第14話 ‐色欲‐ ~プランダー・スレイヴ・オブ・プシキャット~



数時間後、オレは、広大に広がる門の前に一人で立っていた。


天津家(あまつけ)、と書かれたその屋敷(やしき)は、古い日本家屋(にほんかおく)だったが、きちんと手入れがされており、その高級感にあふれる威風堂々(いふうどうどう)とした佇(たたず)まいは、いかにも、やんごとなき家柄の豪邸(ごうてい)を思わせた。


「――やあやあ、遅かったね、待ちくたびれたよ、チカ」


門が開き、現れたのは、屋敷同様、堂々としたたたずまいの、小学4年から5年ぐらいの年の、凛(りん)とした清らかな花のような、美少年だった。


「話がある。……通せ」


「――へえ。アポも取らず、なんのようかな?」


少年……命(みこと)こと、天津命朔夜(あまつのみこと・さくや)は、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)といった風に、薄く笑った。


「千冬(ちふゆ)と進藤の行方(ゆくえ)を教えてほしい。――お前なら、知ってるはずだ」


「……なんのことかなあ? だいたい、仮に知っていたとして、君に教える義理(ぎり)はないと思うけど?」


言って、可愛らしく小首をかしげたその顔は、しかし、嫌らしく笑っている。


「……頼む。お前しか、頼れるやつはいないんだ」


言って、オレは頭を深々と下げた。


「……うーん、どうしようかな」


少年は、頭を下げたままのオレの周りを、てくてくと歩いた。


「もし、お前がどうしても、教えないというなら」


「――?」



「……力づくで、吐かせるまでだ」


オレは瞳に闘志(とうし)をたぎらせ、雷門を呼ぼうとした。


「――わかったわかった。お互い、門前(もんぜん)でケンカもなんだし、中に入りなよ。ゆっくりもてなしてあげるから」


少年――命(みこと)は、真意のみえない笑顔で、にっこりと笑うと、オレを屋敷に案内した。


「別に、罠(わな)とかないから、安心してよ」


長い回廊(かいろう)を、周りを警戒(けいかい)しながら見回す、オレを振り向かず、命は言った。


「――ここが僕の寝室。まあ、くつろいでいってよ」


命は、白を基調(きちょう)としたロココ調らしき、広々とした絢爛(けんらん)な部屋に招(まね)き入れると、指紋認証(しもんにんしょう)でロックをかけた。



ぴりりとした緊張感が肌を焼くのを感じながら、オレは姿勢を正した。


「君がキレないうちに、さっそく本題に入ろうか。何度も言うけど、僕は君と戦闘する気はない。ただし、貴重な情報を、むざむざ教えてあげる気もない」


その言葉に、オレは一瞬で、臨戦態勢(りんせんたいせい)に入った。


「――言ったな。じゃあ、こっちも遠慮(えんりょ)なくやらせてもらう」


雷門、と呼びかけて、次に降った言葉に、オレは動きを止めた。



「――へえ。じゃあ、君の秘密を、千夜にバラしてもいいんだ?」


「…………!」


目を見開き、固まるオレに、命は満足げに喉(のど)を鳴らした。


「――いい子だね、チカ」


命は耳元で囁(ささや)くと、その耳を噛(か)んだ。


「…………っっ」


羞恥(しゅうち)と怒りで、思わず唇を噛み、震えるオレの姿をなぶるようにみつめた後、命は、ふっ、と甘やかに微笑った。


「……いいよ。教えてあげる」


「……本当か」


「――うん。ただし、条件がある。条件一、君はしばらく、この邸宅(ていたく)から一歩も出ないこと。条件二、僕の命令には、絶対服従(ぜったいふくじゅう)すること。そして」


――条件三……。鮫島有姫(さめじま・ゆうき)を、殺すこと、と、命はにっこりと笑いながら言った。



「鮫島(さめじま)……?」


不穏(ふおん)すぎる二つの条件も条件だが、それより、最後のひとつが気になった。


「ああ。彼女さえ始末すれば、契約は解消、君は自由の身だ」


命は、くっくっ、と笑った。


「殺してみなよ。……殺せるものならね」


その言葉が引っ掛かったが、もとより、選択肢(せんたくし)はなかった。


「……わかった。ただし、約束は守れよ」


「守ってください、でしょ。あと、僕の事は、今日から、ご主人様って呼んでね」


命は、それだけ言うと、その可愛らしい顔に、満面の笑顔をたたえ、こう言った。


「――じゃあ、さっそく、何をしてもらおうかな」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



時と場所はうつろう。


今、僕は、洋館の豪奢(ごうしゃ)な一室に閉じこめられ、手足を鎖(くさり)で縛られ、ベタな奴隷(どれい)よろしく、はりつけにされていた。



「僕を捕らえて、どうする気だ」


捕らえた張本人(ちょうほんにん)である、美しい女は、その言葉にとぼけて、口元を隠した。


「あら。そうねえ……とりあえず、あなたには、愛しいあたくしの子を呼び寄せる、エサになってもらおうかしら」


「断る、と言ったら?」



「あらあら。舌でも噛んで死ぬ気かしら?――でも、それは無理よ。あなたは、決してあたくしには、逆らえない」


「……どういうことだ」



「――ねえ。どういう気持ち? 愛しい女の元カレが、我が子とひとつ屋根(やね)。飲んだくれて、毎晩、暴力を振るっていたとしたら」


「千夜に、そんな傷はどこにもなかった」



「やあね。肉体的とはいってないですもの。もっと癒えない傷を、心に負(お)わせていたとしたら」


「…………!」



「考えてもみなさい。あの子の、あの口調、あの言動。まっとうに育った子にみえる? あの子はね、血のつながらない親に、虐待(ぎゃくたい)されて育ったの」


「そんな……そんなこと、あるわけが……」


「あらまあ。現実を直視(ちょくし)できないのね。可哀想(かわいそう)に。じゃあ、みせてあげましょう。あなたの愛しい愛しい娘が、いかにして育ったか」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「ママ。どうしてあたしは、ママに似てないの?」


「千夜。それは、あなたが、いらない子だからよ」


「……いらない、子?」


「そうよ。あなたはね、本当のママに捨てられたの」


「……すて、られた……」


幼い千夜は、声を震(ふる)わせ、母親の袖(そで)をつかんだ。


「なあに、うっとおしい。汚い手で触れないでって言ったでしょ!」


母親は、その手を振り払った。


――まるで、汚物(おぶつ)を見る目で。



「ママ……」



「おい、千景(ちかげ)、酒はまだか!!」


「――はあい! 千夜、なに泣いてるの。みっともない。早く泣き止まないと、夕飯はなしよ」



「――マ……」


千夜のちいさな手は、空を切った。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



次は、中学校とおぼしき建物の屋上だった。



「あいつの親、プータローらしいよ」


「マジ!? ギャハハ、ウケる!! 今度、シカトでもしてみる?」



「いやいや、イジメはよくないっしょ。せいぜい、噂を広めるくらいっしょ」


「ああ。七織千夜はエンコーしてる、とか!?」



「――それいい!! マジ最高! 今日のゲームはそれな!」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「ごめん。お前とは、もう遊べないわ」


「……え?」


「わりぃ。お前といると、おれまでヘンな噂立てられるんだよな。だからごめん、これからは他人のフリしてくれ」



「……陽介!!」


千夜の手は、やはり今回も、少年には届かなかった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「なんで……なんでだよ……」


千夜は泣く。ぼろぼろと泣く。



「なんでみんな、あたしを捨てるんだよ……!」



「もう、やだ……っ。もう、誰も信じたくない、好きになりたくない……っっ」





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・

・・・

・・




――そして、運命が、扉を叩(たた)く。――





(( ――千夜―― ))



(( お前がどれだけ人に嫌われても、オレがお前をすきでいるから! ))



『あたしが、あたしを嫌いでも?』




      (( ――当たり前だろ!! ))




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




――ねえ、と女は囁きかける。



「あなたの娘は、間違いなく、あたくしの子に惹(ひ)かれているわ。でも、もし、千夏が、この子を裏切り、殺そうとしているとしたら?」


「――何を……」



「ええ。信じられないでしょうね。でも、千夏は、千夜に嘘をついている。騙(だま)している。そして、思うがままに翻弄(ほんろう)し、惚(ほ)れさせようとしている。それらはすべて、計画通りなのよ。このままだと、そうね。半年もしないうちに、千夜は完璧に落とされるわね。そして、その時が……千夜の命日(めいにち)よ」



「そんなことが……あるはずが……」



「あらあら。じゃあ、みせてあげましょう。千夏の、誰も知らない、本心を……」



女は、ひらりと踊(おど)った。


片足が円を描き、そこに現れたのは――……。

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