第5話「静かなる暴力」~コール・サイレンス・ヴァイオレンス~
「
進藤にそう尋ねられたのは、チカが二度目に現れた、その翌日だった。
それは、常識的に考えれば、むしろ、遅すぎるぐらいの問いかけだったが、あたしにとっては、すでに、どうでもいい質問だった。
「……別にあんなん、いらないし」
「……いらない?」
進藤はかすかに眉をひそめた。
「……飲んだくれで、娘のあたしには目もくれない。たまに話しかけたと思ったら、世間への不満だの、愚痴だの。“お前も俺を捨てるのか”とか、酔っぱらって、意味不明なこと言ってきたこともあったな。とにかくうぜえし、いっそもう、噂の通り魔かなんかに刺されて、消えてくれたほうがいいっつの」
「――七織」
進藤は言った。
「……人を殺すということは、未来を奪うということだ。その人に訪れたかもしれない、当たり前の幸福を汚い足で踏みつけ、唾をかけて葬ることだ。――そんなことが許されるなら、もう神なんていらないんだよ」
そして、それを願う君も同罪だ、と進藤は言った。
これまで温厚で、優しげだった進藤の、ストレートな拒絶に驚いた。
進藤の口調は、とても静かだった。
でも、その瞳は怒りの炎を灯していたし、
「しんど……」
「診察は終わりだ。“七織君”、しばらく頭を冷やすといい。しばらく僕は来ないから、そのつもりで」
そう言って、進藤はあたしの病室から去った。
明日になっても、進藤は来なかった。
いつもの時間に、あたしの病室を訪れたのは、見知らぬ若い看護婦だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「進藤。進藤には、家族はいるのか……?」
あたしが、進藤のいる診察室の、ドアをノックしたのは、その2日後だった。
「……何か?」
「――この前はごめん。あたし、あんな風に酷いこと言ったけど、親父が死んでいいなんて、思ってない。たしかにうぜーし、いらないけど……」
“死ぬのは、なんか嫌だ”
あたしは、そうつぶやいた。
でも、顔をあげたころには、進藤の腕はもう、おろされていた。
進藤はもう、こちらをみていなかった。
カルテをみながら、彼は言う。
「薬を変えよう。七織」
「……進藤? この前変えたばっかじゃ……」
「七織。僕の指示は絶対だと言ったろう。新しい薬を調合するから、それを飲むんだ」
「なんだよ、それ……! じゃあ今までの薬は……」
「すべて捨てるんだ。これまでの流れを廃止して、新しい治療方法にする」
「はあ……!?」
「僕の言うことは以上だ」
「ちょっと待てよ、進藤……!」
「――いいか。君にできることは、一刻も早く、元の記憶を取り戻すことだ。わかったら、もう口を閉じていてくれ」
そう言った進藤の表情は、これまでみたどの顔よりも、硬くこわばっていた。
まるで、何か、触れてはいけないところに、触れてしまったような。
でも、なんで? 今度は、うまく言えたはずなのに。
ちゃんと、思ったことを伝えた。真剣に謝りもした。
進藤の気持ちだって、あたしなりに、ちゃんと考えた。
それでも、この一歩が遠くて。
あたしはただ、進藤の診察室を後にするほか、なかった。
悔しくて悔しくて、まなじりを強くこすった。今のあたしにできることは、もうなにもなかった。
あれから、進藤は再び、あたしの病室から遠のいた。
治療方針を変えるとかいいながら、まるで放置なことに、あたしは腹が立っていた。
新しい薬とやらも、飲んだふりをして捨ててやろうかとまで思ったけど、それはやめた。
――無遠慮なことを言って、傷つけた進藤を、もう裏切りたくはなかったから。
それでも、日に日に、不安はつのった。
あの時、あれほど身近に感じられた進藤が、今では遠い存在のようで。
(……ぜんぜんわかんねえよ……!)
進藤が、一体何を考えているのか、今のあたしにはさっぱりわからなかった。
それでも、不思議と、進藤のことは、嫌いになれなかった。
むしろ、前よりずっと、進藤のことが知りたくて、しょうがなかった。
それがなぜなのか、あたしにもわからなかったけれど、どうしてか、それに違和感はなかった。
チカが言うような、モルモットとか、実験台なんて、バカげた冗談を信じる気にはなれなかったし、記憶をまるごと奪われたあたしにとって、進藤はすでに、隠しようがないほど、大きい存在になっていたから。
一週間ぐらいたった後だった。
消灯時間を過ぎた頃、進藤は、あたしの病室に、なんの前触れもなくやってきた。
「――問診の時間だ」
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