 予想通り彼はわたしに謝り、事情を説明し、会社を辞めることが難しい理由を延々話してきた。わたしは予定通り、「大丈夫だよ」と答えた。

 わたしの両親も覚悟はしていたのだろう。いきなり海外に連れ去られていくことには驚いていたけれど、それほどの反対も無かった。場所とか形とか、そういうものをあまり大事にしない人達なのだ。わたしにもその血は色濃く受け継がれている。父が〝教え〟をくれたのは、この時だった。

「全部、物事ってのはそうなるべくしてそうなるんだ。だから反対しない。あるべき場所に、あるべき形で収まれば良いさ」

 この件に関する感想らしい感想はこれだけだった。後は、早く孫に会わせてくれだとか、結婚式は出来るだけ日本でやってくれ、だとか。自分の時は母親への手紙を半ば嫌々読み上げさせられて、嫌々だったのに泣いてしまった事だとか、そういう、明るくて前向きな話だけ。

 時間が無くて、結婚式は保留という形にした。無理に催せば準備不足になるし、大切なことだからじっくりやろう、と彼が主張し、わたしがそれを受け入れた。「なるべく早くやりたいね」なんて言葉がそれほど意味を持たないものであることぐらい、わたしだって知っている。 

 北京では想像していたよりも不自由なく暮らせた。三年暮らして、夫が会社を辞めることになったから帰った。わたしの身体が子供を産むのに適さないことが分かったのも同じ頃だ。二人でずっと一緒にいようね、なんて何の慰みにもならないようなことを言われた。いつぞやのサラリーマン氏の奥さんみたいだ……妄想の中の彼女はもう、その影すら何処かに消えてしまっていたが。

 言葉が嘘ではないことを証明したがっているかのように夫はわたしを色々なところへ連れていってくれた。日本中を十回ぐらいに分けて旅行した。アメリカにも行ったし、オーストラリアにも。ヨーロッパ周遊もした。二人で、数えきれないぐらいの思い出づくり。あるべき形?

「大丈夫?」

 夫に何度も訊かれた。その度に「大丈夫だよ」と答えた。何が大丈夫なのかなんか分からなかったし、分かる必要もなかった。こんなの合言葉だ。



 それから十年過ぎた。老けた。夫は自分で小さな事務所を持ち、わたしもそこで一緒に仕事をするようになった。もともと痩せていた夫はこの時期を境に、ますます痩せて頼りなくなった。

 時間が経った。色々な物事は順番に、あるべき場所へあるべき形で収まっていく。わたし達がそこにどんな感想を抱くとか、そんな事は関係無い。やってくる出来事、そして、去っていく出来事は皆、市役所よりも冷淡に、粛々と、すべき事だけをして去る。多分そのうちに、わたし達も。

 父親が七十五で亡くなって、実家近くの葬祭会館で通夜があった。久しぶりに降り立った故郷の駅。実家へは五年以上足を向けていなかった。

 〝コーヒースタンド〟が無くなっていて、その場所には、鉄道会社が運営する小さなコンビニが設置されていた。暇そうな顔をしたアルバイトの小僧がレジで突っ立っていた。わたしがどれだけ残念な気持ちになろうとも関係無いのだ。分かっている。時間は流れた。ちゃんと諦めている。

 通夜、お清めの会食。そのまま会館で一泊して、翌日に告別式、火葬。父親が煙になって空へのぼって行った。母親はそれを、言葉もなく、ただじっと見送っていた。わたしもその横で見送った。

 夫が肩を抱いてくれた。わたしが哀しみで卒倒するとでも思ったのだろう。わたしがへそを曲げることを怖がる夫。わたしが、いつものわたしでなくなることを嫌がる人。わたしはいつも通り、「大丈夫だよ」とだけ答えた。こんなの、どうかしている。



 痛みのひとつもないままいきなり気を失って、病院に担ぎ込まれた。父が死んで、それを追いかけるように母親も死んだ、その六年後のことだ。脳腫瘍だと言われた。手術をして取り除くけれど完全に取り切ることは出来ず、再発の可能性が常につきまとうらしい。

 手術をした。成功した。後遺症は幸い殆ど残らなかった。治験とやらに協力をした。やたらと高い、作用の強い薬を飲むことが義務付けられた。放射能治療もした。毛が抜けた。自分で言うのも何だけれど、変わり果てた姿になった。食欲なんか殆どなくなった。退院後は自宅療養になった。夫は自分の事は何でも自分でするようになった。自分で洗濯をし、自分で食事を作り、自分で掃除をした。

 そのうち、夫が二週間に一度ぐらいのペースで帰って来なくなった。仕事が忙しくなった、だって。仕方が無い。不満ぐらいたまる。薬代、それに月に一度の検査。医療費はかさんでいくばかりだ。せめて外で息抜きをしてもらえるなら、わたしは何も言わない。変わり果てたのだ、何もかも。これも、あるべき形なのだろう。父の教えは、わたしを随分諦めの良い人間にした。



 趣味を再開した。夫がいない昼の時間帯。駅前に新しく出来た、テラス席のある喫茶店に行く。一番安いブレンドを注文して席につく。道行く人々や喫茶店のアルバイト君たちに、勝手気ままな物語を押しつけていく。晴れている日、薄い曇りの日、大雨の日。毎日、沢山の人が、それぞれに色々抱えて、わたしの周りを通りすぎていく。

 サラリーマン氏、ホストくんや百科事典嬢。かつてわたしのつくるお話の中でメインキャストを務めた彼らの姿は当然ながら無かったけれど、ちゃんとその代わりになる人々が現れた。不倫ちゃんに人待ちのじい様。

 不倫ちゃんはサラリーマン氏の類型だ。いつも、せかせか、カツカツと道を行く。目には見えない何かに追われているのだ、きっと。

 三十七歳、独身、結婚は諦めている。建築デザイナーの事務所で仕事をしていて、そこの所長の不倫相手になっている。二週間か三週間に一度、情事に耽る。そして、自らの境涯を自分で笑うのだ。ああ、今日もあたしは何やってるんでしょうね、なんて。けれど、彼女に今を捨てる程の勇気は無い。お金があって、仕事があって、自分を必要としてくれる人もいる。ただ、形がそこらへんの人のそれよりもほんの少し歪なだけ。変える必要なんか何処にもない。彼女はそう考えているのだ。

 正直、この辺りまで考えて、わたしは不倫ちゃんについての興味を失ってそれ以上の観察をしなくなった。好きにすれば良いさとも思ったし、彼女がどんな生き方をしていようとわたしには関係の無いことだ、なんて。実際はただちょっと、羨ましかっただけだ。もう、今のわたしにはああやって、ヒールをかつかつ鳴らして歩くことなんか出来ない。医者に言われているのだ。体力も落ちていて危険だからなるべく歩きやすい靴を履くように、と。ヒールなんかもっての他で、サンダルも禁止。クッション性能のしっかりとしたスニーカーを選びなさい、だと。はいはい。

 それよりも、人待ちのじい様だ。目を離したらその瞬間からもう二度と会えないんじゃないか、なんて不安な気持ちにさせられるじい様。枯れ木のような身体つきで、細い、鶏がらのような両腕に杖。風に吹かれたり、太陽に照らされたりしながら、じい様はいつも誰かを待っていた。駅前の街かどで、表情一つ変えずに、ただ、ただずっと待ち続けていた。

 彼は、今はもう死んだ自身の妻を待っているのだ。彼はちゃんと知っている。妻はもう死んだ。葬式だって済ませた。彼はその事を忘れた。忘れたという事にした。そうしなければ、生きていられなかったから。市役所の人間が訪ねてこようと、古い友人と会おうと、彼の気持ちは晴れない。誰と共にあっても、彼は一人だった。妻が彼の全てだった。若いころは美男美女として周囲から持て囃され、人並みよりもいくらかマシなんじゃないかと思われる半生を二人で歩んだ。子供はいない。妻の身体が、それに適していなかったのだ。

 二人で色々なところへ行った。若い頃、仕事の都合で海外に長く住んだこともあった。四十歳になる少し前、独立した事務所を作った。結婚式を計画している人達と、ウェディングプランナーを引き合わせるのが仕事だった。

 彼自身は結婚式をあげなかった。若い頃、いよいよ結婚という段になって転勤を命じられて、それを保留にしたまま機会を逸した。彼はそれを、人生で最も大きな失敗だったと後悔している。披露宴にひねりがなくとも、準備不足で周囲に迷惑をかけようとも結婚式だけは強行すべきだった。彼は後悔している。妻が亡くなるその時、何度も、何度も謝罪した。妻はただ笑って、「大丈夫だよ」と言い残し笑顔で逝った。彼は全てに耐えきれなくなり、こうして絶対にやって来ない妻をただ待ち続けている。

 ……悪ふざけが過ぎた。こんな事、すべきではないのだ。カフェのテラス席から見えるじい様の寂しそうな背中から始まった物語。こんなのただの妄想だ。なのに、わたしは今こんなにも泣きたくなっている。そして、怖くもなった。大丈夫だよ? 何が大丈夫なんだろう。

 大丈夫だよ。自分に向けて言う。大丈夫だよ、大丈夫だよ、大丈夫だよ。それに、無理矢理に前向きな考え方をするなら、死して尚街かどで帰りを待ってもらえるのは結構幸せな事だ。多分、きっと。

 だから、じい様にも言葉を贈ろう。そっと、聞こえないように。

「大丈夫だよ」



 物事があるべき場所に、あるべき形で収まっていく。〝その日〟、わたしはきっと「大丈夫だよ」と笑って言うだろう。わたしには分かる。それが、あるべき形。それが、わたし。

 百科事典嬢とホストくん。サラリーマン氏と浮気相手の女の子。不倫ちゃん。わたしと夫。じい様と、今はもう居ないその妻。みんなそれぞれに、あるべき場所に収まっていく。それなら、それで良い。それは間違った事ではない。じい様の背中を眺めながら、まだ温もりの残っているコーヒーを口に含みながら、わたしは今、そんな事を考えている。

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