第3話「破壊者」~スーサイド・ブレイキング・メモリー~
「
「……なにも。」
あたしは頬杖をついた。自分の名前はわかった。
でも、あたしに関する個人情報を並べられても、今一つピンとこない。
「なんかしらねえけど、すげーぼんやりしてて、わからないんだ」
ふてくされたように眉根を寄せ、ため息をついた。
「……そう」
進藤は、そんなあたしを肯定するように、こくりと頷いた。
しかし、その後に続いたのは、あたしの予想と違っていた。
「……だとしたら、なおさら、薬はきちんと飲むべきだ。――七織くん、君は時々薬を残しているね?」
「……なんでそれを」
顎から手を外した。
腰をうかし、目を丸くするあたしに降ってきたのは、さらに厳しい言葉の連続だった。
「薬を窓から投げ捨てているのを、看護婦たちが目撃しているんだ。悪いことは言わない。君の体のために、僕の言うことはきちんと守るんだ」
「……別に、そんな説教くさいこと言わなくても、言われたことは守るっつの」
「なら――」
「――ただ、それはあたしが納得した時だけだ。言うこと聞かせたいなら、ちゃんと説明しろよ。あんたの話してることはもっともらしいけど、結局どうなんだよ。あたしはなんで、記憶を失う事故にあったんだ。交通事故だとか言ったけど、なんで警察関係者が来ないんだ」
「七織君」
進藤が、困惑したように、表情を硬くした。
「その“ナナオリクン”って言うのをやめろよ。空々しくってむかつく。あたしをガキだと思ってなめんのもいいかげんにしろよ。今度いい加減なこと言ったら、その舌引っこ抜くぞ」
しゃくにさわる。
味方ぶって、甘い飴で釣っておいて、こいつは、結局大人なんだ。
本性はずるくて汚いクセに、自分は立派な人間なんです、優しくて礼儀正しいし、本当に本当に、品行方正なんです、なんて顔をして。
都合の悪いことはぜんぶはぐらかして、あたし達ガキを、コケにする。
そんな大人達が、あたしは昔から、大嫌いだったんだ。
昔から……? そこであたしは、はたと顔を触った。
あたしの記憶、戻ってる……?
あたしは、そうっと、過去を振り返ってみた。
無精ヒゲの男。しわくちゃババア。胸のでかい女。
頭がきんとして、吐きそうなのをこらえた。
肩で息をして、思い出す、思い出す、思い出す。
――『…クックックッ…』
――『……じゃなきゃやだ』――
――――
――――
―― ――『…――世界と!!』―― ――
――――
――――――
――『―暗黒……参上。』――
――『当たり前だろ!!』――――
――――――
――――
――
――『とにかく、……になって、一緒に……』――
――――――
―――――
――――
――――
(( ……がどれだけ人に……ても、オレが……をすきでいるから! ))
―――――――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――――――――
―― ―― 『 ““―帰るぞ、暴走娘”” 』 ―― ――
―――――――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――――――――
「――ぅあああぁあぁあ゛あ゛!!!」
あたしは、叫んだ。
喉が引き絞られる――。――体がずたずたに引き裂かれる――!
いや、これは、あたしじゃない。
――――頭のなかから、どす黒い怪物が這い出してくる!!――――
<< ――違う!! これは―― >>
<< ――こんなのは、あたしじゃない!!!! >>
「――七織くん!!?」
進藤の焦ったような声が、駆けてくる。
でも、それすらあたしには、聞こえていなかった。
あたしは……あたしは、一体、誰なんだ……!!?
………………………………………………
………………………………………………
………………………………………………
「七織」
鎮痛剤を打たれ、背を向けて横たわるあたしに、進藤は言った。
「――薬を変える。……いいね、七織」
うん、ともすん、ともつかない返事を、鼻水でぐしゃぐしゃにした、ふとんごしに言うと、進藤は、ほっとしたように溜息をついた。
「記憶を取り戻すのは、ゆっくりでいい。……しばらく後でも、ずいぶん先でも。今は君の容体が心配だ、七織」
悪かった、と進藤が頭を下げたような気配がした。衣擦れのわずかな音。
――違う。進藤は、間違ってない。
あたしは、自分が思っていたより、不安定だった。
そんなあたしを気遣って、進藤は、なにも打ち明けてくれなかったんだ。
事件とか、事故とか、不安をかきたてる、きなくさい話は、今のあたしには、早すぎる。
それを、あたしはわかっていなかった。
そして、同時に、わかったことがあった。
思い出したくない。“あいつ”のことは、なにも。
なぜなら、それは、あたしにとって……。とても大事で……それと同じくらい――……。
あたしは、ぎゅっとこぶしを握って、ふとんから少し、顔を出した。
「進藤、あたし、もう少しがんばる」
進藤は、驚いたように、目を少し見開いた。
「七織、無理は……」
「ううん。……あたし、がんばりたくないけど、がんばらなくちゃって、思うんだ」
「七織」
進藤がこわばったように表情をかたくする。
「大丈夫。別にあんたに言われたからじゃない。あたしは、あたしの意思で、記憶を取り戻す」
あいつの後ろ姿を、こうして思い浮かべるだけで、身体がちぎれてバラバラになるみたいな頭痛が走る。
……それでも。
『どこの誰だか知らないけど、消えろ。……もう二度とあたしの前に現れるな!!』
――あんなことは、もう言いたくないから。
決心するあたしの瞳には、もう進藤はうつっていなかった。
だからあたしは、その時、進藤が浮かべた表情に気づかなかった。
〈あたしの主治医・進藤〉の、その真意に。
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