第9話 ‐盲目の哀願‐ ~アンノウウン・イモータル・ブラッド~【Ⅲ】
だが、幸福な時間は、長くは続かなかった。
ささやかな安息(あんそく)を食い破るように、乱入(らんにゅう)してきた、切崎(きりさき)くんによって、千夜は肩を負傷した。
そう、よりにもよって、この僕をかばって、その尊い血を流したのだ。
「僕の愛しい我が子」を傷つけた、切り裂き魔に、激しい怒りが湧(わ)かなかったといえば、嘘になる。
だが、この子を殺めようとした僕に、怒る権利など、あるはずもなかったし、その鬱憤(うっぷん)は、双子坂君が晴らしてくれた。
刺さったナイフを、無理やり引き抜こうとしたその子を、「千夜」と咄嗟(とっさ)に呼んでしまい、後悔したが、今は、それどころではなかった。
出血多量で昏倒(こんとう)した水図くんと、肩を刺された千夜の治療、ついでに、同じく全身を負傷した、切崎くんの手当(てあて)をした。
そして、眠りについた「千夜」の枕もとで、彼女の目覚めを待った。
「……千夜」
この唇から漏(も)れ出したのは、思いのほか、愛情に満ちたそれだった。
甘すぎる己の囁(ささや)きに、普段の僕なら、吐き気を催(もよお)すところだったろう。
それなのに、どうしてだろう。
今はただ、心は凪(な)ぎ、胸いっぱいに、幸福にも似た、充足感(じゅうそくかん)が広がっていた。
睫毛(まつげ)に縁(ふち)どられた、柔(やわ)いまぶたが、ぴくり、と震え、その瞳が、ぼうっ、とこちらを見返す。
「――千夜?」
からかうようなその微笑みが、あまりに憎たらしく、愛おしすぎて、僕は思わず、怒ったように渋面(じゅうめん)を作った。
「……七織(ななおり)」
言い直した僕に、彼女は微笑み、そして、僕の手を柔らかく、そっと握(にぎ)った。
「……千夜でいいよ」
その言葉の続きはわかっていた。
助けた水図くんへの礼。
そして、僕に味方になってほしい、という、子どもじみた、甘い懇願(こんがん)。
対する僕の答えも、もう、決まっていた。
僕の助けを借りず、水図くんと共に逃げろ、と冷たく言い放つ僕に、駄々(だだ)をこねるように、取りすがり、僕の安否(あんぴ)ばかり心配する千夜。
しかし、それは確信をついていた。
「――そうじゃない! ――そうじゃないだろ、進藤!! お前に何かあったら、それは……」
「――千夜。僕の身に何が起ころうが、それは君のせいじゃない。僕が、僕の意思で、選んだことだ。君には何の責任もなければ、関係もない」
「――でも……!」
「“七織”」
わざわざ、言い直したのは、この子を捨てた父親失格が気安く名を呼ぶなど、という暗い情に彩(いろど)られた、それでも親でしかない僕からの、最後の厚意(こうい)でもあり、ささやかな罪滅ぼしであり……。
そして、こんな最低の男を信じ、慕(した)ってくれた愛しい少女への、最大限の敬意(けいい)だった。
――“七織”。
七織くん、という、大人から子どもへの見下した言い方ではなく、ひとりの人間として、対等に扱われたがっていたこの子へ。
親愛であり、友愛であり、おおよそ恋愛以外のすべての情をこめたその呼び方を、僕はあえて、この最後の瞬間に、選びとった。
「――胸を張れ。君のしたことは、誰に責められることでもない。君は君の筋を通した。その信念は、その正義はおそらく、正しい。少なくとも、僕達、穢(けが)れきった大人より、ずっとね」
「しん……」
言葉をつまらせ、すがるように、つかまれた白衣の裾(すそ)を、僕は今度こそ、払った。
「……さよならだ。今度会うときは、僕は墓のなかだろう。――でも、もしもう一度会えたなら……」
言い終わる前に、催眠薬(さいみんやく)をしめらせたガーゼを、しっかりと、その口にあてた。
がくり、と倒れたその体を抱きしめ、僕は、その額(ひたい)にちいさく、口づけた。
――ああ。神よ、どうか、この子に、祝福を。
最低の親だった。君の信頼に値(あたい)しない男だった。
……それでももし、願うなら――、――僕は君のために死のう――。
振り返ることなど、微塵(みじん)も考えなかった。
僕は、もう、繰り返さない。
この子を、二度と、失わせない。
たとえ、憎まれても、恨まれても、かまわなかった。
僕は、この子を、永遠に守る。
僕は今日、死ぬだろう。
でも、もし、もう一度、逢(あ)えたなら。
それはきっと、この地獄のような世界の中で、この子を僕に与えたもうた、主のおぼしめしなのだろう。
その時は、僕は、君に言おう――。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「僕は君の父親だ、千夜。今まで黙っていて、すまない。許してくれとは、言わない。僕は、君を何度も裏切った。――その報(むく)いは、君自身が、僕に与えるんだ」
時は、現在へと、巻き戻る。
千夜を目の前にして、僕は今度こそ、隠してきたすべてをぶちまけた。
立ち尽くした千夜は、蒼白(そうはく)な顔をしていた。
「……報いって」
「ああ。僕を裁くのは、もはや、君以外にはありえない。どうか、好きなようにしてくれ。君が、僕に死ねと言うなら、喜んで死のう。僕にはもはや、君しかいない。君がくれたものなら、それがたとえ死であろうが、僕にとっては、この世で一番の宝物だ。――だから」
“だからどうか、僕に罰を。”
それを聞いた千夜は、きっと、激高すると思っていた。
あの時のように僕の頬を打ち、感情のままに泣くと。
だが、千夜は、膝(ひざ)を震わせ、拳を握りしめ、歯を食いしばり、涙をこらえ、ただ、俯(うつむ)いたまま、震えていた。
永遠にも似た沈黙のあと、千夜は言った。
「……悪い」
――しばらく、ひとりにさせてくれ。
そう言ったその顔は、死人のように青ざめていて、絞り出した声はか細く、その唇は、いまにも血が流れでそうなほど、きつく噛みしめられていた。
「――千夜、行こうぜ」
水図くんが……チカが、千夜の肩を抱き、去り際に僕をにらみつけた。
許さねえぞ、とその瞳は語っていた。
この話をもちかけてきたのは、チカだった。
この展開を望んだのもまた、チカ自身だ。
だが、僕が裁かれるべき人間なのも、また明白(めいはく)な事実だった。
チカは、正しい。
愛しい我が子を、僕を信じてくれた、あのまばゆい少女を、僕は何度も裏切り、ずたずたに引き裂き、踏みにじったのだ。
それなのに、僕は、当然の裁きをおそれ、その真実をひたかくしにし、甘い汁のみをすすって、のうのうと、その、幼(いとけな)い愛を、むさぼろうとしたのだ。
だから、これで、よかったんだ。
( ( ……本当に? ) )
くすくすという笑みと共に、甘く、蠱惑的(こわくてき)な囁(ささや)き声が、聞こえた気がした――。
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“Unknown Immortal Blood” ~アンノウウン・イモータル・ブラッド~
「不滅の血の未知数」
「永続する生命の未知数」
「永久の犠牲の未知数」
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