三 誘導

 円形の広場からは放射線状に5本の道が伸びている。そのうち2本は斜面に建つ住宅街を通る階段で、そこからまた細い道を蜘蛛の巣のごとく張り巡らしていた。残りはすべて平坦な道で、そのうち一番ひと気のない道をセーガに促されて歩いていた。人ひとりが通れるほどしかなかった細道はだんだんと幅を広げ、2人並んで歩いても車が余裕で横を通れそうなほどになっていた。もっとも、知恵は自動車も自転車もその影さえもまだ一度も見てはいなかったが。その頃には道の両側に建っていた白い家々も数を減らし、やがて一番端の家まで来ると、道の舗装もそこで途切れていた。むき出しの地面に一歩踏み出すと、牧草地を思わせるような草原が視界いっぱいに広がった。


 「さっきの話だが」


 会話もなく歩いていたセーガが立ち止まる。遠目にしか人を確認できなかったが、セーガは独り言に近い低い声で言った。


 「この世界に対して悪いことを言わない方がいい。俺には構わない。だが、ここでその言葉は目立ちすぎる」


 知恵は草むらで戯れる人を見た。同時に白い家の住人や、広場で会った人々の姿が脳裏をよぎる。男と女、子どもとおとな、Tシャツ、ワンピース、制服、民族衣装、いろんな人がいた。その誰もが嬉しそうで、楽しそうで、時にはステップを踏んで、幸せそうに笑い合っていた。


 「……変なの」


 自分がとても浮いた存在に思えた。


 「セーガさん!」


 振り向くと、大きな荷物を肩から下げた金髪の男の子が手を振りながら駆けてきた。たい焼きの屋台でおばさんと話していた子だった。どうやらセーガの知り合いらしい。


 「セーガさん、ここまで来ていたんですね」


 金髪の少年は笑みを浮かべた。端から見ていても嬉しいという感情が伝わってくるような、子供特有の無邪気さがうかがえる。少年は知恵に気付くと、小さく会釈した。肩からずり落ちてくるショルダーバックを白く華奢な手で押さえる。バックは大きく膨らんでおり、手には紙袋を2つ持っていた。


 「初めまして、新しいマスターさん、ですよね?セーガさんと同じアルフィノーレのセレナです。チームのみんなで揃ってお迎えできずにすみません」


 セレナと名乗った少年は申し訳なさそうに微笑むと、知恵の反応が薄いことを見て取り、「あ、アルフィノーレっていうのは僕たちのチームの名前です」と付け加えた。

 黒髪の少年と背格好が似ている。同じくらいの年齢だろうか。けれど敬語を使うせいか、セレナの方が少し大人びた雰囲気を持っている。


 「えーと……」


 セレナがどこか不思議そうに知恵を見た。何かと思い、知恵もセレナをじっと見つめる。セレナがためらいがちに口を開いた。


 「その、あまり、楽しそうじゃないですね。……この世界は気に入りませんでしたか?」


 セレナは言葉の割に悲しげな顔はしていなかったが、少し残念そうにも見えるし、ただ興味本位で聞いているだけのようにも見える。

 閉口した知恵をセレナは肯定と受け取ったらしい。


 「珍しいですね」


 そう言って笑うと、その瞳が徐々に、小さい子どもがなんでどうしてと質問攻めするものと同じものに変わっていった。興味の対象を見つけ、目を輝かせている。


 「この世界にいらっしゃった方はみんなここに住みたいって言うのに。あちらの世界にはもっと魅力的なものがあるのでしょうか?」

 「みんなって……他にも違う世界から来た人がいるの?」

 「はい、いらっしゃいますよ。ゲームのために来る方や、ゲームとは無関係にこちらにやって来る方もいらっしゃいます。楽しい方ばかりなので、仲良くなれると思いますよ」


 知恵はつんぐりと黙ったままセレナを眺めた。セレナがあまり嬉しそうに言うので、やはり自分がおかしいのかと思った。誰もこの違和感を感じないのか。それとも、彼らは考えることをやめたのだろうか。抵抗すれば腹の底からどろどろと湧きあがってくる、この得体の知れない塊に耐え切れず。

 吐き気がした。知恵は歯ぎしりし、セーガをねめつける。


 「ゲームで勝てば帰れるって言ったよね。どうすればいいの。早く教えて」

 「……おまえは何もしなくていい」

 「どういうこと?ここまで帰さない協力しろって言うくせに何もしなくていい?じゃあどうしろっていうの?」

 「そのままの意味だ。マスターは、なにもしない。事の成り行きを見守っていればいい。……難しいことではないだろう。すぐに帰してやる」


 表情のない顔で話すセーガが気に食わない。呆けたように口を開けるセレナに苛立ちが増す。見ているもの、感じているものがじりじりと胸の奥に食い込んでくる。この世界すべてが敵のように見えた。


 「おまえは客人だ。ひどいようにはしない。ゲームに参加さえすれば俺たちが」

 「俺たちが勝つから?セーガもなかなか無茶を言うね」


 セーガの言葉を継ぐように、声がすべり込んできた。知らない声のはずなのに、あまりにも違和感がなかったので「ほんとうに」と答えてしまいそうになる。言いかけて、気づく。

 いつのまにか知恵の横に青白い光が浮いており、反射的に仰け反るようにして後ろへ下がった。宙に浮かぶ四角い形をしたそれに、目を見開く。薄い半透明のパネルのようなものだった。支えもなく宙に浮くパネル。そこに、フードを目深にかぶった男が映っていた。


 「湊さん」


 セレナが安堵するように名前を呼ぶ。

 テレビ電話のようなものらしく、男は画面の中でにこりと笑った。


 「へぇ、高校生かな?魔法陣は若い子が好きだねえ。オレは大音師湊おおとし みなと。きみと同じチームで、一応日本人だよ」


 なんとはなしに発せられた最後の言葉に驚く。

 深くかぶったフードによって目元は隠され、表情を読み取れない。しかし、笑っていることだけは分かる。静かに、柔らかな笑みを浮かべていた。顔を隠しているのに、怪しいとも胡散臭いとも感じさせない何かが彼にはあった。

 知恵は宙に浮かぶ画面に少し戸惑いつつ、尋ねた。


 「あなたもゲームのために呼ばれたの?」

 「それが始まるよりも前からオレはここにいるよ。そうだな、ゲームのために呼ばれた子っていうと、例えばオレたちのチームは代々きみの住む世界からマスターを選んでる。それがさぁ、ランダムで選んでいるはずなんだけど、なぜだかみーんな女の子」


 呆れたように肩を竦める湊。


 「誰の陰謀だって叫びたいよね」

 「でも良い方たちばかりですよ」


 セレナが言う。湊はまあねと頷いた。


 「会いたければあとでセレナやセーガに聞くといいよ。そんな話はさておき、さっそくなんだけどさ、ゲームの説明は間近で見た方がいいと思うんだよね。セーガじゃないけど、それが一番手っ取り早いと思うよ。オレは今からゲームをするに、一票か、なー……」


 語尾が弱々しくなる。湊は一度パネルから視線を外し、あやふやに笑って、知恵に向き直った。


 「って、ね、言うつもりだったんだけどさ、その魔女さんが無理強いするんじゃないって。ちょっと弱腰じゃない?」

 「魔女、そこにいるの?」


 知恵が言うと、湊は笑った。


 「会いたい?今は忙しいからまた今度ね」


 湊の後ろから何やら女の子の声が聞こえてきた。湊があやすように手を伸ばすが、バチッとその手は弾き飛ばされる。「カノン……」とセレナが困ったように呟いた。


 「えーと、じゃあさ、きみはどっちがいい?ゲームをしながらルールを覚えるか、落ち着く場所でつまらない雑談をしながらゲーム鑑賞か……。オレは断然前者を推すよ」

 「湊さん、無理強いはいけませんて」

 「おすすめだよ、おすすめ。もちろんゲームをしないって選択肢もないことはないけど」

 「やる」

 「ん?」

 「ゲームをするって言ってるの。勝って、すぐに帰るから」

 「……」


 ぽかんと、小さく口を開けた湊。すぐにその口が弧を描いた。


 「ふふっ、ふははっ」


 湊が肩を揺らし始め、知恵は眉を顰める。


 「あー……マスターさん、気にしないでくださいね」


 セレナが苦笑し、セーガが慣れた手つきでそのパネルの音量を下げた。途端、湊が腹を抱えるようにして笑い出した。ツボにはまったようで、息苦しそうにさえ見える。ふたりとも止めようとする気がないらしく、セーガはただ黙ってテレビを鑑賞するようにそれを眺め、セレナは小石で地面に絵を描いていた。なぜ笑い出したのかわからず、湊に向いていたはずの苛立ちはだんだんと弱まっていった。


 「へえ、ゲームをしたいって?それは自分の意思?」


 ようやく鎮まってきた笑いから覗いたのは、からかうような声音。ひやりと背筋に冷たいものが走る。

 

 「焦らないでよ。ここじゃあ時間がたっぷりあるんだからさ」

 「……私は今すぐにでも帰りたいんだけど」

 

 知恵は探るようにパネルの中にいる湊を見た。ここに来てからというもの、気持ちが思うように安定しない。嫌悪を感じては妙に落ち着き、かと思えばすぐ気味が悪くなって、また落ち着いて。それが短時間で起こるものだから、苛立ってたまらない。今はなぜか、涼しげな笑みを浮かべる彼がとても忌々しい。


 「一度ゲームに参加したら絶対にマスターにならないといけないの?」

 「そういうことになるね。でも、そうしないときみは家に帰れない」


 腕組みして様子を見ていたセーガが静かに目を閉じた。


 「先程も言ったが、魔女とは、おまえがマスターになって勝つまで帰さないと約束してある」

 「オレとね。残念だけど他世界と繋がれるのは魔女ひとりだけだ。帰りたいならマスターになるしか道はない」

 「どんなゲームなの?ルールは?」

 「マスターを守るゲームだよ。説明するより見た方がいい。百聞は一見にしかず。ほんとう、その通りだよね」


 逃げ道は既に塞いである、ということか。湊の隣に魔女がいるだろうことは分かっている。だとしたらこの会話は聞こえているはずだ。なにも言ってこないということは、そういうことなのだろう。そして彼らは、ルールを説明しながらでも勝てる自信があると言っている。


 「ゲームに、参加する」


 湊がにっこりと微笑む。そうこなくっちゃ、と呟いた。


 「ドームまで連れて来れそう?」

 「問題ない」

 「うん。じゃあ待ってる。セレナはー……荷物だけ送る?」

 「いえ、持って行きます」

 「偉い。それじゃあふたりとも、大事なマスターを丁重に案内するんだよ。また迷子にならないように。あ、それから」


 思い出したかのように湊は声を上げる。


 「さっきから誰も聞かないみたいだから聞くけど、きみの名前は?」


 湊の言葉にセレナとセーガの視線も向けられ、知恵はしばし考えてから言った。 


 「橋本」

 「それ、ファミリーネームだよね」


 ケタケタと湊が笑い、知恵は沈黙する。


 「ゲームの登録に必要なんだけど、まあ、いっか。普通よく知らない奴に簡単に名前を教える方が変だ」


 じゃあ、と彼は言葉を紡ぐ。


 「ソフィアって登録しておこうか。あとで好きに変えるといいよ」

 「ソフィア?」 


 湊は知恵の疑問に答える気はないらしく、「待ってるね」と微笑んでパネルごと消えてしまった。


 「ソフィアって、何でしょうね」


 セレナは首を傾げるだけで、知恵に名前を聞こうとはしなかった。謎解きを楽しむような感覚だったのかもしれない。


 「ソフィアはギリシャ語だ。英知、知恵、学問という意味がある」


 答えたのはセーガだった。知恵は顔を強張らせる。

 セレナは更に疑問符を浮かべたが、眉間にしわを寄せつつも「ギリシャって国の名前ですよね」と言葉を絞り出した。


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