第22話 ‐陶酔の味- ~テイスティング・サイレント・コープス~ 【前編】



「こうするしか、なかったんだ」


 こうするしか。

 進藤は、うわごとのようにつぶやいた。


 オレは、怒りを通り越して、真の前が、真っ暗になるのを感じた。



 ……千夜が。

 ――オレの、千夜が。



 進藤に刺され、崩くずれ落ちる千夜を、ただ、茫然ぼうぜんとみつめていた。

 乙女と有姫の悲鳴も、もうなにも聞こえなかった。


 オレは、とうとう、千夜を失った。


 また、また、大事なモノを死なせた。

 真っ暗になっていく世界の果て、ただひたすらに、目の前の現実から逃げようとした。



 ――無駄だった。



 千夜との甘い思い出は、すべてずたずたに引き裂かれ、どす黒く染まった赤い液体で、オレの心臓を飲みこんだ。



 ……オレは。どうして――。





 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




(( ――千夜―― ))



 ああ、進藤の声がする。


 呼んでいる。


 あたしの名を、何度も。


 進藤が、あたしを抱きしめる、ぬくもり。


 進藤の感触。


 進藤のにおい。


 あたしは、泥どろのような睡魔すいまに、まっさかさまに墜ちていった。




 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






 夢のなか、あたしは、祈っていた。


――どうか、チカが、幸せになりますように。

 あたしに嘘をついて、騙して、裏切ったチカが、あたしなんか、忘れますように。



――それでももし、望んでいいなら、チカといつまでも、一緒にいられますように。



 あたしはあの日、そう、ここではない別の世界で、チカの、〈あの秘密〉を知った。

 その事実は、あたしを動揺させ、恐怖のドン底に叩き落とした。



 それでも、あたしは、チカのことを、嫌いになれなかった。



 チカは、いつだって、あたしを救ってくれた。

 時には、ひどいこともされたし、あたしをいつだって、こっぴどく振り回した。


 だけど、どうしてだろう、チカをみていると、なんでもできそうになるのだ。

 ママに捨てられ、誰からも見捨てられたあたしが、誰かを愛して、愛されることだって、できそうな気がするのだ。



 不思議だ。とても、不思議で、信じられない。


 ――そう、あたしはきっとそんなチカに……恋をしたんだ。






 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 その時、あたしを呼ぶ声がした。

 それは、心臓をとんとんと叩き、何度も激しく揺さぶった。


 姫の声が、乙女の声が、雷門と双子坂の声が、遠く遠く、木霊こだましている。



 ……そのなかで、“あの声”だけが、あたしを揺さぶる。



 あの、低くも高くもない、それでいて、いつまでも聞いていたくなるような、純粋で、激しくて、澄すんでいて。


 ――どこまでも、果てしなく燃えている、その声が。



 ……あたしを、あたしだけを、呼んでいる。





 ――――(( ――リン。 ))――――





 ふと、鈴の音が、耳をくすぐった。




 “――どうやら、わらわの出番のようじゃの……”




 ……そう言い残して。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 しばらく、意識をとばしていたオレは、やっと目の前の、残酷な現実を思い出した。



 ――千夜が、刺された。


 ――進藤が、あのクソ野郎が、千夜を殺した!!



 オレは、腹の奥からせりあがる憎悪のまま、進藤につかみかかった。



「……――てめえ……!!」

 




「――待て!! まだ生きてる!!」



 鮫島有姫が、千夜を抱きおこし、叫んだ。

 オレは、進藤の胸倉むなぐらを離し、突き飛ばした。千夜のもとに駆け寄り、その唇に耳を近づける。


 かすかだが、息があった。続いて、胸に耳をあてる。

 どくん、どくん、と、弱弱しい鼓動が、はねていた。




――生きている!


――千夜は、まだ、生きている!!



 オレは、夢中で名を呼び、何度も、激しく揺さぶった。

 有姫の悲鳴にも似た、制止も聞かず、何度も、何度も。



 人口呼吸が必要か、と、ふと思いいたり、何度も口づけた。



 はじめて味わった、千夜の唇は、こんな時だがすこぶる甘く、オレはその味を夢中でむさぼった。


 やがて、千夜の躰からだから、だらり、と力が抜けた。




 ――死んだ。



 そう思った時、オレの中にはもう、絶望は、これっぽっちもなかった。




 ――こうなる気がした。


 ――こうなってしまうことを、オレは知っていた。



 ……何度も何度も、オレは、「それ」を経験した。




 この目で、千夜の死を、看取みとってきた。それが、また、繰り返されただけだ。




 ……そう思おうとしても、無駄だった。




 オレはえた。


 力の限り、吠えた。


 このカラダが、バラバラに砕け散ったっていい。




 ……誰か。


 ――誰か、こいつを助けてくれ。




 オレはどうなったっていい。


 もう一度、チャンスをくれ。




 ――誰を殺せばいい。――何を差し出せばいい?


 ……この命? 魂?




 ――何だってくれてやる。


 ――双子坂をもう一度殺せというなら、何度だって、殺してやる。



 他の誰かでもいい。有姫でもいい。乙女でもいい。

 ――誰だって、殺しつくしてやる。




 それでは足りないというのなら、世界だろうが、なんだって、滅ぼしてやる。


 もし、どうしても、駄目だめだというなら、その時は、神を殺して、オレも死ぬ。



 だから。


 ――だから、どうか。




         << ――千夜の命を、オレによこせ!!―― >>




その声が、届いたのかどうか。はたして、涼やかで、りんとした声が降った――。

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