フェミニズムに対する私の立場(主義主張)

 私はフェミニストではない。

 私は表現者の端くれである。


 フェミニストたちは我々表現者に対し「正しい表現を教えてやる」と言う。

 ならば我々も彼らに対し「正しいフェミニズムを教えてやる」と言っていい。


 ゆえに、フェミニストでなくともフェミニズムを分析、考察するケースは存在するし、表現者は自衛のためにもこのイデオロギーを一度は考えてみるべきと思う。その構造に欠陥があれば指摘し、是正を提言していいとも考える。


 それは攻撃ではない。彼らが表現の改革を目指し我々に口出しすることと同じだ。

 そもそも敵対的立場にいる表現者だから、その改革案に妥協はない。彼らが我々に表現を是正せよという位には、我々も主義の矛盾を糺せと叫んでいいはずだ。


 もし彼らの言う「一人一派」が非常に広範であるなら、私がいくらフェミニストではないと明言していようと、彼らは「フェミニズム周辺に居る」という理由で私をフェミニストと断定してしまえるだろう。フェミニスト=フェミニズムを思考する者、という定義において。


 それは承知している。


 だが、私は解釈を同一とは認めない。一人一派という言葉の定義が、私は違う。


 派閥の違いとして、一人一派は同じフェミニズムの括りの中の、違うカテゴリに分類する。また、その分類の中にミサンドリーは境界型として隣接するとしても、彼らそのものをフェミニストとは定義しない。混合型の存在は認める。


 ミサンドリストはレイシストの一類型であり、フェミニズムとは似て異なるのだから、彼ら彼女らをフェミニストのカテゴリには入れられないとする。レイシズムはフェミニズムの思想の一部を利用することができるが、フェミニズムは彼らを包括できないはずだ。これも、一人一派の定義によっては、包括できるとする派閥もいるだろうことは認める。


 また、私を含め、その解釈が破綻しているなら容赦なく指摘することも出来る。


 指摘された論理の問題点には、真摯に向き合うことが望ましいとは思うが、強制ではないことは言うに及ばない。




 私は「女性のエロスはタブー視すべきではない」というフェミニズム思想をもって、表現における女性性の表装はタブー視されるものではない、とする。自己表現としてのエロスと、他者表現のエロスに境界があるかが争点となると考える。


 服飾は他者表現であるから、他者に「表現させる」ための表現は他者の利用には当たらないと考える。差別的な表現とは他者を「自己目的の為に利用する」ことであるとする。


 表現者が女性の性を描くという行為は、自己目的の利用であるか、他者を表現させる目的であるかで、その性質は分かれるものと考えている。



 表現は、表現者によってしか、表現されない。動けない。


 故に、表現者に生殺与奪が握られており、生命として生かすための表現と、言いなりにさせるための表現の二種類があることは認める。



【追記(2023/01/31):

 フェミが持ち出した基準は、フェミという「いち学派」の創作造語でしかない。その定義も名称も理屈もだ。創作物にすぎないソレで、現実の誰かに罪を背負わせている。差別者に仕立て上げることで、実力行使的に世論を従わせようとしている。


(面倒になってきたんで、以後決定打を貼り付けて終わらせる。)

 そろそろ単純化していく。

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