4話目 雪と共に去りぬ

 亡き姉は美しい人だったと、Hさんは遠い目で語る。

 雪のように白い肌と、無垢な心の持ち主だった。それは生の泥臭さと無縁故の、はかない美であったのだが。

 そう、Hさんの姉は、長くは生きられない身体だった。

 それでも、小・中学校は何とか卒業できた。度々入院しながらも、優秀な成績を収めた。その甲斐かいあって、全国でも有名な高校に進学した。

 しかし、通えたのは二学期の途中までだった。

 授業中に倒れ、病院に運ばれた姉は、最早ベッドから起き上がることもできなくなっていた。

 余命三ヶ月。医者は沈痛な表情で告げた。

 覚悟はしていたとは言え、家族の悲しみは大きかった。対照的に落ち着いている姉の姿がまた、涙を誘った。

 落ち着いている――そう、当時のHさんはそう思っていた。幼い頃から、死と隣り合わせで生きてきた人だから、こんなに落ち着いていられるのだと思っていた。

 今なら、分かる。姉は落ち着いていたのではない。多分、胸を高鳴らせていたのだ。

 ――悲しまないで。

 その日、姉はHさんに語った。

 入院から一週間後。窓の外には雪がちらついている。両親は席を外しており、病室にいるのはHさんと姉の二人だけだった。

 ――私は、今晩ここから居なくなる。でも、どうか悲しまないで。

 何を言うのと慌てるHさんを穏やかに制して、姉はサイドテーブルから一冊の本を取り出した。

 ひどく古めかしい本だった。革張りの表紙、黄変したページ、まるでゲームに出てくる魔法の本のようだった。

 ――二人だけの秘密よ。

 高校の図書館で見つけたのだという。本棚と本棚の隙間に落ちていたのだが、見るとラベルは貼られていない。貸出用ではなかったのかもしれない。いけないとは思いつつも、好奇心に負けてつい持ち帰ってしまった。

 中には、魔法使いになる方法が書かれていたという。

 ――私は、風の神様と契約したの。従者になって、一緒に世界中を旅するの。小さい頃からの夢が、ようやく叶う。

 そう、病弱でベッドから離れられない姉は、反動で人一倍旅と異国に憧れていた。

 ――だからね、私が居なくなっても、どうか悲しまないで。

 微笑む姉に何と答えたのか、Hさんは覚えていない。多分、何も言えなかったのだろう。

 その夜、予告通り姉は病院から消えた。目撃者もなく、まるで煙のように忽然こつぜんと。そもそも、彼女はベッドから起き上がることすらできないはずなのに。

 唯一、痕跡と呼べるのは、真冬だと言うのに窓が開けっ放しだったことだ。だが、勿論、そこから飛び降りた形跡はなかった。雪が吹き込む窓の外で、赤い星がまたたいていたのをHさんは覚えているという。

 誘拐の可能性も考えられることから、警察の捜査も行われたが、姉の行方は洋として知れなかった。

 せめて、残り少ない時間だけでも娘と一緒にと願っていたのに、それすら叶わなかった。二重にショックを受けた両親の憔悴しょうすいぶりは見るだに痛ましく、Hさんは何度姉の言葉を伝えようと思ったか分からない。

 でも、できなかった。信じてもらえる訳がない。姉は風の神に連れられて、大空に旅立ったのだ等と。Hさん自身が、半信半疑なのだ。

 ――だが、今では確信している。姉は確かに、夢を叶えたのだと。

 そう、この話には続きがある。

 あれから一年後、その日もやはり雪が降っていたという。

 どさりという音で、Hさんは目を覚ました。

 屋根の雪が落ちた音にしては、重量感がありすぎた。気になって窓の外を見ると、雪に覆われた庭に見慣れない物がある。

 姉だった。

 両手を組み合わせ、眠っているかのような安らかな表情で――死んでいた。

 どこの異国の物とも知れない衣装を身にまとっていた。その他、骨とも金属とも付かない素材でできた装身具、不思議な文様が描かれた羊皮紙の巻物等、姉は不可解な品を多数所持していた。

 Hさんは、それらが姉の“お土産”なのだと考えている。姉は風の神と共に、一年に渡って世界各地を巡り――最後は、懐かしい我が家に帰ってきたのだと。

 そこで、思い出したことがあるとHさんは続ける。

 一年前の、あの日――雪が吹き込む窓の外で、赤い星が瞬いていたのを。

 おかしい。雪が降っているのに、星が見えるはずがないではないか。

 星などではない。

 あれこそは、姉を迎えに来た風の神の、爛々と輝く双眸そうぼうだったに違いない。


 *


「あらあら、あの神様も、なかなか粋なはからいをするじゃない。何にせよ、お姉さんの死に顔が安らかだったのは、せめてもの幸いかもね――あなた達には、理解できない安らぎだったとしても。ウフフ――」

 残り、96本。


【参考文献】


 暗黒神話体系シリーズ クトゥルー4(青心社文庫、大瀧啓裕/編)より『風に乗りて歩むもの』(オーガスト・ダーレス/著)

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