ダイバーシティ、日本流の(たぶん)解釈

 一番解りやすいのは「男の娘」キャラだと思うのでそれで解説。


 ポリコレ界隈というのは、実にザツな分類で人々を切り分けてくるので、この種のキャラクターの理解が覚束ないらしいです。


 古くは「ギルティギア」のブリジットとか「ダンガンロンパ」のフジサキチヒロ、今米国で大炎上中とかいうマリオの新作に登場のビビアンというキャラなどが男の娘という括りになっているようです。


 チヒロちゃんしか知らんのですけどもね。


 知らなくても解説出来ちゃう問題なんですよね、でも。


 男の娘というキャラ分類は、ユルい括りになってます。だいたい日本の創作ではキャラクターの多くが分類からはみ出していまして、もはやデフォの状態ですが。


 それがなぜ起きるか、分類し辛いとか、仕分け不能とかが、作品ジャンルにさえしょっちゅう出現してくる理由ですけどね、個々の作品が独立していてテンプレートを軽視した結果だと思います。


 男の娘というのは特に仕分け不能なレベルで、それぞれのキャラには独自の個性があり、単純に「女の子の格好をしているけど男の子」という括りで縛れないんです。


 そんなに単純な内面のキャラクターじゃないんですね。


 チヒロちゃんは「女の子扱いされるけど内心では男らしくありたいと思っているキャラ」ですし、ブリジットも聞くところによれば「里の因習で女の子として育てられたが男である自覚はある」というキャラクターだそうで、ビビアンというのもたぶんそういう細かい設定というか、個性が色付けされているでしょう。


 ポリコレはどうも型が優先されるようですが、日本の創作だとむしろ型は無視して個々バラバラという認識で創作が為されるので、分類の型からはみ出しているキャラの方が多数派です。男の娘キャラはその最たるもの、というかです。


 そういえば、セクシー田中さん事件で原作者の芦原先生がこだわったのも、キャラクターでしたね。「キャラブレ」が起きることをひどく気にしていらしたと聞きます。


 日本の創作シーンでは、長らく「キャラクター個々の個性」にこだわって作ってきた伝統があり、視聴者やユーザーもこの基準に親しんでいます。個々バラバラなのが当たり前、という意識が浸透しているということで、むろんその基準を満たしていないモノが受け入れられないということもないですが、評価は下がりますよね。


 米国ポリコレの基準は、むしろ日本の基準よりザルですので、そっちに合わせると質が低下します。タイプ分類を越えて個々バラバラと規定する基準を持つのが日本産エンタメの、特に上澄みの作品に必須の条件になっていると思います。


 キャラがハンコではない、というか…



 こと「多様性」という部分ならば、分類不能に陥りそれを受け入れている日本エンタメの方が遙かに海外より多様性に勝ります。結論。



 たぶん、日本のエンタメにかかれば「トランスジェンダー」と言っても個々バラバラの多種多様に分けられて分類不能に陥るほど多様化しますよ、ええ。


「みんな違ってみんなイイ」というCM文句、流行りました。



(私なんぞはむしろトランスを偽るヘテロ男性の分類を多種多様にやりたい派です)

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