第13話 ‐暴食- ~フォーリン・フォールン・ライフ・キーパー~



「――ん……」



目覚めると、掌に、あたたかい熱を感じた。



「……ちか……?」



「悪いね。僕だ。……気分はどうだい?」


言って、気遣わしげにこちらを覗き込んできたのは、双子坂だった。


「なんだ……お前か……」


がっかりしたような、ほっとした気持ちで、あらためて、あたりを見渡す。


そこは、さっきまでいた、進藤の潜伏先(せんぷくさき)の診療所だった。


続いて、ソファーに寝かされた状態のあたしの掌を、

双子坂が、ぎゅっと握っているのをみて、少し驚いた。



「……双子坂?」


「……ああ。君はだいぶ弱っていた。おそらく、鵺属性(ぬえぞくせい)のマインド・ハックだろう。僕も、君に一度しているから、わかる」

「それで、鵺に喰われて弱った、体内の気を、気を操る能力により、僕の身体から、そそぎこんでいたんだ。こうしていると、早く目覚めると思ってね」



以前あたしに吐血させ、意識不明にしたことについては、一言も謝らなかったが、おそらく、これでチャラだということだろう。


貸し借りなし。

でもそれは、双子坂なりの気遣いなのかもしれなかった。



「それはそうと、君に気を充填(じゅうてん)している最中、不思議な、気の流れを感じた。まるで、僕の体内の鵺が、浄化されていくような」


「……え?」


「ナズナに触れた時のように、僕の中の澱(よど)みが、彼女の体に吸い込まれていく感じではなく、まるで澄み切った海水によって、直接、希釈(きしゃく)されているような、なんともいいがたい感覚が、なだれこんできたんだ」


「――ウソだろ」


「……嘘じゃない。やはり君は、僕達にとって、よくよく特別な存在であるらしいね。チカが、君に出逢ったのも、必然(ひつぜん)か」



「……チカは?」

思わず言ってしまって、後悔した。


「君を置いていなくなったよ」


「――なん……だって……!?」


驚き、逆上(ぎゃくじょう)しようとしたあたしを、双子坂が引き留めた。


「チカは、雷門と共に、進藤を探しに行った。おそらく、情けない姿を、君にみられたくなかったんだろう。らしくもなく、落ち込んでいたよ」


そして、あたしが離そうとした掌を、ぎゅっと握りしめられた。



「――千夜。どうか、チカを赦(ゆる)してやってくれ」


「……ハァ? じゃあ、こんなに、ずたずたにされて、我慢してろって言うのかよ!!」


「そうは言わない。だが、君を傷つけると同時に、チカも傷ついているんだ」


「――そんなのわかってんだよ!!」


あたしは、きんとする声で、叫んだ。


「でも…………あたしは、もう耐えられない。もう、あんなあいつは、みたくないんだ……」


力なく己の体を抱きしめ、丸めたあたしに、双子坂は、その心地よい低音で、静かに語りかけた。


「……千夜。――君にとってのチカはなんだい?」


「――なに、……って……」



……あたしにとってのチカは――。



――ヒーロー?


  ――真昼の太陽?


    ――友達?



……違う! 頭がぐちゃぐちゃになって、ソファーに、拳を叩きつけた。



「……そんなの、わかんねえよ!!」


「――いや、わかるはずだ」



「――わかんねえ!!」


駄々(だだ)をこねるように、まぶたをぎゅっとつむるあたしの掌を、

双子坂は再び、包みこんだ。



「――千夜、よく聞いてくれ。もし君がチカを許さず、このまま拒絶するとしたら、君はチカを失うことになる」


「……失う?」


目が覚めたように、あたしは茫然(ぼうぜん)と繰り返した。


「ああ。チカはもう、二度と君の前には戻ってこない。――永遠にね」


「――そんな……」


「だから千夜。お願いだ。チカを救ってやってくれないか」


双子坂の心からの懇願(こんがん)に、胸がずくん、と痛んだが、それでも、どうしてもその意見を、受け入れられなかった。



「……いやだ!!」



――その時、信じられないことが起こった。


腕を振り払い、その場を去ろうとした、あたしの腕を掴(つか)んだ双子坂が、勢いよくあたしを、床に叩きつけたのだ!!


背中をしたたかに打ち、一瞬おいて、あたしは思わず怒鳴った。


「――いっっ……――てめえ!!」


にらみつけるように、見上げたところで、思わず体をびくつかせた。

双子坂の瞳が、目の前にあった。


あたしの頭の近くに、双子坂の腕がある。

吐息が、鼻にかかった。


カーペットに押し倒されている、と気づいた瞬間、血の気が引いた。



「……千夜。もし君が、お願いを聞けないというのなら、――僕はここで、君を犯す」


「――な……っ!」


「そうすれば、さずがのチカも、泡を食って、戻ってこずにはいられないだろう?」


唇をつり上げ、投げやりな微笑を浮かべる双子坂。


「そ……そんなことしたらお前だって……」


怯(おび)えたように、逃げようとするこの手首を、双子坂は、縫(ぬ)いとめた。



「――ああ。僕は逆上(じゃくじょう)したチカに、殺されるだろう。だが、僕達にとって、君だけが希望だ。僕達、施設に囚われた哀れな子ども達をを救う救世主は、この世にチカひとり」


「そして、その救い主にとって、たったひとつの生きる意味が、君だ。もし君という存在を失えば、チカの精神は今度こそ崩壊し、絶望の果てに自害(じがい)するだろう」


「その時が、僕達の最後だ。だから、僕達はなんとしても、君たちの離別を阻止しなければならない。――たとえ自分の命を、投げ打ってでもね」



「――そんな……めちゃくちゃだろ……」


唖然(あぜん)として、ぎりぎりと締め付けられる、手首の痛みと共に、思わず、涙をにじむ。

そんなあたしをみつめ、双子坂は静かに答えた。


「――ああ。だが、そんなめちゃくちゃな希望に、すがらなければいけないほど、僕達は終わりきっているんだ。――だから、チカを赦(ゆる)してやってくれ」



「そんな……」


あたしは、ためらった。


「もし、君がどうしても、この頼みを聞けないというのなら、僕は君を、この場で凌辱(りょうじょく)し、チカに殺されるだろう」


僕の命を握っているのは君だ、と、双子坂は、握(にぎ)った手首は離さずに言った。


「――そんなの、脅(おど)しだろ……」


「――ああ。それも、僕の命をかけた脅しだ。……聞いてくれるね? 千夜」



「――ふた……」




――その瞬間、ドアが開き放たれた。



「――千夜!!」



焦(あせ)ったように駆(か)けこんできた、チカの真っ青な顔が、双子坂をみるなり、ドス黒い憎悪(ぞうお)に染まった。


「――双子坂、てめえ……」


ゆらり、とチカの背から、陽炎(かげろう)のように、雷門が姿を現す。



「――待て!!」


「……千夜?」


あたしの放った突然の制止(せいし)に、チカの動きが止まる。


「……待て、チカ。そいつは、お前のために、こんな芝居(しばい)をしたんだ。長ったらしい弁舌(べんぜつ)も、お前をおびき寄せるため。こいつは初めから、あたしに乱暴する気なんて、なかったんだ」


希望的観測(きぼうてきかんそく)も混じっていたが、このタイミングで、チカが現れたことにより、確信に変わった。


チカは、<ゴースト・ペアリング>により、霊体の雷門と、感覚を共有している。


もし、あたしの身になにかあれば、まず雷門があたしの気をたどり、あっという間に気づき、チカと共に、助けに現れるだろうと、考えたのだ。



「こいつは、自分の命をかけて、お前を呼び戻したんだ」


「……そいつを、かばうのかよ」


怒りを抑えきれない、といった押し殺した声で、チカは尋ねる。


だが、もうひと押しだ。あたしは、重ねて言った。


「――ああ。それとも、こんなに自分を想ってくれる友達を、お前は殺すのか? 実際には何も、していないのに?」


「…………っ!」



チカが、ぐっ、と黙った。


なんともいえない静寂(せいじゃく)が訪れ、先に言葉を発したのは、双子坂のほうだった。



「……なにか、言うことはないかい?」


「――悪かった」


チカは、双子坂の胸に、体を預けた。


「よくできました」


よしよし、とでも言うように、双子坂が、チカの小さな体躯(たいく)を抱きとめる。



「……それで、この後どうすんだ」


その真横で、どこかイラついたように、雷門が口をはさんだ。


チカは、「あー……」とあいまいに返すと、双子坂から体を離し、「雷門、こっちこい」と、ちょいちょいと手招(てまね)きをした


「――なんだよ」


まるで、犬か猫を呼ぶようなそのしぐさに、雷門はいぶかしげにしつつ、チカの目の前まで歩み寄った。


「そら!」と言うなりチカは、雷門の胸に、勢いよく抱きついた。


「!!?」


驚愕の表情で固まる雷門の胸に、顔をこすりつけ、チカが言う。



「短い間だったが、千夜を護(まも)ってくれてありがとな。お前がいなかったら、千夜がどうにかなっていたかもしれねえ。あらためて、よくやった、雷門<あいぼう>」



チカのその言動に、雷門はしばらくフリーズしていたが、やがて、我に返ったように、頬をぽりぽり、と掻(か)き、呟いた。


「……まあな」


その横で、「……ぷっ、くく……」と双子坂が、思いっきり笑いをこらえていた。


「……てめえ……」


ブチ切れ寸前の雷門が、双子坂をボコろうと体をひねると、「どうどう」とチカが再び、その大きな体を、ばふん! と引き寄せた。



「千夜に気をそそぎまくったせいで、双子坂はかなり消耗(しょうもう)してる。安静(あんせい)にさせてやってくれ」



「……ちっ」


雷門は舌打ちをすると、ソファーにどかっと座り、重たげに口を開いた。



「――じゃあ、まず、報告からはじめるぞ。結果的に、進藤は、この街のどこにもみつからなかった。それどころか、この東京府、日本国、世界中のどこにも、な」


「――なんだって!?」


ふてぶてしく言った雷門に、あたしは、最悪の事態を想定し、真っ青になって立ち上がった。


「だが、死んじゃいねえ」


チカが、同じくその隣に腰をおろし、続けた。


「微弱だが、進藤のものとおぼしき気が、どこからか匂(にお)ってきたらしい」


「つまり」雷門が、さらに引き継ぐ。


「やつがいるのは、この世界のどこでもない、存在しないはずの場所だ。異空間、あるいは、別世界。そこに、進藤は軟禁(なんきん)させられている。――そう考えると、つじつまが合う」


「そんな……そんな場所、どうやって……」


あたしの、絶望したようなつぶやきに、チカが静かに答えた。



「――方法はたったひとつだ。この世に、恐らくたったひとり、世界の理(ことわり)から外れたものがいる」


チカは、静かに燃える瞳で、その言葉を放つ。



「そいつの名は――天津命朔夜(あまつのみこと・さくや)。千冬と進藤の手がかりを知っているのは、やつしかいない」

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