第21話 ‐憎悪の最果て‐ ~ヴィジョナリィ・デス・トラップ~
作戦会議が終わると、あたし達は足早(あしばや)に、決戦(けっせん)の舞台(ぶたい)――東京府立・第一府頭(だいいちふとう)病院に向かった。
有姫(ゆうき)の言う交通手段とは、土でできた地面に自らの血液を垂らし、血の結界(けっかい)を通じて門を開き、遠く離れたふたつの地の境界(きょうかい)をなくすことだった。
その鮮やかな手腕(しゅわん)にも驚いたが、それより、そんなとんでもないことを軽々とやってのける、有姫の正体が気になった。
チカだけでなく、有姫も。なにか得体のしれない秘密を、たくさん隠し持っている。そんな予感が、あたしの背すじを、サッと冷やした。
――だが、今は、そんなことを気にしている場合じゃない。
進藤を、あの美しくもおぞましい魔女……、千冬(ちふゆ)から取り戻すには、あたし達がお互い信じ合い、結託(けったく)して挑(いど)むしかないのだ。
――まもなく、あたし達は、夜の病院にたどりついた。
あたりに人気(ひとけ)はなく、不気味(ぶきみ)なほど静かだった。
ガラス張りのエントランスをくぐり、あたし達は足音を殺し、慎重(しんちょう)に進む。
カツン、カツン、と靴音のみが、静寂(せいじゃく)に満ちた院内に響く。
ここまでくると、皆、無言(むごん)だった。
何が起きても冷静に対処(たいしょ)できるよう、一同(いちどう)は、張り詰めた空気を、漂わせていた。
「……ここだ」
まもなく、有姫が、まっすぐ指をさした。
――第一手術室。
ぞくり、とあたしは背すじを震わせた。
場所が場所だけに、空(そら)恐ろしいものがあった。
――ぎい、と、有姫が、慎重に扉を押し開ける。
あたしは、息をのんだ。
目の前に広がっていたのは、陰惨(いんさん)な廃墟(はいきょ)だった。
手術台には、血片(けっぺん)が飛び散り、ところどころ、血糊(ちのり)かなにかのごとく、べったりとしたものが張り付いていた。
「――悪趣味(あくしゅみ)だな」
先導(せんどう)をきった有姫が、懐中電灯(かいちゅうでんとう)を片手に、ゆっくりと内部に歩みを進める。
散らばった手術用具を、不快(ふかい)そうに押しのけ、有姫は堂々と、中央までたどりついた。
はたして、部屋の片隅(かたすみ)に、進藤は座っていた。
こちらに背をむけたまま、ぺたん、とうずくまっている。
……その周囲には、おびただしい量の血液が、まき散らされていた。
「…………ッ」
悲鳴を押し殺し、あたしは、ふらり、と歩み寄った。
誰かの制止(せいし)が、聞こえたような気がしたが、それは、遠い世界の出来事(できごと)のようだった。
「……千夜」
進藤は、ゆっくりと振り向いた。
その姿にケガは見当たらなかったが、ほっとするわけにはいかなかった。
進藤が手にしていたのは、手術用のメスだった。
驚いて、一歩引く。
――進藤は、何を。
「……千夜(ちや)」
進藤が、もう一度言う。
近づいてくる、その目の焦点(しょうてん)が合っていない。
再び、後ずさろうとするが、膝(ひざ)に力が入らない。
どんどん近づいてくる進藤を前に、あたしはどうしていいかわからず、とうとうへたりこんだ。
「しん……ど……」
名前を呼べば、気づいてもらえると、信じていたわけではない。
ただ、歯をがちがちと鳴らし、もつれる舌で、唾液(だえき)を飲み込んだ。
いつの間にか、生理的(せいりてき)な涙があふれ出し、頬をなまぬるく、伝っていった。
「――ねえ、千夜。ここで君が生まれた日のことを、覚えている?」
いきなりしゃべりだした進藤に、ひたすらに怯(おび)えながら、ただ、こくこく、と機械のようにうなずいた。
「あの日。僕の大事な大事な宝子(たからこ)は死んだんだ。君を産んで。――君に、殺されて」
――進藤は言う。
「あの日、僕は、君を絞(し)め殺そうとした。なんでだか、わかる?……僕はね、君が憎らしかった。君のせいで、僕は、この世でたったひとりの存在を失った。――君のおかげで、僕は何もかも、失ったんだ」
進藤はとうとう、あたしの手首をつかんだ。
「だから君にも、同じことをしてあげる。君の大事なものを……“チカ”を。君の目の前で……奪ってあげるね」
あたしは、とうとう、悲鳴(ひめい)をあげた。
気が付くと、チカが、はりつけにされていた。手術室の壁に、無数(むすう)のメスで、手も足も縫(ぬ)いつけられて。
「――チカ……っっ」
駆(か)け寄ろうとして、羽交(はが)い絞(じ)めにされた。
「よく、みておくといい。君がしたことを。君は、思い知るべきだ。――自分がいかに、罪深い存在かを」
「――チカぁ!!」
あたしは、暴れた。力の限り、暴れた。
だが、進藤の躰(からだ)は、びくともしなかった。
そのまま、喉(のど)をしめられる。
チカの胸に、どこからか現れた千冬が、ナイフを突き刺すのを、あたしはただ、みていることしかできなかった。
――チカは死んだ。
――あたしが、殺したんだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「――ああ。あああ……」
「……千夜?」
オレは、様子のおかしい、千夜の顔をのぞいた。
何もない壁の、一片(いっぺん)をみつめたまま、千夜は小刻(こきざ)みに震えている。
その時になってやっと、有姫も、千夜の異常に気付いた。
「――幻影か!!」
雷門が、短く叫び、虚空(こくう)をにらみつける。
霊体である雷門は、あちらとこちらの境目(さかいめ)がみえる。
焦点を合わせ、雷門と意識をチャネリングすることによって、それがみえた。
「…………ッツ」
雷門は、激しくあせった様子をみせた。だが、オレにすぐさま、意識を投影<パス>する。
ペアリングされた、魂の糸をたどって、それをみた。
物言わぬ屍(しかばね)となったオレを抱きしめ、千夜は泣き崩れていた。
もちろん、現実では、そんなことは起こっていない。
――千夜は、千冬の仕掛けた、幻をみせられているのだ!
「……くそっ……!!」
オレは、駆けだした。
その足で、千夜を、追い越し、正面から、固く、抱きしめる。
「――千夜、オレがみえるか! ――オレの声が、聞こえるか!!」
必死に呼びかけるが、千夜は、いまだ焦点(しょうてん)の合わない目で、「チカ……チカ……」と、うわごとのように繰り返している。
「……千夜!! くそっ、どうなってるんだ……!!」
焦(あせ)って、千夜を抱きつぶそうとするオレに、有姫の厳しい叱責(しっせき)が飛んだ。
「――無駄だ!! 千夜の魂は、まるごと、あちらに持っていかれている!! それを取り戻さない限り、千夜の意識は戻らない!!」
「――じゃあ……じゃあ、どうしろって言うんだよ!!」
オレは、激昂(げっこう)し、わめき散らした。
「――俺に任せろ」
雷門が、すっ、と音もなく近づき、千夜の肩に触れた。
<<――ゴースト・チャネリング――>>
雷門が、低い声でつぶやく。
ペアリングが効いている今の雷門には、一部だが、オレの能力が使える。
しかも、生者(せいじゃ)であるオレには使えない能力が、今の雷門には使えた。
雷門の姿がぶれ、そもまま、吸い込まれるように、千夜の躰(からだ)に消えていく。
やがて、雷門の姿は、かけら残さず、かき消えた――。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(( ――千夜…… ))
あれ、とあたしは思った。
誰か、あたしを呼んでいる。
……それは、チカの声に違いなかった。
ちょっと低いし、ドスが効いているが、それは、どう聞いても、チカのものに思えた。
――あたしは、手を伸ばす。
宙をきったあたしの腕は、何者かに、掴まれた。
……それは、チカの手だった。
ちょっと、ごつごつしているし、いつもより、ひと周り大きい気もするが、でも、きっと、チカだ。
あたしは、微笑(わら)った。
『――よかった、チカ。生きてたんだな』
チカは言う。
『……ああ、そうだ。それより、あそこにある球体(きゅうたい)がみえるか?あれは、お前のたまし……じゃない、オレの大事なモノなんだ。あれを、オレの代わりに、取ってきてくれるか?」
『うん。お安い御用(ごよう)だ。あれを取ればいいんだな?』
あたしはうなずき、何もない、真っ白い空間の中央に浮かんでいる、そのまっさらで、すべらかな球体に、手を伸ばした。
――果(は)たして、それは、あたしの掌におさまった。
深呼吸をして、それをのぞきこむと、どくん、どくん、とそれは脈動(みゃくどう)していた。
なぜかだが、とても懐かしいような気がして、急にあたしは、激しい空腹(くうふく)を覚えた。
そのまま、原始的(げんしてき)な欲求のままに、それをかじる。
どくり、どくり、と脈打つそれは、真っ赤な液体をまき散らし、あたしの喉を潤(うるお)し、渇きを満たした。
――どくん、どくん。
あたしの胸の奥で、なにか、おかしな音がした。
……いや、おかしくない。
これは、ずっと前から、ここにあったものだ。
――そう、あたしは、あたしの心臓<たましい>を、取り戻したんだ――。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「――千夜!!」
チカの声がして、あたしははっと正気に戻った。
「……ここは……? ――あたし……?」
「よかった……っっ!!」
チカが、あたしを抱きしめたまま、涙をこぼした。
あたしの肩が、チカの液体で、ぬれそぼっていく。
「……――“チカ”……?」
ふいに、すさまじい安堵(あんど)が襲ってきて、あたしの瞳も、潤(うる)んだ。
「やれやれだな」と雷門が疲れたように溜息をつき、乙女が「千夜ぁ……!!」と泣きながら、抱きついてきた。
チカと乙女に、おしくらまんじゅうされながら、あたしは、ここ数分、いや数時間にも思えた記憶が、ごっそりとなくなっていることに気づいた。
幸い、自分が今どこにいて、なにをしているかはすぐに思い出せた。
あたし達は、進藤を取り戻すため、この病院にいる。
やがて、ぱちぱち、とわざとらしい拍手(はくしゅ)が聞こえ、あたしはまっすぐ、前に向きなおった。
「――お見事(みごと)ね。さすが、子ども達の女王と、そのしもべたち。これくらいの試練はお茶の子さいさい、といったところかしら」
千冬は、どこから現れたのか、真っ赤なびろうどの豪奢(ごうしゃ)な椅子(いす)の上で、優雅に足を組み、至極(しごく)満足そうに、微笑んだ。
「さあ、お食事をはじめましょう。前菜(ぜんさい)は、もういらないわね。さっそく、メインディッシュといきましょうか」
行って、手招(てまね)きをした。何もない部屋のすみから、それは現れた。
……どくん、とあたしの心臓が、嫌な音を立てる。
それは、間違いなく、進藤だった。
だが、進藤の様子は、明らかにおかしかった。
ふと、めまいがして、倒れこみそうになる。目の前の光景が、夢かうつつかわからず、あたしは、頭をおさえた。
すぐに、チカがあたしの異変に気付いた。
「またか――! ……いや、これは幻じゃないな。くそ……っ、さっきの二の舞はごめんだってのに……っ」
すぐに、一同は、臨戦態勢(りんせんたいせい)に入った。
だが、進藤は、なにもしてこない。
千冬も、涼しい顔で腰掛(こしか)けたまま、微動(びどう)だにしない。
進藤が、こちらに一歩、歩みを進めた。
すぐに、緊張が走り、皆、あたしをかばうように前に躍(おど)り出た。
「――千夜」
進藤が、うつろにつぶやく。
あたしは、とたんに、震えが止まらなくなった。
……これじゃあ、まるで。
唐突(とうとつ)に、はりつけにされたまま、血を流す、チカの姿がフラッシュバックし、あたしは、悲鳴をあげた。
「――うあああああああああああああああ!!!!!」
壊れたように、叫びつづけるあたしに、チカが、しまった!! と声をあげた。
だが、その時はもう、すべてが手遅れだった。
……進藤は、いまや、あたしの目の前だった。
「――千夜」
まもなく、どすん、というにぶい衝撃と共に、あたしの胸に、鈍色(にびいろ)に輝く、ナイフが突き刺さった――。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Visionary ヴィジョナリィ
「幻影」
Death デス
「死」
trap トラップ
「罠」
“Visionary Death trap”
~ヴィジョナリィ・デス・トラップ~
『幻影の死の罠』
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