「ゾンビ映画」の「ゾンビ」とは「ウィルスへの警鐘」である?
いや、風呂入っててピコーンと閃いただけなんだけどね。(だから巧く纏まるか自信はない)
「ゾンビ」を題材にした映画だの作品だのは多数出て来たんだが、ベースの「ゾンビが人類の脅威である」を逸脱してしまった作品っていうのは、一時の斬新性でちょっと話題になることはあっても、あだ花のように消えてしまうんだな、一つのカテゴリとして定着しないんよ。
これは、ゾンビという設定がそれ自体でなんらか重要なテーゼを持っていると考えるべきで、そこまでは以前から薄々感じちゃいたわけですわ。それが今日のお風呂で鼻歌歌ってた時にピコーンと答えが降って沸いたわけっす。
ウィルスなんだよ、ゾンビというのはウィルスというものの特性を強調した形で具現化した姿なんだわ。だから、映画のバイオハザードシリーズとかは大ヒットしたわけだね、そこを基軸に物語を展開して、可能性をどんどん押し広げていったから。
これのタチ悪いのは、ゾンビがテーゼであり、ウィルスの脅威を示しているということは、そこから外れてゾンビの存在に他の意図をくっつけてしまうとまず失敗するだろう、ということなんだ。ゾンビという設定の基盤が死ぬんだね。
テンプレ的に蔓延してしまい、マンネリ化してしまったからちょっと斬新にしたら本当にしばらくの間は人々に持て囃されるんだけど、何作か覚えている限りの”別種の使い方”をした映画作品は、後が続かなかったからね。普通はフォロー作品が雨後の筍状態でポコポコ出てくるのが世の常だってのに。
これがサメ映画だったら、サメを逸脱したオルカはやっぱ続かなかった。あれは”サメ”でないとダメななんかがあるんだよ。たぶん、オルカはサメより賢いからとかそこら辺じゃないかなという気がする。サメは知能が低い、つまり交渉不可の存在というところの説得力に、恐怖の源があるからだろうと思うんよ。
チェーンソーでお馴染みのシリーズは割とバカ映画なんだけど、それでもこの「サメの交渉不可能性」という部分が辛うじて恐怖を担保しているから純度100のバカに堕さずに済んでいて、これほんとにバカ要素だけなら映画として成立しねぇんだよな。逆計算で、「基底にある恐怖をバカで笑い飛ばす」という方程式になってるから。ただのバカ要素だけでは人は高いカネ出して映画館まで行かないと思うんだ。
コメディとかバカとかが、なんらかの不安要素を覆すことで成立するジャンルだからねぇ。
ところでこの「交渉不可能性」てのは、割とホラー作品においては重要で、ここが交渉可能とみられるとホラーで無くなる危険まで孕んでたりするよね。(だからキングが作品映画化の時にめっさ怒ったわけだよ、人間が原因だと交渉可能になって恐怖が薄らぐだろうが!て。逆に聴衆の方は「人間が一番怖い」とかいう説話で謎の安心感を得ようとするしねぇ)
それに「ゾンビ」とか「サメ」とかいう名詞的な縛りだな、これが名詞のランクで恐怖の保証にまでなっている側面がある、てのが問題なんだわ。保証書ってことよ。視聴者はだからゾンビ映画に期待するのはまず「恐怖感」なのだ、てことで、ここを正統派のやり方以外で裏切ることはタブーなわけだよ、看板に偽りありってことで、ゾンビを使う意味がないということになってしまうわけで。ジャンル詐欺だね。
だからゲーム版のバイオは近年で原点回帰とかやったりで、ただのアクション寄りになっていたのを反省したり、色々やったしねぇ。(ただ恐怖というのはマンネリ化で薄らいでしまう最たるモノだから…)
これ多分、ホラー以外でも同じような構造をもつジャンルは他にもあると思う。それが、今考えてる本格ミステリー界隈にも言える部分があるんじゃないかと思うわ。
カテゴリとかジャンルは、そもそもで読者用のラベリングだと思うし。困るのは、そのラベリングが他ならぬ読者自身の手で、かなり曖昧にされてしまっているって点だわな。読者自身のカッコ付けで、本来の範囲外のものも多く含まれてしまうんだ。
それを防ぐのがかつての文壇の役割だったと思うんだが、それを否定して排除したから、現在はゆるやかにカテゴリやジャンルという機能自体が麻痺を起こしてるよね。憎まれ役が居なくなって有り難みが解る、の典型じゃないかな?(笑
民衆は、自身が凡庸であるということを認めたがらない悪癖を持つのよな。
(人間の大半が凡庸であり、確率的にも凡庸を自認するのが妥当なんだけど、大半は逆に自分を抜きん出ているはずと希望するのだ)
だから自分の贔屓するモノをより良いトコへ押し込もうというエゴが働く、てことだわな、昨今の色んなジャンル巡る混乱ってのはよー。(笑
というわけで、次はコレ(↓)読みたいです、安西先生!
https://togetter.com/li/1447494
『評論集『探偵が推理を殺す』ってなあに?』
ミステリーって、「ミステリーサークル」とかの意味が正確で正しいと私は思うので、島田先生の提言にならい、これからは「探偵小説」と総称では呼び習わすつもり。しかし、反発もある。まず、本格でも推理でも、その重要な要素とされる「論理性」に関して、この定義がまったく固定化されてもいないわけなので、まずはここの周知統一が先ではないのか、という意見だわ。
もちろん、それをやれば多くの先行作品が弾かれ、またこれからの制作が非常に敷居の高いことになるとは思うけどね。
けれど、どっちかだと思う。かつてSFの中の「サイエンスフィクション」がSFの正統最高値の冠として機能していた時代は、この冠の定義は非常にシンプルかつ揺るぎなく強固に出来たから、その後は衰退してしまうという結末を観たけど、けれどそれは必ずしも不幸とは言えないと思う。実作者のプライドは守られたからね。
サイエンスフィクションの名を冠して、実体はサイエンスではない作品が、真実サイエンスを厳重に守った作品より高く評価されるというのは、はっきりと冒涜だ。荒らし行為だし、ジャンル詐欺もいいところだ、しかし、読者はそういうプライドは汲んでくれないわけだよ。「面白ければいい」とか言って。私はそれは以前からムカついていたからね。(笑
だから、一般ウケからは遠ざかって滅亡したかに見える「サイエンスフィクション」だが、決して不幸だとは思っていないのだよ。ジャンルとしての体裁は守られたわけだからね。
ジャンル詐欺の本当の弊害は、長い年月の後にボディブローで効いてきて、取り返しが付かなくなるって種類の腐り方をもたらす、に尽きるわ。信用を削っているわけだよ、裾野が広がれば一見は盛況になったかに見えるけど、それはコアユーザーの信頼を裏切ることと引き換えに、外の顧客に尻尾振ることだよ。そしたら、黒船に当たる信頼度の高いメディアが登場した途端にあっさり瓦解するんだ。
今、読者に周知されている「カテゴリ名」ってたぶん「探偵モノ」と対になった「刑事モノ」の二大タイトルじゃないかなと思うんよな。ここの線引きが曖昧になった時が怖いよねぇ~。(笑
「本格」って、たぶん書き手に回ろうと思った時に初めて混乱をもたらすってレベルにしかなくって、一般的には「探偵モノ」の別名くらいの認知かも知れない…(そのくらい一般認知では混ぜこぜって意味な。カテゴリ詐欺をなぁなぁで許してきた結果だよ)
物事は、硬化するか軟化するかで、片方には「サイエンスフィクション」があり片方には「タグ機能マヒ」の結末がある。どっちに転んでも滅亡しかないのが本当で、どちらも実は停止に向かうという行為だからで、常にバランスを取っていく中道思想がやっぱ歴史的にも正しいというか、中国三千年の歴史パネェな、て話。
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