第4話「たとえお前がオレを忘れても」~キャッチ・ミー・ロストバタフライ~



「――千夜」


 ささやき声に耳を澄ますと、ベッドのわきに、なんか果てしなく、まがまがしい目をした仮面が浮かんでいた。


「――ぅわ……もごっっ。」


「バカ。声出すんじゃねえっつの。この前、騒いだ件で、ただでさえ、厳重な警備がしんどかったっつーのに」


 この粗野そやなしゃべり方。変な仮面の女。――間違いない、こいつは……。


「“チカ”……」


「――ん?」


 チカは仮面を外しながら言った。

 月光のもとにさらされる顔は、相変わらず、すげー美人だった。無駄に。無駄すぎるほどに。


「~~っ、お前、なんで来たんだよ……」

 

 語尾が消えそうになって、思わず下がりかけた眉を、ぐっと上げた。


「……バカ。ヘンな顔してんじゃねーよ」

 

 言って、チカはあたしの顔に触れてきた。


「――ヘンな顔じゃねーよ!! ってか、さわんな!」


「照れてんのか?」真面目な顔でとぼけるやつに、「照れてねーよ!!」と小声で叫ぶと、そこではっとなって、言い返した。


「っつーか、うやむやにすんな。なんでお前、また来たんだよ。この前、あんなに……酷いこと言ったのに……」


「ばーか。」チカは笑って、あたしの頭をなでた。


「たとえお前がオレを忘れても、オレがお前のことを覚えてる。それで充分だろ」


「なんだよそれ……」

 

 脱力して、肩を落とした。


「恥ずかしいことも知ってるぜ。実は(ピー)が(ピー)で、――いや、(ピーー!)の方が……」


「……わー! わー!!」

 

 あたしは全力で、やつの口をふさいだ。


「そんなのあたしが初耳だ!! ――てめえ、ねつ造もいいかげんにしろよ!」

 

 小声で怒鳴どなると、チカは、嬉しそうに破顔はがんした。


「ホントだっつの。ホントに覚えてねーのな」

 

 仕方なさそうな笑顔に、むずがゆくなったので、すかさず言い返した。


「はあ? 全然しんじらんねー……。っていうか、なんでそんな秘密、お前が知ってるんだよ。大体、お前何者だよ。ださい仮面しやがって、すっげーうさんくせーし」



「我か? ――我は、3千メガ光年から生まれし、暗黒の炎をまとう……」


 チカは仮面のことは華麗にスルーしつつ、眉間みけんのあたりをおさえ、何かよくわからない、謎のポーズをキメた。


「もういい。っつーか、3千メガ光年ってなんだ。そんな単位ねーし」


「クックック……未来は常にここから生まれ……、過去もまた、最強の闇のともがらたる我の前では、容易よういくつがえるものである……」


「造語です、って素直に言えよ」


 あたしの冷静なツッコミに、それより、とチカは、さりげなく話をそらした。


「体調はどうだ、千夜。痛いところはないか?」


 その口調は、挨拶あいさつでもするかのような、軽いものだったが、あたしはもう騙されなかった。

 ぐっと拳を握って、口を開く。


「……記憶がごっそりない。お前のこともあたしのことも、全部リセットされたみたいに。思い出そうとすると、すげー頭痛でおかしくなる。――特に……」


「オレのことを思い出そうとすると、だろ?」


 あたしが目を丸くすると、チカは、ちいさく肩をすくめてみせた。


「――どうやら、完全に巻き込んじまったみたいだ。オレの時間稼ぎが通用するのも、あと、一回が限度だ。次の新月の晩に、オレはまた来る。その時は、おとなしくさらわれてくれないか、千夜」


「さらう、って……」


「悪い。今はまだ言えない。でもここにいたら、お前は、あいつらの実験動物<モルモット>にされる。その前に逃げないと、もう何もかもが手遅れになる」


 “オレ達みたいに”、とチカは少し影のある口調で言った。


「モルモットって」


 進藤はそんなことしない、と言おうとした瞬間、カツカツ、と廊下ろうかから足早に足音が聞こえて来た。


「……やべっ……」

 

 チカはきびすを返すと、窓枠に飛び乗った。


「今日はここまでだ。千夜、考えていてくれ。話は、その時じっくりする」

 

 チカは仮面をかぶりなおすと、足音もなく飛び降りた。


「待っ……」


 あたしが窓に駆け寄った頃には、チカの姿は消えていた。


 進藤が来たのは、そのわずかに後だった。


 何かあったのか、と堅い顔で尋ねる進藤に、あたしは「……別に」と首をふった。


 あいつのことは、よくわからない。でも、あたしは知っている。

 記憶を失う前のあたしは、あいつのことを、きっと、誰よりも知っていた。


 こんなくだらない軽口が心地よいのも、触れた指があたたかくて、泣きそうになるのも、あの笑顔をもっとみたいと願うのも。


 ――あいつがいなくなって、胸のあたりが、ぎゅっとうずくのも。


 ぜんぶぜんぶが、そらみろ、と証明してくる。

 忘れてんじゃねーよ、と、どんどんと心臓を叩き、うったえてくる。


 あたしは、あいつと、一緒にいたい。


 たとえ、あたしが、また、あいつを傷つけてしまうかもしれなくても。

 ……あいつが、いつか、いなくなってしまうとしても。


 ……――それでも。


 あたしは、あいつの隣にいたい。


 そんな、我がままで自己中な願いは、夜の闇にとけていった。

 

 まだ蒸し暑い夏の残り香が、あたしの胸をくすぐって、不安と焦燥しょうそうと、よくわからない感情をかきたてる。


 この夏が、“また”なくなってしまいそうで。

 どこか、手の届かない場所に、飛んで行ってしまいそうで。


 一瞬、夜空に走る一筋の光をみた気がした。

 目をこらすと、もう、なにもみえなかったけれど。


 あたしは思った。


 夜の海岸に行きたい。

 少しぬるい風になぶられながら、空をみあげて。

 くだらないおしゃべりを、あいつとしたい。

 

 きっとその時、何かが変わる気がして。


 “あの日の続き”を、聞ける気がして。


(……?)


 一瞬の違和感に、ふと小首をかしげたが、もう、あの割れるような痛みはなかったし、今、自分が何を思ったのかすら、思い出せなかった。


 夜は、静かにふけてゆく。

……朝は、まだ遠い。


 あたしは、静かにまぶたをおろし、ふとんをたぐりよせた。



(千夜。約束する。オレは、お前を……)



 まどろむあたしの耳に、ふと、懐かしい声が聞こえた気がした。



 あたしは、まだ、何も知らない。


 チカの秘密も、進藤の嘘も、未来のあたしがする、“裏切り”も――なにもかも。

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