2話目 満月のゴミ捨て場

 その頃、Yさんは自殺を考えていたという。

 恋人に振られ、仕事は上手くいかず、つくづく生きているのが嫌になった。どうしたら楽に死ねるかと、毎日そればかり考えていたという。その日、深夜のドライブに出かけたのも、死に場所を探してのことだった。

 時刻は、草木も眠るうし三つ時。いつの間にか、車は人里を離れ、山奥の道を走っていた。対向車の一台もなく、追ってくるのは、バックミラーに映る清冽せいれつな満月だけだった。

 やがて、ヘッドライトの先に、赤い鉄橋が浮かび上がった。あそこから飛び降りれば死ねるだろうかと考え、Yさんは車を降りた。

 鉄橋の下は、川原になっていた。よく見ると、何やら太い円筒形の物体が大量に転がっている。

 土管? と、その時は思ったという。

 さては、不法投棄か。見たところ、まだ真新しそうだが――きっと、建設会社が倒産でもして、処分に困って捨てたのだろう。Yさんは、その光景に妙に感情移入していた。自分は、あの土管と同じだ。望んで生まれてきた訳でもないのに、用済みと打ち捨てられ、誰にもかえりみられず朽ち果てていく――重い溜息をいた、その時。

 Yさんは、ふと耳を澄ませた。

 川の水音に混じって、がやがやと人の話し声が聞こえてきたのだ。見ると、上流の方から、懐中電灯らしき明かりが近づいて来る。それも複数。こんな山奥、しかもこんな時間に、何をしているのだろう。

 やがて、声の主達は、鉄橋の真下までやって来た。年齢も性別も服装もばらばらで、何の集団なのかは判然としない。彼らは頭上のYさんに気付いた様子もなく、川原をうろうろと歩き回っていたが。

 彼らの一人が手にした懐中電灯が、川原に散らばる土管を照らした瞬間、にわかにその動きが活発になった。我先にと土管に駆け寄り、中には懐中電灯を放り出す者までいる。

 ああ、不法投棄を取り締まるボランティアか。立派だとは思うが、これでは飛び降りられないじゃないか。やれやれ、今日のところは延期か。Yさんが浮かべた苦笑は、次の瞬間凍りついた。

 眼下の彼らが、予想外の行動を始めたのだ。

 我先にと、土管に駆け寄り――回収作業を始めるものとばかり思っていたら。

 ぐねぐねと、まるで芋虫のように身をくねらせ、土管に潜り込んでいくのだ。

 全員が、必死の様子だった。まるで、救助ボートに乗り遅れまいとする、タイタニック号の乗客のごとく。

 Yさんが呆気あっけに取られている内に、彼らは一人残らず土管に収まった。よく見ると、土管はどれも側面に穴が空いており、そこから中身の顔がのぞいている。

 川原に散らばる、人面をはめ込んだ土管。

 身動き一つせずに、じっと虚空を見上げている。何かを待つかのように。

 Yさんは総毛立った。こいつら、まともじゃない。慌てて車に乗り込み、逃げ出した。さっきまで死のうとしていた癖に――いいや、死への恐怖と、異質なものへの恐怖は、全くの別物だ。

 事故を起こさずに済んだのが不思議なぐらいの速度で車を飛ばし、鉄橋が見えなくなった所で、ようやくYさんは人心地付いた。何だったのだろう、あの連中は。何かのカルト集団か。

 その時、Yさんはふと違和感を覚えた。

 何だろう、目の前の景色には、何も異常はない。走っているのは、自分の車だけ。さっきの連中が、立ちはだかっていたりもしない。

 と、いうことは――。

 操られているかのように、おのれの視線がバックミラーに引き付けられるのを、Yさんはどうすることもできなかった。

 闇夜に煌々こうこうと輝く満月が――

 ――ぱっくりと、四つに割れていた。

 いや、そうじゃない――Yさんは表現に迷う。あれは多分、空に十字の影――いや、亀裂みたいなものが走って、その背後にある月が、割れているように見えていたんだ。

 何かが、そこに吸い込まれていく。くじらに捕食されるオキアミのように、重力を無視して空に落ちていくのは――あの土管達だ。彼らの表情が、なぜかYさんにははっきり見えたという。

 それは、一切の迷いから開放された恍惚こうこつの表情だった。

 しばらくの間、Yさんは報道番組をチェックしていたが、どの局も、月が四つに割れる天体ショーも、空飛ぶ土管も、集団失踪事件すら報じなかった。

 現在、Yさんは死に場所探しを止め、新たな人生を歩んでいる。

 理由を聞くと、晴れやかな表情でこう言ったという。

 自分はゴミなんだから、不法投棄は良くない。

 だから、あの空飛ぶ土管を見つけるまでは死ねないのだと。

 あの連中の気持ちが、今の自分にはよく分かる。彼らは、綺麗好きの月に感謝していたのだ。ゴミのような私達を回収して下さって、ありがとうございます。世界の美化に貢献させて下さって、光栄でございます――。


 *


「その後、焼却炉にポイされるとしても、後悔はないんでしょうね――ゴミになるってことは、立派に役目を終えたってことですもの。世の中には、役目すら振ってもらえない人だって多いものねえ? ウフフ――」

 フッ――アリスがロウソクの灯を吹き消す。

 残り、98本。


【参考文献】


 リトル・リトル・クトゥルー 史上最小の神話小説集(学習研究社、東 雅夫/編)より『ラゴゼ・ヒイヨ』(黒 史郎/著)

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