「ありがとう」なんて言葉に価値はない。だけど…

 私個人の話をしよう。


 私は小さい頃から他人の為に何かをしては自分の為の何かが犠牲になるという経験を重ねてきた。正直、今現在でもそのことが嫌で嫌で堪らない。


 よく、キレイゴトで「他人の為に生きましょう、感謝される人になりましょう。」と言っては大々的に喧伝しているが、騙されちゃいけないよ。


 そういう人間が増えたら得するヤツが居るんだ。


 実際のところ、私自身もADHDだったりポンコツだったりして、他人の助けがないとロクな人生が送れていなかったと思う。他人の助けのお陰で人並みの生活をさせてもらえている。


 だから、他人の為に何かをしてあげようとしてくれる人の有り難みは、そこらの誰より知ってるつもりだ。だけど、それでも、あんな大々的に喧伝されているキレイゴトなど信じないで欲しいと思う。


 私は「ありがとう」なんていうペラッペラの、何の価値もないような言葉くらいしか返せなかった。それくらいしか持ってなかったことが多かった。せめてもの思いで、ありがとうと返した。返せるものがある時は、ちゃんと行動とか対価で返すようにしてる。


 なんでこんなことを書くかと言えば、他人に助けを求める人には二種類いるからだ。本当に自力ではどうにもならなくて、返せるものがペラッペラの「ありがとう」なんて言葉ひとつしか差し出せないほど困窮している人と、


 タダ乗りで舌を出しながら、一番安い対価である「ありがとう」で済ませるヤツだ。


 世の中の問題はほぼほぼ、この二種類の人間の存在というところに根差している。人間は、本当は善良なんだと思う。でも魔が差すことも、堕落することもある。


 堕落したから、舌を出しながら「ありがとう」を言えるんだろう。




 堕落したからだという、そのことそのものを私はここに書いている。ペラッペラの五文字でしかないモノを高尚なもののように見せかけようという、堕落したヤツ等の策略が目に余るからだ。


 それくらいしか返せないから、というケースと、

 舌を出して安く済ませようってケースは違う。


 区別しろよ、いい加減。

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