第19話 ‐禁断の果実‐ ~ディフェンド・ヴァイオレイテッド・サンクチュアリ~





「約束の場所……?」


「そうだよ。<ライラ>。君が生まれた場所だ。そして、君が死ぬ場所。進藤は待っているよ。――君を、君だけをね」


 そう言って、命(みこと)は今度こそ、立ち去っていった。


 バタン、と玄関の扉がしまり、後には、痛いばかりの静寂(せいじゃく)のみが残された。


 あたしは、虚脱状態(きょだつじょうたい)のチカを抱きしめると、その胸に、顔を押し付けた。



「よかった……お前が無事で……っっ」


 チカは、びくりと震え、力なく、あたしを突き飛ばそうとした。


「……触るな」


 その声は弱弱しく、いまにも崩れそうだった。


「……触る。お前が、どんなに嫌がっても、あたしはお前に触れてやる。たとえ、が、あたしを嫌いになっても、あたしは、もう、お前から、離れねえ」


――その言葉にチカの喉(のど)が、かすかに上下した。



「なあ、お前は、有姫(ゆうき)を殺そうとした。でも、それには訳(わけ)があったんだろ。あの命とか言うガキに、無理やり、言うことを聞かされたんだな」


 チカは、答えなかったが、震える体は正直だった。


「……つらかったよな。ごめんな。わかってやれなくて。お前にも、ひどいこと、たくさん言った。あたしは、お前のこと、わかったつもりになって、全然わかってなかった」


 だからごめん、と、あたしは、チカの胸に、顔をこすりつけた。


 じんわり、とにじんだ涙を、ああ――チカがすくった。


 躰(からだ)を離したチカは、指先であたしの涙をぬぐうと、こつん、とあたしの胸に、おでこを預けた。



「千夜。お前に、話したいことがある。……聞いてくれるか」


 うん、と答えたあたしに、チカが口を開いた。


「――オレは、生まれてはいけない子だったんだ」


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 水戸千秋(みと・ちあき)と、水戸千冬(ちふゆ)は、血の繋がった姉弟だった。

 ふたりは互いに恋し、愛し合い、そして、チカが生まれた。


 近親相姦(きんしんそうかん)によってできた、禁じられた子。

――それが、チカだった。



 当然、親戚(しんせき)からの冷たい目と、ブーイングは避けられなかった。

 堕(お)ろせ、と彼らは口々に言いつのり、ふたりを激しく、糾弾(きゅうだん)した。


 耐えかねた千冬は、そのまま姿を消し、誰にも知られず、ひっそりとその子は産まれた。


 生まれて間もない、チカを育てたのは、千冬と千秋の妹でもある、千春(ちはる)だった。


 千春は、チカを、懸命(けんめい)に慈(いつく)しんだ。

 実の父と、その妹。二人の家族に愛されたチカは、明るく奔放(ほんぽう)で、無邪気な子に育った。


 やがてチカの実の父、千秋は、望まれない子どもたちを養育(よういく)する、ごく一般的な、養護施設(ようごしせつ)を創設(そうせつ)した。


 そこでチカは、切崎猟也(きりさき・りょうや)――今は、リッパーと呼ばれている少年に出会い、父親と育ての母、千春を、惨殺(ざんさつ)された。


 だが、チカは、それでも、リッパーを、けして憎まなかったという。


 むしろ、自分のせいで、リッパーの心は壊れ、殺人鬼と化(か)したと、悔(く)いていた。


 家族を、二人も殺されたチカは、その二人を一目見たい、という願いにつけいられ、鵺(ぬえ)に呪われた。


 新たに芽生(めば)えた能力は、死者と会話し、その魂を現世(げんせ)に繋ぎ止め、使役(しえき)する能力だった。


 その、世にも珍しい異能(いのう)は、施設の大人たちにとっては、喉から手が出るほど、欲しいものだった。


 チカは大人たちに優遇(ゆうぐう)され、管理シリアルの入ったドッグタグ――<首輪>と呼ばれるそれを、唯一つけられずにすんだ。



 だが、まだ幼く美しいチカは、大人たちの歪んだ欲望にも、さらされた。


 命がチカを、<プシキャット>……。

「可愛い子猫」とも、「女性器の象徴」とも、「娼婦(しょうふ)」とも呼ばれる、その名前で呼んだのは、チカが、施設でどんな目にあったのかを、知っていたからだった。



 チカは、やがて、<ダブルフェイス>と呼ばれる情報屋・双子坂や、幼いチカに、一途な恋をした狂犬、雷門に出逢(であ)う。


――そして最後に、とうとう、あたしと出逢ったのだ。



 チカは、そこまで語ると、はあ、と息をついた。

 あたしは、言葉にならず、ただチカをみつめた。


 チカの語る過去は、とてもではないが、尋常(じんじょう)ではなかった。


――きっと、嘘ではないのだろう。


 だが、だからこそ、その真実は、どこまでも、残酷(ざんこく)だった。



「……なあ、それでもお前は、オレと一緒にいてくれるのか?」


 チカは、瞳を揺(ゆ)らしながら、震える声で言った。


――あたしは、言葉につまった。


 できることなら、イエスと言ってやりたかった。

 だが、その現実は、あまりにも重く、今のあたしには、とうてい、受け止めきれなかった。


「……チカ」


 消えたはずの雷門が、チカを慰(なぐさ)めるように言った。

 双子坂は押し黙っている。


 この二人も、そのことを知っていたのか。


――すう、とチカは息を吸った。



「……なんてな、全部ウソだっつの」


 言って、チカは冗談めかして笑った。

 その無邪気な瞳は、いつものように輝いていた。


 胸が、どくん、と音を立てる。


 こいつは今まで、こうして、あたしを騙(だま)していたのか。

 明るく無邪気に、悩みなんてこれっぽっちもないフリをして、しこたま、嘘をついて――。


……こんなあたしを、守ってくれていたのか――。



「……チカ、あたしは――……」




「――あらあら。なにをしているかと思えば。あなた達、遅すぎるわよ。もう、待ちくたびれちゃったわ」



 そこに現れたのは、妖艶(ようえん)な体つきの美女――千冬だった。


 千冬は、腰をくねらせ、チカの頬(ほお)をなぜた。


「――悪い子ね。あれほど、言ってはだめだと言ったのに」


 再び、チカの瞳が死んでいく。


「――お前……!」


 かっとして、つかみかかろうとしたあたしに、千冬は言った。


「早く、ここまで来てご覧なさいな。そうでないと、あなたの大事な大事なパパが、どうなるかしらね?」


 千冬は、くすくすと可笑(おか)しそうに笑いだす。


「――てめえ……!!」


 鬼の形相(ぎょうそう)でつめよる、あたしの額(ひたい)に、千冬はその、どす赤いマニキュアの塗(ぬ)られた、美しくも、まがまがしい指先を、とん、と載せた。


「さあ、お食事の用意はできたわ。皆(みんな)で召(め)し上がりましょう。――そう、最期の晩餐(ばんさん)をね」


 千冬は、再び、可笑(おか)しそうに笑うと、ゆっくりと、空中に消えて行った。



「――<ライラ>。あなたを待っているわ」



――そう言い残して。




 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 defend ~ディフェンド~

「護(まも)る、庇護(ひご)する」


 violated ~ヴァイオレイテッド~

「穢(けが)された、冒涜された、破られた、凌辱(りょうじょく)された」


 sanctuary ~サンクチュアリ~

「聖域、神聖な場所」


 defend violated sanctuary 

~ディフェンド・ヴァイオレイテッド・サンクチュアリ~


「穢された(or 冒涜された、破られた、凌辱された)聖域を護れ(庇護せよ)」

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