【弥助問題】箇条書きで要点整理 長いんで分割①

 しばらく離れるつもりだったけど、思ったよりすぐ離れたんで復帰。これってどういう情勢にあるんだろな、と不可思議さを感じつつ。


 アサクリと弥助問題、要点の整理が必要かなと思うんで時系列。



<序盤戦>


●欧米の土壌に、深刻なアジアン差別が蔓延していた。

 (日本は別格だろうと考えられがちだが、自惚れに過ぎなかったらしい)


●Wokeという新手の選民思想が欧米で猛威を振るっていた。

 (差別主義者というレッテルで脅迫し、国民を分断して商売するビジネスカルト)


●15年以上に渡るトーマス・ロックリー氏によるWikipedia改竄が行われるも、誰も弥助に興味がなかった為に露見しなかった。氏もどんどん調子に乗ったと思われ。


●海外における弥助フィーバーで、ロックリー氏が一躍、弥助研究第一人者になり、弥助の虚像が欧米などに広がる。日本では話題にもならず。(この時点ではまだ、日本が奴隷貿易に関係があると匂わせる例の一文には海外日本共に注目されていない)


*日本も奴隷貿易関係してたはずだ!説はそれ以前から海外のトンデモ説として存在していたらしい。与太話、陰謀論のひとつ。


●UBIのアサシンクリードという人気ゲームで日本が舞台となることが知らされる。


●弥助が主人公ということに対して、海外ゲーマーが批判を展開する。

 (この時に聞こえた批判は、黒人蔑視も含まれるが多くはアジア男性差別に言及)


●日本のゲームユーザーがぼちぼち参戦。弥助が主人公でも別に気にしないよ、と余裕の構えを見せる者が多数。違う、そうじゃない、と海外勢に諭される。





 ところで、弥助に関してだけども。


 結論を先に書いてしまうと、「弥助は英雄的あるいは歴史に名を残す人物ではない」が確実に言えることで、「弥助が侍かどうかは解らない」というのは階級の話ですわ。武家社会の下っ端に入っていた可能性はある、が先に来る。


 歴史学者とかの本業の方が言うのは「史料がなさ過ぎて研究対象にならない」


 その後に「侍の定義が戦国期は曖昧になるからこの下っ端も侍と呼んでいいか解らん」ていう意味があって、厳密にはって話でしかない。中間衆だったかも、ということが今回の騒動で突き止められた。


 下っ端だったらどうなんだよ? 奴隷の身分を脱して、正式に雇用されたであろうし、その後の活躍次第では出世も望めた身分やぞ? 奴隷に夢や未来があるのか。


 外務省もそのつもりで紹介しただけだよ。単純に「武士」の英単語が無くて侍と一緒くたの「SAMURAI」しかなかったからそう伝えただけだろ。しかも、海外だって当然に、一介の奴隷がそんな大抜擢なんかあるわけないと理解してたらしい。


 妥当なところでそう思ってお互いイメージは摺り合わされていたのに、ロックリー氏があんなトンデモ説を史実として広めたせいだろ。海外で絶大な信頼を得ていたWikipediaやブリタニカを改竄工作に利用までして、世界を騙したんだよ。


 そっちの方は今後、歴史に残る事件として記録され研究もされるだろうよ。

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