第7話 ‐盲目の哀願‐ ~アンノウウン・イモータル・ブラッド~【Ⅰ】

第7話 ‐盲目の哀願‐ ~アンノウウン・イモータル・ブラッド~【Ⅰ】


 施設専属の医師になってから、僕は受け持ちの患者である、双子坂くん経由けいゆで、彼女を知った。


 彼女は、僕の捨てた憎たらしい娘は、立派に育っていた。

 僕は、双子坂くんと手を組み、施設から逃走した、水図みとくんをおびき寄せるエサとして、「それ」を使った。


 水図くんの能力を渇望かつぼうする、施設の上役じょうやくに、こびを売るつもりは、さらさらなかった。

 だが、僕の捨てた「あれ」が、どんな「モノ」に成長しているのか、興味がわいた。


 施設の病院で、目を覚ました「それ」は、宝子にはまったく似ていなかった。

 がさつで、スレていて、年頃の女子とは思えない言動が、とにかく、しゃくにさわった。


 僕は、「これ」をだまし、いいように使ってやることを思いついた。


 幸い、「それ」は、とがっている割には、ぎょしやすく、すぐにだまされた。

 僕はただ、優しい言葉と柔和にゅうわな態度で、味方をよそおえばよかった。


 決定的だったのは、「それ」が、家族を、うとんでいたことだった。


 親なんか、いなくなればいい。

 その言葉に、僕は、らしくもなく激高げっこうした。


「それ」は、ショックを受けたように青ざめていたが、そんなことはどうでもよかった。


 二度目の運命が扉を叩いたのは、その数日後だった。


「それ」は、しおらしく謝ってきた。


 許すつもりは、もうとうなかったが、あれほど口汚く、ののしっていた親が、本当に死んだらいやだ、と声を震わすその姿に。


 どうしてだろう。なにか、よくわからないものがこみあげてきた。

……気づけば、その頭に触れようとさえ、していた。


――僕は一体、なにを。


 思わず、戸惑とまどった。まさか「この生き物」を、なぐさめようとでも、するつもりか。

 激しい怒りと羞恥しゅうちに、再び「それ」に乱暴な言葉を吐き、遠ざけた。


 僕が新しく調合した薬は、より強く記憶を奪うものだった。


 だが、あれだけ、ひどい態度を取り、顔も見に来なかった僕に対し、「それ」は、あれほど飲みたがらなかった薬を、毎日飲んでいた。


 その姿は、けなげだった、あの宝子を彷彿ほうふつとさせて、僕はもう、一秒も、我慢がならなかった。


 深夜、僕は「それ」の病室を訪れた。

 今度こそ、首をしめて、殺すつもりだった。


 だが、向かい合った、僕の口からもれたのは、まるで、懺悔ざんげのような言葉だった。

 いよいよ、愛する宝子のことを語ろうとしたとき、「もういいよ」と「それ」は言った。



「もういい。無理やり聞いたあたしが悪かった」と。


「それ」は続けて言った。


「いいんだ。診察だろ。隅々すみずみまでみろよ。……薬もちゃんと飲んでるから」


 その瞬間、僕のなかに生まれ出た感情は、とても形容けいようしがたいものだった。

 全身の力が抜けて、気が付けば、ほっとため息をついていた。


 次の瞬間、さらに信じられないことが起きる。


「それ」が、僕の白衣をつかんだのだ。


 驚き、逃れようとした僕の白衣に、顔をおしあて、「それ」は言う。


「安心しろ。あんたとの約束は、必ず守る」


「もう、裏切ったりしない」


 僕は、息をすることも忘れ、凍りついたように動きを止めていたが、やがて、ばかばかしくなって、息を吐いた。



「――君は、あまりに人を信じすぎる。……僕が嘘をついているって、疑ったことは?」


「――違う」


 僕の言葉を否定した、「それ」の言葉は、今でも忘れられない。


「あたしは、あんたを信じてるわけじゃない。あんたを信じたいって思った、あたしを信じてるんだ」


 意味不明な言葉に、思わず眉をつりあげた僕に、「それ」は言う。


「だから、あんたが嘘をついてるとか、騙してるとか、そんなごちゃごちゃしたことは考えない。ただ、あんたの瞳をみて……、――あたしの本音だけを伝える。それで充分だ。――それだけで、充分なんだ」


「……その結果、裏切られたとしても?」


 気が付くと、唇が勝手に、言葉をつむいでいた。

 だが、前言撤回ぜんげんてっかいする前に、「それ」もまた、口を開いていた。


「あたしが信じてるのは、あたしだって言ったろ。誰が何をしたって、裏切りなんかにはならねえよ。ただ、自分を裏切ることだけは、やめにしたいって思ったんだ」


 そのまっすぐな瞳が、燃えている。思わずうろたえ、目線を泳がせた。

 だが、「それ」は、もう、止まらない。


「あいつに……“チカ”に応えたいっておもったんだ。あたしは弱いから、カンタンに誰かを信じるなんてできない。でも、だからこそ、自分を信じてやりたいって思った。――誰よりも、強く強く」


「それ」は、僕の白衣を握りしめ、ぐっとあごを上げ、僕を見上げてきた。


「……そうすれば、いつか、あいつの前で、胸を張って言える気がするんだ。――あたしは、お前を信じるって。たとえ、世界中がお前の敵でも、“あたしは、お前の味方だ”って」


 その瞳のなかの炎めいた光に、僕の心臓は、焼け付いた。

――気が付くと、こう口走っていた。


「――言えるといいな」


「――え?」


「それ」が首をかしげる。


「いや……」


 バイタルをはかる間、「それ」は無言だった。

――いや、僕もだ。


 静かだった。とても、とても。


 バイタルが取れた。僕は、目を閉じる。

 そっと、「それ」の胸に触れた。


 とくとく。……とくとく。


 音が。音が、していた。

 生命の、音が。「これ」が生きている、音が。


 僕は、息を吐いた。

 瞬間、交錯する。


 「それ」の瞳は、静かだった。

 いや、そのなかに、炎が、燃えていた。


 静かなしずかな、ひかりだった。


 長い長い静寂せいじゃくを打ち破るように、僕は、「それ」に話しかける。



「検診(けんしん)は終わりだ。……七織、これをあげよう。――大事に持っているといい」


「……飴?」


「進藤、あたしは子どもじゃない」


 頬をふくらませ、にらんできた「それ」は、まるで子どものようだった。


「……“子ども”だよ。これまでも、これからも」


「……進藤?」


「じゃあ」



 僕は、浮き立って、飛んでいきそうになる心を押さえつけ、「それ」から遠ざかった。


 「それ」の部屋が遠ざかる。ナースステーションを、足早に、通り越し、医務室つながる、自室へと滑り込んだ。


 少し頭を冷やさないと、どうにかなってしまいそうだった。

 いや、その頃には、とっくに、どうにかなっていたのだろう。


 なぜ、という問いかけは、心臓の音にかき消された。

 人の循環器というものが、こんなにも高鳴ることを、はじめて知った。


 まるで、飲んだこともないドラッグを、キメている気分だった。

 もう一度、なぜ、と問いかける。


 答えは、もう、わかっていたのだろう。

 しかし、僕は再び蓋を閉めた。


 「それ」だけは、開けてはならない。

 開けたら最後、決定的に終わってしまうものは、きっとこの人生そのものだ。


 臓腑を焼き尽くすほどの憎しみは、今、大空に羽ばたいて消え去る寸前だった。

 もし、もう一度、があったら?


 大きく首を振り、好きでもない酒を、冷蔵庫から取り出した。

 冷たい苦みを一気に煽ると、くらくらとめまいが襲ってきた。


 ……そして、僕の意識は闇に落ちた。

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