フェミニズムにおけるエロスの捉え方(試案)

 とんでもなく難しくて、まだ時期尚早というか、まだまだ手を付けるには早いとは思うんだが、ひとつ光明が見えた気がしてるのでメモメモ。


『女性にとって心地よいエロスは、男性にとってもそうであるとは限らない』


 これは逆もしかりで、エロスは一義的なものではなく、立場ごとで快不快は変動するから、公共には置けないんだな、と。公共に置けない理由が明確になった、というわけで書いておくよ。とてつもなくセンシティブで、他の追随を許さない極振りの価値観を有するが故、だ。


 そうは言っても、エロ含みの表装なんてそこら中に溢れているじゃないか、という反論があるだろうが。


 A:大丈夫です。すぐ慣れるから。


 問答無用なんだよな、こういう問題は。かつて奴隷制が正しいとされた世界においては、奴隷というものはすごく便利だったわけですよ。だけど、それがアカンと決められた後は、今現在はどうですか?というだけの話なんだわ。すぐ慣れるよ。


 アカンとされた理由だって、多くの人の心変わりだけだからね。昨日まで平気だった価値観が、今日にはとてつもなく不快になった人が大勢居たから廃止にした、非常にシンプルに書くならそうなる。


 ダメとなったらなったで、その価値観に慣れてしまうから安心としてだ、ではどういうカタチが望ましいのかというところは考えるべきと思う。公共の場にエロがまったく無くなっても誰も困らないだろうことは確実だし、モデルさんの仕事が減るとかいったこともあり得ないだろう、実際のところは。なぜなら、必要総数自体は変動しないからだ。質が変化するだけで、その質に合わせて表現を変えるだけの話だ。女性モデルに求めるモノが変わるだけということだ。(ここで先に結論書いちゃうと、同調圧力によって、今度は男性の価値観を変革させてしまうという意味。ケシカランを男性も持てば解決するということだよ)


 そして、エロスの要請自体も無くならないだろう。無くすべきでもない。公共以外の場所では多少のゾーニングがあるにしても、恐らく無制限にエロス表装は提示されるだろう。そうならねば問題だよな、逆に。公私混同せねば良いということよ。


 これまで女性の、エロスへの感情は二つに引き裂かれていた。男性もそうなるというだけの話だ。そうして初めて、「ケシカラン」と「自由にして何が悪い!」は統一見解になる。世間における「ケシカラン」と「自由にして何が悪い!」は分裂していた。男性が女性性に対する「ケシカラン」を持っていなかったから、女性は統一見解を持てずに引き裂かれることになっていた。性に関するモラルがアヤフヤだった、という問題が解決する。


 ここが、これまで試案してきたことで大きく変わった点だ。


「ケシカラン」は存在すべきものだ。ただし、今現在言われていることがこれに値するかどうかは怪しい。これは厳密には法の定める猥褻物に相当するものであり、あるいは社会規範やモラルというものに当たる。それも、あくまでフォーマルの場での適用に限られるだろうからだ。ドレスコードというべきだろうか。


 ここでKuTooに重なるが、ドレスコードや社会規範は絶対ではない。21世紀の今日、基本的人権ですらが議論の対象であることは忘れてはならない。表現の自由もまた、絶対不可侵の権利などであってはならない。時流に合わせたアップデートはされねばならないからだ。


 現実的な問題として、基本の権利同士がぶつかり合うことも珍しくはない以上、「絶対の権利など存在しない」が正しいだろう。権利は振りかざすものではないということだね。



 エロスの好悪というものがあり、これは男女の性差が考えられる。男性が女性性に求めるものと女性が女性性に求めるものが一致すると考えるほうが普通に間違いだろう、ということだ。(民主主義的解決策の多数派をとってすら、という意)


 これは逆のパターンで、女性が求める男性性と男性が求める男性性にも乖離があるのは当然という話でしかない。その乖離を問題視するのもまた、間違いだろう。


 では、ドレスコードとしてのフォーマルの場での「性表装」は男女で統一されるべきか、という問題が出てくるが……ここからは、ちょっとまだ論が組めない。解らない。(不可能だろうから、女性性は女性の価値観寄り、男性性は男性の価値観寄り、となるのか…う~ん?)


 リクツとしては「統一すべき」なのに現実案では「それはムリ」案件ぇ…



 …まぁ、現時点ではこんな感じ。(疲れたー


 


 ひとつ、「男が喜びそうなエロ表現は嫌いってことだろー?」という見解の輩は誰の例外もなく、私はボケナス扱いをすることに決めたよ。ぜんぜん違うやないかい、バカめ。


 この意見を最初に見た時、なんだかカチンときたのだけど、よくあるチャラ男キャラの自意識過剰さを強調した、不快表現ってあるじゃん、アレだったからだけどさ。


 フェミ界隈って、反フェミも含めてで、嫌~なキャラのモデルになりうる人物像の宝庫だよね、なにげに。(笑




追記:

 件の棘まとめスレに挙がっていたノートを読みに行ったら、ランキングの記事に目が留まってしまってそっち読んでたよ。(無料なの今日だけかもなんで、ご注意)


https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71322

『韓国で起きた衝撃の性犯罪「n番部屋事件」――』


 これ、記事の中に「女性蔑視と女性優遇のパラドックス」と書かれてあるんだが、今回私が書いたことと見事に被っている。


 使うべきは「同調圧力」なのだ、ということ。正しいケシカランの忌避感をあまねく全ての男性が持ち、男女とものモラルに共通項が数多く出来るように「調整」せねばならない、ということだという論に至ったわけでさ。


 だから、フェミニストが教化を是とするのは当然なんだわ。むしろ規制の為の運動ではなく、啓発運動のカタチを取らねばならないってのは、これゆえ。その問題表装に、男性自身が気恥ずかしさを覚えればよい、てことな。(ゆえに、女性のリアルでのファッションなどにも影響するので、程度問題も発生するよ、てこと)


 モラルのレベルを男女で統一して、気恥ずかしいと感じる程度が同等になるよう調整するってことよー。(異世界レビュアーズ放送停止で納得してたろ、アレだわ)


 言葉でいくら「男女平等」とか言ったって馬耳東風で、上っ面だけの理解しかしない。「感覚」が共有されねば意味がないんだよねぇ。それも、男性が合わせるんじゃなく、落としどころを探る、両者が同じくらいの妥協を持たないとダメなんだから、反フェミは批判ではなく、彼女らが嫌っている対象のその魅力をアピールして、誤解に基づくその感覚を刷新しないとアカンのよな。表装に関しては、ね。


 フェミのが間違ってることもあるだろうから、そこを是正する為にも、フェミを理解しないと先に進まんのよな。


 要は相互理解なんだわ。互いが教化し合うカタチで、妥協点を探る?



【追記(2023/01/31):

 フェミが持ち出した基準は、フェミという「いち学派」の創作造語でしかない。その定義も名称も理屈もだ。創作物にすぎないソレで、現実の誰かに罪を背負わせている。差別者に仕立て上げることで、実力行使的に世論を従わせようとしている。


(面倒になってきたんで、以後決定打を貼り付けて終わらせる。)

 そろそろ単純化していく。


 理想はたいそうご立派だが、やり方を見ればゲスもいいとこだぞ。

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