第8話 ‐盲目の哀願‐ ~アンノウウン・イモータル・ブラッド~【Ⅱ】
第8話 ‐盲目の哀願‐ ~アンノウウン・イモータル・ブラッド~【Ⅱ】
次に「それ」に再会したのは、施設直属の部下と話していた時だった。
――ズダッ!
間抜けな音に振り返ると、「それ」がしりもちをついていた。
「――誰だ!」
部下が甲高(かんだか)い声を上げ、青ざめ、おびえたように見上げてくるそれを、僕は無言で見下ろした。
「――進藤教授、それは例の被験体(ひけんたい)では?」
「いや……人違いだ」
そうごまかしたのは、ただの酔狂(すいきょう)だった。
僕は首を振り、「それ」の首を掴(つか)む。
「だが、余計なことを漏(も)らされると困る。……そこの注射器を取ってくれ」
「――しかし、進藤教授……」
「構わない。後はわかるね? 君は席を外すんだ。……後は僕が処理する」
部下たちが姿を消すまで、僕は「それ」の首をしめ続けた。
だが、扉がしまるなり、僕は、その手を離した。
ゲホゲホと咳き込む「それ」を、僕はにらみつけた。
「何故、こんなところに来た」
「……しんどう、が……っしんぱい……っっ……」
その泣き顔に、その言葉に、どす黒い怒りが僕の腹を食い破って、出てくるのを感じた。
「――君は馬鹿か!! 大人しく病室にいれば、そんな怪我(けが)をしなくて済んだんだぞ!!」
怒鳴り散らすと、その細い手首を無理やり掴み、乱雑に消毒液をかけ、ぎりりと音がなるほどきつく、包帯を巻いてやった。
「それ」は、か細い声で僕に語りかける。
「……進藤……進藤も、あたしが心配だったのか……?」
「…………」
僕は答えず、眉を上げた。
「進藤、あたし、今日たくさん進藤のことを聞いた。皆すっげえ悪く言ってて、驚いたし、ムカついた。……でも進藤は、やっぱり、進藤なんだな」
「それ」は、確かめるように瞳を揺らし、濡れた瞳で、僕を見上げた。
「……君の思う“進藤”は、僕じゃない」
――ああ。なんで、そんなことを。
冷たい言葉とは裏腹に、僕がしたのは、「それ」を、ぎゅっと抱きしめることだった。
「……でも、……」
“……君が無事で、よかった――”
声はかすれ、僕のなかに、得体(えたい)のしれないモノが、あふれる。
ただ、このぬくもりを離したくない。
そう思ったときには、「それ」もまた、僕の背に手を伸ばし、しっかりと、僕を抱きしめかえしていた。
なぜだか胸がいっぱいになり、僕は、まぶたの奥が、熱くなるのを感じた。
いつまでも抱擁(ほうよう)をやめない、僕をあやすように、頭が、ふんわりと撫でられる。
「――七織、君は、僕の話を信じるか」
僕の唇は、もう止まらなかった。
「……うん」
「それ」はこくりと頷き、告げる。
「あたしは、進藤を信じたいと思ったあたしを、信じる。だから、進藤が、自分のことを、どんな嘘つきだって、酷いヤツだって思っていても、関係ない」
「あたしは、進藤の味方でいてやるよ。……仕方ないから」
「……仕方ないのか」
体から力が抜け、僕はため息をついて、その体を離した。
苦笑したのは、なぜだろう。
ただひたすらに、あたたかいモノが、胸をじんわりと満たしていた。
僕は、「それ」の瞳をのぞきこむ。
なぜだか、そこには、僕の望むモノがある気がして。
「――そうだよ。だから進藤も、進藤を信じろよ。そして、もう嘘はつくなよ。――進藤が傷つく」
「……君じゃなくて?」
「……あたしより、進藤が、だっつの」
口をとがらせ、主張する「それ」に、僕は目を細めた。
「――君は優しいな…… 」
「それ」の右手を包むと、ふいに、目をつむりたくなった。
あれほど遠かった睡魔が、僕を優しく誘(いざな)い、そのあたたかで、柔らかな羽で、ふんわり、と包み込もうとしてくるのを感じた。
僕は、「それ」に、語りかける。
もう、自分を偽ることは、できそうになかった。
僕は、とうとう告白した。
僕の罪、そして、言外(げんがい)に、君への愛情を。
短かったのか、長かったのかは、わからない。
僕はとつとつと話し、「それ」は黙って聞いた。
話終わるころには、喉が張り付くように渇き、どっと疲れていた。
「これでわかったろう。僕は、君の思うような人間じゃない。……幻滅(げんめつ)しただろう?」
「――ううん、納得した」
「なんだって……?」
「それ」の言っていることは、やはり、理解不能だった。顔をしかめた僕に、「それ」は言う。
「……納得した。進藤が何で、今の進藤になったか。――何で、あたしを騙(だま)そうとしたか。……何で、優しくしたり、突き放したりしたか」
「――なら……」
「……でも、あたしは進藤を憎んだりしない」
僕は、絶句(ぜっく)した。なぜ、と口にする前に、「それ」は続ける。
「……許すよ。進藤が優しい言葉と嘘で、あたしを騙(だま)したことも、薬でわざと記憶を失わせたことも」
「チカの記憶を取り戻しつつあったあたしを、より強い薬でコントロールしようとしたことも」
「それ」は静かで、優しい目をしていた。
「――雷門(らいもん)が言ってた。進藤が処方した新しい薬、一回目は更に記憶を奪うものだったけど、その次のは、そんな効果なんか全然ない、偽薬<プラシーボ>だって」
「……親父なんかいなくなっちまえって話で、進藤が怒った意味もわかった。あたしが謝ったあのとき、進藤があたしを拒絶(きょぜつ)するような、冷たい態度を取ったのは、まだ怒っていたからでも、あたしを許せなかったからでもない」
「……これまで優しい口ぶりで、あたしを騙して記憶を奪った、“自己嫌悪”からだったんだな」
「…………」
そう、だったのか?
……僕は、「この子」を、守りたかったのか?
口を閉ざしたまま、動きを止めた僕に、「それ」が、肩の力を抜いたのがわかった。
「……でも、それだけじゃないだろ。今の話を聞いてわかった。進藤は、あたしに、進藤を嫌って欲しかったんだろ」
「これ以上あたしが、進藤の嘘に、騙されないように。これ以上、進藤を、好きにならないように」
「――でも、もう遅いっつの。たとえ進藤が、あたしの頭を撫(な)でなくても、どんなにあたしを突き放しても。進藤は、こうやって、あたしに冷たくなりきれない」
「そういうヤツなんだよ、あんたは。偽善は言えても、悪にはなれない。――だから、あたしは進藤が好きなんだ。いいヤツにもなれないし、悪いヤツでもいられない」
「そんな仕方ない進藤だからこそ、あたしは好きになったんだ」
「それ」は、そこまで一息で言い切ると、立ちつくしたままの僕に、笑ってみせた。
「――だから、進藤も、もっと胸を張れよ。進藤は立派な人間じゃない。けど、進藤は、進藤だ。同じヤツはこの世のどこにもいない、一人しかいない進藤なんだ。そんな自分をもっと誇れよ」
「――だって進藤は、“あたしの大好きな進藤”なんだから」
次の瞬間、僕は、「それ」に抱きしめられていた。
「……だから、観念(かんねん)しろよ、バカ」
思わず、何をされたのか、わからなかった。
だが、このぬくもりだけは、まぎれもない、現実で。
僕は、確かめるように、「それ」の背に手をあてた。
再び訪れた静寂(せいじゃく)は、甘い甘い、砂糖菓子のようだった。
その静けさが、羽のように降り積もる頃、僕は、吐息をもらした。
「――ああ……。」
負けた。完全に、負けてしまった。
「これ」には、「この子」には、もう、敵(かな)いそうもない。
その呼吸に応(こた)えるかのように、ぎゅう、と強く抱きしめられる。
鼻をすすると、くすり、とちいさな笑い声が、聞こえた気がした。
背中が、優しい手つきで、撫(な)でられる。
まるで、涙をこらえる僕を、慈(いつく)しむように。
そう、この瞬間だ。この瞬間、僕らは親子になった。
いや、千夜は知らないだろう。目の前の偽善者が、実の父親だとは。
でも、それでいい、と思った。
言うつもりはない。君は、僕にはもったいない子だ。
宝子に似ていない、なんて嘘だった。
この子は、ほかならぬ、彼女の子だ。
かよわく、騙されやすく、大馬鹿者で……世界で一番ひたむきな、最強の天使。
ああ。千夜。僕は、はじめて、君を愛おしく思った。
はじめて? 違う。最初から、だ。
あの激しい憎悪すら、愛の裏返しだったと、気づいた。
そう、僕はずっとずっと……君を愛したかったのだと――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます