「批判精神」が無いせいなのか?
フェミニズム……いい加減飽き飽きしてるし、執筆時間がけっこう圧迫されて予定がズレ込んでいるから、ほんとに関わってられなかったりするんだが、片付けてしまわんことにはすっきりしない。
フェミニズムの理想……そも「理想」という言葉自体が「努力目標」とか「最終到達目標」程度のものなので、コイツを物事の基準に据えないでくれ、という愚痴があったりするんだがね。
「子を愛さない親などいない」としつつ、全部がそうだなんてことあり得ないくらいは解っていていいと思うんだ。また、「愛」といって、歪みきった愛もあれば猛毒に変化している愛だってあるわけでさ。それでも「愛は愛」だから、子を愛さない親などいない」は成り立つのだね。その家庭にある問題はだから、愛の不在ではないの。だけど、だからこそ、それを基準にするのはバカだと言うのよ。
フェミニズムとか思想的なものにしたって同じでさ、ピンキリ居るけど、まったく定義的に食い違って一つも重なるものがないとなったら、その人はその思想とは違うと解るじゃん、て。あと、多少はズレが生じているのも当然あるわけで、そこは「派閥」で整理しないとアカンとこと思うんだ。
カテゴリ分けだ。派閥がないと何も整理されず、推進力だって阻害されるばかりだからさ。そんで、まったくのベツモノが混ざっていても排除も出来ない。整理されてないから。
「スカートに妙な皺を入れてエロにするなどけしからん、」で止まっている人は、実際にはフェミニストじゃあないんだよ。あるいはフェミの中の保守派としても、別の部分ではちゃんとフェミの定義を踏襲しているもんでしょう、て。それが一つも見当たらないなら、その人はフェミではない何か別の思想なんだよ。
フェミの中にも保守派がいてもいい。女性の解放の中に、性の解放は含まないという主義になる。それはそれで、フェミの中の性の解放も含むだろう革新派と衝突するはずで、そこで衝突するのはある意味正しいでしょ。ここを混沌としたまんまだから、一緒くたにオタク勢力に批判されてしまうんだ。
革新派にも、性を謳歌するのは構わない、エロを商品化するのも(本人が了解するなら)結構、萌え絵だって何も問題はない、という派閥から、萌え絵だけは女性という表装を勝手に使っているのだからアウトだという派閥まで、ちゃんと分けた方がいいと思うんよ。党派性というか、整理がつかんし、統制もつかないでしょ。
保守派はまた、従来の慣習だのモラルだの貞操感だので反対を唱えるなら、それは本当にフェミニズムにカテゴリされるのかどうかを自己批判しないとアカンやろ。エロがその責任の所在を撮影者ではなくモデルに求めるような構造が女性差別であるからエロには慎重であるべき論とかは、先に挙げた貞淑論者とはまるで違うのだから。
昔、会社に水着カレンダーが配られる文化があって、批判されて取りやめになっていったが、これは貞淑論と言われても反論出来ないと思う。
「けしからん、」の風潮が蔓延っている中で、映っているモデルがアカンのだと、彼女らに責任を転嫁したようなものだ。運動自体がその本義を無くして、形骸化した。
「けしからん、」の風潮も差別であり、責任を被写体のモデルに負わせた、それが差別に値する。エロもモデルも悪くない。配布しまくった男社会の問題だし、撮影したカメラマンや配布会社が責任を負うべき案件のはずだ。
「けしからん、」のは水着でポスターに映る女性体ではなく、それを利用する社会への苦言のはずだが、そこを整頓もせず言い放つ「けしからん、」発言者も悪い。
「けしからん、」の感情は、だったら悪いのかと言えばこれは何も悪くない。
そも、基本的人権以外の権利が権威化することは、害悪だろう?
今、「表現の自由」は権威化が甚だしいような気がする。国民感情よりも表現という権利の方が上だと言わんばかりだ。これは危険信号だと思うのだ。表現弾圧も危険な兆候だと認識されているが、反対側にある表現の暴走だって同じくらい危険なのではないかという懸念だね。
もし、ある表現に対する国民感情がサイアクにまで高まり、これを排除したいと多くの人々が思ったとしても、権利の名の下にこの表現の横暴を正当化されて、止めることさえ人々には出来ないというのは……何か本末転倒ではないか?
大袈裟な話でなく、表現の自由という大元のところを出されれば、”お気持ち”側としてもその大元を、「国民感情」レベルを語らねば釣り合いがとれない。
【追記(2023/01/31):はい、関連の全ページに貼り付けてくよー。
このフェミニズムの問題は、要点が現状でははっきりしている。
「フェミが持ち出した基準は、フェミという「いち学派」の創作造語でしかない。」
「ギルティの判定を下す基準を、どういう理屈でフェミが主導していいことになるのか。何を根拠にその権利を得ていると言えるのか。」
「フェミ理論の正当性は一切証明されていない。どこに物事の決定権を持てる余地があるのか。」
この三つ。
声の大きい者が、「嘘でも言い続ければ本当になる」を実践しているだけだと言い切れてしまうところが問題の本質を見るに大事な視点。感情以外に補強材料を何も持たないのがフェミニズム理論。理論とは呼べない、ただの主義。それが誰かの権利を制限する法律を制定させようと働きかけていることが一番の問題点。権利と権利の衝突に際し、既存の権利の方が優勢なのをひっくり返そうとして詭弁が用いられているに過ぎない。(不快感情を理由に表現規制を正当化している)
搾取というのは、誰が被害者で、何の苦痛を持ったのか。非実在の存在は文字通り存在していない。すなわち苦痛を感じているのは、表現された対象を見る視聴者の中だけにある想像上の表現対象者であり、その苦痛は視聴者が付与したものである。視聴者が視聴者の内部にコピーして作成した別モノであり、その別対象に、視聴者自身が付与したのである。(表現の再構築)
女性全般だとするなら、その思想は全体主義であることを露呈しているに過ぎない。一つの解釈以外、他を圧殺する弾圧だ。
(面倒になってきたんで、以後決定打を貼り付けて終わらせる。)
追加分がさらに増えたなぁ…
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