「表現の自由」は「誰かの権利侵害」を容認などしない ①


 表現の自由といって、別に何でもかんでも許されるわけではない。現に「猥褻物」というものは規制される。「反社会的なものをヨイショ」だって気を遣えと言われるよ。どこらへんが自由だと思うんだ、これの。勘違いだから認識を改めてね。


 そして、女性差別というものがこの21世紀になってようやくスポットライトが当たったことで、今までセーフだったからという認識も改めねばならなくなったよ。


 今までは男性社会的価値観でこの権利が無視されていただけで、世界的に「これは改めましょう、」という機運になっただけです。今までセーフだった世の中の色んなモノが再検査されることになったわけ。表現はその一つ。

 表現の自由の範囲規定ももちろん見直し対象です。例外にする必然性が全然認められないからね。猥褻物の他に、「差別表現」も規制対象で、これはもう随分前からあるから、これからはそこに女性差別も含みます、ということになったわけですわ。

(テーマなどでそれを取り上げるなど必然性があるケースでは差別を描くことも可)


 今までは含まれなかっただけで、別にセーフでも何でもなかったの。アウトが無視されていただけ。そこが、表現者側が認識を改めねばならないポイントですわ。


 そもそもでさ、表現の自由を含めた表現周りの権利条項ってのは、そうとう古い時代に出来たもんなのな。そろそろ改訂版を出さねば時代遅れなのよ。なにかと。(笑


 そんなに難しく考える必要もなくって、今まではスルーして構わなかったけど、これからはアウトね、ていう世論が形成されたからちょい厳しく判定していきましょ、てだけだからさ。アウトが見逃されていたけど、これからはアウトだよ、てこと。


「表現の自由」を盾にして、何も譲らなくていいとか勘違いしてる人があまりに多いから先に言及しとくね。本題に入れないくらい、コレに依存してて頭動かない人多いんだわ、マジで。「表現の自由」は武器になんないだけでなく逆に不利に働くので、持ち出さないで欲しいのな。防衛戦略的には。






【追記(2023/01/31):

 フェミが持ち出した基準は、フェミという「いち学派」の創作造語でしかない。その定義も名称も理屈もだ。創作物にすぎないソレで、現実の誰かに罪を背負わせている。差別者に仕立て上げている。


(面倒になってきたんで、以後決定打を貼り付けて終わらせる。)

 そろそろ単純化していく。

 

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