第2話 彼女の選択
彼女の包帯に気付いたのはいつだろうか。学校に登校してから、いつものように椅子に座り特に変わりのない風景をぼんやりと見つめていた。当初は隣だったものの、今は大して仲良くない、いや、仲良いものなどいないため、どうでもいい存在の人が隣の席に座っていた。その一つ隣にあるまだ空白の席を無意識で目に追っていた。じょじょに登校してくる学生らはグループを作り談笑を始める。それを見て、僕は少し羨んだ。もう少し僕が捻くれてなくそれ相応の人生を歩むことを選択していれば、僕もあのグループの一員としてつまらない話に花を咲かせることができたのだろうか。最近、こういったことを考えることが多くなったような気がした。
ぼんやりと教室を眺めてから数分が経った今、佐山が登校してきた。改めて観察すると、整った顔立ちをしていることが分かる。多分、あんな捻くれた性格をしていなければ、それなりの幸せな人生を歩むことができたのだろう。小柄な彼女に対して大きめなかばんを机に置くとこちらの視線に気づいたように振り向く。まじまじと見られることに慣れている僕らは視線に気づくのにも容易い。あわてて視線を外す僕に佐山は少し不思議そうな顔をした。
退屈な日常を淡々とこなしているうちに、佐山の変化に気付いたのは少し経ってからだった。あれから、気付いたら佐山を目で追っていたのは言うまでもない。僕の夢に出てきたのも数回ほど、毎回僕は佐山に傷をつけていた。思い通りにならないのが気に食わなったらしい。だが、夢で傷つけた部分が現実の佐山に反映していたのだ。左手首に着けていた包帯はリストカットの痕だと決めつけていた。何かと決めつけて物事を考えてしまうのは、僕の悪い癖だと思う。あの時夢で強打した佐山の左手の傷が現実にも反映して、それを隠してる包帯だと気づくのに、時間はかからなかった。それに気付いてからというものの、罪悪感に押しつぶされそうな毎日を過ごしながら、佐山のことを目で追った。僕の夢に出てくる頻度は増すばかりでそのたびに佐山を傷つけることになったんだ。つい、2週間前までの自分とはうってかわって僕もどうやら夢が怖くなってしまったらしい。体育祭が終わり、中間テストのピリピリとした雰囲気が漂う教室で、完全にのけ者にされている二人のうち一人は傷が増える毎日、かたやもう一人は、死にそうな顔をして毎日を過ごしているんだ。足の引っ張りをしている、接点がない二人だなんておもしろい話がどこにあるだろうか。いや、そんなものは多分ないと思う。正確に言うならあってほしくないのだ、この妙な関係が僕たちらしくて好きな自分もいる。傷つけていることに関しては負い目を感じるものの、対処法など分からないし、実際佐山も気付いているだろけど、何も言ってこないということは本人にも対処法が分からないのだ。
そんな状況にも終わりは訪れる。いつも通り気だるい朝を乗り越え、地獄の門にも見える校門をくぐると靴箱に到着する。手紙が入っていた。なんとも古風的な方法のものを彼女は選択したな、などと多少余裕な笑みを浮かべると差出人を確認する前に内容を確認する。僕に手紙を出してくる人など彼女以外ありえないのだから。内容に関しては、放課後話があるので屋上に来てくれというものだった。なんだかすごくうれしく思えた。きっと、彼女は僕を冷たくあしらうんだろう、下手をすれば殺される可能性だってある。でも、彼女が少しでも僕に興味を持ってくれたのが何故かとてつもなくうれしかったんだ。僕はこの時点で恋に落ちていたんだと思う。当人も気付いていなかったけど、彼女と話したあの日から環境が変わったのは確かなのだ。しかし、話す内容に関しては、皆目検討がつかない。今はただただ時間が過ぎるのを待った。その時間は、一生にも感じられるほど長いかと思いきや、時折、水滴が落ちる一瞬のように短く感じられた。企業の面接練習のような問答を頭の中で繰り返しているうちに、つまらない学校が終わった。
屋上へと向かうドアは、長い廊下を渡りきった奥の階段を上った所にある。普段、真っ先に帰宅する僕が何故こんなことを知っているかというと一度だけ訪れたことがある。あれは、入学初日のことだった。
中学時代と、ほとんど変わらない顔ぶれに、ほとんど変わらない通学路、退屈な日常と現実ということに期待などしていなかった。したくなかったのかもしれない、現実に楽しいことなどないというお得意の決め付けはこの時点で僕の欠点といえるほどまでには成長をしていた。桜が舞うグラウンドでは、にぎやかで新しい環境に浮かれている学生や新入生を歓迎する先輩であふれかえっていた。帰る気分にはなれなかった僕は、一人になれる場所を探してさまよっていた。今考えると、僕も相当浮かれていたのかもしれない。「もしかしたら」を探していたのだともいえるだろう、僕に現実を与えてくれるそんな存在を。結局見つかることなくたどり着いたのがこの屋上だった。偶然にもそこには誰もいなかった。全てがちっぽけにも見えるほどのこの風景は、何故か僕の脳に強く残っている。「今ここで自殺を図れば僕は有名人になれるだろうな。」なんてくだらないことを考えて、ボーっとその景色を眺めていた。つまらない生活が終わることはない、終わらせることは簡単だけど、永遠の夢を見れるのなら僕はとっくに終わらせている可能性だってあった。でもそういうわけにもいかない、そこにある恐怖などを適当な理由でごまかして僕には死ぬ勇気がないのを否定していた。永遠の夢ではなく二度目のつまらない人生が始まるくらいならって逃げていたんだ。それからというもの、屋上に訪れることはなかった。決してそういうことはないんだろうけど、ここにきてしまうと、何かが終わってしまうような気がして。
昔のことを思い出しながら、少し夕日で暗くなった廊下を歩いていた。廊下で話している他の生徒が、不思議そうに僕を見ているのが分かる。顔も覚えていないような生徒が屋上しかない方へ歩いていたら誰だって気になるだろう。僕が逆の立場だったとしたら、ついていって笑い者にするかもしれない。幸か不幸か屋上には僕一人しかいなかった。少し錆びついたフェンスが照らされて、地面には網目模様が映し出されていた。僕のすべて、あるいは人のすべてを見透かしてしまいそうな空は僕の気持ちを一層不安がらせた。それから佐山が訪れる間、以前のようにボーっと景色を眺めていた。部活動中の生徒がグラウンド駆け巡る姿は、いかにも青春っぽい何かを作り出していて、滑稽に思えた。いや、羨ましく思えた。フェンスのさびていない部分を探し、背中を当てるように腰かけると、僕は目をつむって耳をすませた。グラウンドから聞こえる掛け声や、ひぐらしの心地の悪い声が頭の中でぐるぐるとオーケストラを奏でる。佐山が来るほんの5分ほどの時間だが、少しだけ夢を見ていたような気がする。僕と佐山が入れ替わってしまう夢。あるいはそれは空想で、そうなってほしいとどこかで願っていたのかもしれない。夢であってしまった場合、実際に現実になってしまうのだから。
「馬鹿らしいね。」
僕を現実に引き戻したその声は言わずともがな、佐山の声だった。その後、淡々と話す彼女の要件は次の通りだった。
「君が見ていた夢も私も見ているの、さらに言ってしまえば君が夢で行ったことは、現実の私にも反映されてしまう。これが誰の仕業で、神様でも考え付かないようなおかしな現象が君と私を繋いでいるの。馬鹿らしいね。それで私からのお願いは一つだけ。」
そこで、彼女は涙ぐんだ眼をそっぽ向けて言った。
「桐嶋くんの好きにしてください。」
僕の中で何かが壊れる音がした。本当は求めていた現実の何か、その何かがやっと彼女の一言で埋まったような気がした。僕はこんな非現実な現実をどこかでのぞんでいたんだ。きっとそうに違いない。佐山の言葉を理解するのに時間はかからなかった。彼女は、過去にもおなじようなことを経験したことがあるようで、その時の失敗を繰り返したくないのだろう。彼女が多く望みすぎた故に失敗した過ちを今度は僕が好きにすることで成功に導こうという魂胆であろう。
「じゃぁ、また夢の中で。」
佐山はそういうと先に屋上を後にした。夢のような夢の話だった。頭の中の整理が追いついかなかった。溢れ出てくるワクワクした高揚感や、つまらなかった退屈な日常が、目に映るもの全てが僕を形成しているような、そんな感覚に陥ってしまった。もう一度だけ見た屋上からの風景は、火事でも起きたかのように燃える夕日が良く知ったこの街を消してしまうように見えた。
正夢を見る少年 @foococco
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