エロ要素というツールの効能と原罪

 エロってのはさ、手っ取り早く好意を引き出せるツールなのだよね。それ単体でものすごく強力な魅力がある、万能な便利グッズ。蘊蓄とか専門用語が虚仮威しに最適な、割と使い勝手のいいツールだと言ったのと同じだね。


https://togetter.com/li/1477052#c7458491

『文化コンテンツ批判とはどういうものか――』





つづき、後でー。



 ひと言だけ、異種族レビュアーとかバニラ宣伝カーとかは、「認めてる」からだよ。正統フェミの言い分は「認識しろ!」でしかなく、そこに過激派が「規制!」言ってる構図。だから正統派も過激派に違うて言えないビミョーな面持ち、てなる。


 科学者って、飄々として子供みたいに無邪気な人多いけど、哲学系はなんかゴリゴリに偏った人多いの、なんでかなぁとよく思うんよ。科学信奉者はさ、「何も解らん」てのを実感で知ってるんだけど、その差かなとは思ったりはするんだ…


 突き詰めて考えるとさ、どんなリクツも例外なく、「偽」に到達するからさ。







【追記(2023/01/31):はい、関連の全ページに貼り付けてくよー。

 このフェミニズムの問題は、要点が現状でははっきりしている。


「フェミが持ち出した基準は、フェミという「いち学派」の創作造語でしかない。」

「ギルティの判定を下す基準を、どういう理屈でフェミが主導していいことになるのか。何を根拠にその権利を得ていると言えるのか。」

「フェミ理論の正当性は一切証明されていない。どこに物事の決定権を持てる余地があるのか。」


 この三つ。


 声の大きい者が、「嘘でも言い続ければ本当になる」を実践しているだけだと言い切れてしまうところが問題の本質を見るに大事な視点。感情以外に補強材料を何も持たないのがフェミニズム理論。理論とは呼べない、ただの主義。それが誰かの権利を制限する法律を制定させようと働きかけていることが一番の問題点。権利と権利の衝突に際し、既存の権利の方が優勢なのをひっくり返そうとして詭弁が用いられているに過ぎない。(不快感情を理由に表現規制を正当化している)


搾取というのは、誰が被害者で、何の苦痛を持ったのか。非実在の存在は文字通り。すなわち苦痛を感じているのは、表現された対象を見る視聴者の中だけにある想像上の表現対象者であり、その苦痛は視聴者が付与したものである。のである。(表現の再構築)

 女性全般だとするなら、その思想は。一つの解釈以外、他を圧殺する弾圧だ。


(面倒になってきたんで、以後決定打を貼り付けて終わらせる。)

 追加分がさらに増えたなぁ…

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