最新発見で繋いで予測! インカの黄金板~神代文字

 古代史の発掘もどんどん進んでいる。


 今まで、最古の文明は紀元前5500年のメソポタミア文明であるとされていたが、最近は世界各地でそれより古いと目される「何者か」の痕跡が続々と発見されているそうだ。


 それが、日本の縄文時代。


 第二次大戦後、仁徳天皇陵を調査した時にも、何か不都合があったらしくでその調査結果は封印されたそうだし。これは宮内庁としても何かアカンかったんだろう、たぶん、現天皇家に連なる人物の墓ではなかった、とかそんなんな気がする。なんせ世界最大だもん、それが天皇ではなく傍流の誰かだったりしただけでも不都合。けど、天皇がお飾りに過ぎなかった時期なんて室町あたりからは幾らでもあったからねぇ。


 では、これ、誰の墓だったのか。そもそも時代的に、というか、もしかしたら再利用の痕跡が見つかって、さらに古い年代の遺跡とかでも出たかも知れない。その年代が5500年より前なら…どこぞの国じゃないけど、埋め戻すわな。(笑


 最近こそ、諸外国も日本を貶めるの止めたけどさ、何も中韓だけが日本を貶める工作を張ってたわけじゃないもんねぇ。中韓のディス動画じゃさっぱり触れないけどね、皆さん。アメリカだってヨーロッパだってかなり日本を貶めてきたよ、うん。


 まぁ、昔の話だ、今は日本リスペクトでこっちが気恥ずかしいくらいに褒めてくれるんだし、あんまネチっこい事は言わない方が潔いってもんだよ、そう思う。


 ところで、インカの黄金板の発見だけど、これ、インカ遺跡のマチュピチュとか、大規模に地下トンネルの跡が見つかったってトコから始まるらしい。ただ、あまりに広範かつ複雑で、事故が頻発するために現在は一時中断で発掘は停止されてるようだ。カネもかかるだろうしねぇ。チリじゃ財政的にも続行は難しいわな。


 で、この黄金板の文字、一番近い形状とされたのが日本の縄文時代層で発見された神代文字だったらしい。これにより、ユダヤの祖先の源流は日本、ての確定。


 それだけじゃない、アメリカインディアンの伝承などにも日本と共通のものが多くあり、現在の古代史研究においては、日本の縄文文化がもともと海洋文化でもあったから、そのまま世界各地に拡散して、それぞれの文明の元になっただろう、というのが有力視されてんだってさ。


 それだと、色々空白とされてきた歴史の辻褄もきれいにパズルのピースは嵌まるもんね。たぶんそうだよ、それらの地域には日本産の石器が出てくるらしいし。世界でも有名な人気ブランドの石器産出国だったんだってさ。日本ブランド人気、古代からだってよ。(笑


 戦前戦後、つい最近までヨーロッパとかの白人文化圏では、アジアン差別と戦犯ってことで日本憎しの風潮が強かったから、これらの事実は抹消されてたんだろ。日本人が古代のオピニオンリーダーだなんて、彼らのプライドをズタズタにするもんね。アフリカが人類の起源だわ、アジアが文明の発祥地だわ、てなったら。(笑


 だけど、ほんとに昨今では、どこの人種も民族も、そういうのを些末な事と捉えられるようになったってことだろね。マウントってのは醜いみっともない心境だ、てのが世界的な新しい価値観として定着したってことだと思うわ。白人文化圏は本当にいち早くマウント精神を乗り越えたけど、中国なんかはまだ乗り越えられない、てことか。



 神代文字についてだけど、古代日本には幾つかの文字があって、まぁこれは現在でも方言っての残り続けてるの考えたら、南北に細長い土地じゃ文字でも種類が出てきてしまってもしょうがない、てだけのことに思うんで。カタカムナという種類の古代文字は現在、カタカナになって残ってる。


 日本人、割とテキトーに改造して使い続けてる気がする。うん。顔文字とかになってる気がするなぁ。地図に使う記号とかさ。これ使おうぜー、てノリで使うもんだから、使う時から最初からダジャレ含めで決めただろうから、だから現在、都市伝説とかでもなんか妙な繋がりが、てなるような気がするわ。


 けどそういう、人々のダジャレ含みの再利用の痕跡を辿ってくことが、連環を見つけてるってことで、歴史なんだろねぇ。



 でだ、なんで欧米人中心のこのインカ黄金板発掘チームが、日本の縄文文字で読んでみようぜ、てなったのか、ての、日本じゃあまり知られてないそうだ。


 日本じゃ縄文時代のこの神代文字以下幾つかの文字を、否定してるんだってさ。日本の研究界隈が世界で周回遅れというこの皮肉な。(笑



 そのまま専門家会議みたいに、専門家の権威集団だけほっとらかしにして、一般の国民や議員、一般の研究者は、あんな連中は無視して世界標準に合わせた発言をしていきましょうや! あいつらは無視でいいよ、もう。



 縄文時代は1万4000年前、メソポタミアはせいぜい5500年前、それどころか四大文明も日本の縄文が源流ということが考えられるという学説が支持を集めているそうだ。


 確か、縄文時代に、カルデラ噴火で九州地域の縄文人が絶滅するほどのダメージ受けてるそうだけど、火山灰などで一時的に日本列島は居住困難になって、その時に世界へ流出していった、と考えるのが妥当なんだろうなと思った。


 するとさ… 穿った考えなんだけど、「ムー大陸」って日本のことじゃない?


 ムーか、レムリアか解らんけど、故郷に帰りたいという想いがずっと続くだろうから、海底火山で甚大な被害を受けたということがいつの間にか、海底に沈んだとか、大津波で、とかに変わったのかも。そしたら、世紀末記載で必ず書かれる「洪水」も縄文人の記憶ということにならない? 


 そうなると気になることが一つあってさ。


 人類発祥の地はアフリカ。文明発祥の源流は日本。…この間に空白がある。


 大移動で人々が拡散していき、最終で日本に定着するに至った理由が知りたいよなぁ。なんのかんので日本ってガラパゴスだったから外敵が居なかったから、それがやっぱ一番の要因なのかなぁ。アフリカから各地に散っていった人々は文明を築くほどの余裕はなかったってことだよな、農耕民族発祥もたぶん日本だ、これ。狩りと移動で定住しないのが当たり前だったものを、日本式の半農半猟のスタイルが伝わってって、各地の民族も農耕に切り替わっていった、とした方がスムーズに繋がる。そして、それぞれの地で縄文をベースにした独自の文明が発生していったから、それぞれの文明同士となると共通点がない、と。縄文という共通点はあってもそれぞれの文明同士は接触していない、んじゃないかな。



 こういう最新の歴史研究が日本は蚊帳の外なんだよな、くっだらないイデオロギーキチガイのせいで入ってこないように工作されてる。シねよクソが。



 最近、私は、政治的なとか政府がとかは思わなくなった。個人個人のイデオロギーキチガイのせいで、道を塞がれているだけだと認識するようになった。小石が山ほど詰まっているケースのほうが、道の開通には手間がかかるってことなんだろう。敵視すべき相手を見誤っていたと認めるよ。政治家を敵視してたら思う壺だ。


 …したらさ、ユダヤの人々が言う「約束の地」ってのも、これ日本にならない?


 日本で文明にまで育って、噴火と洪水で各地へちりじり、日本へ戻りたいという願いだけが残った? そういう目で各地の伝説とか読み解いてもたぶんぜんぶ通じちゃうんだろなぁ。


 そもそもでさ、例えばエジプト文明なんかは元々は狩猟遊牧型だったのが農耕で定着したんだけど、その元々の農耕民はどこから来たよ?てなるじゃん。ゼロなわけだよ、技術が。これは他の肥沃な三角州を持ってた文明下でも同じになる、元々のその技術はどこから来た?て。そこ、流してたんだよね、エジプト史でも。変だなと思ってたんだわ。


 天敵がいない上にオサカナも豊富な日本で、じわじわ磨かれた農耕技術が、大噴火を機に世界に散らばったわけだよ。そこで、狩猟民しかいなかった肥沃な地で再び農耕が発生した、とした方が辻褄は綺麗に合わさるよね。だから農耕技術が「発生」した形跡が見つからない。


 日本を除く他の文明はすべてが「開墾型」なのに対して日本だけは「果樹園型」と言えるんだよね…。一度植えてしまえば後年ずーっと長期に渡って食料が手に入る、という形態になってる。そこが他文明地では不可能だったよね、土地がさ、日本は世界一富んでいた。海にも山にも平野にもあらゆるところで食料が見つかるチート大地。日本ではだから、「非生産的行動」ってのに「農耕」が入った。技術改良をのんびりやる余裕ある生活があった。ガーデニング感覚で農耕技術が発達したのかも。


 日本でそういう文明が芽吹いたのは1万6000年前。石器時代の終わり頃。だけどその頃って大陸と地続きで、もっと言うと四大文明合わせた分をも凌ぐ超巨大な平野が、朝鮮半島の隣りに開けていたことは無視しちゃいけないと思うわ。


 今は海底にあるこの平野を分析しないことには、おそらくアジア人の大半は当時そっちに居たと思うもんねぇ、しかも温暖期の絶頂期だ、ここを抜きにしては古代史の全貌は解明出来ないんだろうなぁと思う次第。


 日本はずーっと現代に至るまで食料豊富で、本来、水田も必要なかったんだよね。多彩な食卓が物語るのは、農耕をなぜやってたの?て疑問ってくらいで。だから、日本で生まれた農耕技術は、せいぜいガーデニングのようなもので、それは大陸に渡ってから高度に発達しただろう、てこと。中国お得意のマスゲームだよね、得手不得手というか。日本ではお庭の花壇だった技術は中国で大規模ファームに化けて用途が変わり、それがまた時代を経て日本へ輸入されて、日本人は凄い技術と思想に驚いて中華リスペクト、てことかなって。日本に計画生産って思想はなかっただろうし。


 日本でプラントオパールとかいう「稲の化石」が見つかり、6400年前のものと判明したの、これがデカいよね。水田はなかったけど稲作はしてたっていう証拠品。果樹園の一種として栽培したんじゃないのかなとか思うんだけど。なので大陸から稲作伝来するまで日本民族は原始人だったとかいう学説は完全否定された。


 もう教科書書き換えてほしいよ、某国だけでなく日本のも!




追記:

 日本の水田稲作の痕跡、3000年前の大規模なものが出て来てるそうだから、弥生時代ではなく縄文時代末期には既に伝わっていたことが窺える。半島の米はDNAのタイプがどれも一致しないことが解っているから、1万年前に中国で始まった水田稲作は他のルートで日本に来たことになるそうだ。有力なのは台湾経由だとか。日本は海洋民族だしね。


 あと、魏志倭人伝ともう一冊、「魏志韓伝」という冊子があるそうで、そちらでは半島の一部が倭人の領土だったことが明記されているらしい。そこから、世界的な解釈としては「海洋民族であった縄文人が韓半島へ上陸して住み着き、新羅や任那を建国した」ということになってるそうです。新羅が滅んだ飛鳥時代まで、韓半島の南は日本の領土だったというわけですな。


 そんで、肝心なトコだけど、日本は海洋民族で交易のために広範な海域を航海していた、ということも解ってるから、渡来人がもたらしたものではなくて、日本人が自ら取りに行った、と考えるのが妥当ってことなんでしょうな。


 紀元前10世紀、日本ではすでに稲作が始まっていて、しかし韓半島に国家らしきは建国もされてない未開の地だった、という話。南には倭人が居るけど北は遺跡が見つかってない、ということで無人と考えられるそうな。ここで言う「遺跡」って縦穴住居跡とかああいうのが遺跡ってことで、人が住んでた形跡がない、てことだろね。


 極めつけは、縄文人と弥生人の顔の変化だ。これ、今では単純に、主食が軟らかい米になったから、顎が尖り扁平な顔になっただけ、とされてるんだってさ。だいたい戦前の日本人と、百年後の我々を比べてもガラッと変わってんだから、人種が置き代わった証拠にはならないってこと、今の人ならすぐ気付くよねぇ。さらに最新DNA調査で決定打が出たってのも記憶に新しい…


 司馬遼太郎氏を始め、沢山の文化人が「渡来人起源説」に騙されたそうな…(笑


 こうやって後年にバラされるってすっごい恥ずかしいので、勉強は欠かさずにいこうと肝に銘じました。まる。(笑

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