【異文化問題】怒りの源泉はいろいろ

 八坂神社の例の問題、あれの怒りはちょっとフクザツだったりするんだけど、多くの人はあんまり細かく分解して考えずに話してるような気がする。


 まず、ガイドさんと喧嘩になってたあの動画は、最初の部分は撮られていないんだけど、たぶん最初はお互いにそんな険悪じゃなかったんだと思うのな。


 夜だし、撮影者さんはたぶん単独なんだわ。しかも女性だから、きっと怖かったろうし勇気がいったことだろう。ガイドさんも最初は紳士的に振る舞っていたし、話もちゃんと聞こうとしていたんだろう。だからその部分が撮影はされてない、と思う。彼女は身の危険を感じて撮影を開始したのだと考えている。それは恐らく、売り言葉に買い言葉で、エスカレートした結果でもあると思っている。


 じゃあ、なんで拗れたかと言えば、あの間違った参拝を続けてたせいだと思う。


 根本の問題点はあのガイドさんにあったのではなく、ツアー客の方だろうと見る。


 その参拝は間違いだし失礼だから止めた方がいいですよ、と言っているのに止めない。たぶん、英語でこのガイドさんも解説しただろうけど、それでも客は止めなかったんだろう。それは、意味が通じてなかったからではなく、もともと参拝するつもりで来てなかったからだと推測している。


 この動画の前に、本当の発端となる動画が海外では出回ってんのよな。あの鈴緒をパフォーマンスに使って撮影する、という動画がプチバズってたらしい。大きく身体をくねらせてメチャクチャに鈴緒を振り回す動画。私も観た。


 この一行の目的はそれを自分たちもやることだろうから、そりゃ止めない。


 でも、この人たちだけでなく、ガイドさんも、海外の人々も誤解してる部分がある。この鈴緒のパフォーマンスを日本人がどう思ってるか、たぶん怒ってるかな程度に思ってるんだろうけど、ぜんぜん違うということを、だ。


『恥を晒してみっともない、』と思ってるからだ。


 マナーが悪い、という意味でもない。あらゆる意味で「劣った者」と見られる行為なので、注意されたのだということを日本人でも解らない人はいるかも知れない。


 だから忠告してあげたんだよ、この女性の方は。それは神さまに失礼に当たるから止めた方がいいですよ、と。無知は仕方ないとして、恥ずかしい行為だからすぐ止めた方がいいよ、嗤われてしまうよ、という意味なんだわ。それが通じてない。


 日本人、割と静観してるけど、腹の中で嗤ってるからね。無礼なら無礼なほど、じゃあ遠慮なく嗤い者にしていいってことだな、という理解が広まる。


 日本は「恥」の文化だからね。嗤われたところで異文化の人には大したことないのかも知れないけど、同じ日本人同士だったら恥を掻くというのは割と大ごと。その齟齬もあるのかなと思う。あのパフォーマンスがカッコイイとか思ってんのかも知れないけど、その幼稚な精神性も含めてで日本じゃ嗤い者になってる。


 怒ってるのは親切心からで、普通の人はあれを観て嗤っている。


 日本人、あんまり怒らないけど内心じゃ割と嗤い者に見てるから。だから、可哀想、と思って憐れんでしまう人も出てくる。だから注意をしたりする。



 ところが、あの女性が動画を撮り始めた辺りからはまた事情が変化してく。原版の恥ずかしいパフォーマンス動画を真似たかった一行に対して親切心で注意をしたら、しつこい!と言って逆ギレされました、辺りからは多くの日本人の感情が変化する。憐れみが眉を潜めての嫌悪感情に繋がる、というものとはまた別のパターンになる。


 今度は攻撃性に向けての怒りが出てくる。文化的価値の変移で言うと、「恥を掻く行為への忠告」としての嫌悪や怒りだったものが、「恥を掻かされたことへの怒り」へ変わる。


 この場合の「恥」は何重もの意味がある。注意してあげたことを無碍にされた恥、こんなヤツに注意しても無駄だったのにという感情からくる恥、憐れみを掛ける相手でないのに掛けてしまった恥、人格を見抜けなかったことを人目に晒された恥、という具合。


 日本における「恥の文化」というのは双方向で、関わりを持つということに慎重に成らざるを得ない文化形態になっている。忍耐強いけれど慎重だ。


 怒りの感情も双方向があり、相手の立場に立っての怒りと、自分の立場に立っての怒りがあり、その源泉になる別感情はそれぞれ多岐に渡る。憐れみから怒ることもあるし、同情から怒ることもある。それらすべては「恥」に帰結する。


 例えば、アサクリの弥助問題は日本人差別ということで多くの日本人が怒りの感情を覚えたが、これも反面では憐れみをもっての怒りが混じる。差別心をもつ人々に「恥」を見いだして憐れみ、同情し、怒っている。もちろん、差別される日本人側も鑑みて、いろいろな感情を掻き立てている。


 人種差別に限らず、差別を恥ずかしいことと見做しているので、何が差別かを深く考えている。それにもし引っ掛かったら大恥を掻くからだ。ここで、「恥程度で…」と思ったなら、それはまだ日本文化を理解できていない。「恥」は思考の根幹だ。


 恥ずかしいか否かで日本人は物事を判断するので、その恥の感情は多岐に渡る。


 相手の立場にも、自分の立場にも、双方を鑑みることが出来なければ、これもまた「恥」に繋がってしまうので、この、恥を掻いた者、掻かされた者、双方への憐れみも完備していなければ不具合が生じる。憐れみを持たないこともまた恥だからだ。


 自分の身になって考える、多面的に考える、ということが出来ないと恥を掻く確率が跳ね上がるから。「間違い=恥」で、根本に「恥」があるのが日本文化、と思う。


 真田広之氏プロデュース「将軍」のヒットは、この日本人の特性を根幹に、矛盾することなく描けたからではないか、と思う。(まだ観れていないんでいつか観たい)




 日本人は……矛盾とか破綻も「恥」なんだよな。


 そして、この感覚を共有できない者を阻害しがちだったりの部分は悪癖か。

 (距離を置いたり、すーーーーーーっとフェードアウトしたりの態度がみえる)

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