【弥助問題】「日本はアフリカ奴隷貿易には参加していない」新資料に記載。岡氏、サンキュー。

 ツイッタバトルで岡氏が提示してくれたポルトガル語の史料に、以下のような記載が発見されたらしい。


『日本とアフリカは6000マイル離れており、アフリカからほぼ一番遠い地域と言って良い。近代以前は、アフリカとの貿易関係もなく他のアジア諸国と異なってアフリカ奴隷貿易には参加していない』


 岡氏が提示した資料が古そうだったことは、その写真資料を見たから解ってるんだけど、紹介動画ではそこまでしか紹介されてなかったのよ。いつ頃の誰の書簡なのかまで教えて頂きたかったトコですな。


 私が知ってるヤツだと、これ、中国大陸と朝鮮半島には、中継地が近かったとしてヒドい目に遭わされていたらしい史料が幾つか出てるんだけどさ。中継地が台湾近くの大陸にあったらしくて。で、宣教師が取り扱ってた奴隷には日本人も含まれていたから、岡氏とか一部の歴史研究者は日本も関係してたんじゃないかと疑ってんのね。それは前に聞いたことあるんだよね。


 でも、もし関係あったとしても九州地方の一部豪族あたりに限定の話なんだわ、それ。一番疑わしかったキリシタン大名の有馬氏とかは、近年に出た史料で無実が証明されたんじゃなかったかな、確か。


 で、後に秀吉が伴天連追放令とか出してるし、鎌倉幕府の頃には奴隷禁止の御成敗式目が出ていて、奈良時代だか平安時代だかからあった日本古来の奴隷制度っての自体が無くなってるから、奴隷を売るのはあったとしても買うのはかなりリスク高い状況なんだよ。


 なんせ朝廷も噛んでる御法度なんで、大っぴらに奴隷なんぞ買ってたら、その大名は自分の敵に朝敵っていう大義名分を与えてしまうからやるわけないんだよ。


 信長公記で弥助の記載に、お扶持を与えられたという記載があるのも、御成敗式目に違反するのを避けるためって方が大きいんよな。なにより、ここを無視したらそれこそ弥助を形式上でも召し抱える必要が無かったことになって、弥助=侍説においても、前提条件が崩れるんだよ。


 弥助が家臣になったことと、日本で奴隷貿易があったことは、矛盾すんの。


 ロックリー氏の著書がヘンテコになってたのはこの矛盾をどうにかしようと四苦八苦したからってのが、すぐ解るレベルなんだよね。


 八幡神の化身だと思ったとか書いてるのも、この御法度破りをさせる為の強力な理由が必要だったからだろうし、たくさんの黒人奴隷が買われていたという理由を作りたかったからだろうしね。


 当時の日本の状況ってのを考えると、黒人に限らず奴隷を買うことは御法度破りで非常にリスキーなことであって、売っ払った方だと最悪行方不明で誤魔化せるから横行したってのがすぐ解るレベルなんだわ。日本もさほどモラル高いわけじゃないからね。バレなきゃOKだったけど、買う方はバレるから無かったと考えるのが妥当よ。


 なにより、奴隷は商品だからお代金を払わなきゃいけないじゃん。売るほど人間がいるのになんでカネ払って買わなきゃいけないんだよ、て単純な話もあるし。


 そこを誤魔化す為に、ロックリー氏の著書では黒人が非常に人気だったことにすんのに、弥助を英雄に祭り上げてんのじゃないかな、とかも窺えるよね。


 弥助人気で大名たちが黒人を欲しがったので、バテレンは嫌々、黒人奴隷貿易に協力した、という筋書きになってるから。



 ぜんぶ史料で否定できるのに、それでも信じる外人が多いのはもともと日本人とかアジア諸国に対する差別感情があるから、て感じですな。


 岡氏が提示してくださった史料に、「他のアジア諸国とは異なって」とあるのは、ちょっと要注意だなぁと思ってるけど。秀吉がポルトガル王と交わした約定が根拠かなぁ。いうて秀吉の世もすぐ終わって、次の家康の世には出島に押し込まれて奴隷貿易を広める機会自体を封じられたんで、そのことも引っくるめで後年にそう記されたって解釈で合ってるかなと思いますが。


 ポルトガル王もさ、本気で日本から手を引こうなんて考えてるわけがなくて、宣教師たちの要請もあって、一時的にね、布教強化月間みたいに考えてたフシがあるよね。奴隷貿易の手は緩めて、その間に布教を頑張って、で、広め終わったら奴隷貿易も再開しようとしてたけど、家康に出し抜かれて出島にしか寄港出来なくなっちゃった、て感じ?(笑


 苛烈を極めたキリシタン弾圧も、そうと考えたら当然の成り行きだったんだな、というのが解りますな。根切り政策も必要性があったわけだ。手引きでもされてどこかの漁村が密かに開港なんかされたら目も当てられないし。水面下の工作合戦も実は凄かったんだろう、というのが想像できるね。水際作戦というか、攻防戦だわな。


 キリシタン弾圧も、見え方が変わったね、今回のアサクリ騒動で。



 弥助の他に黒人が居なかったかと言えば、実は四人ほどは確認されていて、九州勢のどこの大名だったかは忘れたけど「砲撃手に四人の黒人がいた」という古文書の記載はあるんだよね。でも、上に書いた通りで奴隷はありえないから、それこそこの四人はかの「ラストサムライ」のトム・クルーズ役の黒人版だったと考えた方が妥当なワケでさ。そっちの浪漫はこの弥助騒動のせいで封印されそうだよね、残念。


 ロックリー氏よ、あなたがしたことはそういうことだよ。本当にあった四人の黒人の逸話までニセモノの英雄伝説の下に埋めてしまったんだよ。




 幕末期に外人を招聘して技術指南をお願いしたように、戦国期にも外人を招聘して技術指南をお願いしたってのは妥当なラインでしょ。日本人には黒人に対する差別感情なんか無いんだからさ。


 歴史を考える上で、特に軍事が関わる時に絶対に無視できない要素がひとつあって、近代軍隊とそれ以前で決定的に違う事柄ってのがある。


「上司に絶対服従」ってヤツ。


 これは、近代軍事で生み出されたもので、当然ながら戦国時代にはあるはずがない。それぞれの兵隊はそれぞれの意思で戦闘するもしないも決定できる自由裁量があり、これを纏めあげることが必須だったわけでしょ。


 この違いは大きいんだよ。何度か書いたけど、弥助が高位の侍では決してありえないってのは、これがあるからだ。せいぜい足軽か中間衆までだろうよ。それなら見習いという体で、同僚たちにも受け入れられた可能性が高いからさ。


 最初からその路線で行けばよかったのに、なんで英雄にこだわったかというのが解んないよ、ロックリー氏。あなたホントに弥助大好きなの?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る