あたちがおもうふぇみにずむうんどう~(5歳児)④

 宇崎ちゃんへの批判に対して、オタク側はよく「作品をちゃんと読んだのか?」という疑問を呈して対抗するよね。これはトータルで判断してくれ、という意思表示。


 だけど、そこはフェミの主張とも被ってる部分で、フェミ思想では「女性を判断するに、女性であることより先に人間として見ろ」ということを言っとるわけで、実はモノサシ自体は同じと思われるわけだよね。なんで対立すんのか解らんレベルで。


 トロフィーワイフという言葉で解るように、今、批判されている価値観というのは「女性を中身無視してガワだけを評価する、あるいはガワに固執して中身を圧殺しようとする」考えがベースにあると思われる主義主張なわけで、だからレイシズムとかは当然、唯物主義とか、なんなら理想主義とも敵対するはずなんだけどもね。「ありのままで評価せんかい!」て意味だから。理想主義はほら、変わることを同調圧力的に強制する危険性が高い思想だからね。


「なりたい自分になろう!」のなりたいモデルはどこからインプリンティングされましたか?てトコの問題な。


 ところで、ガワだけしか評価せんのは論外として、だけど「ガワは評価に値せんのか?」という問題が浮上しますわな。これは特に男性からしたら不思議でしょーがないと思うの。マッチョメンとかが筋肉ノリノリで披露してたりするもんねぇ。それはごく当たり前の風景なのだが、これを女性がやるとルッキズムとかゴリゴリに批判されるのだが、これが実は「女性差別で植え付けられた差別的価値観」であって、間違ってて、「もっと自分のナイスバディを誇っていいのよ?」なはずなんだよね。


 これが、「宇崎ちゃんのあのポーズ」に対する批判の面倒な構図でありますな。


 オタク側はマッチョメン的肉体美披露に観られるよーな、「優れた面としての美乳」を強調してのけただけなんだよね。だけど、それは現状、刷り込まれた差別的価値観で「悪きモノ」とされていることで、「女性たる者、ガワを誇るとは何事か!」的な文言が頭の中にペカーッと輝いちゃって、そこへ「セクハラ表現手法」と、ええ乳してんな~の「セクハラ容認キャンペーン」が重なってんだろうな、という感じ。


「美乳を強調する宇崎ちゃん」という表装はむしろ差別打破だけど、アイキャッチに現れる表現手法そのものはセクハラ的であり、それが表現物であることがキャンペーンの性質まで持っている、という厄介さ……。




 面倒だねぇ~。


 また何か思いついたら続き書くわ。(笑

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