四 道程
緑の草原の中に大蛇のごとく横たわる、幅の広い一本道を進んでいく。
セレナはたびたび草むらに入っていくと、黄色い花を摘んで戻ってきた。タンポポだった。
「お花って、見ているだけで元気が出ますよね」
セーガに預かってもらった荷物からタッパーを出してそっと入れる。
ゲームが終わるまでに枯れてしまわないだろうか。少なくとも
「あ、ほらいたよ!」
セレナが容器を持って再び草むらに割って入ったあと、叫ぶような声音がしてひとりの女がセーガの肩に手をかけた。その一歩後ろには数人の男女。一様にセーガを物珍しそうに、そして溢れるような興奮を抑えた、火照った頬で眺めている。
「本物だ、やっぱかっこいいなぁ……」
「こっち見てるよ、すごい」
ひそひそ声の中、肩から手を離した女はそのまま流れるような仕草でセーガの手を掴み、上目使いに彼を見た。
「セーガが新しいマスターを呼んだって聞いて探してたの。今度はどんな子なのか知りたくって。それに、せっかくだから直接会って応援してるって伝えたかったから」
「そうか。いつも感謝している」
「あの、少しだけお話していかない?」
「悪いがこれから約束がある」
「ゲームでしょう?私たちも応援に行くから!」
「カノンとセレナは?俺ファンなんだー」
「あ、俺も、あの、ほら、背の高い美人。あいつ生で見たいんだけど」
彼らが徐々にセーガを囲うように近寄ってきたので、知恵はそこから少し離れて、眉ひとつ動かさず対応するセーガを観察する。知り合いではなさそうだ。彼らがはしゃぐ声に引き寄せられるようにして遠巻きに見ていた人々も集まり出していた。あんな対応では人払いなど到底できないだろう。だんだんと腹立たしくなってくる。次々と集まり出す人の群れが忌々しい。思わず舌を鳴らして、根源はどこかと首を回した。これだけの人数がどこから出てくるのか、不思議に思ったからだ。ついさっきまでは人など遠目でしか確認できないほどだったし、数えるほどしかいなかったはずだ。一体どこから――――。
「あっ」
たまたま目が合った褐色の男が声を上げた。知恵は面倒に思い、見なかったことにして歩き出す。しかし、男はふわふわした赤毛に手を当てながら近寄ってきた。
「あのー……もしもし? 君、セーガんとこの新入りで合ってる?」
へらりと笑う男からは妙な戸惑いを感じる。警戒して足を速めるが、男は諦める気配がなく、その手が伸びてくるのを察知した知恵は背中を向けて走り去ろうとした。が、いとも容易く腕を掴まれ、人に慣れない知恵は全身に鳥肌が立つのを感じた。
「ちょ、っと……!!」
「え、これって合ってるってことだよな?よし。セーガ―!行くぞー!」
男は意気込んで大声を上げると、嫌がる知恵を引きずるようにしてどんどん道を進んでいく。知恵は自身の腕を掴む浅黒い手を剥がそうとするが、その細い体つきからは想像できないほど男の力は強かった。足を踏ん張ろうにもつんのめりそうになるだけで上手く抵抗できない。
「離して!ちょっと!!……離せっ!!」
「そんなキャンキャン言うなって……。なんかー、うちの犬みたいだなぁ」
「離してって言ってるでしょ!離して!!」
「どうどう。腹へってるのか?セーガは厳しいもんなぁ」
「離してってば!!」
そこに、黄色でいっぱいになった容器を満足げに抱えたセレナが戻ってきた。知恵が男に鞄を叩きつけているのを見て首を傾げる。
「ラフさん?こんにちは」
「ん?ああ、こんにちは。セレナくんもこっち」
男はセレナの腕もむんずと掴むと大股でずんずんと歩いていく。
「ホームに行くんですか?」
「君たちはこれから試合だろ?」
「はい」
「なら、ホームだ」
「でもセーガさんが……」
「ルーファス、もういい」
セーガが追い付き、ようやく立ち止まった男の手を知恵は勢いよく引っ張って自分の腕を引っこ抜いた。その際男がひっくり返りそうになったが、知恵は冷めた目で自分の腕をさする。
「今度のはとびきりイカれたお嬢さんだなぁ」
セーガが歩き出し、あとに続きながらセレナは揃えた指を一緒に付いてくる男に向けた。
「ルーファスさんです。マスターをされているので仲良くなれると思いますよ」
「ええっと、ルーファスです。よろしく。みんなからはラフって呼ばれてるから、君も気軽に呼んでくれて構わないよ。セーガは堅物だからルーファスって言うけど」
知恵とセレナに挟まれているルーファスはぎこちなく笑みを浮かべた。
「そうだ、さっきは大変だったな。アルフィは結構目立つんだ。メンバーも変なのがいるし、戦い方も派手なことが多いし。でもマスターを頻繁に変えるっていうのが一番大きいかも。外から呼ぶから余計になぁ。もう上限までいっちゃったから君が最後だけど」
「ルーファス」
セーガがちらりとルーファスを見やる。ルーファスは目を点にして、赤い髪をがしがしと掻きまわした。それから、大きく口を横に広げて笑った。
「セーガもたまに変だよなぁ。今日だってスーツなんか着ちゃってるし。それが面白いんだけど。うーんと、なんだっけ?そう、目立つってことだ。自覚してよねーってうちのチームでもよく話題になってるくらい。わざわざホームまで歩かなくても……あ、ほら見えてきたよ」
「人が多いですね」
ルーファスとセレナの視線を追う。遠くの方に、巨大な円を描くようにして低い掘りがあった。水が流れているらしく、子どもたちが水遊びをしている。円の中は芝生が敷かれていて、その中心に青い空を透かすようにして、透明なガラス玉が半分、地面から顔を出していた。ひと筆の緑が引かれていて、大きなビー玉のようにも見える。
「ここがホームです。ドームと呼ぶ人もいますけど、ここは、僕らにとっての家のような場所なので」
「住んでないけどな」
人が蟻に見えるほどホームは大きく、そこに吸い込まれるようにして次々と人が入っていく。
目を逸らすと、道端に木の板が刺さっていた。それが看板だと分かったのは形の崩れた汚い文字で「ホーム」と書かれていたからだ。子どもが作ったのだろうか、その背の低い看板にある知らぬはずの文字に眉をひそめる。
「ここはゲームの情報交換の場になっているんだ。試合を大画面で観れたりもする。人は多いんだけど意外と居心地が良くて、俺らはよく長居しちゃうんだよな」
ドーム状の建物は全体がガラス張りになっていて、近付くと、ルーファスの言う通り大きな画面が外からでもよく見えた。ビー玉のように見えたのは天井に這う蔦のせいだった。中は植物園と似た様相で、入口では赤と白のバラのアーチが出迎え、数百種類の草木がそこかしこに生えている。自然をそのままカプセルに閉じ込めたようだった。草木の間でかくれんぼするかのように白のテーブルやイスが用意され、そこで軽食を楽しむ者もいた。
「今日もみなさんで来られているんですか?」
「そう、そうなんだけどさ。ああいや、そうだ、セーガに伝言」
ルーファスが前を歩くセーガの肩に腕を回した。彼が体重をかけてくるのでセーガは少し前のめりになる。ルーファスは後ろを気にしながら囁いた。
「なあセーガ、あの子って、なんか……なんて言えばいいかわからないけど……こう、あの子の周りだけぴりぴりしてないか?」
「そうだな」
「俺のせい?」
「もとからだ」
「もとから?それって良いのか?悪いのか?」
「気にするな。じきに“普通”になる」
「はぁ……すごい子連れてきたなぁ」
感心したルーファスは振り向いてへらりと笑うと、知恵に手を振った。
「じゃあ、試合頑張って。今度またそっち行くよ」
大規模なイベント会場に迷い込んだかのような人混みで、ルーファスの影はすぐに見えなくなった。
「待たせた」
セーガは白い花の咲く木の前で止まった。そこでテーブルを取り囲むようにして立っている5人の男女に声を掛ける。歳はみな40代ほどに見えるが、若者が多いホームにいても負けず、活き活きとした顔つきをしている。彼らはもっと近づくようにと手招きをした。
「待つのも忘れていたよ。楽しませてもらってたんだ」
ひとりの男が歯を出して笑い、少しだけ身体をずらしてテーブルを示した。そこからひょっこりと少女が顔を出す。さらりとしたブロンドの髪をふたつに結んだ少女だった。黒いワンピースに浮く、陶器のように白く透明な肌が可憐なフランス人形を思わせる。
少女はやってきた3人を見て大きな瞳をきらきらと輝かせた。
「セレナ!その人がカノンのマスター!?」
花が咲くような満面の笑みを浮かべ、カノンは座っていた椅子から立ち上がる。賑やかな場所なのに彼女の透き通った声はなぜだかよく聞こえた。
「初めまして、わたしカノンっていうの!セレナと双子なの!似てるでしょ?」
知恵は隣でにこにこと嬉しそうにしているセレナと見比べた。雰囲気はそれほど似ていると思わなかったが、言われてみるとつり目がちな目元がそっくりだ。
「カノンちゃんは可愛いねぇ。セレナくんもこっちおいで。クッキーがあるよ」
「ありがとうございます」
セレナも輪に入り、椅子に座る。カノンも座ってふたりで動物型のクッキーをかじった。
「お姉ちゃんも食べて!おばさんたちが焼いてくれたのすっごくおいしいから!」
「嬉しいこと言ってくれるね。カノンちゃんはみんなのアイドルだから、こうして笑いかけてくれるだけで幸せだよ」
セーガと知恵もおとなの輪に加わり、ふたりの子どもを守る砦のようなものが出来上がる。テーブルにはカノンの紅茶が置いてあるが飲んだ様子がない。セレナが砂糖の瓶を渡そうとすると、カノンはむっと口を尖らせた。セレナがどうしたの?と目で問うている。
知恵におじさんが優しそうに微笑みかけた。
「今回が初陣なんだって?私たちが相手なんだ。よろしくね」
「よろしくお願いします」
「そう堅くならなくていいよ。おじさんたちも数えるくらいしかゲームをしたことないからねぇ」
カノンがセレナの前に自分のカップを移動させる。セレナはクッキーを食べる手を止め、カノンが譲った紅茶を一口飲み、小声で彼女に尋ねた。
「湊さんは?」
カノンはクッキーを飲み込むと、ふてくされたように答える。
「消えた」
「喧嘩でしょ」
逃げるようにクッキーに手を伸ばすカノン。
おじさんは笑い、その笑みのまま知恵を見た。
「あなたも食べるといいよ」
「いえ、結構です」
「そうかい?そういえば、君はもうお願いは考えたのかい?私たちは楽しむためにやっていることだし、魔女さんがいるからね、大してお願いしたいこともないんだけれど」
「お願い?」
知恵は黙っているセーガを見上げた。
「願いって何のこと?」
おや、要らんことを言っちまったかね、という囁きがする。
「マスター」
セーガが言った。無表情のまま、言葉を紡いでいく。
「叶えたい願いはあるか?」
セーガは知恵から目を逸らさない。知恵は目を細め、鋭い眼差しを向けた。不快な感情が大きくなっていくのが手に取るようにわかる。これから言われるであろうことを想像して、鳥肌が立った。
「神が存在すると仮定しよう。もしその神が願いを叶えてくれるとしたら、マスターは、願うものはあるか?」
「……あったらなに?願いを叶えたところでどうせ人はいつか死ぬんだし、だいたい、神なんているかわからないものに縋っても意味がないと思うけど」
知恵はセーガから目を逸らし、言葉を切る。俯いて指先を握った。冷たくなっていた。
しばらくしてセーガの声が静かに降ってきた。
「そうだな。神の存在自体は信じなくていい。ゲームの最終的な賞品がそれだ。俺たちが参加する目的でもある」
「……それ、詐欺じゃないの?」
セーガはほんの少し眉を上げた。
「その言葉を聞いたのは初めてだ。ここでは誰もがゲームの存在を認知している」
「はぁ……そういう宗教なの?私が釣られるとでも思ったわけ?」
「その予定だった。気に障ったか?」
「当たり前でしょ。こんな話、簡単に信じる方がどうかしてる。本当に大丈夫なの?」
「お姉ちゃん!」
がたん、と椅子を蹴り倒す勢いでカノンが立ち上がる。
「ゲーム行こうよ!お願いなんてあとで考えればいいじゃん!すんっっっごい楽しいんだから!」
両手の拳をぎゅっと握り、目を輝かせて語るカノン。セレナも続いて立ち上がった。
「湊さんも待っていますから、行きましょうか」
「行こ行こ!ルールなんてあとで覚えればいいのよ!」
おじさんおばさんも「そろそろかね」と賛同し、知恵の不安に答える者はいなかった。
「それじゃあね、またあとで」
「ふふん、覚悟しててよね!」
おばさんが手を振り、カノンが自信ありげに笑う。
瞬間、頭の中で無機質な声がした。ひやりと嫌な感覚がよぎる。この世界へ来た時と似た感覚だった。
《ユーザー認証確認。セット完了。グラントデザイア開始準備。マスタールームへ移動します》
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます